イシの時間 〜<September9>外伝2〜 その4
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 船長の元を退出し、待っていた車両に乗り込む。
 運転席に控えていた新庄鏡子は、いつも通りの運転手の衣装と制帽で、光矢の帰還を満面の笑みで迎えた。
「おかえりなさい、光矢さん。お話はどうでした?」
 光矢は笑みを返し、鏡子はうなずいた。
「八雲さんが戻ってきますから、もうちょっとお待ちください」
「何をしてるんだい?」
「ビルに細工がされないよう、屋上で監視してたんです。光矢さんが退出した後、船長さんが何かしてこないか、様子を伺ってるんでしょう。でも帰投するって連絡があったので――ほら、来た」
 鏡子が語っている間に、光矢の横のシートに八雲が現れた。ごく自然に、そこにあった見えないベールをはぎ取ったかのように出現したのだ。
「お疲れさま」
 光矢にそう言った八雲は、鏡子に車を出すよう無言で指示する。鏡子も黙って従った。
「子供たちの服は返してもらうことになったよ。後日、送られるはずだ」
 光矢は腕組みしたまま、前方の一点を見つめる。
 八雲は目を閉じて、隣りの弟子に話しかける。
「話がそれだけじゃなかったのは、わかってるよ」
「魔術で?」
「まさか。君の命を危険にさらしてまで、君たちの会話を盗聴するようなことはしないさ」
「それでもわかる?」
 八雲が答えるより早く、鏡子が口を開いた。
「光矢さんが初めて会った人の感想を話さないなんて、おかしいですよ」
「そうなのかい?」
「そうですよ。知らなかったんですか?」
 光矢が八雲を振り返ると、少年も神妙な顔つきで頷いた。
「光矢……君がそんな薄っぺらい笑いをしている時は、ロクな事がない。何か隠してるね。宿題でも出されたのかい?」
「あたり」
 車内に男女二人分の、重いため息が響きわたる。
 光矢は二人からの無言の催促に、肩をすくめた。
「鏡子さん、父の遺品の中に〈セプテンバー・ナイン〉があった事を覚えているかい?」
「〈セプテンバー・ナイン〉? いいえ、ありませんよ。〈西方協会〉の物ならほとんど〈アカデミー〉が持ってますし、〈西方協会〉として管理しているものはありませんし、晃さんが持っていたなんて、聞いたこともありません。仮に晃さんが持っていたとしても、間違いなく、〈西方協会〉に寄付してますよ」
「……だよね。私も覚えがないんだ」
 八雲も首を傾げる。
「仮に、君のお父さんが〈セプテンバー・ナイン〉を持っていたとして、それを隠していたとして。もし隠すとしたら、どこだい?」
「そりゃ、自宅か、うちの事務所だろうね」
 光矢の使っていた事務所は、元はといえば晃が使っていた事務所なのだ。晃の遺産の一つとして、光矢に指定して送られたビルの一角である。
 亡くなった次男の顕など、晃の事務所ごと新庄切子を譲り受けたと見なしていたぐらいだ。
 八雲もそれを知っている。確認の為の問いかけだ。
 光矢の言葉に、不満げに頷いた。
「僕が初めてあの事務所に行った時から、すでにおかしな魔術の気配はなかったよ。大事な文化財なら、普通は魔術で隠すもんじゃないのかい? 普通の人間や泥棒を警戒するなら、尚更だ」
 自宅はどうですかと問いかけたのは鏡子だ。
 八雲はその問いかけにも首を振る。
「高篠家の本宅は逆に魔術だらけだ。下手に探ると、光矢の立場が悪くなる」
「じゃあ、無理って事ですか?」
「いや、高篠家に関しては、逆に家の中に隠してあるはずがないと思った方がいい。あれだけの企業の総本山だ、あってはいけないぐらいの文化財が隠してあったとなったら、企業イメージのダウンも甚だしい。隠すとすれば、誰にでも責任を押しつけられるよう、家の外だろうね」
「それじゃ、高篠家の魔術って?」
「高篠家の先祖は、『向こう側』の皇帝だって言われているんだ。皇帝だと思えば、その命を狙う奴も守ろうとする奴も出てくる。現在の皇帝だと名乗ってる奴がいるなら尚更だ。高篠家の魔術は、物を隠す魔術じゃなくて、人を隠す魔術だと思った方が自然だ」
 鏡子はふーんと唸った。
「それじゃ、どこに?」
 八雲は光矢の横顔を確認。
「君のお父さんの〈セプテンバー・ナイン〉が、そんなに大事なのかい?」
