イシの時間 〜<September9>外伝2〜 その3
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 インターフォンを鳴らすと、ややあって「開いてるよ」と返答があった。
 声だけを聞くと光矢と同じ年頃のようだ。
 光矢は一人、『不老』という言葉に納得しながらドアノブを捻る。
 まるでマンションのモデルルームのような、整然とした玄関と廊下を歩み、奥へ行き着く。
 ソファに一人、身を沈めている男がいた。
 寝癖でぐしゃぐしゃにされたままの栗色の髪。自分より少し高いぐらいの身長。よく見ればとても広い肩幅、自宅だというのに左腕に抱えた黒い杖、その先端についている紅玉。半眼の紫色の瞳も、皺だらけの燕尾服も、ほどけかかった複雑なステッチの縁取り。
 光矢自身、服飾デザイナーという職業柄、デッサンを取ることも少なくない。とっさに頭の中で線を引き、彼を絵にした時を想像する。彼にどんな服を着せれば彼を最大限に表現できるだろうかと思う。
 しかし、それらの全てが、目の前に完成された以上のものにはならなかった。
 そのままであるべき、なのだろう。父の言ったとおり。
「君が……タカシノ・ミツヤ、だね?」
 寝ぼけ眼のまま、モゴモゴと名前を尋ねられる。自由にやってくれとソファを勧められた。
「衛藤牧師からお話を伺っております。船長とお呼びすればよろしいでしょうか?」
 相手は西方風の顔立ちをわずかに歪め、嫌そうに、頷いた。


 新庄鏡子と衛藤秋人の作成した資料によると、彼は〈アカデミー〉の中でも最高位の魔術師達に匹敵する攻撃力を持ち、外見こそ人間ではあるが、魔物の類なのだそうだ。
 高位の魔術師の一部がそうであるように、彼も不老の恩恵を受けている。父・晃と出会った時と同じ外見――三十代の外見を保っているというのだ。
 そして彼は、〈アカデミー〉を縛る階級制度の外にありながら、彼らが頭を下げる教義上の神的地位を持ちつつ、それを剥奪された経緯があるという。
 光矢は報告書を目にした時、その遠回しな表現に苦笑したものだ。
 おそらく、報告書のこの部分は、衛藤牧師が作成したのであろう。
 鏡子ならば〈アカデミー〉内の用語を使用して、簡潔に説明してくるに違いない。注釈もつけて、だ。
 だが、それらを遠回しに表現しているということは、衛藤牧師が彼女の報告内容について、光矢に知らせたくない事柄がいくつか混じっているという事に相違ない。
 少なくとも、今、光矢が知るのは得策ではないと衛藤牧師は判断しているのだ。
 ならばと、光矢は追求しないでおいた。
 衛藤牧師は長年、父と光矢を陰日向に支えてきた、家族と言っても良い人物だ。父が光矢を使って何事かを起こさせようとしていることは、父の部下であった衛藤牧師や新庄婦人の言動を見ていればわかる。そして、今までの彼らの行動は、それが決して光矢を罠に陥れる類の陰謀ではないと信じる事ができた。
 いや、信じられるだけの事をしてきた人物だ。
 仮に衛藤牧師にだまされ続けてきたのだとしても、彼の嘘と心中する覚悟はできている。
 それに、光矢も子供ではない。
 疑問が大きく、聞き出す必要があるならば、この目の前の人物に直接問いかければ良いだけだ。
 今、わかっていれば良いことはごくわずか。
 父を愉快にさせた人物であること。〈アカデミー〉が一目置く人物であること。魔術師として戦うのは得策ではないと言うこと。
 それだけわかっていれば、十分だ。


 船長は対面するソファに腰を下ろした光矢を確認すると、入れ替わるように立ち上がった。
 黙って湯を沸かし、ほどなくして沸いたその湯で茶を煎れる。
 終始無言だ。
 そのまま、手慣れた様子で光矢の前のテーブルにソーサーを置くと、そっとカップをしつらえた。自分の分はカップだけを手にしたまま、ソファに戻る。
 会釈してカップを手にした光矢をじっと見つめたまま、船長は自分のカップに口をつける。
 光矢は清々しい香りを振りまくその蒼い茶の中身を不思議に思いながら、一口含んだ。鼻に酸味を呼ぶ慣れない味だったが、嫌いな味ではない。
