レプリカ・クリスマス
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ギル・ウインドライダーの手元にある煙草の長さは、昨夜からの強風のあおりを受けて瞬く間に少なくなっていく。
三条尚起はそれを横目で見ながら、こんな風の中でさえ嗜好品を手放せない彼の性格の中に、一種の幼児性の片鱗を見出して笑った。過去の偉大な心理学者曰く口唇期。曰く唇の刺激へ対する愛情の確認と依存。
二人が立つ廃ビルの屋上からは、そこかしこを真っ赤な篝火に焦がされた赤い空が浮かぶ。深夜の闇に満ちているはずの街には、その照り返しを受けて、本当ならはっきり視認できないはずの黒煙が幾筋も立ち上る様が確認できる。
この屋上の風の強さに反して、眼下の街には風が無いようだった。もうすぐこちらの地域の風もおさまるのかもしれない――三条は見てもわからない天候に目を走らせ、雲の流れを読もうとした。
センツァ・クロノ1452年。〈西方協会〉の魔術師達の一部がこの小さく新しい島国の歴史を勝手に区分して呼ぶのを、三条は諦めと尊敬を交えて聞いていた。彼らは自分たちとは違う歴史観を持ち、違った目的で動いている。ただ、今はその目先の利益が一緒なだけだ。向こうが気分よく行動できるなら、勝手に呼ばせておけばいい。自分たちは今までどおり、大陸共通のレプリカ・クロノ1995年という呼称を使うだけだ。
取りとめも無くそんな事を考えていると、ギルが言葉を吐き捨てた。
「海の向こうじゃ、今頃馬鹿どもが浮かれ騒いでいるんだろうな」
未だに隆起を続ける新しい大陸と成長中の新興都市は、三年前から続く異変に疲れきっていた。最初の一年は前兆としての小さな怪異の連続、次の一年は本格的な化け物どもの侵攻、そして今年の一年はようやく整った反撃体制による戦闘の激化。
だが、大陸諸国からの援助はほとんどない。大量殺戮兵器の試し撃ちの為に申し出された援護を、最高議会たる〈六人議会〉が拒否した為だ。政治的に弱い立場である状況の悪化を招きたくないという判断であるのは明白であった。また、新興大陸の数少ない都市は研究機関の高層ビルが多数そびえ、威力の高い兵器を使用する事は、それらの建物の中で厳重に保管されているはずの危険物の開放を招いてしまうかもしれないという懸念もあっての判断だった。
ギルの言葉は、この寒空の下で繰り広げられている世界の格差への皮肉に満ち満ちていた。
三条はもう一度笑う。この軍医は、自信に裏打ちされた子供っぽさを隠そうとしない。その性格が鼻につくことも多々あったが、今夜の三条は寛大な気持ちでそれを眺めた。
「俺たちも馬鹿だろ」
心に浮かんだままそう返すと、ギルが目線を合わせずにこちらを気にしたのがわかった。白衣の立ち姿は強風の中でとても寒々しく、彼はその中で、他人には知られないよう足を踏ん張っているのだろうとぼんやり思う。この軍医は自分がどんなに辛く厳しい立場にあろうとも、決してそれを表に現さない。それがどんなにくだらないプライドであろうとも、だ。
「逃げようと思えば、いつでも逃げられたのに、まだこんな街にいるんだから」
三条の言葉に、ギルは違いないと答えたようだった。風が強すぎて、うまく聞き取れない。気配から察したのだろうか。ギルの次の言葉は、はっきりと聞こえるように大声で発せられた。
「クリスマスぐらい、家族と一緒にいてやったらどうだ」
「俺のウチは大丈夫。……気持ち悪いな、ギルが俺んちの心配するなんて。なんか悪い物でも食ったのか?」
「そうかも知れないな。お前や一裕ほど悪食なつもりはないんだが」
