雨月の亡霊・3
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 もう一人の御子が行方不明のままに日は暮れて、ウゲツサマの夜は来てしまった。
 事情を知った社の氏子たちも手分けして探してくれたのだが、この土地の事を何も知らぬ十五、六の少女が入って行けそうな道や山には、なんの手がかりも残されてはいなかった。
 
 境内に積まれていた菓子の山は、夕刻から連れだって現れた村人達が手に持てるだけ取って行くことで、徐々に取り崩されていった。
 聞かされていたとおり、老若男女を問わず「菓子を喰え、ウゲツサマにイタズラされるぞ」と嬉しそうに唱えながら、境内から続く長い階段を降りて行く。
 雨月は、社の中にに組み上げられた神棚の前から境内に向かって座り、やってくる村人達を笑顔で迎えては無言で頷いていた。
 御子の失踪など、どこ吹く風といった様子だ。
 もう一人の御子の少女――レノは、雨月の横で俯いたまま、ずっと震えている。
 ユガリは、ジワジワと減ってゆく人の喧噪と菓子の量に反して広がってゆく、境内周辺の空気の変化に気づいた。
 何かが、境内を取り囲んでいる。しかし、それが何であるかを見極めるには、情報が少なすぎた。
「これで全部か。残っちゃったな」
 雨月は社の中から境内に降りてゆき、残った菓子を社の中に運び込んだ。
 気づけば、氏子として立ち回っていた村人達の姿もない。
「村の人の顔、全員を覚えているんですか?」
「まあ、私の村ですからね」
 さらっと宣言すると、社の上がり口に立っていたユガリの顔をのぞき込む。
「お菓子、食べます?」
「いや、結構です」
「どうして?」
「……私は見に来ただけです。それは参加者への供物、部外者の私が食べて良いものではありません」
 雨月はそうかとあっさり引き下がった。
「結局、ユガリは村に来てから何も食べてないね」
「……修行していた頃から、あまり食欲がわかない体なんですよ」
「それを考えると、ユガリがここにきたのは幸運というか不運というか。お菓子を食べるお祭りなのに、君は食べないとか」
「御子だって半月食べてないのでしょう? 私の半日とは違います」
「そういえばそうか」
 あははと乾いた笑いを響かせると、雨月は背伸びをした。
 ユガリの感覚が先にとらえたナニカ――境内の周りを取り囲んでいるナニカの気配も伸びあがったような気がする。
「一応、言っておきますけどね……邪魔はしないでくださいね」
「先にも言いましたが、私はただの見学者です」
「そうですか。でもなぁ……人間は怖いからなぁ。特に、あなた方は」
 その言葉の意味を問う前に、雨月はボサボサの髪をかきむしり、レノを手招き。渋々といった様子ではあったが素直に近づいてきた少女に、雨月は村人達へしていたように頷いて見せた。


 雨月は御子が自分の横に並んだ事を確認し、境内に向き直る。
 ユガリから一歩だけ進み出ると、両腕を広げる。その動きに合わせて、なぜか木々が葉を打ち鳴らした。
 ユガリの感覚が、この小高い山の頂上を取り囲む生き物の気配を捕らえる。その気配は、背伸びをするようにグングンと大きくなり、高くそびえる。波頭が崩れる時のように、周囲から中心となる境内へ向かって弧を描くと中央で手を結び、天蓋となった。噴水の中に立てるならこんな風景じゃないだろうかと考える。
 明るく見えていた月の姿もすっかり隠され、闇夜さながらの空間が出現していた。
 その闇夜の頭上から、滴が一つ、見上げているユガリの額を打った。
 手で拭おうとした瞬間、それは生き物のように滑ってユガリの顎を伝う。

 ぬるり。

 そして生き物のように飛び跳ね、弾けて消えた。
 滴の数はどんどん増えて行き、雨のように体を打ち、足下を湿らせる。
 ユガリは足首に達した液体の感触で、これが駅舎で絡んできたものと同じものだと確信。
 頭上では、ちょうど満月のように丸く光る液体の固まり。海の底の岩の隙間から、遠い天を仰ぐよう。
 そして、そこから降り注ぐ雨。
 この祭りがウゲツサマすなわち雨月様と呼ばれる意味をユガリは悟らざるを得ない。
 そして、自分が何か大きな生き物の胃に落とされたようだと錯覚するが、同時に、この場と液体が直接的に危険なものではないと判断。何が起こっても対応できるように体中の神経を張り詰めさせるが、余計な動きはしないよう自制する。
 習慣に乗っ取り、今はなき己の神に自制する力を願い、祈り続ける。
 しばらくの間、液体が身体から滴り落ち、揺れ、跳ねる水音だけが続いた。