 だが、彼はこの茶を飲みにやってきただけではないのだ。味だけをみて終わらせる。
 船長は杖で自分の肩を叩きながら、カップを戻す光矢の所作を眺めていた。その視線を感じながら、光矢も彼の目を見返す。
 しばらくの間、二人は互いに相手の動きを見守っていた。
 船長は杖を動かし続け、光矢はその動きを何気なく数え。
 四十を数え、面倒になった光矢が数える事をやめた直後だった。
 船長は唐突に、怒っているかのように問いかけた。
「君は、何者だ」
 光矢は苦笑した。
 挨拶も交わし身分も明かし、対面する予約もしてあったというのに、今更何者かとは。
 だが、不思議と怒りはなかった。
 もう一度、名を告げる。
「高篠光矢と、申します。〈西方協会〉の監査役をさせていただいています」
「それはもう聞いた。そんなことを聞いてるんじゃない」
 船長の口振りは、苛立ちというより戸惑いに似ていた。
「私は、高篠晃の息子です」
「それも顔を見ればわかる。君はタカシノ家の元になった男にそっくりだ。シラトス皇帝だよ。アキラも似ていたが、君はもっと似ている」
「では、何をお尋ねでしょうか?」
 相手は少し言い淀んだ。
 杖の動きを止め、しみじみと光矢の顔を眺める。
 他人の視線などさほど気にしない光矢でも気まずく思うほど、だ。
 そして、大きくため息をついた。
「もしや、聞いてはいけない事なのかも知れないが……私は遠回しな事は嫌いでね」
「そうですか。一体、どんな質問でしょう?」
「君は――」
「はい?」
「――本当に、人間なのかい?」
 なるほど。
 光矢はゆっくりと天を仰いだ。
 そう問いかけられる事も最近は多くなった。不思議な言葉ではない。
 おそらく、自分が八雲から魔術を学び成長するにあたって、心身ともに変化しているのだろう。魔術師と名乗る人々が驚異に思うような変化が。
 光矢は、新庄鏡子に引き合わされた時の事を思い出した。
 〈アカデミー〉の人々が、自分を遠巻きに眺めながら、口にしていた言葉だ。
 畏怖と好奇心と、そして一種の嫌悪を込めて光矢を示した称号を、船長の言葉で思い出したのだ。
 光矢は嫌なものを眺めるように顔を歪めた船長の視線を受け止めたまま、その称号を口にする。
「魔術師の中には、私を〈教皇〉と呼ぶ者もいます」
「〈教皇〉……ああ、〈朱の教皇〉か」
「その言葉をご存じなんですね? ならば話は早い。その言葉を信じるかどうかは貴方次第です。そもそも、人間かどうかなんて、〈西方協会〉にとっては些細なことです」
 そいつはどうかなと、船長は食い入るように光矢を睨んだ。
「私の知る限り、魔物は本能のままに動く。自分の家族と認めた者以外に情けをかけることなどない。君が魔物に近しい存在だとしたら、〈西方協会〉は、私を家族と認めているんだろうかね?」
 光矢は船長と自分の距離を思いながら、努めてやんわりと返答。
「私の知る限り、いつでも殺せる状態に居ながら手を出さない魔物はいません。もっとも、私はあなたに比べれば魔物など数えるほどしかお目にかかっていませんが」
「私は人間としても魔物としても、少々変わっているだけだよ。聞いてるだろ?」
「ならば、私も同じだとおわかりでしょう?」
「〈教皇〉なんて、君の力を利用しようとしている奴らの作った作り話だぜ?」
「その作り話を終わらせない事が、私の生き方です。その事によって、『向こう側』と『こちら側』の不幸なすれ違いが少しでも減るのならば」
「……なるほどね」
 初めて、船長は顔の緊張を緩めた。
 ひとまず、彼と会話する権利を得る事ができたようだ。
 燕尾服の魔物は、杖を右手に抱えたまま、左手で自分のくしゃくしゃの髪を、更にくしゃくしゃにし……すぐに、その手を止めた。
「エトウ・アキヒトを知っていると言ってたね?」
 衛藤牧師の事だ。
「私にとって、父代わりと言っても過言ではない方です」
「なら……アキオも知ってるね?」
 光矢は動揺を見せまいと、あえて微笑んだ。
