雨月の亡霊・2
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 祭りの準備を続ける為、駅に集まっていた男たちは小さなトラックに分乗して立ち去っていった。
 後には雨月とユガリだけが残される。
 雨月には運転手付きの高級車が用意されていたのだが、「村を見てみたい」というユガリに合わせて歩くことを選んだのだ。
「一応、文明化はされているんですがね」
 雨月は弁明するように携帯端末を取り出し、表示された村の地図をユガリに見せた。
「こんな、小さな山間の村ですから、どうしても仲間意識が強くなってしまって。若い人たちも外に出たりはするんですけど、結局、戻ってきてしまうんですよ。この辺りの地方では一番の帰郷率で、学者さんは皆、首を傾げるんですけどね」
 言葉に訛りがないところを見ると自分もその若者の一人であるだろうに、雨月は苦笑しながら話す。
「ユガリさんは、どちらから?」
「ユガリで結構です」
 丁寧に接することは慣れているのだが、丁寧に接してもらう事には慣れない。砂漠での一人暮らしの時間が長すぎたせいだろう。
 口にしてしまってから、この文化圏的には無礼であったかと思い始めたが、雨月は軽く「ああ、そう」と、これまたユガリでなければ無礼と取られても仕方なさそうな返事。考え過ぎかと思い直す。
「それで、ユガリはどちらから来たの? こんな山奥まで、大変だったでしょう?」
「そうですね……各地を転々としてますが、今回は都内の知人の元からきました。代わりに、伝統文化の調査員のアルバイトをしてくれ、と」
「へぇ……アルバイト?」
 真剣には信じてない様子だ。
「ただのアルバイトで、こんな山奥には来れないでしょ? 自分も少しは興味があるとか?」
「興味はあります」
 嘘を言っても仕方がない。
「実は、前々から自分でも各地の祭りを調べていたのですが、知人がここの祭りを教えてくれまして。取材費を出すから代わりに観てこないかと持ちかけられたんです」
「へぇ? 知人?」
「スペクターという方です。私も別の知人から紹介されたので本名ではないのかもしれませんが」
「いや、知らないなぁ。しかし、こんな祭りに目をつけるなんて、その人も奇特な人だね」
「キトク?」
「変わってるって事だよ」
「スペクターは魔術師です」
「それは……やっぱり変わってる人だね。今時、そんな人はいないよ」
 雨月は苦笑しながら続ける。
「てっきり、ユガリはどこかの宗教施設の人かと思ってた」
「どうして?」
「その格好、どこかの神官でしょ? 伝道師とか」
 ユガリは己の長衣の裾に目をやり、あの、足首のぬめりを思い出す。
「服だけでわかりますか?」
「しっかりした作りだし、まずは正装だとわかるし、そもそも……聞いちゃいけないかもしれないけど、ユガリは男? 女?」
 不躾な質問に面食らうが、雨月はどこまでも無邪気。嫌味や皮肉を感じない。
「いや、なんというか……格好なのか、人種が違うからなのかわかんないけど、声も顔立ちも体型も中途半端だからさ。これが東方人ならまだわかるのかもしれないけど」
 それはよく言われる事だ。いつも通りに答える。
「どちらでもありません」
「ん? それは、宗教上のこと?」
 宗教的に性を剥奪された人々がいることは、ユガリも見聞している。雨月も神官である以上、知っているのだろう。
 少しだけ、ユガリは雨月への偏見を改める。『山奥の無知で怖いもの知らずの若い神官』というわけではなさそうだ。
「生まれつき、どちらでもないそうです。どちらであつかってくださっても結構です」
「ああ、そうなんだ。なるほどね。だから……」
 表現する単語を探しているようにも見えたが、雨月はそのまま、会話を打ち切ってしまった。

