彼らの魔法 (拍手御礼テキスト)
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 高篠光矢の生活は、いわゆる普通のサラリーマンのそれとは違う。
 巨大企業シノヤグループの経営者一族の一人にして、その出自から疎まれている末子である光矢――それだけで、普通ではないともいえるが。
 彼は腹違いの姉の主催する服飾メーカーの、下請けデザイナーとしての仕事を細々とこなしているだけの、ある意味正しくサラリーマンではある。だが、なんせ個人事務所を経営しているし、そもそも働かなくても父親の遺産だけで暮らしていける男なもんだから、仕事といえども、どこかのんびりと、優雅なものなのだ。
 もちろん、締め切り間近となれば、腹違いの姉から発破をかけられれば顔つきも変わって、連日徹夜も厭わない生活に突入するのだが、一時が万事そんな調子で、普段はのらりくらりと――しかし、日常的にコツコツとアイディアのメモを取ったりスケッチをしているところを見ると、イヤイヤながらの職でもなさそうだが――過ごしている。
 しかし、どう贔屓目に見ても、普通のサラリーマンに見られる仕事に取り組む姿勢ではないだろう。営業に行くでもなく、経営者の勉強をするでもなく、たまに熱中しているかと思えば、二十八歳とは思えぬ熱心さでTVゲームにかまけているか、服飾デザイン関係の雑誌やムックをニヤニヤと読むばかり。
 遊んでいる――そういう言葉がピッタリ当てはまる。
 そう、何か別の仕事があって、その合間の遊びとして、デザイナーを選んだような……。
 何かを隠したくて、対面上、デザイナーをしているような……。
 高篠光矢には、何か秘密があるのだ。そう思えてならない。

 先の冬に引き合わされ、彼に預けられて以来、八雲と名づけられた少年は幾度目とも知れない言葉を脳裏に浮かべた。
 高篠光矢には秘密がある。自分と同じように、隠したい過去が。

 その過去の一つが、この世界の人間には仕えないはずの魔術を、誰に教えられるでもなく使えるという事実。
 もっとも、それは独学ゆえにとても不安定な力だ。感情が高ぶるたびに、何かしらを破壊しないではすまない。
 八雲が光矢に紹介されたのは、この不安定な力を少しでもコントロールできるよう、先導するためなのだ。


 八雲は、異人だ。流浪の人間。
 かつていた世界でも、この世界でも、「どこからかやってきた人間」に過ぎない。自分自身さえも、この世界が元々いた場所なのか、それとも別の何かなのか、自分が終わらせてしまった世界の欠片なのか、それとも断末魔の合間に見ている夢に過ぎないのか、全くわからない。
 そんな人間であり、魔術の無いこの世界で魔術を操る魔術師でもある。
 八雲の持つ知識の中、魔術における世界の認識における用語には、『誰も知らぬ者』という存在がある。
 全ての変遷の、その瞬間の前触れとして存在し、己の血を持って変遷を行い、そして去って行く者だ。
 実在と非実在の境界に立つその存在は、世界の危機的状況が差し迫るその時まで、誰も知覚出来ない。その存在そのものですら、己を生み出し、消し去り、そして生み出すが故に、いつだって自己の記憶があいまいであるという。『誰も知らぬ者』とは、『自分すらも知らぬ者』なのだ。
 自分がそうであるとは言わないが、流浪の存在となった今の八雲は、知識でしか知らぬその存在を身近に感じていた。
 自分を知らぬ者たちばかりの場所に放り出され、自分自身すら見失いそうになる毎日。それは時折、八雲の背に鳥肌を立てさせる。自分の見て感じているこの世界は、本当に存在しているのだろうかと。
 焦燥に駆られながら、そして苛立ちながら、それらを自分を匿っている人々には知られまいと隠し続ける生活。

 そんな所在のわからぬ自分を居候に置いた、いくら信用している牧師からの紹介だったからとはいえ、いくら自分と同じ魔術を使える人間だからとはいえ、二つ返事で引き受ける高篠光矢という男の心情を――八雲は量りかねていた。