「私の親友です。兄弟のように育った仲です」
「あの子は今、何をしてると思う?」
 意外な問いに、光矢は自分でも笑みが消えていくのを自覚した。
 衛藤牧師の養子であり、光矢の幼なじみである衛藤空央。
 彼は今、失踪中だ。
 守ろうとしていたものを奪われ、守る為だけに費やしてきた半生とその力を、今度は〈西方協会〉に復讐する為に使うと宣言して――消えた。
 彼の決意と傷心を思うと、光矢は自分のふがいなさに胸がかき乱される。
 ずっと、付かず離れず育ってきた友であったというのに、ずっと、彼は光矢に何も見せずに隠し続けて生きてきたのだ。
 それを見抜けなかった自分が、むしろ彼を縛るかのように自分の過去を押しつけてきた自分が、今でも情けない。
「空央がどこにいるのか、知っているのですか?」
 もし知っているのならば、いくらでも情報量を支払うつもりでいた。
 そして、空央に謝罪でもなんでもするつもりだったのだ。
 空央を苦しめてきた〈西方協会〉の代表の一人として、親友として、そして彼の大事な妹が失われた責任の一端として、空央に会わなければならないはずだった。
 船長は光矢の心情をどこまで汲んだのか。
 ややしばらく黙った後、ポツンと呟く。
「知らない」
「本当に?」
「本当だ。私のところに情報が来るぐらいなら、アキヒトのところにはとっくに連絡が行ってるだろう」
 ぐいっと自分の茶を飲み干し、船長は大きく息を吐いた。
「私は、アキオが高校生の頃から知っている。何度か、話をした事もある。君の事も、あの子の口からほんの少しだけど、聞いてるよ」
「……そうですか」
「アキオは、君に〈西方協会〉の正体を知られたくなかったはずだ。君には、何も知らないまま、何も知らない妹さんを幸せにしてもらいたいと願ってた。その為にあの子はずっと、アキヒトにも逆らって、一人で戦おうと準備していたんだ」
 空央の気持ちを代弁しているつもりなのだろう。
 船長は恨みがましい口調と目線で、光矢の反応を見る。
「君は、それを知ってたかい?」
「……お恥ずかしい事ながら、最近になって知りました」
「なるほど。ならばそれまで、アキオは自分の夢を叶えていたってことか……それだけでも、あの子としては救いだったろうけどね」
 しばらく黙った後、船長は光矢の反応を伺うように口を開いた。
「もし居場所がわかったら……アキオを、どうする?」
「会いに行きます」
「会いたがらないかもしれないぜ? 君が本当に〈教皇〉だと言うならば、あの子は君を殺してでも、このくだらない魔術師たちの争いの全てにケリをつけるかもしれない」
「そうならないように、会いに行きます」
「聞く耳もたないかもしれないぜ?」
 試すような言葉。
 それでも会うと反射的に答えそうになりながら、光矢は自分の中に沸いてきた静かな怒りで囁く。
「お言葉ですが、船長」
 ここにいない親友の代弁者を気取る男へ、きっぱりと申し渡す。
「船長は私の知らない空央を知ってるかもしれませんが、私も貴方の知らない空央を知っています」
 〈アカデミー〉が一目置く人物であるなど、関係ない。空央の考えが船長の言葉通りであったとしても、それを本人の口から聞くまでは、鵜呑みにするわけにはいかない。
「空央は、私の親友です。私の抱えてた悩みを、一緒に抱えてくれた友です。それがたとえ策略や偽りに基づいた行動だったのだとしても、私を殺したいほど憎んでいたとしても、今度は私が彼の悩みを一緒に抱えてやる番だと言ってやりたいんです。だから、会いに行きます」
 船長も光矢も、衛藤空央の一面しか見ていない。ならば、その視点から推測し、語り合っても無駄だ。
 だからこそ、光矢は直接会いにいかなければならないはずなのだ。
 光矢の言葉に、船長はゆっくりと頷いた。
 対面の最初と同じように、じっと光矢を見つめる。光矢もそれを受け止める。
 今度は気恥ずかしさなどない。船長への小さな怒りが後押ししている事もあったが、何よりも、相手の探るような間合いに対し、自分が心から思っている事を言葉にできたという自信が根本にあった。
