カロリーハーフ・5
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 四年前のあの時――ある少女のささやかな葬式の帰り道。
『復讐したくはないのか?』
 白衣の男はそう言って、純に半透明のゴブレットを差し出した。
『この葬式の女、お前の恋人だったんだろう? あの女、青年自警団に殺されたんだぞ? 嘘だと思うなら、自警団の奴を調べてみればいい。これを使ってな』
 ゴブレットを無理やり握らせ、不気味な笑みを――冷たい視線を純に注いでその男は言った。
『お前にはその力がある』
 その男こそ、〈ギル・コレクション〉を製作した男――ギル・ウインドライダーその人だった。百五十年前に〈人格波動〉という概念を提唱した、長命の錬金術師。
 その話を聞いて、『厄介な事になったな』と呟いた男もいる。
『あいつが目をつけたとなると、候補者だってお墨付きじゃねぇか』
 『候補者?』と聞き返す純に、彼は――唯一ギルに認定された資格保持者は苦々しい表情で呟いた。
『〈クラウドコレクター〉の候補者だってこった』
 唯一の〈クラウドコレクター〉にして二木霞の想い人、カガヒサシはそう言っていた。



 ギルの創った、人の意識と世界の意志を直結させる機械と装着者の総称――それが〈クラウドコレクター〉だった。
 この、不安定でいつ崩壊してもおかしくない空間を逆に利用し、人の想いが世界の構造そのものを変えてしまう機械。
 世界を変える唯一の方法。



 そして酒上純は、それを装着できる者になれるかもしれないのだという。



 世界を変える?
 初めてその機械の事を知った時――そして自分がその候補者であるという事がどんな意味を持つのかを知った時――純は笑った。
 それで、と。
 変えたからといって、彼女が戻ってくるわけでもあるまいし、そんな力を手に入れたからといって、何ができるというのか。
 皆が皆、この先のことを考えて生きてるんじゃない。過去にすがらないと今を生きることすら困難な人間がこの世にはいるのだ。全て終わった今でさえも、その過去に動きを封じられて、それでやっと生きて行ける人間が。
 そんな人間に、この先の世界を変えさせてどうする? この世界が平然と存在することすら腹立たしい人間に力を与えて、ギル・ウインドライダーは何を望ませる? 彼は何を思ってそれを作り上げた?
 自分には意味がない、酒上純はそう笑った。
――彼女は消えてしまったんだ。
 彼の知らない場所で、数人の男達に暴行を受けて、そのまま死んでしまった。冷たくなって棺の中に横たわった彼女は、そこにいて触れられぬ存在。純がたった一度しか言えなかった「やっぱり君の事が好きだな」の言葉に、ただ笑って見せた彼女――その動きの全てが、触れられなくなったという事。
 彼女が純のことをどう思っていたかなんてわからない。あの笑みは苦笑だったのか、好意だったのかすら判別できない。彼女はこう言ったのだ。「同じ趣味の話が出来るのは、私だけだもんね」と。
 彼女にとって自分はなんだったのだろう?
 男友達? 趣味仲間? 恋人?
 答えを聞く前に、彼女は死んでしまった。純の目の届かない場所で。
――それなのに私は、死んで行く彼女に何も出来なかった。
 その時に出来なかったからこそ、動く事しかできなかった。
 復讐なんて、意味の無いことだとわかっていたのに、やらざるを得なかった。なんともわからないモヤモヤとした苛立ちをどう解消すればいいのかわからなかった。
 気づけば、白衣の男の言うとおりに復讐を選んだ――そしてそれがほんの少しだったけど彼の心を慰めてくれた、それだけの事だ。
 自警団の連中を能力で酔いつぶし、無理矢理自白させ、誰が彼女を殺したのか探し出そうとした。自白した相手が、酔いつぶれているのを良い事に、何度も殴りつけ、何度も蹴り飛ばした。いつの間にか笑いながら痛めつけていたり、反対に泣き叫びながら拳を振るっていた事もある。
 そんな事を繰り返しているうちに、何をしているのかわからなくなった。いや、もしかしたら最初からわかっていなかったのかもしれない。復讐という実感のないまま、純は手に入れたばかりの自分の力を振るい続けていた。
 一つだけわかっていたのは、悔しかったという事。自分の大事なものが、自分の知らない所で、触れられない物にされてしまった事だ。その怒りをただひたすら、自らが暴力を振るう事で解消しようとしていた――そう思っていた。その事実さえ、最終的には純自身にもわからなくなっていた。
 両親だってそうだ。
 十年前のカタストロフィの時、アカデミーに所属していた父と母は、調査の為にこの街に残った。祖母の家に一人息子を置いて。
 そして殺された。純の知らない場所、見えない所で。
 ろくに会話もしない家族だったが、それでも純にとっては大事な人達だった。彼らが当時中学生だった純をどんな目で見ていたのか、どんな気持ちで自分を育てていたのか、全くわからないまま彼らも姿を消したのだ。
 あの時はただ、ぼんやりと街を彷徨う事に時間を費やした。開演した直後の、ただ同然のチケットを手に入れては飛び込みで学生劇団の劇を見て時間を潰した。下世話なジョークに沸き立つ客達を、一人だけは笑えずにぼんやり眺めていた。眺めながら思っていた。自分は何をしているのだろうと。
――もう嫌なんだ。
 自分が何をしているのかわからなくなるのは。
 答えもなく放り出されるのは。
 自分の知らない所で大事な人がいなくなるのは。
 自分の気持ちがちゃんと伝わっているのか確認できなくなるのは。