「それこそが宿題なんだよ。見ておけってさ」
「それだけで良いんだね? 他にはないね?」
「そうだね」
「なら、簡単だ」
 八雲の言葉に、鏡子が続ける。
「お母さんに聞けばいいじゃないですか」
「……新庄婦人に?」
「お母さんなら、事務所のどこに何があるのか全部知ってますから」
「でも、事務所にはないって八雲が――」
 八雲は首を振る。無表情に淡々と。
「僕が調べたのは、魔術の痕跡だけだ。もし、君のお父さんの〈セプテンバー・ナイン〉が魔術に関係ない代物なら、僕の捜索に引っかからないのも道理なんだよ」
「魔術に関係のない〈セプテンバー・ナイン〉? そんな物、本当にあるのかい?」
「ないとは言い切れない」
 八雲の言葉を後押しするかのように、鏡子がほがらかに続ける。
「あってもなくても、お母さんに聞けば良いんですよ。結局、見つかればいいんだから」
 八雲が――あからさまに不機嫌を顔に浮かべる。
「あってもなくてもって、僕の魔術師としての腕を疑っているとでもいうのか、君は」
「そんな事は言ってませんよ。ただ、八雲さんでも見落とすかもしれないってだけですよ」
「だいたい君は、さっきから僕の言おうとしている事を横取りばかりするんだよ」
「だって八雲さんって、基本的に素直だから言いたいことがすぐわかって、嬉しいんです。だから、ついつい、です。横取りしたつもりはないんです、ごめんなさい」
 謝ってはいるが、いつもの緊張感のほとんどない笑みのおかげで、全く謝罪に感じられない。
 光矢はすねて窓の外を熱心に眺めはじめた八雲と、逆に微笑みが止まらなくなっている女運転手の赤信号中の表情を見比べ――思わず、笑いを吹き出した。
 一斉に振り返る二人に、光矢は片手を振ってごまかす。
「ごめんごめん。ホント、二人は仲良しだなぁって思ってさ」
「どこがだよ!」
 八雲が珍しく表情を歪め、唇を尖らせた。
「この子より、空央の方がまだマシだよ。少なくとも、僕と同じ事は話さなかったからね」
「空央と比べる方がおかしいよ、八雲」
「いや、君の身を心配していたのは皆と同じだ。だからむしろ、君に魔術を教える僕に反対する事ばかり言っていた。だけどこの子は……僕の言葉を取るばっかりだ!」
 八雲より十歳は年上の外見を持つ鏡子を捕まえて『この子』と呼ぶのが彼らしいな――光矢はぼんやり、そんな事を思う。
 もちろん、話の対象である女運転手は、そののんびりとした声を車内に響かせる。
「え〜酷いじゃないですか。私は八雲さんと同じ意見だから、八雲さんの代わりに言ってるだけなのに……じゃあ、私が空央さんと同じように、反対意見ばかり言えば仲良くしてくれるっていうんですか?」
「そんな事は言っていない」
「じゃあ、どうすれば仲良くしてくれるんですか?」
「もう仲良しだって光矢が保証してるじゃないか」
「私はもっと仲良くなりたいんです」
「君が仲良くしたいのは光矢じゃないか! 僕は関係ないだろ!」
「空央さんが戻ってくるまで、光矢さんを守れるのは私たち二人じゃないですか。連携の為にも仲良くしておくのは当然です、そんなに照れないでくださいよ」
「照れてない。全然、照れてないから! ……光矢、君からも何か言ってくれ!」
 これでは、空央が戻ってきたら更に騒がしい事になるだろう。
 光矢は船長の言葉を――「アキオは、君に〈西方協会〉の正体を知られたくなかったはずだ」――思い出しながら苦笑した。



 未だにごった返す事務所の引っ越し作業だったが、業務に支障をきたしそうな光矢の自室以外、空っぽになりつつあった。
 光矢自身が手がけた仕事の資料も多かったが、晃が集めておいた様々な分野の書類や試作品――食品サンプルから新築ビルの模型まで――が押し込められた倉庫と化していた事が、引っ越し作業を滞らせていたのだ。
 それらが片づいた今、光矢の部屋もまもなく梱包されるだろう。
 新庄切子は、娘と共にやってきた雇い主を見上げ、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、光矢さん」
 幼い頃から何度耳にしたのかわからない口調で迎えられ、光矢は思わず微笑んだ。
