雨月の亡霊・4
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 ウゲツサマが終わったと察した村人たちは、境内に戻ってくると、思いがけない男の姿に次々と驚きの声をあげた。
「パーじゃねぇか! どうしてここに居んだ!」
「ウゲツサマの邪魔したんじゃねぇだろうな?」
 口々に怒鳴るが、すぐに彼の身に着けている髪や血のシミの意味に気付いたのだろう。何人かが吐いてしまうアクシデントはあったものの、すぐに通報し、やってきた駐在に男を引き渡した。
 男はうなだれたまま、表情もなくズルズルと引きずられていった。
 他の氏子たちは再度周辺地域を探し回り、朝方には犯行現場と思われる物置小屋を見つけ出したそうだ。彼の潜みそうな場所は限られていた事、そして日中は村人達も彼の居そうな場所には近寄らなかった為、先に捜索した時には発見できなかったという。
 もう一人の御子であった少女は、みるも無残な姿に変わり果て、まともに形を保っていたのは脛と手首ぐらいだったらしい。



 ユガリは朝一番の電車を待って、駅舎のベンチに腰を下ろしていた。
 ユガリも殺人事件の捜査で足止めされるのが筋だったが、雨月が証人になること、連絡先を届け出る事で解放されたのだ。
 とはいえ、身元不明の少女の遺体と身元不明の男性の加害者では、これからどのような扱いになるのか想像できない。雨月は涼しい顔をしていたから、何か伝手があるのかもしれないが。
 たった半日の滞在だったが、慣れぬ事情聴取にあったせいか、骨の髄から疲れを感じていた。
 ベンチの傍らには雨月。
 祭りは終わったはずだが、彼はまだ、汚れ一つない神官の服のままだった。
 周りに村人がいないことを確認してから、ユガリは小声で呼びかけた。
【見送りはいらないよ】
 ユガリの言葉に、雨月はニヤリ。
【大陸共通言語? 久しぶりに使ったなぁ】
「君も、あちらの世界から来たんだね」
 雨月は一瞬で表情を消し、頷いた。
「ユガリ・スースーエンラ。『女神の弟子』と呼ばれる魔術師の一人だね? 大陸教会が聖人認定しているほどの有名人だ」
「我が師にして神はお隠れになられた。大陸教会が何をどうしようと構わない。それに、こちらの世界で大陸教会は存在しない」
 雨月は鼻で笑う。
「この世界で君が祭りを調べているのは、さしずめ仕える神を探しているといったところかな? それとも、隠れた女神がこの世界に顕現するとでも? 本当に居るとでも思ってるのかな?」
 相変わらずの無邪気さと残酷さ。
 ユガリは答えずに、自分の予測を、レノに対して問いかけた時のようにぶつける。
「君こそ、かつては東方で龍と呼ばれた魔物じゃないのかな? 人の姿をしている者には初めて会ったけど」
 雨月は大げさにのけぞった。笑い声をあげて。
「なぜ?」
「龍は龍脈の意志そのもの。そして君は龍脈の力を使った」
「それはあちらの世界の符術師でも出来る」
「だが君は、ウゲツサマを創った。ウゲツサマは龍脈そのもので外界を遮断する。龍脈そのものを自在に操る符術師はいない」
「ありえない」
「そう。人ではありえない事をしているから、君が例外ではないかと考えている」
 雨月は乾いた息をため息まじりに吐いた。
「すごいね。まさかそこまで断言できるとは」
「間違っていたかな?」
「……ここで間違ってると言えば、君を騙せるのかな?」
「君は騙さない。誰かに自分のやってる事を伝えたいから、私の見学を許したと思っている」
 雨月はお手上げのジェスチャーをして、ユガリの顔をのぞき込んだ。
「お見事。さすが『女神の弟子』、『砂漠の隠者』」