 おそらく、船長が光矢を見つめているのは、その発言が真実であると、発言者である光矢に確認させている時間なのだ。まやかしや軽い思いこみだけでは、その視線を受け止めきれそうにはない、まっすぐな視線だ。
 この鏡のような目は、不老の魔術師が雑貨商として身につけた技術なのだろう。
 納得したらしい燕尾服の男は、その目のまま囁く。
「不思議なもんだ」
 どこか鳥を思わせる動きで首を何度か小刻みに動かし、大きな背を丸め、光矢の顔を下からのぞき込む。
「私も君の事はそう詳しく知ってるわけじゃないが、君が〈教皇〉であるならば、おそらく、今までの人生も平坦なはずがない。仮に平坦であったならば、それは、水の中に沈められているような平和であったはずだ。違うかい?」
 光矢はやんわりと笑顔で返した。
 その無言の返答に、船長は一度だけ頷く。
「それだけ傷ついていたとしても、君の中には奇妙なほどの素直さがあるんだな……それが〈教皇〉であるということなのか、魔物に近いその魔力の強さのせいか、それともアキラの遺伝子がさせるものなのか、判別しがたいが」
「私の友人などは、私の言動に苛立つようですがね」
 八雲の顔を思い出しながら、光矢は船長の神妙な顔つきを観察する。
 燕尾服の魔術師は、テーブルに戻しておいた己の空のカップに視線を落としながらぼやいた。
「アキラが死んで、何年になった?」
「私が十歳の時ですから、二十年になります」
「君に、もっと早く会っておきたかったよ。君は父親によく似ている。君との話しには、ただの世間話でも、アキオの悲しい話でも、なんとかなると思えてくる力がある。もっとも……君の事を知りながら、アキオの事を隠しておくことなんて器用な事はできなかっただろうけど」
 唐突に背伸びをし、ソファの背もたれに体を預けた。
 話題を切り替えることを体で表現したのだ。
 光矢もその気配に了承の意味で微笑む。
 船長は、もう一度背伸びをし、一度だけ、杖で自分の右肩を叩いた。
「用件は……孤児院の形見だったかな?」
「子供たちの身につけていたもの全てです」
「その孤児院や品物に、何か思い入れがあるのかい、君に?」
「あなたこそ、どうして〈アカデミー〉から二束三文の衣類なんかを買い取ったんですか?」
 船長は――はじめて、心からの笑みを浮かべた。
 その質問を待ってたのだろう。
「嫌いだからだよ」
「……は?」
「嫌いだからさ」
 船長は己の手をすり合わせて、嬉しそうに声をあげた。
「〈アカデミー〉が、嫌いだからさ。〈アカデミー〉を立ち上げるってなって以来、私の同居人を無理矢理引きずっていきやがってね。おかげで、暇をつぶす相手がいなくなって。ハッパの制作も間に合わないから、今まで以上に毎日がつまらないったらありゃしない。ましてや、相手が神様気取った存在や皇帝を名乗る輩なら、なおさら嫌いになるね。今までさんざん追いかけまわして私を処分しようとしていたクセに、『こちら側』に来た途端協力しろだなんて、当然みたいに言うんだぜ? 聞いてられるかってんだ」
「……はあ……」
 船長に魔術師の同居人がいたのは知っていたが、〈アカデミー〉に通じているというのは初耳だった。
 船長が〈アカデミー〉に参加していなかった為、その同居人も〈アカデミー〉に反感を抱いているのだろうと勝手に推測してしまったのだ。
 むしろ、通じていないと思う方が浅はかだったかもしれない。
「そんな時、うちの同居人が、孤児院の服を処分するなんて乱暴だと思わないかっていうから、じゃあ、言い値で引き取ってやるよって答えてやったんだ。私が保存してやるよって」
「〈アカデミー〉は、なんと?」
「びっくりしてたね。もしかしたら、ボロ布に何か仕掛けでもあるんじゃないかって、再度検査したらしいぜ? もちろん、何もないんだが」
「……それだけ?」
 船長は首を傾げて見せると、まぁねと続けた。
「僕はね、〈アカデミー〉みたいに無粋な奴らが大嫌いなんだよ。自分の知識や研究の積み重ねは大事にしてるくせに、他人の思い出はどうでも良いと思ってるだろ? もちろん、そんな奴らばかりじゃないのはわかってるんだけど、そういう奴らが大部分だから、品物を捨てる事が子供の為だなんて言えるんだ」