 駅舎からウゲツサマの行われる社までの一本道を、辺りを見回しながら歩いていると、ゆらゆらと歩く人影が目に入った。
 2人の面前を斜めに横切るように歩くその男は、着る物もボロボロになり、髪も髭も伸ばし放題で脂で固まり、悪臭を振りまいていた。その目は雨月もユガリも見えているようには思えず、ただひたすら、己の斜め上をぼんやりと見つめている。
 そしてずっと、何事かを唱えるように、途切れなく呟いていた。
 雨月が男との距離をとる為に歩調をゆるめた。彼に聞こえないようにだろう、心持ち声を潜める。
「三年前、外へ行ったのは良かったのですが、そのまま心が壊れてしまった人です」
 雨月は小声でも屈託なく解説をはじめる。
 ユガリにも、この男は時折、人に対して残酷なまでの遊び心を見せる事が薄々わかってきた。ユガリに性別を尋ねた時と、同じ調子、同じ声色だ。
「ほとんどの若者は、ああなる前に帰ってくるんですが、彼は少しがんばりすぎてしまったようです」
「親兄弟は?」
「彼は元々、この村の者ではないんで、居ないんですよ」
「村の者ではないけど、帰ってきた?」
 意図が通らず聞き違えたのかと思ったが、雨月は肯定に頷きながら話を続ける。
「ここの出自であるのは確かですからね。まあ、ここの村の出身とはいえ、定住したのは最近と言っても過言じゃありませんから、半分……ええっと、村の人たちの言葉を借りれば、半分余所者、ですね」
 ユガリは、雨月の遠回しな言いようにため息をつく。まだ報告されていない宗教的な近親婚による遺伝の例かと考えたのだが、見当違いであったようだ。
 男は二人の前をそのまま右から左へと斜めに横断して行き、道の横にあった山の斜面をフラフラと登りはじめて視界から消えた。
 代わりに、ウゲツサマの社が近づいてくる。
 社の参道の前に設置された門の前には、一人の少女がウロウロとせわしなく、門の幅に行き来していた。
 雨月の姿が見えたのだろう、こちらに向かって駆け寄ってくる。
 そこでユガリの姿を見つけたようだ。一度、足を止めた。どうしようかと迷っているのは、ユガリの目にもはっきりとわかる。
 活発そうな少女だった。肩で切りそろえられた髪は先の男とは真逆に丁寧に櫛を入れられており、年相応に華やかなパステルカラーとレースをちりばめたスカートやブラウスを身につけていた。目鼻立ちが整い、それに加えて、時期はずれながら健康的に日焼けしている事がわかる。そして、既に青春を謳歌しはじめた気配をまとっていた。
 雨月は慣れた手つきで懐から一枚の札を取り出し、彼女に渡す。
「これで大丈夫。話してごらん」
 少女が口を開いた瞬間、ユガリは言いようのない違和感を覚える。
 つい先程、足首にまとわりついた「何か」の気配だ。地面から吹き上がるような、見えぬモノ。しかし、今度のそれは風にも似た、流れるような渦の気配だ。
 そして、少女がその渦の中心にいた。
「ハルちゃんが居なくなった! どこかで見なかった?」
「いや、見てないけど」
「先にウゲツサマの所に行くって言ってたから、知ってると思ったんだけど。みんなに聞いてみたんだけど、誰も知らない……」
「それより、先に札を渡しておいたよね? どこでなくしたの?」
 言いづらそうな少女に、雨月は「レノちゃん」と咎める。
「どうしてすぐに札をなくしたとわかったと思う? 今まで、君みたいに札をなくした子を何人も見てきたからだよ?」
 それでも言いよどむレノちゃんとやらに、雨月は続ける。
「あれは私にとって大事なものなんだ。材料もすぐに手に入るものじゃないし、返してもらわないと困る。なくしたなら探しにいかなきゃならない。探す場所が知りたいだけなんだ、正直に話しなさい」
「……パーにとられた」
 意外な言葉だったらしく、雨月の顔色が変わった。レノちゃんとやらもそれがわかっているらしく、叱られることを覚悟した様子で俯いている。
「仕方ない。わかりました。どうせ今夜中に全て終わります。明日までの我慢です。あなたも歩き回って体力を使ったりせず、一緒に来なさい」
「……はい」
 よっぽど反省したのか、ユガリと並んで歩く雨月の後ろに大人しくついてくる。
「彼女は、今年のムゲツサマの時に来た御子(みこ)なのです。今年の主役ですよ」
「御子? 巫女ではなく?」
「ムゲツサマとウゲツサマが対になっていることは知ってましたっけ? ムゲツサマで御子が選ばれることで祭りが始まり、ウゲツサマで御子が選ぶことで祭りが終わるんです」
「……選ばれた御子が、今度は選ぶ、ですか? 何を?」
「それは特別に見せてあげますから、それまでのお楽しみです」
 意地悪く、どこか機械的に笑う雨月は、話を続ける。
「それまで、御子はムゲツサマかウゲツサマの用意した水以外、一切の飲食を禁じられています。ですが、村を出なければ自由に活動する事も出来ます」
 ユガリは少しだけ、背後の少女を気にした。
 先の満月がムゲツサマだったから、彼女は二週間ほど、選別された水しか飲んでないと気づいたからだ。
「そういえば、対となるムゲツサマの神官は、どちらに? その方からもお話を聞きたいのですが」
 ユガリの問いかけに、雨月は再び意地悪い笑いを浮かべる。
「私ですよ」
「あなた?」
「ウゲツサマの前日から、ムゲツサマはウゲツサマと名前を変えるんです」
「どうして?」
「ただの気分ですかね? 祭りの雰囲気、全然違いますから。それに、昔は全部の祭りを一人が仕切ってると村の外に知られると、権力者に目を付けられやすかった事もあります。今となっては、わかりやすいように変えただけだと思っていただければ、良いんじゃないでしょうか」
 こともなげに答える。
 そこから三人は黙って参道を進み、長く急勾配の階段を上り、広い境内にたどり着いた。
 階段で息をきらせた少女にユガリは手をかす。少女はためらいもせず、その手を握った。肌の色への偏見は無いようだ。そして、汗で湿った掌を見るに、二週間食べていない割には元気そうだった。