 きっかけが何であったのか。
 ユガリは突然、周囲の液体の壁が叫声をあげたと感じた。
 境内の中央が光り出し、柱となり、天蓋に達する。
 周りに広がった水面の壁で乱反射し、眩しい。斜め前に立つ雨月の陰に入って観察を続けようとしたが、四方八方から目をさす光を遮る闇など、もうどこにもなかった。
 そして、まるでその周りの光が囁いたかのように――いや、壁そのものが神官たる雨月であったかのように声が響く。
「さあ、選びなさい」
 見えぬ視界ながら、隣りに立っていた御子の少女が動く気配を感じた。境内の中央へ進む様子が、足下の液体の揺れと音で察することができた。
 どんな顔をしているのだろう。
 ささやかな好奇心から、たとえ見えずとも彼女の顔へ視線を移した時だった。
 悲鳴があがった。
 壁の声ではなく、本能の発する物理的な音。
 最初は野太い男の、そしてその声が終わらぬうちに目の前の少女の口から。
 二人分の悲鳴が、液体の壁とその中の空気をビリビリと振るわせる。
 光だけの空間の一角がいびつに切り取られていた。本来の境内の光景――境内の先の植え込みの一部が、無理矢理破られたゼリー状の壁に開いた穴の向こうに見えた。
 その、壁の向こう側の風景を引きずるかのように、黒い人影が転がり込む。
 足をもつれさせ、無様に地面の液体に顔を突っ込み、ぬめる液体を引きずりながら顔をあげたのは、あの精神を病んでしまったという男だ。
 男は、転倒した時に落としたらしいモノをひろい、頭にかぶりなおした。雨月のボサボサの長い髪にも似た、ザンバラの長い髪の毛のカツラのようだった。立ち上がった姿は、御子の着ていた物とよく似た紺色のスカートと、血のシミで汚れた白いブラウスだった。おぞましい事に、胸元は何かの固まりをしまい込んだように不自然な形に膨らんでいた。
 ユガリが彼を止めようと動いた瞬間、顔を伝っていた雨が蠢いた。
 生きてる。
 ユガリは再び、砂漠の卵を思い出す。
 この液体は、最初に直感したとおり、生きている。
 そして、ユガリの意図を正確に把握している。
「やめてくれ、魔術師殿。ここで魔術は無しだ。符術結界が壊れる」
 明らかにユガリへ向けられた言葉。
 落ち着いた雨月の声が、先と同じように壁全体から聞こえた。
 ユガリは、そこに、笑いの気配を感じる。
 それは悪意と呼んでも良かったし、先に感じたような残酷なまでの無邪気さとも、子供を見守る大人の余裕とも取れた。
 乱入した男の異様さなど、雨月には見えていないどころか見慣れてしまっているかのようだ。
 それに気づいたのか、何度もあがった少女の悲鳴も、やがて途切れる。彼女の興奮した荒い息づかいだけがユガリの耳に飛び込む。
 だが雨月は憎らしいほど冷静に続けた。
「気にしてはいけない、レノ。君は準備を済ませた。あとは選択するだけだ」
 御子の少女は、再び歩き始めた。
 中央の、光源である光の柱に向かって行く。
 おそるおそる、柱に手を伸ばす。
 そして、その向かい側からは汚れを引きずる男が、慌てて駆け寄り、同じように光の柱へ手を伸ばす。
 少女の体が、柱の中へ飲み込まれていった。
 間をおかず、男の体が、驚愕に呆け黒く汚れた顔が、雨月とユガリへ向かって飛び出してくる。
 再び無様に転倒した男は、やはり再度絶叫する。
 光の柱にむかって何度も手を振り上げ、振り下ろすたびに水面が叩かれる。
 子供の癇癪、そのものだ。
 だが、御子は光の中へ消えてしまう。
 儀式も終わりに向かって進行する。
 光の柱が徐々に薄れて行き、やがて眩しさもおさまってくる。
 男は何度も遠吠えのように悲鳴をあげるが、変化は止まらない。
 天蓋からの雨が徐々に量を減らし、霧雨となって降り注ぎはじめるころには、光はすっかり消えていた。
 そして、御子であった少女の姿も。
 どのような原理だったのか、壁は天蓋の月にまき上げられるように消えて行き、足首にまで達していた水分も壁を伝って空へと向かう。湿っていた衣類からも再び水滴となって染み出し、天へと向かって行く。
 やがて、すっかり見渡せるようになった境内の、その中央にだけ降る雨となって、最後には地面へと吸い込まれていった。

 そして残されたのは、レノが身にまとって服の全てと、乱入した男だけとなる。

 彼は地に残されていったくしゃくしゃの御子の服に頬を押しつけたまま、呆けていた。
 雨月は、汚れて壊れた異様の男を一瞥。
 そしてユガリに振り返る。
「ムゲツサマでやってきた御子が、ウゲツサマで帰って行く……こんな風に。これはただ、それだけの祭りですよ。これで終わり。全部終わりです」
 苦笑にもため息にも似た調子で、そう告げた。


 




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