カロリーハーフ・3
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 佐々木和政は寝室の扉を後ろ手に閉める。出てくる時にベッドの上から拾ってきた拳銃をホルスターに戻しながら、そこにあるリビングを見まわす。
 目の前に広がるのはモノトーンで統一された、必要最小限の家具しか置かれていない部屋。十年の間、棲み家を転々としてきた彼の妹が住んでいる部屋だ。はじめて見た時どこかで見た光景に似ていると思ったが、すぐにその答えをみつけて何ともいえない気分になったものだ。
――どこかの安ホテルって感じだな。
 都市部をさまよっている間に、こんな感じのホテルを泊まり歩いていたのかもしれない。それが彼女にとって居心地のいい空間になっているのなら、悲しむべき事なのだろう。または、いつここを引き払うハメになるかわかりかねない生活から来た、彼女なりの機能美なのか。
 和政はポツンと置かれた肱掛椅子に腰掛け、先に運んでおいた携帯端末から都市部の情報を調べ始める。主に都市中に張り巡らされた〈人格波動〉測定装置の値をチェック、妙な揺らぎが出ていないか、それを検出した〈軍部〉やアカデミーに動きはないか、都市外部からの襲撃者達が何か仕掛けてこないかをチェック。
 これらの行動の最中、和政は自分に言い聞かせる。
 これは『本物』のやっていた習慣だ。〈軍部〉に所属していた『本物の佐々木和政』が、軍事バランスの状況把握に行っていた習慣。決して自分の習慣ではない。
 しかし『本物』の記憶は、『偽者』である彼の行動を縛り続けている。
 ぼんやりとディスプレイの流れを追いながらも、その目が見ているのは情報だけではなかった。今見たばかりである妹の苦しげな表情が脳裏から離れない。あの言葉が耳から離れない。
『お兄ちゃんはいつもそうだ』
――いつも? 俺のやった事に何かあいつを傷つける事があったか?
 自分にはないと思いたい。『本物』がやった事だけを指しているのだと思いたい。
『信じられるワケがないでしょう!?』
――『本物』の事なら仕方がないと思う。でも俺の事も信じてくれないのか?
 わかっている。命のやり取りも次さない商売敵なのだ。信じられないのが当然のはずだ。この関係に兄妹の愛情を介入させる方が間違っている。
 でも、どうしてこんなやりきれないのだろう?
――他人だからだ。
 自分の中では、彼女を他人だと思って見ているからだ。妹という特別な位置にいるだけの、ぼんやりとした家族愛の象徴だからだ。妹に否定されているという感覚よりも、一個人の人間として否定されている感じが辛いのだろう。
 取りとめも無い言葉が、想いが次々と浮かび上がり、和政にぼんやりとした夢幻を覗かせる。
――『本物』なら、彼女をどうしていた?
 昨日深夜に呼び出された時――酒上が抱きかかえていた尚起=柚実を見て、和政は苛立ちと怒りを覚えたのだ。
 酒上が相手だったから良かったようなものの、もし彼女の腕を疎ましがってる外部テロ組織だったり、その力をキチンと解明しようとしているアカデミーや〈軍部〉の手先だったらどうなっていた事か。
――だからって、酒上と付き合えって言ってんじゃないぞ?
 自分の部下だからこそ、彼との交際は控えろと忠告せざるを得ない。
 酒上という男は単純な男だ。興味のない事柄に対しては自分の気のままに動く反面、自分の信念に対しては気味が悪いほど頑固になる。そして大抵、やる事が極端だ。
 今回の事にしたってそうだ。
 昨夜のやり取りを思い出して、和政は頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。



「じゃあなんだよ……お前、明日に尚起がどこにいるのか把握できるようにって……たったそれだけで拉致して来たのか?」
「はい。動けなくしておくのが一番だとおもったんで」
「……お前アホなんだろ? アホだといえ、言ってくれ。あのな……なんで拉致までするんだよ! 俺か霞に相談してくれれば、なんとでも出来たじゃねぇか! 始末書、書けよ。ああ、もう! 俺ヤダぞ、こんな事でアキオから嫌味言われんの。〈西方協会〉が尚起をスカウトしようとしてんの、知ってんだろ? 悪印象つけてどうすんだよ!」
「それで気がすむなら何枚でも書きますよ。それに尚起は私や貴方を見てるだけでも十分、〈西方協会〉に良い印象を持っていないんじゃないかと思いますけど。今更一つ二つ増えても関係ないんじゃないかなあ。それと和政、拉致にはちゃんと理由があるんですよ。尚起の性格を考えてください。例え貴方や二木さんの命令されようとも、説得されたとしても、彼女は外に出る必要があると思えば出、その為とあらば例え手足の一本が失われようとも行動にでます。そういう性格だから貴方にはやっかいな人なんでしょう?