 もっとも、八雲自身の身元引受人の事情をアレコレと探る前に、八雲にはやらねばならぬ問題が山積みなのだ。
 この世界の言語、天候、天体の動き、情勢、歴史、この国、この町、人々……何もかも、今現在の生活に支障をきたさない程度にしかわからない。
 一つだけ気になっているのは、言語が通じるという事実だけだ。
 元々いた世界と、非常によく似ている。支障をきたしたことなど、数えるほどしかない。
 流浪する人である八雲は、その偶然とは思えぬ一致に、何らかの意図を感じる。それも、自分に害ある存在からの意図だ。
 何かが周到に用意されていて、同じことを繰り返させようとしている――それも、急いで。
 そんな気がしてならない。
 ならばその前に、その意図を、敵意を探っておかねば取り返しのつかないことになるのは目に見えているのだ。
 かつての過ちを繰り返してしまうなんて、ごめんだ。
 情報を集めるべく出かけようとするたびに、光矢は心配して車を手配しようとしたりするのだが、八雲は丁寧に断り続けていた。
 自分が何をやっているのか極力知られないようにするためであり、そして、万が一の時には彼を巻き込まないようにするためだ。
 光矢を疑いたくはないが、用心しておくに越した事はない。
 八雲はいつもどおり、光矢が買い揃えてくれたブーツやスーツ、黒いレザーコートを羽織って外へ出た。
 違和感に満ちたビル郡の谷間を歩きながら、何度も、自分の影を確かめてはため息をつく。歩きながら、外食をとりながら、人々の会話を耳にして世界を知る。
 そのたびに、ここは自分のいるべき世界じゃないという違和感を抱きながら帰る。
 この世界は平和過ぎる。もし、この世界に自分が派遣された意図があるとしたら、この平和を破壊することだ。
 自分が災いを運ぶ者でしかないということを再確認させられるだけ。
 そんな毎日だった。


 そんなある日、光矢は出かけようとする八雲を呼び止めた。
「時間、ちょっともらっても良いかな?」
 珍しいこともあるものだと、八雲はつかの間逡巡したが、頷いた。
 互いに互いの心情に興味を抱きつつ、素知らぬふりを続けるのも潮時かと思ったこともあるが、この、遊ぶことにしか――時間を過ごすことにしか興味のなさそうなおぼっちゃんが、自分に何を話すのかという好奇心に負けたのだ。
 光矢の仕事部屋に入ると、人の背丈よりも大きな生地を丸めた筒が何本も棚に並び、それらよりは小ぶりながらも人を包むには十分な幅を持つ布の筒が、作業台の上に並べられていた。
「今日、サンプルが届いたばかりの生地なんだ」
 うっとりとした目で布地に手を滑らせながら、光矢は戸惑う八雲に振り返った。
「いつまでも冬服ではいられないでしょう? 春用の上着を作ってあげるよ」
 これは軍用の生地だから、君の無茶な注文にも応じられるよ――光矢の言葉に、現在の衣類を選ぶ時に散々困らせたことを思い出した八雲だ。
「軍用の布?」
「うん。君の要望に応じるには、軍服の生地が一番だと思って、サンプルを取り寄せてみたんだ」
 八雲は新しいおもちゃを手に入れたような若社長の姿に驚きを隠しきれなかった。
 この男が、ここまで自分の職業を――服飾デザイナーという仕事に愛着を持っているとは思わなかったのだ。
「丈夫で動きやすくて、それなりに軽いものとなるとね。ついでに宇宙服がどうなってるのかって興味あったけど、さすがにそこまでは無理でさ」
 君も街中じゃ着れないだろうしと光矢は笑った。
 光矢の新しい一面を目の当たりにした八雲は、自分の中で興味がうずくのを感じた。
 新しい世界に投げ出されて、義務的に情報を収集していた絶望的な心境とは、全く違った、個人的な興味。
 それは、久しぶりに感じた、八雲自身の意志でもあった。
「君を誤解していた」
 八雲は正直に、口にすることにした。
 光矢は年上の雇い主だが、親愛を込めて「君」と呼ぶ――それは、八雲が光矢がただ者ではないと感じた時からずっと続く習慣でもあった。
 彼が、誰かの意図によって自分の前に用意された何らかの駒であった場合――八雲は、彼を友とするべきであり、敵対するべきではなく、そしてかつてと同じ悲劇を回避する為には、他人行儀な関係や態度は益なしと判断して以来の、呼びかけだった。
 そして光矢も、そんな些細なことにはこだわらない男だ。むしろ、対等に口を聞く八雲を面白いと感じているかのようですらある。その挙句、魔術の教師役である八雲のことを、冗談めかして「先生」とまで呼び出す始末。
 彼は一時が万事、非常に自己評価の低い男なのだ。推測でしかないが、おそらく十歳程度離れているであろう八雲との年齢差など、彼には意味が無いのだ。だから、八雲の口調に眉をひそめるようなことなど無い。
 むしろ「自分よりもしっかりしている」と感心する――それが、高篠光矢だ。
 そんな若社長は、八雲の真摯な眼差しに驚いたようだ。
「誤解?」
 きょとんとして、父親譲りなのだという大きな瞳を見開いた。
「何が?」
「君が、そんなにも服飾デザイナーという仕事に誇りを持っているとは思わなかった」
 光矢は何を言われたのかわからなかったらしく、しばらくぼんやりと視線をさまよわせ……そして合点がいったのか、にやりとした。子供のように。
「いつも別のことをして遊んでいるように見えたってこと?」
「まあね」
 光矢は更ににやにやと、まるで誤魔化すように笑って、作業台の端に腰掛けた。
「八雲は……初めて会った時、自己紹介してくれたよね」
 八雲を拾ってくれた牧師の家の客間での事だ。
 その時の事を思い出そうとした八雲に、光矢は確かめるように、言った。
「世界を救う事に失敗した、『元・救世主』だって」