 船長は右手の黒い杖の、先端についた紅玉を撫でながらうわの空で呟く。
「長生きして、環境が何度も変われば変わるほど、だからこそ、ずっと傍にあって欲しい品物があるものだよ。それがいらなくなる時は、本人の生き方が変わる時だろうね。そして、それは他人が決めるもんじゃない。孤児院の子供たちの品が必要かどうかは、子供たち自身が決めることだ。だから、彼らが取りにやってくるまで、私が保存しておこうと思ったのさ」
「その考え方には同意します」
 光矢は自分の中から沸き上がる心からの賛同に、頬が笑むのを感じる。
 船長も、先の〈アカデミー〉に対する悪意ある笑みとは違った、仲間を見つけた子供のような笑みに変わる。
「もう一度聞くけど、君は本当に、その孤児院や品物に思い入れが無いのかい?」
「私には無くとも、子供たちにはあります」
「なら、君が〈アカデミー〉を敵にまわしてまで手に入れるべきものでもないだろう」
「〈アカデミー〉に刃向かえる孤児院の院長なんて、衛藤牧師ぐらいです。院長や子供達が動けないなら、そして〈西方協会〉が公に動くことで〈アカデミー〉との溝が深まってしまうというのならば、中立の立場である監査役の私が動かなければ取り戻せない。だからこちらに伺ったんです。貴方が指定しなくても、私一人でも伺うつもりではいました」
「〈教皇〉が一人で? そんなわけないだろう?」
「私は〈教皇〉である前に、高篠光矢です。〈西方協会〉に所属する立場以前に、一個人として、子供達の為に動きたいと思った。よく軽率だと怒られますが、間違っているとは思っていません」
 なぜか沈黙した燕尾服の男に、光矢はゆっくりと、言い聞かせる。
「もしも、私の父だったなら……高篠晃ならば、子供たちの思い出の品を捨てさせたでしょうか?」
「そうきたか……やはり君とアキラは似てる、と」
「逆です。私と父の結論は同じですが、私は父とは違うとわかっていただきたいんです。父ならば、何を考えて子供たちの品を捨てさせないのか……父はおそらく、子供たちに平和だった思い出を忘れてもらいたくないから、幸せであり続けて欲しいから捨てさせないんです。高篠晃が願ってもたどり着けなかった〈クローニング・ゲート〉の向こう側の住人が、幸せであったという記憶を失ってもらいたくなかったからです。それは、父の願いであり、エゴに過ぎません」
「君は違うと?」
「私は子供たちに、これからの幸せを作ってほしいと願ってます。この先の困難を乗り越える為には、幸せであった記憶が必要です。自分が幸せだったという思い出がなければ、幸せなどこの世にはないと思いこんでしまう」
「……幸せを知ってるからこそ、現状が更に惨めになる子もいるだろ」
「ならばそこから這いあがる手助けをします。その為の〈西方協会〉です。這いあがった先に築くべき幸せが、過去の自分たちの中にある者とない者では、その後の生活は全く違ってくる」
「違ってくるという、その証拠は?」
「衛藤牧師は『こちら側』でも人々を幸せにしようと活動してます。『向こう側』で感謝された経験があったからです。だから『こちら側』でも私の父の右腕として活動する事で、同じ生活と幸福を築こうとした」
 日焼けした初老の牧師の顔を思い出し、光矢はうつむいた。
 あの牧師が、どれほどまでに養子の未来を憂いているのか、このまま行けば互いに争いあってしまう事を憂慮しているのか。それを押して自分を支えてくれている事実に、文字通り、頭が下がってしまったのだ。
 光矢は自分の中の負い目を押し殺し、もう一人の人物の姿を思い出しながら、言葉を続ける。
「でも空央の父親は、『向こう側』でも『こちら側』でも、異質な人物として排除され続け、今でも戦いを職業にしています。だからこそ、空央も戦い続けなければならなくなった」
 〈西方協会〉が正式に発足する以前より、長い時間の中でも大きな汚点の一つである彼ら親子の引き起こした悲劇。