「俺も悪食なつもりはないんだけどな。なあ、本当に、柄にも無くクリスマスケーキでも食ったんじゃないのか? お前とケーキぐらい取り合わせの悪いもんはないぞ?」
「確かに。だが今日口にしたのは、お前の嫁さんの差し入れケーキを一口だけのはずだ」
「なんだ、テルコの料理にケチつけんのか?」
お前らにあてられただけだと、ギルはどこか嬉しそうに返してきた。
どこかで鐘の音が聞こえる。クリスマスのミサが始まった合図なのだろうか。
ほぼ同時に、どこかで銃声とサイレンの音が鳴り響き始める。
風だらけのこの街はどうしても騒がしい。サンタも近づけないだろう。
サイレンが鳴っているという事は、どこかで誰かが死んだという事だ。何の感慨もわかない自分の感覚を情けなく思いながら、三条は傍らの軍医に話しかける。憂鬱になる前に。
「来年の今頃は、この騒ぎも収まってるかな?」
「そうありたいものだ」
「お前と一裕がいれば大丈夫だろ」
「一裕といえばアイツ、最近〈赤目のフリーク〉って呼ばれてるんだってな」
「らしいな」
ふざけた名前だとギルは笑う。この男は相田一裕の変身体と〈フリーク〉との違いが手に取るようにわかるのだろう。だからこそ、それを同一視してしまう人々をふざけていると感じるのだろうか。
少なくとも、三条には外見上の違いがわからないのだが。
「アイツ、クリスマスだってのに、小競り合いと掃討戦に参加しに行ったみたいだぜ」
その後には葬式に参加だと、ギルは唇の端を吊り上げて笑った。
「クリスマスだってのに、恋人が〈フリーク〉になっちまった間抜けな〈特務〉の男がいてな。昼に〈赤目〉が脳みそふっ飛ばしてやったんだ。男の方は半狂乱で、それでも〈赤目〉に命を救われたってんで感謝してたんだから、面倒な世の中だ」
「そんな事があったのか」
「でも三時間前にその男も〈フリーク〉になった。〈赤目〉は一度は助けた男をその日のうちに殺したわけだ。殺した奴の葬式に参加して、その両親に化け物になった子供たちを止めてくれてありがとうって感謝されて。一裕もよくやるよ」
三条はため息をついた。そんなどうしようもない事件は、ここ三年で嫌というほど味わったし、遭遇してもいた。後悔の最中に投げかけられる感謝の言葉は、たまに酷く心を傷つける。
相田一裕が、今回の事でどれほどのダメージを負っているのか気になった。それでいて、彼が何も思わなかったら問題だとも思う。
感情の起伏は人間として存在していることの証明でもある。三条尚起は、〈フリーク〉に近い存在の青年を、完全に〈フリーク〉にしてしまいたくなかった。
今日中に一裕に会っておかないと――そんな風に思いながら、脳裏でスケジュールを確認していると
「尚起」
唐突な、それでいて真剣な呼びかけだった。
「お前は死ぬな」
思いがけない言葉に――口を開けば「黙って死ね」と連呼する医者の言葉とは思えない呟きに、三条は答えるタイミングを失う。ギルは天を仰ぎ、遠い眼差しで雲間を眺める。そこにいる誰かに訴えかけるように、祈るかのように。
「この騒ぎで死んではいけない人間がいるとしたら、それはお前だ。絶対に、死ぬな」
三条は、珍しく真顔のギルの横顔に笑った。
自分はこの、あらゆる意味と分野で天才的な軍医に、どうにも買いかぶられているようだ。何よりも、その言い草に呆れる。人間を選り分ける権利が誰にあるだろう? それが許されるのは永劫の過去未来全てを知る者、つまり神ぐらいのものだろう。
それがわからない人間である以上、三条尚起はギルの言葉を笑って否定するしかない。
「なあ、ギル」
「なんだ」
「死んでもいい人間なんていない」
強大で凶悪な能力を有するから、常人には理解できない世界の成り立ちを知るから、このギルという男は孤独だ。孤立することでしか、自分の力の制御ができなかったのだろう。その孤独ゆえに世界に満ちた人の意思を知らない。この世の中にある慈しみの輪に入る事ができないでいる。
