イシの時間 〜<September9>外伝2〜 その2
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「全く、余計な事を請け負ったもんだね」
 八雲は高篠光矢と並んで後部座席に腰掛けながら、平板な口調で呟いた。
 今、八雲たちが利用している車両は、〈西方協会〉の用意したボルドーという運転手が取り回している。
 ボルドーは光矢もよく知る人物で、元は傭兵だった男だ。今は運転手の制帽に隠れているが、その名の由来となった赤紫の竜の入れ墨が側頭部で踊っている。
 『向こう側』の人間ではないが、〈西方協会〉がどんな組織であるかを知って以来、積極的に支援してきた人物である。
 カンが良く、しかし寡黙に行動する彼の言動は、光矢や八雲との相性も良かった。二人とも一度活動しはじめると周りが見えなくなる傾向があったが、ボルドーはそれを察する事も、その時何が必要であるかも、傭兵時代の経験から考えることができたからだ。
 光矢と八雲にとっては、心強い護衛でもあった。
 衛藤牧師と新庄鏡子は、二日前から〈アカデミー〉の情報収集に走り回っていた。
 衛藤牧師は〈西方協会〉の中でも古株だし、『向こう側』での地位も決して低くなかったと聞いている。鏡子に至っては、〈アカデミー〉の中で育てられたようなものだ。いわば古巣である。
 二人ならば、遠からず、情報を持って帰ってくると信じていた。
 八雲の言葉を聞き流しながら、光矢は手元の資料に目を通す。
 〈アカデミー〉について、再度確認していたのだ。その財源、その研究内容、その成果。組織図と代表者、そして衛藤牧師が独自に調査させた支援者など。
 その資料を先に読み終えていた八雲がぼやく。
「孤児院の件に関して、君は手を出すまで早すぎた。いくらなんでもその場で引き受けるなんて。いつもながら、お人好しすぎる」
「知ってるよ」
「君はもう、ただの小さなデザイン会社の若社長じゃないんだ。気持ち一つで決めるような事は、なるべく控えるべきだろう? 特に相手が内部組織なら。人を信じてないクセに、どうしてそんなに、信じられないくらい無防備なんだ」
「無防備なつもりはないんだけど」
「百歩譲って、君がこの件に首を突っ込んだと知ったら、〈アカデミー〉があの孤児院に何をするかわかったもんじゃない」
「それを防ぐ為にも、〈西方協会〉の名前が必要だ。『こちら側』が自分たちの自由にならないと――〈西方協会〉の庇護があってこそ、大きな顔ができるんだって、たまには思い出させないといけない。もし大事になったら、〈アカデミー〉の満足できるだけの予算は回しておくよ。この資料を見る限り、結局、彼らは『向こう側』と『こちら側』の違いを研究したいだけみたいだしね」
「光矢……報復っていうのは、そういうもんじゃない。プライドの問題だ。君の介入は、彼らのプライドを傷つける可能性があるって言ってるんだよ」
「ならば僕が頭を下げれば良い話だろ?」
「違うよ――」
「いや、違わない。〈シノヤ〉の、高篠家が頭を下げれば、〈アカデミー〉だって勝手はできない。パトロンのいない科学者がどれだけ惨めかは歴史が証明してる。そして、高篠家ほど良いパトロンはいないはずだ。その高篠家の、それも名実ともに〈西方協会〉の監査役が頭を下げるんだ。無視はできないだろ?」
 八雲は何か言いかけ、そして大きくため息を一つ。
「光矢……君は時々、ものすごく鼻持ちならなくなるね」
「ほめ言葉だよね、それ?」
「……っ、ボルドー!」
 八雲があきれ顔で運転手に声をかける。
 それまで黙っていた運転席のボルドーが、涼しい顔で告げた。
「もちろんです。俺のボスだって、そうだって言いますよ」



 その日の夕刻。
 新庄鏡子は、衛藤牧師のまとめた資料を携えながら、光矢の事務所に戻ってきた。
 亡くなった次男・高篠顕の事業を引き継ぐ為、それまで経営していた光矢自身の事務所――〈シノヤ〉の子会社であった、個人経営のデザイン事務所は引き払う事になっている。
 引っ越しの作業中の事務所には、光矢が長年頼りにしてきた、鏡子の母親・切子の姿もあった。
 父と同い年の切子は、高齢もあって事務所の椅子に腰掛けたままだったが、どこに何がしまってあるのかを正確に記憶しているのは彼女だけである。
 〈西方協会〉からの手伝いでごった返している事務所の中、彼女の椅子周りだけが静謐そのものであった。
 しかし、まれに誰からあるべき品物の場所を尋ねると、彼女は穏やかに、きっぱりと、そのありかを告げた。ほどなくして失せ物は見つかり、皆はあらためてこの老女の記憶力に感心と感謝をよせたものだ。
 その彼女の隣りに鏡子が座ると、この二人が間違いなく親子であることがよくわかる。
 いや、むしろ、一人の人間の、過去と未来を抜き取ってきたかのようですらある。
 彼女の帰還を耳にした光矢は、引っ越し作業の続きを手伝いの連中に任せ、八雲も交えて報告を聞くことにした。