 その変わらぬ調子に、父も癒されていたのだろうとぼんやり思う。彼女と父の間に過ちがなかった事の方が奇跡的であるとすら思うのだ。
 鏡子と引き合わされた今となっては、それらの半分が真実で、半分が偽りである事もわかっているのだが。
 切子はすぐに、光矢が抱える問題に気づいたようだった。
「船長さんに、難題をふっかけられましたか」
「難題のような、そうじゃないような――」
「では、失せ物ですね。晃さんの遺品ですか」
「……よくわかりますね」
「八雲君も鏡子もついていてわからない品、そして私のところに来るなんて、晃さんの事ぐらいです。そしておそらく……〈セプテンバー・ナイン〉。それも、晃さんが持っていたもの、ですね?」
 光矢は鏡子と顔を見合わせた。
 新庄婦人が、そこまでの推理力を持っているとは思っていなかったのだ。亡くなった次男・顕や衛藤牧師にまでも常々言われていた事だが、新庄婦人の外見や物腰にだまされてはいけないと、あらためて思い知った気分だった。
 二人の反応に満足したのか、新庄切子は深く頷いた。
「遺品や目録を探しても見つからないのは当然です」
「なぜですか?」
「いわゆる本物の〈セプテンバー・ナイン〉とは違いますから」
「では、偽物?」
「それは他人が考える事です。晃さんにとっては、それこそが〈セプテンバー・ナイン〉だったから、大事にとっていたんです」
「意味が……わかりません」
 光矢はため息をついて降参のポーズ。鏡子も憮然としながら、同じように手を挙げた。
「鏡子、光矢さんの机の、一番大きな引き出しをあけてちょうだい」
 言われるままに、女運転手は光矢の事務机に回り込み、引き出しをあける。
 光矢の事務机も、父・晃が使用していたものだ。
「光矢さんは頓着しない人だから、書類の束に押されて奥に押し込まれてます。手を入れて探してみて」
「何を?」
「〈セプテンバー・ナイン〉って、食べ物だったかしら?」
 揶揄するような言葉に、鏡子は一瞬、唇を尖らせて不満を表現する。
 だがすぐに、のばされた手に触れた物があったのだろう。顔つきが変わった。
 おそるおそる取り出したのは、赤みがかった煉瓦色の、鏡子の手の中にすっぽりと収まってしまう程度の小石だった。
 河原などに行けば、もっと見栄えのよい、もっと美しい光沢をもつ小石などいくらでも転がっているだろう。鏡子の手にした小石は、かろうじて角はとれているものの、河原と言うより山中で偶然拾われたのではないかと推測できるぐらい、無骨な石だった。
 その小石をおそるおそる――再び光矢と顔を見合わせながら、切子の前まで運んでくる鏡子だ。
 新庄婦人は穏やかな表情のまま、その石を見下ろした。
「これが晃さんの〈セプテンバー・ナイン〉です」
 光矢は、自分の使っていた机の奥から――しかも、今まで気づかず、無造作に扱っていた引き出しの奥から、父の遺品が出てきた事に唖然としていた。
 苦し紛れに、魔術師として魔力がないかを確認してみる。
 自分の意識――体が延長されたような感覚の手を伸ばす。心臓の鼓動を確認するかのように、自分の体の延長となった世界の中身を確認する。
 石が光矢の意識下――感化範囲に触れる。しかし、普通なら感じられる異物としての魔力は感じなかった。
 ただの、石、だ。
 鏡子も護衛として、そして魔術師として、光矢と同じように触れてみたのだろう。再度、確認の視線を送ってくるが、光矢にも意味がわからない。
 若い二人の戸惑いを目にした老婦人は、愛おしそうに、そのなんでもない石を手にした。
「晃さんは、これがただの石だって知ってました。だけど、晃さんはこれをずっと引き出しに入れておいて、時々出しては眺めていました。『俺にとってはこれが幸運の石だから』って」
「……どう……し、て?」
 光矢には、それだけを口にするのが精一杯だった。
 ほとんど会った事もない父。最後に対面した時には、皺だらけで虫の息だった父。だが、自分の手を握ってきた熱い掌と、その力を覚えている。
 あの老人が、どんな風に切子と語り合ってたかすら想像ができない光矢だ。
 衛藤牧師や新庄婦人が語るように、あの老人が自分一人に託そうとしたものが何なのか、想像もつかない。
 だが、少なくともこの石は――光矢に譲るべく用意されていたこの事務所とこの机にあった以上、光矢に与えるつもりで残されていたのだと思わざるを得ない。
