消えていく街・1-1
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 今日は風が強い。春の先駆けに吹いてくる大風のようだ。
 地面から駆け上ってくるような突風。私はあおられた勢いで空を見上げる。頭の片隅でチラリと、めくれあがったスカートを意識して膝を閉じる。膝の間で暴れる布の感覚にホッと一息。なんとか周りの人達に、ゲンかつぎの『イチゴちゃんパンツ』を見られずにすんだみたい。
 見上げた青空の中には、整備されたこの魔術都市シラトスの象徴である魔術師ギルドの六つの伽藍。その遥か向こうで、引き裂かれた綿のように引き伸ばされた白い雲が流れて行く。
「あれ?」
 私はおもわず声をあげる。白い雲の中に、真っ白な円盤が二つ。一つは真昼の月。もう一つは……なんだろう? 良く見ると、ゆっくりと移動しているようだ。
 大陸教会によって禁じられている空飛ぶ機械だろうか? そんな罰当たりなモノを、どこかの魔術師が作ったとでも? 布教の進んでいないどこかの国の乗り物かもしれない。ここは空飛ぶことを禁じられた世界だという事を知らないのかも。空を飛ぶ者には墜落という天罰が下るのに。
 私は急いで、人であふれた道端の隅にかけより、両手一杯に抱えていたバスケットを足元に下ろした。バスケットの中身は、寮から持ち出してきた日用品と、ここまで来る途中に買った雑多な物が詰っている。結構重い。なのにバスケットは誰かの足に蹴り飛ばされ、ひっくり返りそうになった。
 私は慌てて押さえながら、ほんの少しだけ惨めな気分になった。確かに小汚いし網目も少しほどけてしまっているバスケットだけど、蹴り飛ばされるなんて! これでも私の愛用の品なのに。
 なんでこんな目に会うんだろう? あの空飛ぶ円盤のせいだろうか。腹立ち紛れに、バスケットを蹴り飛ばした犯人を探そうとしても、とっくの昔に人ごみにまぎれてしまって、もう誰が誰だかわからない。
 この時期、シラトスの街は他の都市からやってきた魔術学院入学者が、今後の住居や必要な学用品を買う為に人であふれかえっている。ほとんどの人間が、これからはじまる新しい生活に胸を高鳴らせているのだろう。
 そしてこの私も、新しい職場に向かう興奮にドキドキしている。
 なのにいきなり、空飛ぶ機械なんてモノを見てしまうなんて。他の人達はみんな、周りの商店に目を奪われていて、真上を行く『なにか』なんて気づくどころか、空を見る事すら忘れているに違いない。なのに私と来たら……縁起が悪いったらありゃしない。
 片手でバスケットを押さえたまま、私は教会で教えられている懺悔の印を切る。あんな機械を作ってしまった見知らぬ人の代わりに懺悔、そして不吉なものを見てしまった私に災いが降りかかりませんようにと祈願する。
「マーセティアさん、どうかしましたか?」
 突然声をかけられ、私は飛びあがる。いつも一人で買い物するから、すっかり忘れていた。今日は一人じゃないんだった。
 声をかけてきたのは、今日から私を雇う事になったケイヴィスさん。きちっとした執事服の若い男の人で、綺麗な茶色の長い髪を一つに束ねている。人によっては細面の優男って形容するかもしれないけど、部屋に閉じこもってる不健康そうな魔術師ばかり見ていた私にとって、少し日焼けしたケイヴィスさんのような男性は全然「優男」なんかじゃない。身体の丈夫な働くお兄さんだ。