 雨月は、かつては龍であった。
 正確には、龍脈の意識として存在する龍だった。
 龍脈とは、『世界の表面を走る世界の意志が物理的に結実したもの』、という表現が一番近しい。そして龍とは、その龍脈が一つのコミュニティーとして行動様式を同一化させた、集合意識である。それは主に水と共に世界を巡り、動植物に入り込み、生死を見守ってきた。
 ある時、龍の一部が人の営みに興味を持ち、その体を乗っ取った。人は龍脈を符術という形で利用することが多かった為、その複雑な技術を知りたいと思ったのが最初であったが、すぐに人間の思考そのものが好奇心の対象となった。
 龍は、人の体の中に入り込み、その仕組みを掌握し、都合の良いように動かし、時に作り替えた。傷ついた体を修復し、動かしやすいように若者の姿を保ち、気に入った体躯を時代に合わせて微調整しながらずっと、人間社会での生活を満喫していた。

 それが、ある時。
 一瞬にして消え失せた。
 世界中が真っ白に光り輝いたかと思った瞬間、自分が魔術的に破壊されたと気づいた。なじんだ人の肉体も、龍脈として人体の細胞の奥に潜んでいた龍の身も、全てが生と死の中間とも呼べる情報の固まりとなった。
 龍としてわかっていたのは、情報の固まりとなったのが己だけではないということ。世界そのものが、生死のどちらともつかぬ情報の固まりに変換されてしまったことだ。
 それは世界の意志である龍脈、そしてその一部である龍でしか知り得ぬことであったかもしれない。


「大陸協会の魔術師たちが時々やってる争いになんて興味はなかったけど、まさかあんな事をしでかすとは、思いもしなかった。世界そのものが壊れてしまうなんてね」
 遠い目で雨月は続ける。


 それでも龍であったが為か、すぐにこの地に顕現した。
 世界が再構築されたいきさつは、末端の龍脈の、その一部である龍の、そのまた末端の人の身に潜む龍でしかない雨月にはわからない。
 しかし再構築された世界は、動ける己としての龍脈を必要としていて、その龍脈を司るといっても過言ではない龍を必要としている事はわかっていた。
 雨月は使い慣れていた人の体で顕現した。
 本能のまま、龍脈のないやせ細った地に、龍脈をつくり、巡らせ、豊かな自然を作り上げた。
 時折、あの世界のこの世界が接点をもち、その際、まれにあの世界の生き物が顕現し、その種類も増えていった。
 しかし、往年のような動植物豊かな土地にするまでには足りない。生めよ増やせよだけでは、雨月の知っていたような豊かな世界を再現するまでにどれだけの時間がかかるかわからなかった。
 待っていては、いつやってくるのかわからない。
 時に『あの世界の欠片』と『こちらの世界』が接触する事はわかったが、どのような法則で動植物が顕現しているのかはわからなかった。
 雨月は長い年月をかけて、『情報となった世界』と『この世』の接点を探した。
 時折やってくる商人達から祭りや神事の事を聞き出し、時節や方法を調べ、自分にできる方法を探った。かつては人間として空間と時間を利用する符術に接する機会が多かったから、わかっている限りの符術の知識も動員し、ふさわしい場所と時間を探った。

 それが、ムゲツサマの儀式となった。

 『あの世界』との接点が近づく今月の満月の日、龍によって以前の世界と同じ条件に作られた空間に『あの世界の情報』が接すると、人が顕現する儀式だ。
 満月であるにも関わらず、龍が光を遮り、月のない夜のようになってしまう空間から、別世界の人間が出現する儀式。


「あの液体は龍そのもので良いんだね?」
 ウゲツサマの時に現れた液状の天蓋を思い出す。
「そう。あの滴の一滴に数え切れないほどの龍がいる。そして、その集合体が私という共通認識となる。言うなれば、あの液体もまた、私の体そのものになる。密度を変えれば空気のようにもなる」
 ユガリは雨月の身振り一つではじまった儀式を思い出す。
「では、あの駅に着いた時には、もう……」
 足首のぬめり。
「村人は全員覚えているといったでしょう? 知らない人はみんな、ああやって先に体の中に入って調べるんだ」
 雨月は思い出したのか、ため息混じりに笑う。
「それで、ユガリが魔術師だとわかった。名前を聞いて驚いたけど、悪意はないみたいだし、あちらの世界を知ってる人、それも神官で魔術師なら、私のやっていることを知ってもらってもいいかなって」
「……私の中には入れなかったでしょう?」
 魔術師は大抵、日常的に自己の範囲を決定する魔術を己に施している。幻術のような自己意識を揺さぶる攻撃に備えるためだ。
 そして雨月は力ない笑いを続ける。
「だから、だよ。防がれたからこそ、魔術師だとわかった。普通の人はそんなこと出来ないでしょ?」