「もう、嫌なんですよ」



 そして今、酒上純は再度見つけてしまった。自分の心を縛り付けてしまう大事な存在を。心も体も手に入れて独占してしまいたくなる、そして今度こそ、消えずに居てくれるはずと安心できる存在を見つけてしまったのだ。
 三条尚起――佐々木柚実の中に。
「貴女のお決まりの台詞を聞くのは、もう嫌なんですよ……『好きだと軽々しく口にするな』? 言葉が、なんだっていうんですか?」
 酒上純は彼女に問いかける。その常に硬い表情の裏に隠された、本当の気持ちを、答えを引き出すために。
「言葉なんて記号だ。人間は音を並べる事で言葉を手に入れた。絵を並べる事で文字を手に入れた。記号の羅列、ただそれだけの物です。その記号に気持ちを代弁させる――記号に感情を込め、記号を信じるなんてナンセンスだ」
 自分の言葉は彼女に届いているだろうか?
 自分の気持ちは彼女に届いているだろうか?
「もっとも……言葉は人間が文明を発達させる過程において、最もつまらなく、最も素晴らしい発明だったのは否めませんが」
「つまらない?」
 尚起は感情のない声でたずね返してきた。この状況に慣れてきたのか、それとも相変わらずあきれているのか。目を閉じている酒上にはわからない。もちろん、『酒神の舞台』を使えば話は別なのだが、今は使わないと決めている。決めたなら全力でそれを守りきる――自分自身を縛る規約を作らないと、自分が何をやっているのかわからなくなるのを知っているからこそ、それを頑なに守る酒上だった。
「ええ、そうです。尚起、人は記号に感情を込める事に慣れてしまった。それ以上のコミュニケーションが未だ言語レベルから大きく発達できないのは、この記号の使い勝手が良すぎたせいでしょう。変化を止める、可能性を閉ざすという事は、全くもってつまらない出来事ですよ。わかりませんか?
 例えば東方語の一部は、過去に完成され過ぎたが故に、現代語をニュアンス混じりで表記する事ができないそうです。完成とは人に安定をもたらしますが、完成後には害悪しか残しません。そして完成の後に待っているのは崩壊だ。言葉もそうです。記号として完成されたが故に、それ以上の、本当の気持ちを伝える手段を失ってしまった。私達がやり取りしている言葉とは、自分の経験に照らし合わせて引き出せる擬似的な気持ちでしかないのです。私の『好き』は、貴女の『好き』とは違っている。でもそれを確かめ修正する手段は、記号以上のコミュニケーションを開発できず、その便利さに寄りかかり開発する意欲さえ失った我々人間には、未だ生み出しえないものなのです」
 ぼんやりとした視界の中、尚起は黙って酒上を見ていた。呆然とした顔がゆっくりと動き、先の興奮の余韻でピンクに染まった唇が声を吐き出す。
「な……何が言いたいんだ? はっきり言ってもらわないとわからない」
 来た。
 食いついていた魚をよく見ようと、酒上は目を開けた。引きつる瞼の痛みは現実のものだ。彼女が自分の言に反応を示しているという手ごたえが、本当に目の前の現象なのだという確認。
「そう、それなんですよ尚起!」
 予想外だったのだろうか。尚起は目を見張って「何が?」と問いかけてきた。
「何が? それですよ、それ。『はっきり言ってもらわないとわからない』」
「?」
「それこそが罠です。言葉がなんだっていうんですか? 心を伝える術(すべ)があれば、全ての言語は消滅する。『はっきり言う』じゃない、『はっきり伝わる』のが大事なんですよ!
 そしてそれは、言葉という記号でなくとも良いはずだ。確かに記号に心情を述べさせるのはナンセンスだけど、それ以外に我々には方法がないんだ。ならばその都度、最も心の伝わる記号を用いればいい。言葉が通じないなら、別の記号で!」
「……あのな……」
 尚起は兄そっくりの口調で呟いた。
「お前は前置きが長すぎるんだよ」
「貴女に知ってもらいたいだけなんですよ、私の全てを」
「知りたくない。大体、そのチョコレートが私の欲しかった物? その説明が、どうして言葉の話になってるんだ。前置きならさっさと終わらせろ」
「貴女が好きなんですよ、私は」
「だ・か・ら――!」
 膝を叩いて言葉の通じないイライラを解消しているのだろうと思われる彼女の横顔に、酒上は手にしている包みを差し出した。



