〈ローズ〉の末裔・4
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 一週間後。
 三人の姿は、氷の大平原を横切るキャンピングカーの中にあった。
 車両の上部には〈偽枝〉が梱包されて積み込まれ、後方にはアグリのバギーが牽引されている。その座席にはアグリの食料が積み込まれていた。
 〈偽枝〉は〈ブランチ〉に接続しなければ稼働しないと言うフィンの言葉を受けて、グスタフが一番近い〈ブランチ〉へ案内すると申し出たのだ。
 元々〈奪還派〉だったグスタフは、各地の遺跡の場所とその整備率をほぼ正確に把握していた。
「〈奪還派〉の連中は、〈ローズ〉を攻撃しようとしていたんだ。〈ローズ〉の居住区を目標にね」
 グスタフは、地図と自分たちの経路を確認しながら、運転するフィンにそう語った。
「どう考えても現実的じゃない。〈ローズ〉は太陽光のエネルギーを無尽蔵に使える。物量だけが問題だが、〈ドロップ〉による隕石の迎撃と牽引で、全くないわけじゃない。そもそも、こちらの攻撃が〈ローズ〉に届くわけがないだろう? 〈ドロップ〉のビームに排除物として迎撃されておしまい。効率が悪すぎる」
 説得しようとはしたんだと、グスタフはため息をついた。
「いつでも発射できるようミサイルの整備をしておいたと聞いて、もう待てないと思ったんだ。下手に刺激して、奴らが〈ローズ〉を動かすことのみならず、地上を攻撃してきたら、まずは勝ち目がない」
「それで、〈奪還派〉も殺した?」
 フィンの問いかけに、グスタフは頷く。
「殺しはそれが最初だった」
 旧人類の痕跡を消し去りたいというグスタフが、元々〈奪還派〉に所属していた事は意外なことではなかった。
 その上で、素朴な疑問を口にしてみる。
「君の〈審判者〉はどうしたんだ? てっきり、最初に殺したのは〈審判者〉だとばかり……」
「事故で死んだよ。酔っていた時に凍った地面で足を滑らせた。打ち所が悪くて、そのまま息を引き取った」
 グスタフは、地平線一面に広がる昼の舞踏じみた赤光を眺めながら、二度目のため息をつく。
「カールって爺さんだった。〈審判者〉になんてなりたく無かったって、いつも呑んだくれてたよ。家族は〈ローズ〉でとっくに死んでるだろうし、こんな寒い場所で、機械どもに囲まれて、機械のフリして生きるなんて、まるで地獄だって喚いてた。私をまともに見たこともなければ、まともに会話したことすらない」
 カールを思い出しているのか、グスタフは一度、言葉を切った。
 フィンはナイフのように痩せたグスタフの、目覚めてからの十数年を思った。
 彼の持つ財産は、おそらく、彼が殺した〈審判者〉や〈案内人〉、〈奪還派〉の品々だろう。しかし彼はそれを道具として利用するだけ利用したが、決して自分自身の為に使っているわけではないのだ。
 だからこそ、これだけの財産を手にしながらも、自身はやせ細っている。肥え太る余裕などなく、己の定めた目的――それが正しいのかはともかく、やり遂げることだけを目的に生きている。
 約十年をかけてフィンがアグリを育てあげたように、グスタフは約十年をかけて虐げられ、憎悪を育てあげてきたのだろう。
 ある日の休憩時には、こんな話もした。
「カールは言ってたよ。毎日が日食、毎日が夕闇、毎日が夜、目を閉じても開けても、夜か夜の続きしかない、夜の世界だって。ずっと嘆いていたよ。昼の地平線は地獄の炎で、夜は極寒地獄だとか」
「それは……聞かされる君も辛かっただろう」
 フィンが白湯をカップに注いで差し出すと、静かに受け取った。キャンピングカーの車輪部に取り付けられた充電器からの発熱で調理した湯と、赤土クッキー、そして焼いた鋼石のささやかな食事だったが、グスタフは文句一つ言わずに口にしていた。
 カップから立ち上る湯気を眺めながら、グスタフは呟く。
「〈ローズ〉の花弁から陽の光が漏れて、〈ドロップ〉が煌めいて、星が瞬き続ける。それが我々の世界だ。その美しさをカールは認めてくれなかった。『本物の太陽』と『本物の昼』とやらを知ってるカールには、夜の地獄、夜の時代でも……これが私の愛する昼と夜なんだ」
「だから、全てを元に戻すつもりなんだね? 旧人類の痕跡を地上から消し去って」
「君だってそうじゃないか」
「……僕は自分が開いてしまった扉を閉じたいだけなんだが、他に手段がないからね」
 旅の合間に、フィンはグスタフに〈偽枝〉の機能を説明した。グスタフは〈偽枝〉を使い、各地の〈ブランチ〉をミサイルで破壊するつもりなのだ。
「この先、〈審判者〉の生き残りが〈ローズ〉に連絡を取る事ができないように」