 雨月は自己流ながら何度も儀式を繰り返し、村の人口を増やした。
 雨月の用意した豊かな自然を村人達が喜んで消費し、更に増やしていく姿は、雨月にも思いがけないほど強い愛着と喜びをもたらしてくれた。
 しかし、彼らは人間だ。中にはどうしても、自分たちが生活していた場からこの地に連れ去られた事実を受け入れられない輩がいる。
 彼らの意識は、あの魔術的に世界と共に破壊された時に止まってしまっていた。
 『あの世界』不完全ながら存在しているから、そこに戻ることは可能だ。しかし戻るのは、死ぬことと同じだと諭しても、彼らの一部はどうしても納得してくれなかった。更には自ら命を絶つ者も現れた。
 ならばと雨月は考えた。こちらに呼び出たら、しばらく生活させ、様子を見よう。こちらの生活に馴染むようなら村人になってもらい、どうしても受け入れられないなら、元に戻すことにしよう。
 だが、連れてくることは簡単でも、元に戻すには、確実な接点をもって慎重に儀式を行わなければならない。
 それは高い棚から大きな彫刻を降ろすことにも似ていて、人という単純な形ではない分、元の位置に戻すには大きな労力と技術を必要とした。
 雨月としては、符術を応用した自分の技術が正しく発動するか、正しく情報へ変換する間の時間が確保できるかも大きな問題だった。特に接点が安定する日があるのなら、その日に執り行いたい。
 それが、今月の末日。
 多くの地域で、この世とあの世の境界が崩れるとされる日だった。


「他の集落の話を聞いたら、ちょうど今月の満月の日には兎の祭りがあるっていうから、その祭りのフリをしようと。末日には百鬼夜行のお祭りがあるっていうから、やっぱりマネをしたフリをしよう、と」
 雨月は頭をかきながら笑う。
「お菓子やおやつも、みんな都合が良かったから、説明に使っちゃっただけなんだけど、真実も含まれてる。魔術師じゃないから詳しくはわからないけど、どうも、こちらの食べ物を食べると、元のように情報化が出来なくなるんだ。逆に、こちらの世界に残ると言ってた人が一日二日食べずにいたら消えてしまった事もある。だから、御子にはこちらの食事をさせなかった。帰りたいなら、絶対に物を食べてはいけないって。そして残りたいなら、無理にでもこちらのものを食べろって」

『菓子を喰え、ウゲツサマにイタズラされるぞ』
 喰わないと神隠しにあってしまうという警告なのだ。

「御子には龍を飲ませていた。龍なら私がいくらでもコントロールできるし、元の世界との同調も出来る。体から抜き出す事もできるし、必要なら内側から無理矢理にでも体を動かすことはできるから」
 食事をすると、帰れなくなる。
 ユガリは、連行されていった男の生気のない顔を思い出した。
「あの男は……三年前に、こちらに顕現した御子だったんですね。そして、何かを食べてしまった」
 だから、この村の出身ではない。しかしこの村の者。半分余所者なのだ。
「そう。そして帰れなくなった。それでも一度は都会へ出て、なんとか生活に馴染もうとしたようだけど、結果的に病んでしまった」
「それじゃ……あの、姿は……」
「もう一人の御子に成り代わろうとしたのでしょう。愚かにも、『あの世界』におこった魔術的な破壊という言葉の意味を勘違いしていたのでしょうね。以前にも似たような事を考えた輩はいましたから。とはいえ……肉片も髪の毛も残っているところを見ると、ハルちゃんはこちらに残るつもりだったらしいから、皮肉なもんです」
 報告でしか知らないハルちゃんの亡骸を想像し、ユガリは自然に、砂漠の民の祈りの印を切った。
「ユガリはレノちゃんと、大陸街道共通語で話していたよね。あの時には大体わかってたってことかな?」
「話しかけるまでは予想でしかありませんでしたけどね」
 ユガリが同じように別の世界から来たと知った時の、彼女の強ばった顔を思い出すと、胸が痛んだ。
 あの後、彼女はユガリに言っていたのだ。