「このチョコが、私の心を伝える最高の記号だと言っているんですよ」



 言葉なんて記号に過ぎない。
 なら、記号の形を変えてしまえばいい。もっと原始的なやり方に。
 気持ちのやり取りを物のやり取りに。
 ある種の生物がプロポーズの言葉ではなく自らの餌を分け与えることで示すように、自分の気持ちを、自分の言葉という記号を、たった一つの物品に変換する。



「ねえ、尚起……貴女はいつも私に言いますね――『軽々しく好きだとか愛してるだとかいうんじゃない』って。昨日の夜にも、私は貴女に怒鳴られたんですよ? まあ覚えていないでしょうけど……私にはずっと突きつけられて来た宿題みたいなモンでした。貴女にとっては、ああいった『好き』だとかいう告白の言葉は、勝負の切り札と同じモノなんでしょう。わからないでもないです、誰もが一度は通る恋愛幻想の一種、必殺のおまじないみたいなものですから。そうでしょう?」
 彼女に自分の考えを伝える貴重な機会だ、興奮しないよう言葉のスピードを慎重に調節しながら、彼は続ける。
「でも……私はこう思うんです。例えTSでなくとも軍の機密に関わっていなくとも、人間はいつ一人になってしまってもおかしくないって。周りの人間が一斉にいなくなって、どうすればいいのかわからない時が突然訪れてもおかしくないんだって。カタストロフィのように、親兄弟が殺し合い、恋人同士が疑い合って……そして全てが終わった時、残ってるのは自分一人になっている。そんな事はそう簡単には起こらないと思っているけど、実はいつ起こってしまってもおかしくないんじゃないかって。伝えたい事を伝えられなかった後悔に悩まされる日が、いつ、誰の身に起こってもおかしくないんじゃないかって、そう思ったんです」
 尚起は酒上を見つめたまま動かない。
 彼の言葉を吟味しているようにも、疑っているようにも、何も聞いていないようにも見えた。だが酒上は確信する。彼女は自分の言葉を無視するような人間じゃない、自分の話をしっかり受け止め、考えていてくれる。その真面目さが彼女の良さだし、彼女の不安定さの根源でもあるんだろう。矛盾だらけのこの世界を、彼女の潔癖さは受け止めきれないから。
 酒上はそんな彼女の表情に胸が熱くなる。自分より四歳年上の彼女が、少女の時のまま時間を止めてしまったようにすら感じてしまう。そこに至るまで、彼女の身に何があって――そして男性の名前を騙る事になるのか、その経緯を想うと、自分でも不思議なほど泣きだしたい衝動に駆られる。
 彼女もまた、『あの時』のように自分の前からあっさりといなくなってしまうんじゃないかという恐怖に駆られる。その反面、彼女なら絶対に消えてしまわないという確信じみた勘。
 それがかつての恋人との最大の違いだ。
 彼女は能力者としても手強い。自分の能力ならいざ知らず、そう簡単に彼女の能力たる防壁を突破できる能力者はいない。だから、彼の目の届かぬ場所では死なないと思える安心感と信頼も抱ける。
 仮に自分のような特殊な能力者が彼女の前に立ち塞がったとしても、必ず彼女は帰ってくると思える強さ――それが彼女の存在に魅力となって滲み出ているのを酒上は感じ、驚嘆し、そして魅了されたのだろう。
 その魅惑を結集した強い眼差しに向かって、酒上の言葉は続く。
「尚起……私は後悔したくないんです。自分の気持ちを相手に知っていて欲しい、誰にでもそれを伝えておきたい。どちらが死んでも、その気持ちを分かち合えるように。
 だから貴女が好きだと言い続けたい。和政も二木さんも、私の好きな人達全員に言っておきたい。言葉を使うのは、それが普段は一番便利な記号でありコミュニケーション手段だから、ただそれだけだ。
