イシの時間 〜<September9>外伝2〜 その5
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 孤児院の院長から感謝状が届きましたと、衛藤牧師が花柄の便せんを置いた。
 〈西方協会〉の各種報告書の最後だった為、光矢は一瞬、それが何かの冗談かとすら思ったぐらいだ。
 今まで、感謝状の類など一度も受け取った事が無かったのが原因だ。
 仮に社交辞令だったとしても、手書きの感謝と子供達の寄せ書きは、光矢の顔を驚きから微笑みに変える力を持っていた。
「〈アカデミー〉からの報復に備えて定期的に監視させてありますが、今のところ、妙な動きはありません」
「そうですか」
「〈アカデミー〉のトップは以前にも報告した通り、シラトス皇帝を名乗っている男です」
「レザミオン、でしたっけ? 変わった名前だったので覚えてます」
「そうです。どうも、あなたが〈教皇〉と呼ばれて恐れられている反面、〈西方協会〉の人々に歓迎されている事が気に入らない様子ですね。今回の孤児院の件についても、あなたが人気を取る為にやっているパフォーマンスだろうから、放置しておくようにとおふれが出たようです。〈アカデミー〉に楯突いたとは見なさないように、と」
「私を貶めて、逆に自分の寛大さをアピールしてると言ったところでしょうか」
「おそらく」
 衛藤牧師は、祈りの印を上の空で切って見せると、珍しく、怖いほどの真剣さで告げた。
「やっかいな敵ができました」
「……今の私にとって、一番やっかいな敵は空央ですよ」
「レザミオンは私が思っていたより、冷静な男です。顕さんの時には何もしてこなかったところ、誰を無視して誰を敵にするべきか、いつそれを表現すれば良いのか、よくわかってる。皇帝を笠に着る我が儘な男だと思ってましたが、皇帝として何を利用すれば良いのかわかってます。空央が私たちに反旗を翻したと知ってるなら、間違いなく、手を組んでくるでしょう。空央を支援して、我々を潰すでしょうね。今、このタイミングであなたに対抗するようなおふれを出したとなると、その情報によって空央が接触してくるようしむけている可能性もあります。どちらにせよ、彼は我々を歯牙にもかけぬと表明しつつ、暗に敵であると周囲に悪意を振りまいている。やっかいです」
「そのおふれとやらは、皇帝として? 〈アカデミー〉の指導者として?」
「〈アカデミー〉ではないでしょうね。ですが、皇帝としてだからこそ、〈朱の教皇〉を退け、二度目の悲劇を防ぐ事を目標に掲げ、〈アカデミー〉を煽動する事など造作ないでしょう。あなたが〈教皇〉の名と神話を利用するように、彼は皇帝の名前と権力を利用する事を知ってると言ってるんです」
 衛藤牧師は、天井を仰いだ光矢を黙って見守る。
 光矢はその体勢のまま返答した。
「〈アカデミー〉は切子さんや鏡子さん達の為に作られた、一時的な組織だったはずです。曲がりなりにも目標を達成した以上、本来ならば解体してもおかしくない組織だ。それを残してあるのは、レザミオンだけの組織力でしょうかね? 少なくとも、〈アカデミー〉の研究者達がそこまでの運営を行えるとは思えない」
「レザミオンには〈アカデミー〉以外の後ろ盾がある、と?」
「そうじゃないかな、と。衛藤さんはずっと〈西方協会〉を見てきたから、逆に見落としてるパイプがあるのかもしれません」
「アテがあるような口ぶりですね」
 光矢はしばらく口を固く結び、口の端に浮かんだシワを何度かモゴモゴと動かした。
「衛藤さん」
「洸義兄さんを調べてください」
 常日頃から光矢を無視し、近づくそぶりもしない長男の厳めしい顔を思い浮かべながら続けた。
「父からの引き継ぎで私の出自に関する情報を持ってるとしたら、顕義兄さん以外にはあの人しか思いつかない」
「陽さんはよろしいんですね?」
「ハル義姉さんの私への悪意は、妾の子に対する嫌悪だけです。イヤになるほどわかってます」
 衛藤牧師は、深く頷いた。日焼けした顔に刻まれているのは、笑顔だ。
「実は、レザミオンと洸さんに関する資料が、こちらにありまして……」
 光矢は顔を天井から戻し、きょとんと、差し出されたファイルを眺めた。牧師の顔と見比べ、最後には大きくため息。
「私を試しましたね?」
「あなたには急いで学んでいただかなければならない事が沢山あるものですから」
「となると……次は――」
「はい、どうしましょう?」
「レザミオンとやらとの会見ですね」
 衛藤牧師は再び、深く頷く。
「いつまでも顔を合わせないのは、やましい事でもあるのかと言ってやりました。来月の頭に予定してありますので、それまでに資料に目を通しておいてください」
「……私の父にも、こんな事をやってたんですか?」
「晃は晃、あなたはあなたですよ」
 衛藤牧師は、光矢の見慣れた親友と同じ笑顔でとぼけた。