 〈アカデミー〉に回収された子供たちの品は、分類と解析をされた後、とある雑貨商が引き取った。
 売り物にはならないだろうという話もあったようだが、普通に廃棄するのも偲ばれ、しかし返却する事は〈アカデミー〉の上層部が許さなかったというのだ。
「いつまでも過去に執着するのは、子供の教育上良くないとの、上層部の魔術師たちが指示したそうなんですが」
 鏡子は珍しく、頬を膨らませて怒りを表現した。
 彼女は、母親同様、声を荒げるような言動をとらない。その代わり、母親よりもずっと、表情豊かではあった。
「バカみたいですよね。一番過去にしがみついてるのは、〈アカデミー〉自身だっていうのに。『あちら』から『こちら』に来てまで魔術の研究をしてるのが良い証拠ですよ」
 八雲が肩をすくめる。
「君は、その〈アカデミー〉の申し子じゃないか」
「違います。〈アカデミー〉が育ててくれただけで、あんな偏屈者ばかりの場所なんて、面白くもなんともありません。光矢さんの『行き当たりばったり』にお供してる方が、よっぽど楽しいですよ」
 その言葉に、母親の切子が笑う。どこかぼんやりとした、それでも気品のある皺だらけの笑顔だ。
「血は争えないと言いますもんね。私も、晃さんのお供が一番面白かったですよ」
 光矢はやんわりと片眉をあげ、会話を元に戻す。

 雑貨商の名前を、衛藤牧師はよく知っているとの事で、その場で連絡をしてくれたそうだ。
「あの〈アカデミー〉の中でも、変人で有名らしいですよ。衛藤さんが苦笑してましたもん」
 鏡子は声を顰めた。
 雑貨商が出した条件は三つ。
 一つは、今月分の〈西方協会〉の活動報告の内容を不問とする事。
 一つは、面会時、武器の類を持ち込む事を禁ずる事。
 一つは、光矢のみの面会を許可するとのこと。
 この三つの条件を承諾し、面会した上で、場合によっては子供たちの記念品を譲り渡すというのだ。
「ふざけてます」
 鏡子はきっぱりと言い切った。顔つきは、母そっくりの、ぼんやりとした顔立ちだが。
「最初の活動内容を不問にすることはともかく、最後の光矢さんのみの面会なんて。八雲さんは魔術師だからともかく、私みたいな運転手までダメだっていうんですよ?」
 何を言ってるんだと八雲がぼやく。
「君は十分、優秀な魔術師だよ。並の〈アカデミー〉の奴らなんか、目じゃないさ」
 光矢もその意見に頷く。
「相手は鏡子さんの事を知ってて拒否した可能性もありますね……構いませんよ、私一人で、行ってきます」
 八雲と鏡子が――光矢の護衛を自認している二人が、同時に天を仰ぐ。
「せめてボルドーを付けて行くべきだ」
「いや、やめておこう。八雲、相手はおそらく『高篠光矢』を見極めたいんだよ。余計な誰かを付けていけば、それだけで僕の評判はガタ落ちだ。護衛をはずせないチキン野郎だってね」
「それは君の想像に過ぎない。臆病は欠点じゃない、上に立つものならば美徳だ。君の身をもっと大事に使うべきだ」
 返事をする気のない光矢を看破し、八雲は声を張り上げる。
「どうしてそう、毎回、軽々しく安売りするんだよ! 君は未だに、〈西方協会〉を手に入れるという事の意味がわかっていない!」
 珍しく睨み付ける八雲に、光矢も顔色を変えた。
 表情から、状況を楽しんでいた笑みが消える。別人のように気配が陰る。
 穏やかで温かい日差しが、急な雲で遮られたかのように。
「わかっているよ、八雲」
 低く、落ち着いた声だった。
「自分の事は良くわかっている。手に入れた力もよくわかってる。だからこそ、奔走するべきなんだ。私一人の姿一つで、その後の人生を変える事ができるならば、全力で走り回るだけだ」
「皆が皆、君や君のお父さんをありがたがってるわけじゃないんだぞ? 何をしてくるのかわからない以上――」
「相手だって、私がどんな奴なのか知らないさ。知らないからこそ、全部見せてくれと言ってきたんだ。だから見せてやるだけだよ。逆に、私も相手を見てくる。〈西方協会〉を動かすのはその後で十分だ」
「やっぱり、わかってない! 光矢、〈西方協会〉はそういう風に使う武器じゃない、先に見せて、威嚇するべきものだ。君の身の安全は、その後についてくる。丸腰で飛び込むなんて、何も持っていない人間がやる愚かな行為だ」
「わかっていないのは八雲、君だよ。私に人を信用する事を教えてくれた君が、一番、私を信用していない」
 反論しようとする八雲を、光矢はさっと手を挙げて制した。
 その大きな目が、更に見開かれる。八雲の鋭さを増す半眼を覆い尽くすかのように。
「君の過去と『もう一人の私』に何があったか知らないが、私を信じてくれ。君の弟子である私を信じろよ。私たちの運命がこんなところで途切れるわけがない。まだ何も、君の因縁も、衛藤家の決着も、僕の権力も、何もかも藪の中だからね。それが終わるまで、僕の身に何か起こるはずがない。そうだろう?」
「……むちゃくちゃだ。誰のおかげで今まで無事だったと思ってるんだ」
「君のおかげだ。だから、何か起こってもすぐに助けてくれると信じてる。その何かが起こるまで、黙って見ててくれと言ってるだけだ」
 八雲は変わらず半眼で睨み続けていたが、口を閉じた。
 その八雲と光矢を、正面で見守る鏡子がおろおろしながら交互に眺めている。
 ボルドーは腕組みしたまま直立不動。彼は決定された事項について行動するのみだ。議論には参加しない。決着がついた後、それを実行に移すにはどうすれば良いかを意見するだけだ。
 険悪な空気が、一堂の中に漂った。