 特に貴女への言葉は一言じゃ足りない。何度言っても、私の気持ちの全部が伝わっているのか不安で仕方がない。ねぇ、尚起? 白い紙を芯から真っ黒にするには、何文字書けば事足りると思いますか? それと一緒です。私の中の貴女への愛は、いくつ言葉にしても、何度言っても言い足りない……でも貴女は『一言で言え』と無茶な事をいう。どうすればいいの?」
 酒上は尚起に向かって、警戒させないようゆっくりとした動作で哀願のジェスチャー。
 彼女はそれを、気味の悪い物でも見たかのように険しい表情で見やる。そう言ってしまえば酒上が立ち去るとでも思っているかのように、機械的に淡々と返答。
「どうする必要もない。黙って消えろ。お前の気持ちなんて知りたくない」
「な〜るほど、それも有りですね。でも私は我侭な男なんですよ、尚起。どうしても貴女に私の気持ちを伝えたい。どんな記号を使ってもね。そして貴女の言葉を、答えが欲しい。どんな形でもいい、貴女の気持ちを教えてください」
 手の中で愛しんでいた包みを、酒上はもう一度、ゆっくりと警戒させないように差出した。
「尚起、これが今の私の気持ちの全てです。これが私の選んだ『一言』だ。
 言葉では言いきれない、だから私は今日という特別な日の魔法を使います。このチョコレートの塊一つが、送り手の気持ちの全てを、時間を越えて代弁する――誰にでも使える、今日だけに許された魔法を、ね……」
 差し出された包みを、尚起は意外そうな目で眺めなおした。じっと、そうしていれば包みの中から何か悪いものが飛び出してくるかのようにじっと視線あわせている。張り詰めた空気の中、彼女が酒上の言葉をどう受け取ったのかわからない。わからないが、彼女が真剣になってこのプレゼントの処理を――どちらかといえば好意的に考えようとしているのはわかった。外見から察する以上に直情型の彼女が、嫌いなものを、ここまで時間をかけて吟味するはずがないのだから。
 意を決したのか、やがて尚起はゆったりとした重々しい動作でそれを受け取る。彼女に荷物を託すと、酒上はいつもどおりに腕を広げておどけて見せる事を選択。あまり真面目な自分を見せてしまっては、今後は自分の『不真面目』という名声に傷がついてしまう。
「さあ、尚起。この聖バレンタインの魔法は、貴女が受け取った瞬間におしまいです――私の用もね。そのチョコはどうとでもしてください。もうこれ以上引きとめませんから、お出かけになっても結構です。よろしかったらディナーでも一緒に――」
「馬鹿な男だ」
 酒上の言葉をさえぎって、包み紙に目を落としたまま彼女はいう。
「これだけの為に私を襲って、兄さんを呼び出し、二木所長を巻き込んだ? 頭がどうかしてる」
「ええ、馬鹿です。この世界と自分の能力を楽しむには、馬鹿になるのが一番なんですよ。でも何よりも、貴女はこれぐらい大げさにやらないと、私の話など聞いてくれないでしょう?」
 それもそうだなと、彼女はうめいた。そして酒上が自分を見ている事を横目で確認すると、ラッピングしてある紙を丁寧にはがし始める。その細い指が心なしか震えて見えた。
「……そういや、女の子にチョコをもらった事はあるが男にもらったのは初めてだな」
「へぇ? 三条尚起になってからですか?」
「佐々木柚実だったんだけど……なぜ渡されるか不思議だった」
「ほら、貴女は口を開かないと凛々しいから。年頃の女の子って、そういう人に性別を超えて憧れたりするもんですよ」
「口を開かないとって、どういう意味だ」
「貴女の愛らしさが、吐息と共に飛び出してくるって意味」
「……バカバカしい」
 綺麗に紙を剥ぎ取り、箱の中から茶色の板を取り出す。一目見たとたん、尚起は――さすがに苦笑い。
「ハート型とは。懐かしいな」