 衛藤牧師が退出した後、光矢が報告書や資料に目を通していると、新庄鏡子が血相を変えて事務所に飛び込んできた。
「光矢さん、大変です!」
 運転手の制服に、光矢が自分の為にデザインした紅色のコートを抱えている。
「〈アカデミー〉の第三研究所が、空央さんと思われる人物に襲撃されてます! 研究所の護衛から要請があって、八雲さんが一足先に現場へ! 光矢さんも後から来るようにって!」
「……空央、一人?」
「複数の模様。でも確認がとれたのは空央さんらしき人物のみだそうです。おそらく、魔術による攪乱を受けてます」
「魔術師が仲間なのか? 第三研究所の研究内容は?」
「主に魔物の研究です」
「魔術による遺伝子研究という奴ですね? 生物兵器となりうる可能性のあるものは全滅させるつもりか」
 光矢は衛藤牧師からの資料をブリーフケースに突っ込み、席を立った。
 鏡子の顔色が変わる。
 光矢は自分の顔が険しく歪んでいるだろうことを、あらためて知った。
 鏡子は駆け寄ってくると、紅いコートを光矢の腕に通した。羽織りながら、光矢は質問を続ける。
「私たちが現場に着くまで、どれぐらいかかる?」
「通常なら三十分です。魔術を使えばもっと早いでしょうけど……でも八雲さんが十五分は待ってくれと。その間に安全な場所を確保して、空央さんを説得するからって」
「では、衛藤牧師にその場での待機を命じます、連絡してください。私の身に何かあったら、彼が指揮を取るように」
「わかりました」
 鏡子はその場で衛藤牧師へ連絡。
 魔術師としての教養を持つ彼女は、『遠話』と呼ばれる魔術で、衛藤牧師の脳内へ直接言葉を送り込んでいる。彼女の魔術が発動している間は、衛藤牧師もこちらへ言葉を返す事ができる。
 そのやりとりの間に、光矢は己を姿見で確認する。
 彼が自らデザインした紅いコートは、幼い頃から想い描いていた自分の身につけていた姿だ。自分の記憶の中にある、八雲の友であった『もう一人の自分』が羽織っていた物によく似たコート。
 〈西方協会〉の監査役になると決まった時、形に起こしたコート。
 〈朱の教皇〉としての象徴だ。
 自分の為でもあり、そして自分に従う人々の為の象徴として作った紅のコート。
 鏡子が連絡を終えて、顔をあげた。
「衛藤さんは船長のところへお礼に伺うところでした。船長に事情を話して待機させていただくそうです。ある意味、一番安全な場所だからって」
 光矢は了解の印に頷く。
 気持ちを切り替え、社用車へ向かって足早に歩きながら、鏡子に重ねて命じる。
「ボルドー以下の警備班に、〈アカデミー〉から不審な命令が出ていないか確認するよう命令を。仮に動きがあった場合、安全の確保という名目で現場に拘束するように。武力による威嚇のみを許可します。ありえないと思いますが、魔術による抵抗時には速やかに待避と連絡を」
「わかりました」
「鏡子、あなたには私の護衛を命じます。攻撃は絶対に許しません。私の身を守る為でも、私の移動を最優先にするように」
「わかりました」
 光矢が車にたどり着くと、鏡子はそのドアを開けて中へ誘う。
 いつもどおりとは言いがたいが、無事に出立する。鏡子は緊張をごまかすように、ひきつった笑顔で声をあげた。
「大丈夫ですよ、きっと。なにもかも」
 声が震えていた。本人も気づいたのだろう。ばつの悪さで俯いている。
 鏡子は空央を知らない。
 彼女は空央の事を様々な角度から伝え聞いているだけだ。おそらく、とても恐ろしい生き物だと思っているに違いない。会って話せば、ぶっきらぼうな中にどれほどの優しさを隠している人物であるか……彼が衛藤牧師の養子たちを、血の繋がらない義理の兄弟たちを慈しむ姿を、長い間見せられてきた光矢には、彼女の怯えが不思議なものに感じられる。
 反面、こんな過激な攻撃を始めた親友も、光矢は不思議でならない。あの優しさは、この過激さの裏返しであったと無理矢理納得しようとしているぐらいだ。
 鏡子はバックミラーで光矢の表情を見たのだろう。
 誰に言うともなく、声を張りあげた。
「大丈夫ですって! 光矢さんほどの強運の持ち主はいませんもん。光矢さんがこれから先も必要になる人たちが、こんなところでいなくなるはずなんてありませんって」
 光矢は笑った。
 自分よりも、自分の友人たちが失われてしまう恐怖を感じている彼女の為に、笑う。
 自分の為ではなく、彼女の為に。
 自分の為ではなく、誰かの為に。
 それが光矢の選んだ〈教皇〉のあり方だ。
 ただの石の為に全力をつくす姿を見せる生き方だ。
 ごく自然に、声がでる。
「君が心配する事じゃないよ」
 彼女の為に、楽観的な男を演じることなどたやすい事だ。
「私が誰だか、忘れてるんじゃないかい? 私は〈朱の教皇〉、君たちが恐れる時代の申し子だ。悪い事が起こるはずなんてない。だろ?」
 光矢は机の中に置いてきた石を思い出す。
 あれを誰かに渡すまで、光矢は死ねない。
 きっと父もそう想いながら、駆け回っていたのだ。
 その義務感が光矢の中で力に変わっていくのを感じながら、彼は普段と変わらぬ街の景色を眺める。

 景色は鮮やかに時間を積み重ね続けていた。



<了>




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