 それでも、空央は衛藤牧師の元で育っただけにまだ引き返せる余地がある。
 だからこそ、引きずってでも衛藤家に連れ帰らなければならない。
 彼の親友として、そして〈西方協会〉の監査役として。
「彼らこそ、幸せを知らないからこそ生まれた悲劇の子供です。これ以上、そんな子供を増やしてはならない」
 船長は沈黙。
 長い。
 光矢の言葉を吟味しているのか。
 父・晃の言動を思い返しているのか。
 光矢は重ねて告げる。
「それだけじゃない。子供たちには、この世界にも、自分達の幸福を願っているという人間がいると示してやりたいんです。彼らの未来は困難に満ちてるはずだ。〈西方協会〉の用意したIDだけで、彼らの隠すべき過去の全てをカバーできるわけじゃない。隠し事には隠し事に群がる噂や事件が生じる。成長するに従い、彼らはこちらの世界には敵しか居ないと思う時がやってくるでしょう……私がそうだったように。そしておそらく、貴方もそうだったように」
 燕尾服の男は答えない。
 しかし光矢は確信していた。
 おそらく、高篠晃に似ているという息子の姿に、その晃とは違う言葉を繰り出す光矢に、改めて興味を抱いているのだ。
 八雲は光矢を強運の持ち主だと言った。
 それは間違いではないのだろう。空央に同情的であった彼が、今や真剣に光矢の言葉を受け取り、吟味し、頭ごなしに否定しないのは――思慮深いだけではないと感じられる。
 少なくとも、当初よりずっと、光矢に好感を抱いている手応えを感じる。
 光矢の言葉を頭から拒否しないだけでも、相手に恵まれていると、己の幸運に感謝してもいいだろう。
 その強運の元に、光矢は相手に共感する言葉を滑り込ませる。
 〈アカデミー〉すらも恐れるという孤高の魔術師に。
「子供達は、いつか己の周りが敵だらけだと思う――でも、私が違うと示してやりたい。示しておきたい。未来において〈西方協会〉を担うからこそ、〈西方協会〉が送り出す子供達だからこそ、彼らに、世界にはこんな大人もいるんだと示してやりたい。魔術師だとか〈朱の教皇〉だとか、人間だとか魔物だとか、そんなことは関係ない。私は、彼らの中に刺さった善意の楔でありたい。それが私のエゴです。父とは違う形のエゴ。結果が同じですが、全然違います。ただ、それだけのことです」
 船長はまだ沈黙を保ったままだ。
 光矢も、言葉を切って彼の反応を待つ。
 不意に。
 船長は合点が行ったように顔をあげた。
「君は、〈セプテンバー・ナイン〉を見たことがあるかい?」
 唐突な会話の変化に、光矢は一瞬、我を忘れた。
「えっと……何度かは。展示会や、友人の持っていたレプリカぐらいですけど」
「なら、一度見た方が良い。アキラの遺品にあるはずだ」
「父の?」
 あれだけ〈セプテンバー・ナイン〉にこだわった人間だ。確かに、今や文化財でもある隕石の一つや二つ所有していてもおかしくない。
 アキラのだよと、船長は深く頷いた。
「アキラの〈セプテンバー・ナイン〉は、正確には本物じゃない。だけど、あれほど記念品という言葉を象徴するものも無いだろう。アキラの想いがよくわかるはずだ」
 船長はちらりと、壁際に直立していた大きな振り子時計を見る。そして、ソファから立ち上がった。
 来客の予定があるのか、それとも忙しい光矢の身を気遣ってか。
「今日は本当に、久々に楽しい時間を過ごせたよ。ありがとう。子供たちの品は明日にでも孤児院に送っておく。それで良いね?」
「〈西方協会〉が買い取ります。小切手を――」
「いらないよ」
 本物の嫌悪を浮かべて、船長は片手を否定にブンブンと振った。
「代わりに一つ、頼まれて欲しい」
「なんでしょう?」
「アキオが見つかったら、私のところに顔を出すように伝えてくれ」
「それだけ?」
「それだけ」
 船長は光矢に別れの握手を求めながら、いたずらっぽく笑った。
「今度は三人で、再会記念にワインでもあけようじゃないか。いいだろ?」




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