「ハートは元々心臓を現す簡略記号でした。そして人は、気持ちはこの心の臓から湧き出ると考えた。心臓を捧げるという事は、自分自身を捧げる事です。今、貴女は私の心臓を握ってるんですよ」
「本当にうるさい男だ、も少し簡単に話せないの?」
「だから言ったでしょう? 貴女には私の全てを知ってもらいたいって。私の知識も気持ちも一緒にね」
「なら私は――」
 尚起はグッと、ハートを掴む両手に力を込めた。
「……ッ!」
 ペキンと甲高い音を響かせて、酒上のハートは綺麗に二つの欠片に分かれた。
 沈黙。そして我知らず口をつく酒上の悲鳴を、酒上自身は遠いところで聞いた。
「な、な、な……尚起ッ!? あああ、私の、私の心臓がああああッ!」
 こんな時ですらおどける自分を、酒上は嫌いじゃない。ほんの少しだけ間抜けだとは思うが。
「気持ちだろうが心臓だろうが、関係ない」
 心なしか嬉しそうに尚起は呟き、欠片の一つから更に小さな破片を割り取る。そして
「食え」
「……」
「食ってみろと言ったんだ。どうした? 二木所長と同じで、甘い物は嫌いか?」
 いつの間にか相手に主導権が渡ってしまったのを感じ、酒上は急いで体制を立て直す。
「そ……それは、もちろん、私が好きだという返答ですよね?」
「なにを寝ぼけてるんだ。毒見しろと言ってるんだ。変な物でも混ぜられてたら嫌だから」
「それは私のチョコを食べる、つまりベッドインもOKというサインでは――」
「もらった物を食べて何が悪い。そして、どうしてベッドが出てくるんだ? 貴様の思考はやっぱりわからない」
 兄さんがあきれるはずだと尚起はぼやきつつ、その小さなチョコの破片を酒上に投げた。彼はそれを、片手を伸ばしてキャッチ。じっと不信の眼差しのまま彼の行動を見守っている彼女に、何も入っていない事を手品師のようにジェスチャーで示しつつ、ポンと口の中に放り込む。
「うーん……私は普段こういうお菓子は食べないんでよくわからないんですが……貴女の口に合えばそれでいいや」
「何も入ってないようだな」
「もちろんです。それにしても不毛だな〜。自分の気持ちを自分で受け取るなんて、ナルシスト万歳じゃないですか」
「お前は前からナルシストだろ、今更気にすることじゃない」
「そんな事ないですよ。貴女にイ・チ・ズ」
「残念だが、私はお前みたいに紫のスーツに羽つき蛍光ピンクのコートを嬉々として着合せるような、変態色彩感覚の孔雀男とはつきあいたくない」
 彼女は二つに割ったままのチョコの破片を、丁寧に膝の上へ置いた。
 綺麗に引き剥がしておいた包み紙を、今度は繊細な手さばきで引き裂きながら彼女はぼやき続ける。
「お前はもう私の言葉を聞くのは嫌だと言ったな……私も、もう嫌だ。好きだとかなんだとか、そんな事に振り回されるのは」
 そして彼女は、手にした包み紙の一部で、膝の上のチョコをくるみ始める。
「お前の言いたい事はわかった。私の言葉を考えた上でのプレゼントなのもわかった。だが……今の私には受け取れない。私にはやらなきゃならない事が残ってる。それが済むまでは他の事など考えたくないんだ、余計なモノなんて何もいらない、欲しくない。大体、お前はまだまだ信用できない」
「尚起――」
 だから、と彼女は酒上の言葉を再びさえぎった。
「だから、今の私には、お前の気持ちの全部を受け取る事なんてできない。
 だから半分だけだ。半分だけ信用してやる。お前の言葉も、お前の気持ちも、お前の熱意も……全部半分だけ、もらっておく」
 そして彼女は、包みなおした半分のチョコレートを酒上に向かって差し出した。



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