 いや、一人だけ、穏やかに。

「光矢さん」
 新庄婦人が問いかけた。
「今回も、いつもの『行き当たりばったり』でよろしいの?」
 育ての親と呼んでも良い新庄切子に問いかけられ、光矢もわずかに頬を緩めた。
「向こうの指定がある以上、それに従うって言ってるだけですよ」
「相手がどんな人かもわからないのに? 変人だって噂ですよ?」
「私も相当、変人の部類です。こんな仕事よりも、お金を稼ぐ事よりも、服をデザインしてスケッチしてた方がずっと楽しいですから」
「変人は変人を知る?」
「そうだと良いですね」
 保護者同然だった老婦人は、光矢の返答に笑顔を返した。
「ならば、いってらっしゃい」
「お母さん!」
 鏡子の身もだえしながらの悲鳴も、切子は動じない。
「相手が誰なのか、見当はついてます。そんな、〈アカデミー〉の捨てたものを拾おうなんて事を考える人は一人しかいませんから。そして、光矢さんなら、いつか面会しておかなきゃいけない人です」
「光矢なら?」
 八雲が不思議そうに聞き返す言葉を、新庄切子はやんわりと笑顔で受け止める。
「〈西方協会〉を担うという事は、その中身の良いところも悪いところも、そしてその歴史をも知るべきだと言うことです。相手の方は、それらを全て見てきた方です。面会しておくのは悪いことではありません」
「敵に回る可能性は?」
 無表情に尋ねる八雲。真剣であればあるほど、少年の顔から表情が消えていくのは常の事だ。
 光矢も鏡子も、尋問にも似た八雲の言葉を止めようとはしない。
「私の知る限り、あの方は私たち皆を繋ぐ計画に関与するつもりはありません。敵にも味方にもなり得ません」
「なぜ?」
「御自身が、別の計画の犠牲者だからです。だからこそ、傍観者であることを選んだ。八雲君、貴方は関与することを選んだけれど、彼のような生き方もあるというだけです」
 八雲は眉をひそめて黙り込んだ。
 相手がますますわからなくなったという事だろう。
 高篠光矢は二人の会話を耳にしながら腕を組み、しばし天井を眺める。その体勢のまま、声をあげた。
「切子さん」
「はい」
「父は、その人に会った事があるんですね?」
「もちろんです」
「なんと言ってましたか?」
 切子は一人、小さく笑った後に返答。
「〈セプテンバー・ナイン〉のように降り、突き刺さった剣。誰にも抜くことのかなわない剣。ただ、そこにあることだけを知っていれば良い」
「なるほど」
 光矢は天井から顔を戻した。鏡子を――彼女がびくっと体を震わせるほど突然振り返り、早口で指示。
「これで確定だ! 鏡子さん、衛藤牧師に連絡を。スケジュールを調整してください」
「や、やっぱり、一人で会うんですね」
「父の夢見がちな部分を引き出したような人だ。間違いなく、会っておいて損はない。だから相手が指定してきた以上、それに応える。父がそれだけの評価をした人物なら、それなりの礼節で応えたい」
「でも、光矢さんのお父さんって、〈西方協会〉を作ったぐらいだから、元々夢見がちな人じゃないの?」
「ちょっと違う」
 光矢は鏡子から渡された〈アカデミー〉の備品リストをめくりながら、上の空で返答。
「父はね、夢を現実にする事が好きだったんだ。そういう意味では現実主義者なんだよ。だから他人を評価する事に喩えを使わない。でも、喩えたくなるほど楽しかったんだろうね。そして、その人の事はそのままに、そっとしておきたかったんだよ」
 備品リストに記された処分先と、その住所。
 住所の地図。
 とある高層マンションの最上階。
 要注意人物としてのチェックが入っている。
「父が保存したかったものがどんなものなのか、見てみようじゃないか。まだ文句があるかい、先生?」
 八雲は既に会話に興味がないようだ。
 引っ越し作業の人々に目を走らせながら呟く。
「無いよ。言いたいことは言ったし、それでも君が動かないとわかったからね。すぐに駆けつけられるよう、準備をしておくよ」
 そして、ひどく嫌そうに続けた。
「そもそも……君の信じられないほどの強運は、この僕が一番良く知っているからね」




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