 ……そして私は逆に、そこに惚れたんです。気高く美しく頑強な魂、実に私の女神、私の求めていた存在だ。それが今回のような強行にでなきゃならなかった理由です。なんて皮肉な事だろう!」
「何が魂だ、何が女神だよッ! あああ、絶対、霞は許してくれないよ! 霞からチョコもらう望みが消えたあああああ!」
「心配しなくても、二木さんは貴方にチョコなんて準備しませんってば」
「うっさいな、万が一って事もあるだろうがッ!」
「……私も尚起からもらえないと見越してますんで、お仲間です……う、う、う……」
「こんな時ばかり仲間認定すんじゃねぇよ、泣きマネすんな。あ、ドサクサに紛れて尚起の胸触ってんじゃねぇよ、馬鹿!」
「相変わらずのシスコンですね。ウ・フ・フ、怒った顔は尚起に似ててス・テ・キ。大好きだなあ、貴方の事も」
「その発言は撤回しろ……俺の知り合いの医者そっくりで気味悪ぃ。俺にそのケはないぞ」
「だって本当に好きなんですから、仕方ないでしょう? 私は博愛主義者なだけですよ。ちょっと愛情に偏りがあるだけで。下位の人達にはちょっと意地悪して殺しちゃったりするだけですってば」
「そういうのは博愛主義っていわねぇんだよ」
「心配しなくても、貴方は最上級ランクですからね。愛してますよ、和政〜」
「触んじゃねぇ、変態ッ!」



 尚起が聞いてたら青筋立てて怒りそうな会話だなと、和政は苦笑した。多分『本物』が聞いても即、銃殺刑だろう。自分はお前みたいにお気楽な人生を送らずにすんだと高笑いしているかもしれないが。
――『本物』なら、どうする?
 酒上純という男を、どう処理するのだろう?
 『本物』が即答するであろう不愉快な言葉が脳裏に浮かび、和政は一瞬にして押し寄せた憂鬱に肩を落とす。
――怖れる相手は殺しちまえ、ってか……。
 相手は、和政にとって思考が読めず、きちんとした信頼関係を築いたとも言えず、且つ巨大な力を有している人間だ。そんな人間を部下として側に置いておくのは危険であり邪魔なだけだ。もし彼が自分達の組織を裏切ったら、まず真っ先に殺されるのは和政じゃないか。『カブラ』しか使わない普段の自分じゃ、特異中の特異である酒上の力に対抗できるとは思えない。そうなる前にさっさと始末するのが一番のはずだ。
 〈西方協会〉にはいくらでも言い訳が出来る。候補者が一人でも減れば、それだけ世界が崩壊する危機も一つ減る。世界を構成する〈人格波動〉が破壊されれば、そこから全てが崩壊してしまう現象が起こり得るのだ。その現象前にだって様々な弊害を引き起こす――十年前の第二次カタストロフィもそれだ。十年前の影響からこの街の空間は大きなダメージを負っていて、公表されてはいないがまだまだ油断できないのが現状だ。その都市に酒上のような候補者の、世界を変えられるTSがいれば、それを利用されて第三、第四のカタストロフィが起こさせらないとも限らない。それを防ぐ為と言えば、中立組織と現状世界の〈人格波動〉的維持をうたっている〈西方協会〉には何も言えまい。もっとも、代理人として酒上の力を外部へ向けて利用してきた〈西方協会〉だって、裏では何を考えている事かわからないが……。
 今の和政なら、彼の信頼もある程度得られている。あいつはたまに、怖いほど無防備になってみせる事もある。自分なら、うまくすれば酒上純を殺せるんじゃないだろうか?