 何よりもこの人、とっても感じの良い人で、いつもニコニコしている。メイド派遣ギルドの人も「この方なら大丈夫」と太鼓判を押してくれた。メイドを雇う人の中には、メイドを便利な物扱いする人もいるのだとか。そういった人達に乱暴されたり、酷い目にあう事のないよう、ギルドは雇い主の調査を二重三重と念入りにする。それをパスしてから、やっと紹介する子を探すシステムになっているのだ。ケイヴィスさんは、その中でもかなり好感度の高い人だったのだろう。
 優しそうだと思ったのが第一印象、この人に雇われて良かったと思ったのが感想、今度こそ失敗しないぞと決意して眠ったのが昨日の夜。
 私は派遣ギルドに登録しているメイドだ。それもまだ初めて三ヶ月しかたっていない。
 失敗ばかりで、もう何度も契約半ばにして解雇されている。雇い主いわく「高い金を支払ってこれでは、泣きたくなる」とか「あんたがいるおかげで、返って迷惑なのよ」だとか。こっちの方が泣きそうだけれど、全面的に私が悪いのもまた事実だったりする。失敗例は数知れず――そして私も思い出したくない。あまりにもドジで初歩的なミスばかりだから。
 おまけに解雇される度に、小さい子供達と一緒にギルドの研修を受けなおしになるので、トホホな気分になったりして。
 十五歳でメイドをはじめるというのは、この街では珍しい。ここは学問と魔術の街として作られたから、十五歳の女の子はとっくに学校に入っている子か、最初から手に職をつける子――十歳ごろからメイドとして働き始めるかのどちらかなのだ。私のように、家庭の事情で突然学校を止めざるをえなくなった人間の方が珍しがられる。
 珍しいだけ人は親切にしてくれるのだけれど、それに見合う労働力を提供できない私は……本当に情けないと自分でも思う。



 ケイヴィスさんは、腰に手を当てる『しょうがないな』のポーズ。
「振りかえったらいないから、はぐれちゃったかと思いました。よかった、無事で」
「あ、ご、ごめんなさい。でもマーサでいいです、マーサって呼んでください。なんだか恥ずかしいです……」
 私は自分の名前が嫌いだ。『マーセティア』なんていうお姫様みたいな名前、私みたいにドジでおっちょこちょいの女にはとても似合わない。第一、おばあさん譲りの名前である『マーサ』の方が、温かい響きがして好きなのだ。
 もしかしたら無礼だったかも……。
 いつものクセで反射的に言ってしまった私に、ケイヴィスさんはいつもどおり―といっても、まだ知り合って三日しかたっていないのだけれど―眼鏡の奥で目を細めてニッコリ。
「わかりました、マーサ。では私の事もケイと呼んでくださいね」
「そ、そんな! 無理です、できません!」
 ケイヴィスさんは私の雇い主だ。その方を略称で呼ぶなんて無理だ。そんな呼び方をしている所をメイド派遣ギルドに見つかったら、即刻解雇だろう。だいたい、私の気がすまないんだけど。
 ケイヴィスさんは笑顔のまま、私を見下ろした。彼は男性としてはとりたてて背が高いわけではないが、女の私に比べれば十分過ぎるほどの高さはある。
「気を使わなくて結構ですよ。私、ただの同僚なんですから」
「え?」
 メイド派遣ギルドでは、初日は雇い主が直々に雇用人を引き取りに来るのが原則だ。
「違うんですか? ケイヴィスさんじゃないんですか?」
 面接も今日の引き取りも、ケイヴィスさん一人が来たから、てっきりそうだと思いこんでいた。
「はい、違いますけど。お話、行ってませんでした?」
 彼はイタズラした時のようにしっかりはっきり首を縦に振る。そんなバカな。
 でも良く考えれば……ケイヴィスさんは『執事服』なのだ。執事がメイドを個人的に雇うのは確かに変だ。執事服を趣味で着ているような人なら別だけど、そういう変な趣向の趣味を持っていそうな人に雇われたくないと思う私は、ひょっとしてわがままなのか?