 その一瞬、八雲の脳裏で記憶の欠片が乱舞した。



 戦場の地獄絵図。
 燃える炎と黒煙に包まれた白亜の城、召喚された魔獣や巨獣が空と大地を自在に行き交い、戦い、砂粒のような人間が刃物を振るい合い、時折まばゆい魔術の光が駆け抜けてゆく。
 地平線まで続く大地が、すべて兵士と魔物で多い尽くされている。大地は血塗られ、ぬかるみ、気を抜けば膝をついてしまいそうになる。
 八雲は救世主として授けられた魔剣を振るって、城を目指していた。自分が救世主として召喚された理由が、あの城の城主に取って代わること。
 それは、親族である八雲にしかできない事だ。
 すでに自分の手は親族殺しで汚れていた。この上、さらに身近な人間を殺したいとは思っていなかったが、すべてはたどり着かねば話にならない。
 その玉座を明け渡してほしい。それを告げ、説得できるのは自分だけだ。
 疲労困憊だったが、必死で駆ける八雲の後方で、悲鳴があがった。
 いや、それは錯覚であって、人の声ではなかったのかもしれない。
 この世界の断末魔だったのかもしれないし、やはり自分の朋友の最後の叫びだったのかもしれない。
 振り返った八雲は、巨大な朱色の光の柱を見た。
 絶望に彩られたその魔術の光の中心には、自分同様、世界を救うべく選ばれ、作り出された存在がいた。
 その姿を目で見ることは出来なかったが、その魔術に込められた個人特有の感覚的な色彩は、八雲の良く知る仲間の特長を、余すところ無く伝えてきた。
 血塗られた人生。朱に塗り尽くされた魔術。さまよい続け、安住の地を見いだせず、信頼できる友も恋人も失い、ましてや対決しなければならない運命が、その色にあった。
 高貴なる存在故に背負わなければならない重みを、一人で背負い続け、八雲の助けをいらないと笑って拒絶した笑み。
 その絶望。その怒り。その孤独。
 自らの死も厭わず、世界を滅ぼすべく放たれた、人の技とは思えない力の奔流。
 大地がひび割れ、跳ね上がり、光の欠片となって地上を吹き飛んでゆく。
 世界が砕け散る。文字通り、世界の一点から、粉々に壊されてゆく。
「教皇!」
 誰かの悲鳴が耳に飛び込み――。