 殺してしまえば、自分の周りの厄介事が一つ減る。
 好き勝手に調査を進めては自分には結果しか伝えてこない部下と、妹だという男装女の行末なんて気にせずにすむ。
――ダメだ
 和政は端末を操る手を止めた。辿っていた『本物』の思考に対して、生理的な嫌悪感――吐き気さえ覚える。
 気にくわないから、邪魔だから殺すのか? ただそれだけで? ただそれだけで、酒上も尚起も撃ち殺すと?
 これもまた『佐々木和政』の思考であるはずなのだが、今の和政には到底理解できない思考だ。
――あいつらの事を考えてるのがいけない。
 気が滅入ってくる原因は、酒上純という男について考える事だ。思考する事をやめようと思ったが、そう思えば思うほど、和政の脳裏には、彼と交わした会話が甦ってくる。



「一つだけ教えてもらいたいんだけどな、酒上」
「なんです?」
「もし、尚起が『お前なんかと一緒になるぐらいなら自殺する』とか言ったら、どうする気だ?」
「尚起が私を拒絶するって事ですか?」
「そうだ。ありえねぇ話じゃねぇだろ? どうすんだよ?」
「いえいえ、全くありえない話ですが、そうですねぇ……その時は――」
「その時は?」
「その時は――」



 和政はそこで回想を中断。
 ゆっくりとホルスターから銃を引き抜き、廊下へ通じるドアへ向ける。
 音も無くスローモーションのようにノロノロと開くドア。そして響く物憂げな女の声。
「客を歓迎するには無粋な道具ね。オマケに、私に対しては全く役にたたないけど?」
 和政は声から侵入者を特定、銃を降ろしてため息。〈特務〉の大型拳銃をホルスターに戻しながら、現われた人影へ小さく笑いかけた。
 肩口で切り揃えたボブカット。その前髪からのぞく、猫のような半眼の瞳。筋肉で搾られた身体にほどほどに盛りあがった形良い胸が見事なバランスを保っている。女性でも小柄な部類の彼女の肩は視界の中でも小さく見えて、和政はその体格を意識する度に彼女を抱きしめたい衝動に駆られる。その衝動が彼女への同情なのか、自分の中にある性欲なのか、それとも彼女という自分の意に添わない行動を起こす存在へ対する破壊衝動の類なのか……和政はいつもわからなくなる。わからない事には関わるなと、じっと自分の中にある抱擁の衝動をこらえるだけだ。
「脅かすなよ、霞」
「脅かしてなんかないよ。邪魔しないようにこっそり入ってきただけじゃない」
 霞は手の中にあった合い鍵を、スカートのベルトについていたホルダーに戻す。尚起が彼女に渡しておいた物なのだろう。そういえば自分は、尚起からも霞からも合い鍵をもらった事がないなと思い――自分達が今や表面上では敵同士である事を思い出して、心の中で笑う。
 信頼し合ってはならない。馴れ合ってはいけないと思いつつ、自分は一体なにを期待してるのだろう?