だから三条は思う。なんでも知っているこの男に、まだ知らない世界を教えてやれるんじゃないかと。
「だから俺だけじゃない。お前も、一裕も、みんなもだ」
求められ、応え、人と人とが共に生きるという世界を教えてやりたいのだ。それは世界に拒絶されつづけたギルにとってはきっと、今まで手に入れたことの無い報酬になるだろう。
彼はそれに値するだけの、価値ある仕事をしているはずだ。
「誰も死んじゃダメなんだ」
ギルは三条の言葉を無視するかのように、煙草を口に運んだ。吸える部分はもう、ほとんど残っていない。
その仕草に、三条はギルの嘲りを見る。だからこそ、畳み掛けて話し続ける。嘲って投げ捨てて、でも本当はそれがどんなに大事なものかを気づかせる為に。
「来年の今頃、この騒ぎが収まっていたら――」
「いたら?」
「俺はしばらく旅行に行くよ。家族サービスに、さ。復興作業とか忙しいかもしれないけど、でも一月ぐらい、のんびりしたい」
「贅沢だな――」
続けて何か言おうとしたギルの、おそらく皮肉な言葉であったろう声を遮って、三条は以前から思っていた事を告げた。
「お前も一緒に来いよ。お前に世界の見方を教えてやる」
ぎょっとしたように振り替えったギルの顔に、三条は体を折って笑った。まるでビニール袋の音に驚く子猫だ。予想外の反応に対し、胸を張り、演技的に訴える事にする。
「お前が思ってる以上に面白いぞ、きっと。お前が能天気だっていう俺の頭ん中を全部見せてやる。どれを見たらどう思うのか、どう考えるのか、全部教えてやる。お前はもっと、単純な喜び方を知らなきゃダメだ。俺みたいに飯を美味く味わいながら食う秘訣とかな」
単純だけど感じられない世界を、それを知らない男に教えてやりたい。この世界を救うであろう知識を有する真の英雄に、自分が救った世界がどんなに貴重で輝いているのかを教えてやりたい。自分の人生をかけてでも。
それに値するだけの力を持つ男だ。人類を憎悪させ続けるのは、双方にとっても良い結果をもたらさない。
「来年の今日、ここに来いよ。俺がお前の人生を変えるチケットを渡してやる」
ギルはもっと報われるべきだ。これからの三条の一生がその窓口になるのなら、本望だ。
「そうすれば、お前もきっと、今まで以上に生きてる事が楽しくなる。きっとだ」
ギルは何も言わずに、一度だけ煙草を咥え、笑みと共に紫煙を吐き出した。
レプリカ・クロノ1996年、七月二十一日。
三条尚起、殉職。
そして
レプリカ・クロノ1996年、十二月二十四日。
ギル・ウインドライダーは天を仰いだ。雲はやや多いが、星々が高く煌く冬空だ。
眼下の光景には、所々で街灯やイルミネーションの輝きが散っている。鳴り響くのは教会の鐘の音と、新年を祝う祝砲がわりのクラクションだ。
後に〈第一次カタストロフィ〉と呼ばれた惨劇から一年も過ぎていない。戦闘で傷ついた地表も建物も、焼け野原になった地区もまだまだ残っている。だがそれでも、十分なだけの送電と祭りを楽しむ余裕が出来た事は明白だった。おそらく誰もが疲れ果ててはいたが、大きな厄災を乗り切った安堵が空気の色までも変えているかのようだった。
ギルは屋上に一つしかない扉を開ける錆の音に振り返る。
「来たか。十五分の遅刻だな」
〈赤目のフリーク〉と呼ばれた、伝説的な英雄――二十歳に満たない青年は、暗澹たる表情と死んだ魚の空ろで見開かれた瞳を軍医に向けた。
「……今更俺に、なんの用だ」
青年は、長い間人と話さなかった事を感じさせる聞き取りにくい発音で、ボソボソと呟く。