 ならば最初から、いつかは光矢が〈西方協会〉に関わる人物となるであろう事を予測していたという事だ。
 光矢の混乱をよそに、新庄婦人は呟く。
「〈クローニング・ゲート〉が発生した夜に、〈セプテンバー・ナイン〉として拾ったから。それだけです。私が冗談で〈セプテンバー・ナイン〉ですよって手渡した、ただの小石。それだけなんですけどね」
 だけどと、新庄切子は続けた。
「だけど、晃さんはこれを〈セプテンバー・ナイン〉だと認めてくれた。信じるって言ってくれたんです。この石も〈クローニング・ゲート〉からやってきた隕石だと信じる、この石と共にやってきた人々も信じる、『あちら側』も『こちら側』も、どちらも幸福であふれた世界だと信じる、誰もが信じられるように実現してやる――それを忘れないようにって、手元に残して、ここに置いてくれたんです」
 切子は光矢の手を取り、自分の手の中にあった晃の石を、光矢にそっと握らせた。
「光矢さんは、孤児院の子供たちの昔の服を、なんでもない服を取り返そうと奮闘してくださいました。おそらくはその事実が、船長さんには晃さんがこのなんでもない石を大事にしていた事を思い出させる出来事だったんでしょうね。そして、もしこの石をあなたが持っていないのならば、気づいていないのならば、あなたが持つべきだと思ったんじゃないかしら?」
 切子の体温が残っていたのか、石の表面からは、わずかながら温もりを感じ取ることができた。

 不意に光矢は、自分が鏡子からこの石を受け取っている姿を脳裏に浮かべた。
 直感的に、動物的に、それらがかつて行われた事実だと確信する。
 晃によく似た光矢と、切子にうり二つの鏡子。
 切子は、父に渡した時と同じ所作で、光矢にこの石を渡しているのだ――そう直感したのだ。
 直感は確信となり、光矢は背筋を走る緊張に震えた。
 今行われているのは、繰り返しの儀式だ。
 この先行われる事を約束する儀式だ。

「どんなつまらない品物でも、人によっては大事なものです。あなたにはそれがわかっていた。わかっていたから、船長さんも石を持つよう勧めた。晃さんの石は、晃さんの想いを受け止め続けた時間を持っています。それは晃さんの遺志でもあるんです」
 間違いなく、これはただの石だ。
 だが、この石が背負わされた意志は、渡された自分にしかわからない。
 『向こう側』に翻弄された新庄切子と、その彼女の夢を少しでもかなえようと奔走していた父。
 老舗企業を立て直し発展させた、華やかな財界の雄としての姿の裏で、ずっと抱えていた夢。
 なんでもない石だからこそ、『向こう側』からやってきた普通の人々だからこそ、拾い上げて見守らなければならない。
 なんでもないモノ達だからこそ、その痛みも記憶も覆せず、捨てがたいものなのだ。権力も特別な力も持たないからこそ、彼らが持てる大事な拠り所、小さな『向こう側』の記憶を体現する全てが愛おしいのだ。
 晃がどこまで、何を想って石を眺めていたのか、今となってはわからない。
 だが光矢は想う――父が自分とは違った想いでこの石を手にしていたのだとしても、彼の遺志に自分の意志を追加するのは、この石を手に入れた自分の権利でもあるはずだ。
 その事によって、『晃の〈セプテンバー・ナイン〉』は、『光矢の〈セプテンバー・ナイン〉』となるのだろう。
 これから先、光矢が〈西方協会〉の為に過ごす時間の全てを、この石は共に過ごす事になるはずだ。いつの日か、自分の全てを譲り渡せる誰かが現れるその時まで、何度も取り出し、目にし、この日を忘れないようにする為に。
 そして、次の世代には鏡子が、更に鏡子に連なるもの達が、今の切子と光矢の行った儀式を繰り返す事になるだろう。
 いつか訪れるその日まで、光矢は石の時間を受け継がなければならない。
 石を握り込む。
 拳ごしに、その存在を見つめる。
 切子は光矢のその動きを見つめて、囁いた。
「胸を張りなさい、光矢さん。あなたこそ、高篠晃の真の後継者なんですから」
 私はずっとわかってましたけどねと、老婦人は微笑んだ。




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