「酒上に聞いて来たんだけど……どう? 彼女、お酒に耐性ないから辛いだろうって思うんだけど」
 尚起の上司は、肩からさげていたバッグの中から、水とスポーツドリンクのボトルを取り出す。
「酒上?」
「そう。あんたの、仁井坂のアパートに行ったらアイツが――」
「なんでそんなトコにいるんだよ!?」
「なんでって、いつも来るあんたがウチの事務所に来ないから、こりゃ〈特務〉にでも撃たれてウンウン唸ってんのかと思ったんだけど?」
「いや、君じゃなくて。ウチのアホ坊主が」
 霞は不思議そうに和政を見下ろし、そしてフッと笑みを浮かべた。
「ダマされちゃったな、私も。あんたに許可もらってるっていうから、見逃しちゃった。あんたに尚起を預ければ、あんたが一日動けなくなるのは目に見えてるからね。一石二鳥って事か」
「アイツ、俺の部屋で何やってんだ? 尚起を押しつけといて――アイツが欲しがるような物なんて、あそこにゃないぞ?」
「キッチンはあるからね」
「はあ?」
 和政は、立ったまま煙草に火をつける霞を見上げて首を傾げる。彼女が何を言ってるのか、全く理解できない。
 彼女は愛用している洋物の葉巻煙草をくゆらせながら、和政の向かい側にあったソファにどさりと身を投げ出した。
「あんたの様子じゃ、尚起は大丈夫みたいね」
「大丈夫も何も、ただの二日酔いだし。重度なだけで」
「その割りには大騒ぎね。酒上が言ってたけど、シスコンってホント?」
「……。違う」
「なんで間が空くのよ」
 呆れながらも笑う彼女に、和政はデータを広げていた携帯端末をしまいながら答える。
「アイツを守るのは俺の義務だ。ただそれだけだって」
「子供っぽい事いうのね。『本物』に対する反発だって事? それとも、彼女を自分の仕事に巻き込むのが怖いとか? じゃあ、私の事も憎いんじゃないの? 尚起を雇ったから、彼女はまだこの業界にいるわけだし」
「尚起を雇った事は逆に保護してもらったと思ってる、感謝しているぐらいだ。義務だと思ってる理由なんてどうでもいいと思ってる。どう理由つけたって、俺はそう感じてるからそうしてるだけだとしか言えないしな。だから君の事は……嫌いじゃない」
 いつもながら、言ってしまってから後悔する。彼女が愛してるのは『アイツ』だ。告白めいた言葉を何度投げかけても、彼女は和政よりも『アイツ』を選ぶに決まっている。
 彼女もまた、『本物』に殺されかけた被害者なのだから。
 いくら『本物』と『偽者』の経緯を知っていようとも、妹同様、和政を信じてはいないのだ。
 霞は和政の言葉を聞き流したようだった。代わりに自分の鞄の中を漁り、ひとつの小包を取り出す。そっけない白のダンボール箱は、小柄な彼女の小さな手に乗せられてフラフラ揺れた。
「なんだよ、それ?」
「爆弾」
「嘘つけ。そんなに無造作に持ちあるけるか」
「それもそうだ」
 霞は小包をポンと、和政の足元に投げた。転がる箱の中で何かの小さな塊が内壁に撃ちあたる音が、まるで急な夕立ちのように鳴り響く。
「酒上からのプレゼント。バレンタインチョコだって。相変わらず『愛してますよ』って連呼してたわよ」
 嫌悪が露骨に顔に出ていたのだろう。霞が戸棚の上にあった灰皿を取る為にソファから立ちあがりつつ、クスクス笑う。
「あつくるしいね、酒上純って男。見かけよりずっと真面目で誠実で、熱血漢。ちょっと度が過ぎてるけど」
「好きな女を拉致してくる男に、まともな誠実さがあるとは思えないがな」
「もちろん、そこは別よ。次に会った時は腕の一、二本は切り落としてやりたいぐらい。だから、拉致するような極端なところが、あつくるしい奴だって言ってるの。そう思わない?」
 勝手知ったるナントカ、彼女は引き出しにしまわれていた灰皿を簡単に見つけ出し掴み挙げた。
「チョコ作りながらずっと話してたんだけど、なんて言うか……大変ね、尚起もあんたも」
 霞が和政にそんな言葉をかけるのは珍しい。どちらかというと和政を突き放すような語り口になる彼女が、何があったのか和政に同情的だった。その珍しさが和政の唇を滑稽に滑らせる。
「だ……だろ? そうだろ? な? な? 俺も大変だろ? わかってくれよ、霞。俺もあんなの押しつけられて迷惑してるんだって。最近お前の手伝いもロクにできないけどさ、ぜーんぶあのクソ坊主のせいなんだよ。 ……でもあいつ、そんなに言うほどあつくるしいか?」