 八雲は、記憶の中の光景から目をそらし、現実の眼を擦り、何も知らずに話しかける光矢の言葉を、機械的にとらえ続ける。
「その『元・救世主』って肩書き、捨てたくなる時はないかい?」
 八雲は絶句した。
 脳裏にあるあの記憶がある限り――あの人々、あの場所に至るまでの戦いの犠牲者たちの全て――その重みを知り、記憶に刻まれている限り、肩書きを捨てることなどできるはずがない。
 そして、光矢にそれがわかるはずがない。
 だが、わからないからこそ、気軽に口にできるのだろう。
 それが一番簡単に出来る方法がある――光矢の目が輝いた。
「服を着替えるんだ。それだけでいい」
「服?」
「そう。記号を変えればいいんだ。わかる?」
 八雲は、光矢の言わんとしている事に気づいて、頷いた。
「人を語る前に、目に入るモノが外見だから、だね?」
 光矢は満足げに頷き返す。
「そういう事。僕が金持ちに見られる方法は簡単だ。僕の持っている一番高い服を着れば良い。僕がサラリーマンに見られる為には、その辺の店先で一万円のスーツでも買ってくればいい。ネクタイも然り、靴も然り」
 あとは髪型ぐらいかな――光矢は肩先に届いている自分の毛先を摘んで苦笑する。
「衛藤牧師は、誰が見ても牧師だってわかる。それはあの人が、いつも牧師の服を着ているからだ」
「君が言いたいのは、自分自身で、自分のラベルを張り替えるって事だよね?」
 光矢はもう一度笑って頭をかいた。
「誰だって、自分を変えたい時がある。自分らしさを表現したい時がある。自分の選んだ世界にふさわしい格好をしたい時がある。そんな時、一番簡単で、一番最初に手をつける部分……それが服だよ。そして靴、帽子、アクセサリー。全部を自分自身を表現する為に出し尽くす。その手伝いをするのが、僕の仕事なんだ」
 光矢は溢れる言葉の中、一度流れを切って、八雲の顔を覗き込んだ。
「君は、衛藤牧師のところで、空央に会ったんだよね」
 八雲は憤怒の形相で自分を見下ろした、光矢の幼馴染だという男の姿を思い出した。
 得体の知れない八雲を自分の家に置く事はできないと、頑固に言い張り、追い出した男だ。光矢の魔術の教師役だったら、衛藤家から通って行うことも出来たのだが、彼が拒否したからこそ、光矢の元に転がりこむしかなかったのだ。
「僕が、服の持つそういう性質に気づいたのは、彼と一緒に食事に行った時なんだ。厳しいわけじゃないけど、それなりにドレスコードのある店だった」
 八雲には、その時の光景が目に浮かぶようだった。
 牧師の息子である空央だが、金銭に頓着しない衛藤牧師のもとで成長した空央は、幼い頃から金銭的に苦労しているとのことだった。
 そんな彼が、大金持ちの光矢と釣り合うスーツなど持っているわけがない。
「初めて行った時、僕らは二人とも高校生で、空央は学生服を着ていた。でも、二度目の時にはちょっと違ってね。『シノヤ』のパーティーに一人で行くのがイヤだったから、付き添いってことで僕の手持ちのスーツを貸したんだ」
 光矢は両手を広げて、お手上げの動作をした。
「悲しかったね。最初の時には気づかなかったんだけど、二度目とは全然違った。もちろん、相手もプロだから、変な事はしないさ。でも……わかったんだ。前回には興味というか悪意というか、観察されているような気分がしてたんだ――おそらく、空央も気づいていただろうね。あいつはそういう部分に凄く敏感だから。でも僕は気にしていなかったんだ……だけど二度目で、それが気のせいじゃなかったって気がついた時、とても悲しかった」
 でもねと光矢は笑顔を見せた。
「逆も真だと思った。確かに空央は貧乏だけど、空央をどこかのエリートに見せかける事は、こんなに簡単なことでもあるんだって。それに気づいた時、今まで家業を継ぐつもりで勉強していた服飾デザインが、違うものに見えた。多分、その後、本格的にデザインを勉強した時にも、そういう授業をやったこともあるんだろうけど……僕は勉強が嫌いだったから、聞き漏らしたんだと思う。でも、学校で納得していたら、こんなに仕事が好きになったとは思えない。その前に気づけたから、家業に関係なく、服を作りたいと思ったんだよ」
 光矢の笑顔は、眩しいほどだった。少なくとも、いつも見ている光矢の、気弱で自分を押さえつけるようなかすかな笑みではなかった。幼馴染である空央にも話していなかった話なのではないだろうか。
 おそらく初めて話す興奮に、光矢は頬を紅潮させ、力強く呟いた。
「これは僕が、僕自身で見つけた事実なんだ。その時、こんな素敵な仕事はないと思った。誰にでも着れる服、誰にでも手に入れられる服、だからこそ誰にでも使える魔法だ。それを、僕が作るんだって」
 彼には希望がある。
 それを八雲ははっきりと感じた。
 彼には夢がある。
 八雲自身と同じような、秘密にせねばならないことがあるだろうとわかっているが、それを覆す希望を、光矢は自分の仕事の中に見出している。
 確かに、光矢は自分の時間を過ごすことに専念しているかもしれない。仕事に対する姿勢も、お世辞にも良いとはいえない。それでも彼が仕事を放棄しないのは、彼がこの仕事に誇りと夢を抱き続けているからだ。
 それなのに、どうして専念できないのか。どうして仕事一筋になれず、進んで気を散らそうとするのか。
 大きな目を見開いて語り続けようとする光矢を制し、八雲は尋ねた。
「君は? 君はどうなの?」
「え?」
「君も、何者かに変わりたいとは思わないの?」
 光矢は不思議そうに八雲を見つめた。その目に、再度問いかける。
「君も、『シノヤの高篠光矢』以外になりたいと、思っているんじゃないの? 服を着替えるだけじゃなく、何もかも、全部」