 〈偽枝〉の事を知ったグスタフが最初に思いついたのは、〈奪還派〉の用意したミサイルの使い道だったのだ。
「そしてもう二度と、〈案内人〉が現れないように……発掘を続けている考古学者さんには申し訳ないけどな」
「それは私に対するあてつけかい?」
 旅の途中、グスタフとフィンは、そんなさぐり合いにも似た確認を、幾度となく繰り返した。


 乗用熊の制御室にいる二人と違い、アグリはキャンピングカーの住居部分に押し込められていた。
 〈偽枝〉を起動させても、〈ブランチ〉が起動しなければ稼働する事はない。〈偽枝〉は、あくまで〈ブランチ〉を補助するべく〈ブランチ〉へ追加された、拡張機器なのだ。
 そして、本体たる〈ブランチ〉を稼働させるには、〈審判者〉の生体反応が必要なのだ。その為にも、アグリの安全は確保しなければならなかった。
 アグリはこの状況に打ちのめされたのか、何か企んでいるのか、必要最低限の言葉以外は口を開こうとしなかった。
 彼女も一人旅の経験上、車中から脱出したとしても、この氷の平原に着の身着のまま残されることがどれほど無謀なのかを知っている。おかしな行動は無かった。
 フィンが安心できた点の一つは、キャンピングカーがシグの手によって、旧人類が生活するに適した環境へと作り替えられていたことだ。温度は二十五度より下がらないよう設定され、トイレやバスルームも、それらを週に数度ほどしか利用しない現人類と比べて、何度も使えるよう容量を増やしてあった。下手な現人類用の住居より、よっぽど快適だったと言えるだろう。
 自殺だけが懸念事項だったが、彼女の反抗的かつ野心的な目を見る限り、そのおそれは無いと判断した。
「〈ブランチ〉に着いた後、一発逆転を狙っているんだろう?」
 グスタフは牽制なのか、食事の時にそんな言葉を投げかけた。
「そう簡単にはやらせないけどな」
 彼女は終日、キャンピングカーの中で、時にはうろうろと歩き回り、時には運動し、そして時には膝を抱えてうずくまっていた。
 食事の時には、まるで不安や不満をぶつけるかのようにパンにかじりついた。
「獣そのものだな。いったい君はどんな教育をしたんだ?」
 グスタフの言葉には、フィンも苦笑せざるを得なかった。
「彼女のああいう部分が気に入ってるんでね」
「やっぱり君は変わっているな」
「彼女の事も植物と同じように愛しいんだよ。絶滅しそうだからこそ、守ってやりたくなる」
「なるほど。ならば……彼女ぐらいは残そうか。君の為に」
 そんな会話を交わした、更に一週間後。
 一行は石の穂先のような山の麓に、車両を止めた。



 山岳地帯を行く間――深い谷間のようなその入り口にたどり着くまで、一行は必要最小限の会話で過ごした。
 旅の終わりを予感してもいたし、〈奪還派〉がそれなりに整備していたとはいえ荒れ果てていた道をキャンピングカーで走破するには、大いに神経をすり減らすことでもあったからだ。
 たどり着いた後は、既に二度ほど訪れたことのあるグスタフが内部への大扉を開いて車両を案内した。
 内部電源が正常運転に切り替わるまでに、〈偽枝〉を滑車で引き下ろし、アグリの両手首を縛る。
 一行はただ黙々と作業を続け、黙々と廊下を進んだ。
 フィンには、寒さでアグリの肺が焼けてしまうのではないかという懸念があった。温度調節用のマスクで保護できているのかという不安だ。それどころか、下手をするとフィン達の内蔵も焼けてしまうのではないかと思われるほどの寒さが満ちていた。
 共通認識として、早く作業を終わらせたいが故の、沈黙だった。
 とはいえ、〈偽枝〉を完全に理解しているのはフィンだけであったし、そのフィンが接続させるべくこの〈ブランチ〉を把握するまでには、実質三時間を要した。
 その間に〈ローズ〉に遮られた太陽は沈み、外気が遺跡の内部へ侵入する。
 更なる温度の低下に、遺跡もフル稼働で内部を暖めようとするが、広い遺跡と凍り付いていた温度調節パイプがなかなか暖まらない。
 床に座り込み膝を抱えて作業の終了を待っていたアグリは、ついに寒さで震えだした。
 グスタフが真っ先に彼女の異常に気づき、靴音も高く近づく。
 フィンもドキリとして作業の手を止めるほどの急接近。
「君は、アリスとも仲が良かったな」
 グスタフは車内から大きめの毛布を引っ張り出すと、アグリの横に並んで腰をおろした。二人で毛布の中に収まる。全身を覆うまでの大きさはなかったが、アグリが拒否できようもない。
 毛布を共有するとはいえ、あからさまに触れることはなくとも、旧人類の平均体温を保ち続ける〈ドゥ〉の存在は、冷えきった彼女の身を暖めるに役立つことは間違いない。
 フィンは、驚きと共に、彼が本当にアグリを自分に残すつもりであることを認めた。