 どちらかといえば、三条尚起以外目に入っていないだけで、その他はどうでもいい冷血漢に見えるのだが。
 霞は和政の必死さを汲み取ったのか、ニヤニヤしながら
「あついあつい。あれだけ想われたら、ただ重荷になるだけだって。近寄りたくもない。女性に対しては行動が裏目に出っ放しね、彼。力いっぱいぶつかればぶつかるほど、相手が逃げていくってわかってないみたい」
「それって……御伽噺みたいなものか。北風とナントカみたいな?」
「そうだね、まるっきり一緒かも。でも本人はそれに気づいていないみたい。そこが彼のいい所かも知れないけど、ちょっと可哀相かな」
 霞は酒上に何か共鳴する物でも感じたのだろうか? 随分彼の肩を持つように聞こえる。
 男の嫉妬は見苦しいぞ――和政は自分に言い聞かせながらも、明日はどうやって酒上から『二木霞に好印象を与えたテクニック』を聞き出そうかと頭を巡らせる。
 反面、そんな事に神経を使う自分が信じられなく、そして情けない。
 徹底的に矛盾した彼の精神をよそに、霞は煙草をふかしながら続けた。
「酒上純は、基本的に行動に無駄が無いタイプ。やりたい事はストレートにやってのける。逃がしたくなければ動けなくするし、どうでもよければ自分の優位を見せつけるだけに留めておく。裏を返せば、寂しがり屋。自分の行動に常に不安が付きまとってるタイプだ。だからいつも笑ってるし、いつも好意を持っていると相手に宣伝する。行動の理由が自分にもはっきりしてるから、無駄が無いんだろうね」
 彼女は灰皿に煙草を乗せて、和政に向き直った。
「それでいて、逆に無駄だらけでもある。ワザと無駄な事をしているっていうのかな? 無駄な事をしようと心がけているというか、無駄な事をするのが趣味みたいね」
「例えば?」
「彼、バレンタインチョコ一枚作るのに、チョコクッキーとケーキまで焼いてた。山積みになってたよ」
 その様子を思い出したのか、霞は再度クスクスと声をあげて笑った。
「なんでそんな物作ったのか聞いたら、『なんとなく』だってさ。普通なら、なんとなくで材料揃えてくるワケ無いじゃない。量にしたって、『作るのが楽しくなっちゃって』とかなのよ」
「あいつらしいな」
 行き当たりばったりの思いつきと、楽しくなる事の為に努力する――それが酒上の生き方なのだ。



「尚起が私を拒絶するって事ですか?」
「そうだ。ありえねぇ話じゃねぇだろ? どうすんだよ?」
「そうですねぇ……その時は――」
「その時は?」
「その時は、どうしましょうね? 私にもわかりません。貴方の事も大好きだから、貴方にアタックしようかな? ……冗談ですって。そんなに嫌そうな顔しなくても良いじゃないですか」
「冗談でも言うなよ。それにしても『わかりません』って、お前なぁ……少しは先の事も考えろよ」
「だって、わからない方が楽しいでしょう? 自分のやってる事すらわからなくなる昨今、自分の未来が適当だって不思議じゃないでしょう? むしろそうあろうと努力してるんですけどね。もし何か危険が迫ったら、その都度跳ね除ければ良いだけです。それが出来ない奴は死ぬだけです。違いますか? ……それに、私は身よりのない身ですし。別にのたれ死んでも悔いはないし、誰も気にしませんよ」



 違う。
 死んでも良い奴なら、どうして和政が先の心配なんてしてやるか。
 どうして大事な妹に「ちゃんと考えてやれ」なんて忠告するか。
――きっと俺はあいつを、自分で言うほど嫌いじゃないんだな。
 無邪気と言っていいほど自分の衝動に忠実で、一見無秩序な行動を取りつつも自分なりのルールの範囲で動いている彼が……それほど嫌いじゃないのだ。
 もしかしたら、制約だらけの自分としては、彼の自由さにあこがれているのかもしれない。
 だから、妹にも彼を好きになって欲しいと思っているのかもしれない。「てめぇらいっそのこと付き合っちまえ」とまでは言わないが、酒上純という人間を正統に評価してやって欲しいと思っているのかもしれない。



「つまりね――」
 霞が和政に視線を投げかけ、目を合わせた拍子に現実に引き戻される。
「つまりね、あんたに似てるってわけ」
「はあ? 俺に?」
 和政にとっては意外な指摘だ。むしろ一番遠い存在だと思っていたのだから。