「どいつもこいつも、クリスマスだからって浮かれやがって……人の気も知らねぇで……」
ギルは相田一裕の自己憐憫に付き合うつもりはなかった。彼の、半年たっても癒されない『三条尚起を見殺しにしてしまった』という自責の念など、今の軍医には厄介な感傷でしかなかった。
三条尚起は、この青年に人類の未来を託して死んだのだ。我が身よりもギルとの約束よりも、この青年を選んだ。それだけだ。
感傷を抱くだけの感性があったなら、とっくの昔に我が身を嘆いていたに違いない。だがギルは昔から、それを無駄な感情だと排斥したまま、振り返ることも無かった。振り返りたくも無かった。
「〈特務〉の総司令に、〈六人議会〉のキザキが就任したそうだな。もう会ったか?」
「ああ。今後の復興作業やら〈フリーク〉の残党狩りについても頼むってさ。あんたにもよろしく言ってくれって」
キザキ・マイは、ギルのよく知る政治家の一人だった。今回の段取りもキザキがしたものだ、ギルがこれから何をしようとしているのかわかっていた上でそう挨拶したのなら、彼女はまだまだ〈赤目のフリーク〉を利用したいのだろう。実務的にも政治的にも。彼女の言葉に一裕が少しでも心を動かされる事を願って。
ギルは新しい煙草に火をつけながら、脳裏に浮かぶ彼女の肢体に勝利の笑みを向けた。一裕の心の病は、当分癒されそうに無かった。
「この前、この街を出たいって行ってたな。手続きできるかって」
〈フリーク〉の出現方法がウィルスに起因する現象であるとする説がある事を考慮し、都市部は閉鎖地域として厳重な監視体制下に置かれていた。街を離れるには、面倒且つ厳しい検査を潜り抜け、IDと外出パスポートを手に入れなければならない。
一裕の返事も待たずに、軍医は厳重に封印されたソフトバックを、青年の足元に投げた。
「必要なものは全部揃ってる。お前が出て行ったら、本庁のデータから相田一裕の情報も削除する。それでいいか?」
怪訝そうな一裕に、ギルは勘違いするなと笑ってやった。
「深い意味はない。ただのクリスマスプレゼントだ。白いサンタからでも、ありがたいプレゼントには変わりあるまい?」
「ああ、まあ……そうだけどな」
一裕はノロノロとした動作でバックを拾い上げると、何度かためらいがちに包の裏表を確認した。危険物がセットされていない事をかくにんしたのだろう。拾い上げた時と同じ、よろめくような動作で荷物を小脇に抱えると、小さく「ありがとな」と、モゴモゴと口を動かした。
そして、機嫌を伺うような上目遣いで
「お前は行かないのか?」
不思議な問いかけだ。
ギルは笑う。もはやどうしようもない約束を思い出しながら。
「どこに?」
どこで何をすればいい?
どうすれば、誰に会えば、自分の血を沸き立たせてくれる感情に出会う事ができる?
「この街で一人居座り続ける方が、私らしいと思わないか?」
孤独に自分の力を持て余し続け、それゆえに力を欲する者達に狙われ続ける生活が待っているだけだ。〈カタストロフィ〉以前の、気の抜けない血まみれの日常に戻るだけ。
ギル・ウィンドライダーの個人的な戦いは、未だに終わらない。そしてそれを知らせたい者は、語りたい者は、もう側にはいなかった。
「長い人生のついでに、貴様を待っててやるよ、〈赤目のフリーク〉。貴様がまたこの街に戻ってくる時を、尚起の代わりにな」
一裕は一瞬、酷く嫌そうな顔をした。
レプリカ・クロノ1996年、十二月二十五日。
相田一裕は歴史から姿を消した。
彼が三条尚起として歴史に戻ってくるのは、150年後となる。
<レプリカ・クリスマス 了>
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