 仕組みが違う?
 何の?
 彼女の体の?
 何の?
 水?
 選別された水とは?
 ムゲツとは?
 無月?
 時間?
 札?
 材料?
 手に入りにくい?
 空間?
 ウゲツとは?
 雨月?
 水?
 水脈?
 脈?

 ぬるり?


 ユガリは、レノと呼ばれた少女が階段を上りきって息を整える間に己の中の仮説を整理し、思い切って彼女に話しかけた。
【本当に水しか飲んでないの?】
【うん。私は、だけど。でもハルちゃんはーー】
 歩き始めていた少女の足が、再び止まった。
 ユガリも合わせて立ち止まる。
 数歩先に進んだ雨月も、二人の様子に気づいて足を止めた。
「どうかしましたか?」
 雨月の問いかけに、ユガリは「何もないです」と返答。雨月はしばらく二人を待っていたが、少女が動き出しそうにもない事に気づいて声をかけた。
「先に祭壇のところに行ってますからね」
 雨月が踵をかえした姿を確認し、ユガリはレノという少女の横に並ぶ。倒れそうなほど動揺している彼女の肩を支えてやりながら、話を続けた。
【君が知っていることを、全部教えてくれないかな?】
 少女は首を振る。振れば答えなくても済むかのように。
【私はユガリ・スースーエンラ。名前を聞いたことはあるかな? 隠しても無駄だよ】
 こんな尋問の言葉を使った経験などほとんどないだけに、ユガリ自身もどう話せば少女に伝えられるかと迷う。
 少女は首を振ることすら止めた。ただひたすら、拒絶の意志を込めてユガリを見つめるばかりだ。
 様々な言語、風習、文化を渡り歩いてきたユガリだが、それでも、人に隠された秘密を暴く言葉に王道はないと思う。
 そして、わからない以上、ユガリは自分の予測をそのまま伝えることが一番の近道だと思っている。
【この言語を知っているということは、レノ、君はこの世の人ではない。そうだね?】




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