 出来るだけ先の事を考え、むしろ考えすぎだといわれる自分が、先の事を無理矢理でも考えないようにしてる酒上と一緒だとは考えにくい。
 だが、霞は当然のように言ってのけた。
「熱心さと空回りっぷりがね。どっちも無駄な事ばっかりして、女の心なんてちっともわかってない。どっちも女慣れしてなくて不器用、お似合いのコンビ」
「ああ……そういう事か」
 ガッカリするような事を平気で言ってのけ、彼女は煙草をふかしはじめた。彼女の吸っているのは洋物の、特徴的な甘い香りを漂わせるものだ。甘い物や甘い匂いの嫌いな彼女の、唯一といっていいお気に入りの『甘み』だった。
「空回り……空回りかぁ……」
「そんなに落ちこむ事じゃないでしょ? 〈軍部〉だってどこぞのテロ組織だって、もちろん〈西方協会〉だって、みんなやってる事は空回りばっかりじゃない。それでも少しは先に進んでるってもんだし」
「『本物』だったら、こんな無駄やってないんだろうな。さっさと君に見切りつけるか、君をものにしてる頃だと思う」
「誰があんな奴の女になるかって。そういう僻み方はやめな」
 その強い言葉に、和政はドキリとする。『本物』と『偽者』の関係を知る二木霞が、自分を――特に『本物』を嫌いな事は知っていたが、その事に対して、これほどまでに怒りと苛立ちを和政に向けて表した事はなかったからだ。
 言葉を返せずに彼女を見守る事しかできない和政に、彼女は強い口調のまま続けた。
「私はね――あんたが『偽者』で良かったと思う」
「え?」
 彼女は灰皿に自分の吸っていた煙草を置いて、戸棚の上に置く。和政に向かってツカツカと歩み寄りながら、一気にまくしたてた。
「私の知ってる和政は、出世と命令の為に自分の妹を殺そうとした最低の男だった。可愛そうな人だったとは思うけど、それとこれとは別。今でも私達や貴方たち双子を苦しめてる『本物』なんて、どれだけ時間がたっても許せない。あいつのおかげで、尚起は今でも時々『佐々木和政』を怖がってるよ――無意識にね。残念だけど、今のあんたの姿を見るだけでダメなんだ。熱心なのは良いけれど、ほどほどにしなさいよ。あんたがいくら『本物』の埋め合わせをしようとして尚起を大事にしても、彼女は一枚オブラートに包んで見てるんだから……いつかまた裏切られても大丈夫なようにね。そうやってあんた達が疲れちゃって、いつかあなたの熱心さが枯れちゃって、彼女が前にも増して貴方を嫌いになったら目もあてられないだろ? でも私は、あんたがそうやってあつくるしくてうざったくて迷惑な人間だって方が、〈死神カズマサ〉よりずっと気に入ってるんだ。いつまでもそうやって無駄な努力してるあんたの方が、同僚って気がするんだよ」



 あんたが『偽者』で良かった。
 和政はその言葉を心の中で噛み締める。
 『偽者』で――佐々木和政の偽者で良かった。あんな奴じゃなくて良かった。
――違うんだ。
 自分もまた、あんな奴になる可能性があるのだ。
 実際、自分は妹が酒上の腕に抱かれているのを見た時にそう思ったじゃないか。
 なんて邪魔な奴だ、なんて役に立たない奴だ、なんでさっさといなくならないんだ、なんでさっさと死んでしまわないんだ――早く俺を自由にさせてくれと、そう思ったじゃないか。
 いつか『本物』みたいに、無意識に彼女に銃を向けて引き金を引いてしまうんじゃないかと思うと――。



「俺は……別に『本物』に成りたいわけじゃない。だけど、俺じゃなくて『本物』が生き残ってた方が、みんなずっと幸せだったんじゃないかって、そう思うだけだ」
 霞は何か言いかけたが、しばらく考えこんだ。彼女が真剣な眼差しを自分に投げかけながら考える姿は、和政に言い様の無い不安と安堵を同時に与える。彼女がここにいて、和政をキチンと認識している――それ故に真剣に返答を返そうとしているのだ――という事実そのものが、アイデンティティの危機を常に感じている彼にとっては何よりも大事なのかもしれない。
 そして彼女は、和政の肩に掴まりながら、彼の足元に転がったままだったチョコの箱を取り上げた。
「これはあんたにやるんだ。『本物』にだったら絶対に渡さない」
「……でもそいつは酒上の――」
「私が作った。恥ずかしいから言いたくなかったんだけど」
 甘い物は匂いすら苦手な彼女がチョコを? 手作り?