 彼が服という魔術に取り付かれたのは、自分が違う者になりたいからじゃないのか。
 それは、彼を疎ましく思っている家族から逃げ出したいからではないのか。
 それが叶わないからこそ、彼は誰かにその魔術を届けたいのではないのか。
 自分が使いたいのに、使えない。
 だから誰とも知れない人に、自分の希望を託したい。
 それを毎回喜んでさしだせるほど、光矢は成人君主ではない。
 普通の、男だ。
 何もしなくても暮らしていけるだけのお金を持っているだけの、ただの男だ。
 自分の服を作るたび、彼は脱力するに違いない。
 自分が飛び立てない世界へ去って行く、自分の作品。
 それを見守る寂しさ。
 その辛さを味わいたくないなら、作業の手を止めるしかない……。

 もちろん、それは八雲の想像だ。
 事実は違うかもしれない。
 だが、光矢が大好きな仕事を、心の底から取り組むことが出来ないのは、どこかに理由があるのではないかと疑ってしまうのも事実だ。
 他に理由があるなら……それはいずれわかるだろう。
 自分が今までどおり、光矢を調べ続けるなら。


 光矢はしばらくぽかんと八雲を見つめ続けた後、とてもゆっくりとした動作で、首を振った。
「僕にはそんな資格はないよ」
「どうして?」
 光矢は答えずに作業台から降りると、引き出しからメジャーを取り出した。
「採寸するよ。いいね?」
 有無を言わせぬその口調に、八雲は会話を打ち切るしかないと悟った。
 しかし、メジャーを体に密着させられながら、光矢は囁く。
「君がどこから来たのか、それはどうでもいいんだ」
 足の長さ、腕の長さ、腰まわり……淡々とメジャーを繰りながら、光矢は力なく呟く。
「だけど時々、君はこの街が――この世界がと言った方がいいかな? この世界が嫌いなんじゃないかと思う時があるんだ」
 八雲は天を仰ぐ。
 それは違う。この世界で生きている自分が嫌いなのだ。生き残ってしまった自分が。
 むしろ、この世界が嫌いなのは君だろ?――そう言いかけて、飲み込んだ。
 世界を拒絶して、家族を拒絶して、大好きな仕事すら拒絶して――そこまでして自分を縛らなくてはいけない何かが存在するこの世界を嫌っているのは、光矢自身だ。
 だが、それを言ったところで、この若社長は納得してくれるだろうか?
 納得はするかもしれない。だが、それを変えようとはしないだろう。
 少なくとも、言葉を交わし始めたばかりの八雲では、彼を変えるだけの言葉を投げかけることはできないだろう。そもそも、彼自身が変わろうとしない限り、誰の言葉も素通りするばかりだろう。
 彼が毎日ただ時間を過ごしているように、やり過ごされてしまうだけだ。
 八雲の中の自嘲など気づかぬまま、光矢は言葉を続ける。
「君からは魔術を教わっているけど、今回は僕からの魔術を受け取ってくれないかな」
 さっきまでの興奮はすっかり消え失せ、代わりに酷く静かに、まるで八雲を警戒するかのように、言葉を置いた。
「今までの世界じゃなく、この世界に住む為の服を、僕の魔法をあげるから」
 その言葉は、少なくとも悪意ではない。
 今回の探りあいはここまでだ――引き際を悟って、八雲は頷いた。
「ありがとう」
 焦ってはいけない。
 光矢をもっと良く知り、手を結ぶべきか、巨大になる前に芽を摘むべきか……まだ時間はあるはずだ。
 以前と同じことを繰り返すつもりで動いている輩がいるなら、状況が整っていない。それまでに、彼を知っておけばいい。
 光矢の顔を見上げ、八雲はもう一度頷く。
 彼を殺さずに置くなら、今度こそ絶対に、「彼」に自分を認めさせてやる。
 どんなに拒否されようと、どんなに手を振りほどかれようとも、「この荷は自分だけのものだから」と抱え込もうとしたら、無理やりにでも介入してやる。
 そこまで見抜けなかった過去の自分を、悔やんでも悔やみきれないからだ。
 それがこの世界を破壊するべく送り込まれた自分が、その運命に逆らう唯一の方法だからだ。
「ありがとう」
 やりなおすチャンスをくれて。
 僕がここに来るまで、君が生きていてくれてありがとう。
 もちろん、この礼を告げる言葉が、そんな意味でささやかれたことなど、光矢は気づいていない。



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