 たとえあの世界が終わっていて、死後の世界で、もう生き返れないとしても、それでも私の世界はあの世界のはず。
 たとえ、この世界が死後の世界で、ここで生きていくべきだとしても、この儀式は不自然だと思う。
 だからこの世界で亡霊として生きるより、あの世界の死者に戻りたい。
 それが私の本当の命だから。


「あなたが彼女に渡していた札というのは、言葉を覚えるまでの、翻訳機ですね」
「そう。符術の一種だよ。翻訳というか、言いたいことを相手の頭の中に届けて、同時に同じ言葉を話していると錯覚させている」
 苦笑し自分の頬をなでながら、雨月は続けた。
「符術の材料があちらの世界のものだから、ムゲツサマの時に偶然こちらに来た材料を使うしかなかったから、なかなか作れなくてね」
 ムゲツサマの時には、無差別にいろんなものが顕現するんだと、雨月は笑った。
 その様を想像しながら、ユガリは疑問を口にする。
「パーに奪われたと言ってた分の札は?」
「ああ……パーというのは、あの乱入してきた人殺しの事だよ。本名をもじって村の人たちがそう呼んでるんだ。札は今頃、駐在に取り上げられてるんじゃないかな? 最後にはウチの神社の物だと説明して返してもらうつもりだけど」
 あいつはもう、言葉が話せるようになっていたのにねと、雨月は首を傾げる。
「御子のものは全て奪わないと気が済まないなんて……それに、消えてしまうとわかっているのに自分から飛び込んでいくなんて……やっぱり、人間の考える事は何年、何百年、何千年たってもわからないよ」


 しばらく互いに黙り込んだ後、汽笛の音に気がついたのだろう、雨月は時計を見上げながら呟いた。
「ねぇ、ユガリ。もう少し早く、イロイロと話せればよかったねぇ。あちらに居た頃の事でも、ここに来てからの事でもいいから。せめて、あんな事件が起こらなければ、こんなに慌てて別れることも無かったのに」
 ユガリは、自分が砂漠の真ん中で、たった一人で生活していた時のことを思い出す。


 神はお隠れになった。
 これ以上、今以上の信心で神の御心を知ろうとしても、ユガリの信心を誰が見守り、感謝するというのか。
 神を探して歩き回るより、この地で『あの世界』を知る者たちを支える方が、砂漠で行き倒れた人々を救っていた生活に近しいのではないか。
 しかし、今の自分に何ができるだろうか?
 女々しくも神の姿を求めて放浪する自分に、一体何が?



 電車がホームに滑り込んでくる。
 ユガリは立ち上がった。
「私に調査を頼んだスペクターは、『あの世界』から現れる者たちを元に戻す方法を探しているんです。きっと、あなたにも興味を持つ」
「へぇ……やっぱり奇特な人だね」
「また来ます」
 何をするにせよ、まずはこの地の怪異を教えてくれたスペクターに報告をしなければ。
「今度はちゃんと、ムゲツサマに間に合うように来ます」
「そうか、来年か。わかった。待ってるよ」
 互いに気のない返事だったが、目があった。
 相変わらずぬめるような目が、無邪気さと残酷さを併せ持った好奇心が、隠される事もなく覗いている。
 元より龍とは、竜とは、世界の意志の一部とは、このようなものであったのかもしれない。
 ユガリは無人と言っても良い電車に乗り込み、窓を開けた。
 最後にベンチを確認。

 ユガリは思い出す。
 ムゲツサマの時には無月、ウゲツサマの時には雨月、ならば普段はなんと名乗っているのか。


 雨月と名乗っていた者の姿はすでにない。
 ベンチの上で、景色がぬるりと揺れた。



<了>




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