――しかも俺に?
 絶句する和政に、霞は顔色一つ変えず――むしろいつもより無表情でぶっきらぼうにさえみえる、そんな姿で彼に箱を突き出した。
「バレンタインのチョコなんて作ったのは、初めてだった。作る気になったのも初めてだ」
「あ……え? ……本当に、俺に?」
「『あの人』が見つかってないんだ、お前しか渡せる人間はいないだろ」
「『あいつ』がいたら?」
「渡してる。もちろん、本命ってやつだ」
 やっぱり。
 一瞬でも華やいだ気分になった和政だが、苦笑のまま箱を受け取らざるを得ない。
 だが、霞は和政が箱を掴んでも、箱を手放そうとはしなかった。
「ちなみに中身は粉々だ。そういうもんだと思って食え」
「……なんで粉々? 落としたのか? 嫌だぞ、そんな嫌がらせみたいなチョコ」
「作った後、私がなんでお前に作らなきゃいけないのかって思ったら腹が立ってね。その場で――」
「その場で『切り裂き魔』で切り刻んだ、とか?」
「そういう事」
 道理で、床に転がった時バラバラと音を立てたはずだ。粉々になったチョコが内側で踊っていたのだろう。
 ますますガッカリする和政だが、霞はチョコの箱を彼に押しつけ自らの手を引きながら、涼しい顔でサラリと言ってのける。
「でも『あの人』に渡すとしたら、自分で作ったりはしないな。お前が相手だから作ってやるんだ」
「それって、どういう意味だよ」
「さあな。私も料理には自信があるって事かもしれないし、逆に無いって事なのかもしれない。いや、いつでも毒が仕込めるようにかもしれないし、太らせて食べる為かもしれない」
 霞は和政の片手を取り、おどけた仕草で彼の手にペロリと舌を滑らせる。戯れのようなその行動には微笑ましさが先にたって、和政は自分に対して子供じみた甘えを見せた彼女の姿に動きを止める。『あいつ』にならともかく、自分に対して見せた無防備な行動に確かな信頼の証を汲み取る。彼の中で一気に湧きあがった興奮が、和政の手をわずかに震わせた。
 ――が、次の瞬間。
「まずい。最低」
「……おいおい、勝手に舐めておいてそれはないだろ?」
 再びガッカリする和政だ。大体、人の手がどんな味ならいいのだろうと思う。
 霞は踵を返すと、自分のバッグが置かれた場所に戻りながら背伸びをした。
「ねぇ、口直しに外で食べない? 今ならおごってやってもいいけど?」
「行きたいのは山々なんだけど、尚起がまだ起きられないんだ。もう少し――」
「だからあんたは鈍感だって言うんだよ」
 鈍感なのはどっちだよと、和政は心の中で叫んだ。一瞬でも期待する自分が馬鹿なのかもしれないが。
 霞は腕時計をチラリと確認すると
「そろそろ眠り姫を起こす時間なんだ。だから私達は退場しなきゃね、ドジでマヌケなシスコンのお兄さん」
 意味深に囁き、笑った。



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