 〈ブランチ〉を動かす道具としてなら、ここまで優しく接するいわれはないはずだ――〈ブランチ〉を稼働させるまで生きていれば良いのだから。
 グスタフの行動は、あくまで彼なりの思いやりの発露だった。
「アリスを失う事になったのは……私にも辛い出来事だった」
 〈審判者〉のキャロルと対になった〈案内人〉のアリスは、植物を食べ、プログラミングを学んだ変わり者だった。
 フィンの実感として、この〈偽枝〉の作成には、アリスも関わっていたに違いないと思っている。
 アグリは青黒くなった唇をふるわせながら、突き放すように呟いた。
「よく言うわ。あなたが殺したクセに」
「……〈ローズ〉を動かすのはやめてくれと頼みに言ったのに、話を聞くこともしなかったのはシグ達だ。アリスだって彼らに荷担した。私だって、同じ〈ドゥ〉を殺したくは無かったよ。裏でこんな機械を作っていると知っていたら……彼らに操作させる意味でも、殺しはしなかったんだが」
 一度言葉を切り、グスタフは囁くように言った。
「アリスは私を〈案内人〉にした人間だ。一緒に遺跡を見に行った時、彼女が遺跡の文字の法則性に気づいた。それ以来、何度も一緒に遺跡に行ったよ。もっと見たいって言う彼女の身が心配だったから、一緒に遺跡に入っていっただけだ」
 一度言葉を切り、グスタフは続けた。
「あの頃と今で彼女は変わっていた。だけど〈ローズ〉を動かすことを決めた三度目の集会があっただろ? あの時、君たちを見かけたんだ。君と話している時のアリスの笑顔は、昔のままだった」
「……だからって凍える私に恩を売るつもり? 今頃になって、アリスを殺したことを後悔して?」
「そのつもりはない。だけど今夜、目覚めてからの全ての悪夢に片がつく。少しぐらい感傷的になっても良いだろう?」
「夜に惑わされているだけね」
 アグリは、〈ブランチ〉の埃っぽい天井を見上げて苦笑した。
「知ってる? 昔、夜には月があって、その月がまん丸の満月になると、人は狂気に浮かされるって信じられていた。あなたは人じゃなくて〈ドゥ〉だけど」
「月が満ちなくても〈ローズ〉がある。〈ローズ〉が完璧な姿であり続ける限り、〈ローズ〉が太陽を遮り続ける限り、地上は狂気に満ちてるんだろう。旧人類にとっては」
「違う。〈ローズ〉が狂気を運ぶんじゃない、あなたの中の夜があなただけの満月を作ってるだけ。あなたの〈審判者〉やアリスの作った、『あなたの心の中の夜』にだけにのぼる満月があるだけ。あなたの狂気はあなただけのもの、間違えないで。あなたの狂気があなたを押しつぶす前に」
「まるで詩人だな」
「〈ドゥ〉の詩人よりはマシなつもり」
「否定はしない」
「警告はした。恨まないでね」
「そいつは警官と娼婦の決まり文句だ。意味のない言葉だ」
 グスタフはアグリの右手を握ったが、それ以上何もしなかった。アグリも振りほどこうとはしなかった。



 準備が整い、グスタフは〈ブランチ〉のコンソール前に接続された〈偽枝〉のハッチを開けた。
 旅の間に何度か乗り込み、フィンも操作を説明しておいたのだが、それでもグスタフのナイフのような体は緊張に強ばり、時に指先から生体電流がバチリと弾ける。
 フィンはアグリを〈ブランチ〉のオペレーター席に座らせ、縛り付ける。肘掛けに仕込まれた読取器で、起動キーとして彼女の情報を確認させる。
 〈ブランチ〉の全ての機能が目覚めた印に、モニターが全部点灯する。
 すぐに〈偽枝〉が認証され、〈ブランチ〉の内部へのアクセス許可が現れる。遺跡も〈偽枝〉を自らと同じものだと認識した瞬間だ。
 グスタフは〈偽枝〉のモニターへ現れた接続許可に、硬い表情のまま頷いた。
「フィン……この記念すべき日に、君に会えたことを感謝する。全て終わってから、もっと語り合おう」
「君の願いが叶うことを祈るよ」
 〈偽枝〉は次の指示を受け取る前に、ハッチを閉じるように要請。
 グスタフの促しに、フィンは黙ってハッチを閉めた。
 縛り付けられたアグリの元へ向かい、その横に立つ。
 彼女に〈案内人〉として囁く。
「私を酷い奴だと思うかい?」
「まあね」
 アグリは、〈偽枝〉の内部で展開されている画面をトレースし、表示し続ける〈ブランチ〉の画面を眺めながらため息をついた。
「でも結局、何が起こるかを見守る義務ができただけ。歴史的な事件かもしれないけど、今まで通り。違う?」
 目まぐるしく展開する画面と、要請と確認を繰り返すプログラムを目で追いながら、フィンは上の空で答えた。
「いや……違わない。違わないよ」




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