「じゃあ、私の……雇い主さんって……」
「はい。私がお使えしている方のお世話をしていただきます。その方の名前は、今はまだ言えません」
 街の中ですからと、ケイヴィスさんは付け加えて、ぐるりとあたりを見回した。
「今日は風も強いし、私達の囁きが、思わぬ人の耳に入ってしまうかもしれませんからね。風が強いという事は、雑音が多いという事です。静けさを好む私達のご主人様も、さぞかし不機嫌になってらっしゃる事でしょう。少し急いだ方が良いかもしれませんね」
 ケイヴィスさんは私のバスケットを軽々と持ち上げる。重いのに。見かけより力持ちなのかもしれない。
「ああ、私が持ちます!」
 慌ててバスケットにしがみついた私の手に、ケイヴィスさんは手をかぶせて
「これぐらい良いですよ。今日ぐらいしか貴女のお世話ができませんし、私達のマンションについたら、ご主人様のお世話に専念していただくんですから」
 大変ですよと、ケイヴィスさんは笑う。
「そんなに大変、なんですか?」
「ええ。元々繊細な方だったんですけど、ご病気になられて以来は気難しくなりましたからね」
「びょ、病気!?」
「あ、病気といっても染る類のものではないので、安心してください。どちらかというと、体質の問題ですから。器官不全みたいなものです」
 少し急いだ方が良いと宣言した通り、ケイヴィスさんは足早に人波を進み始めた。一緒に歩いているはずの私は、生来の不器用さで道行く人にぶつかってしまう。そのたびに謝りながらケイヴィスさんの背中を見失わないよう小走りになる。
 駆けながら、私は思う。
 気難しい人? どんな人だろう? でもケイヴィスさん、なんだか笑ってるし――って、この人はいつも笑ってるんだけど。
 私の頭の中で、父方のおじいちゃんの姿が浮かんだ。その人はシラトスから少し離れたところで貴族用の馬を育てている。ガッシリした体格で、日焼けした皺だらけの顔で、滅多に笑わなかったから、私は小さい頃からとても怖い人だと思っていた。今でも似たような方に会うと怖くて、失敗ばかりしてしまう。
 そんな人だったらどうしよう?
 ケイヴィスさんはどんどん歩いて行く。
 シラトスの街の作りは、ちょっと特殊だ。学術都市であるこの地は、大抵の街道沿いの街のように、教会やお城を中心として発展してきた場所ではない。そういう他の都市では、街の中心にそびえる大きな建物は大陸教会や王族の建造物になっているんだそうだけど、私の育ったシラトスの中心にあるのは六大魔術師ギルドの一つ、魔術学院ギルドの建物だ。
 そのかわり、他の都市で魔術師ギルドのあるような、街の外壁方面に教会の建物がある。ケイヴィスさんはそちらに向かっているようだ。
 シラトスの大聖堂は、シラトスの観光名所の一つでもある。
 かつて知識の女神がこの地に降り立ち、魔術を教えはじめた事から魔術師が生まれた。だからこの地は大陸教会の聖地であり、魔術発祥の地として魔術師の聖地でもあるのだ。
 教会の周辺には、巡礼の為に訪れた人達の為にたくさんの宿や祭日期間にあわせた長期滞在者の為に用意されている月極マンションがたくさんある。
 ――ということは、もしかして……。
 私の雇い主っていうのは、巡礼に来た方なのかも。
 それが本当なのか確かめたくても、ケイヴィスさんはどんどん先に行ってしまう。
 なんであの人は荷物持っているのに、手ぶらの私が置いて行かれてるのだろう?
 この辺が、私のドジでマヌケな部分の根幹なのかもしれない。
「ちょっと待って、ケイヴィスさ〜ん、待ってください〜!」
 慌てて叫んだ私は走り出そうとしたのだけれど、残念な事に壊されはがれていた石畳に気づけなかった。
「うわっ!」
 派手に転んだあげく、額をイヤという余裕も無く打ちつけて、情けなくも地面にのびてしまった私は……やっぱりどこかのネジが抜けてるのかもしれない。
 本当に情けないんだけど。





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