消えていく街・1-2
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 雇い主さんは、マンションの五階に住んでいた。周辺のマンションが大抵三階建てだから、七階建てマンションの五階というのは、かなりのお金持ちなのだろう。
 そう思っていたのだけど、中に入ってビックリ。このマンション、各フロアごとに住人が貸し切る形で借りているのだとか。
 想像以上のお金持ちだ。その上、執事とメイドを雇っているなんて。
 いや……もっとお金持ちの人がいるのは知ってるし、大きなお屋敷で働いた事もあるけど――巡礼先でもこのレベルでお金が使える人は、やっぱり一般市民から見れば十分お金持ちだ。
 このお金の三割でも私のものなら、もしかしたら学校を辞めずメイドにならずにすんだのかもしれない――そんなつまらない『もしも』まで考えてしまった。



「青い花は嫌いだ」
 私の雇い主のセイズさんはそういってベッドから体を起こすと、私が窓辺に置いた花瓶に手を伸ばした。私が慌てて取って差し上げようとすると「触るな」と言い放たれてしまう。
 まだお若いせいからか、女嫌いなのか、私とたいして歳の違わないように見えるセイズさんは……なぜか私に触れられるのがお嫌いなのだ。ここに住み込むようになってもう四日目なのに、一度も着替えを手伝わせてくれない。ご病気だから体をお拭きしなきゃならないはずなのに、ケイヴィスさんをわざわざ呼びつけて、私のことはすぐに追い出してしまう。まるで私と同じ空気を吸っている事さえも嫌なんじゃないかと思いたくなる。
 どこがいけないのかわからないが、触るのを拒否されるというのは人として認めてもらえていないようで、ひどく惨めな気分になるのだという事を始めて実感した。
 セイズさんは病気療養中の身で、シラトスにはやっぱり治癒祈願の巡礼目的で訪れたそうだ。とはいえ、シラトスは魔術都市として六大魔術師ギルドの本拠地が固まってるわけで。その一つ、下風切羽ギルドは治療専門のギルドだし、魔術学院の研究部なら医術の研究も進んでいる。都市の空気は、そりゃ郊外とは比べものにならないほど汚いけど、病気を治すのが目的なら滞在するのも悪くない場所だと思う。
 セイズさんは先年の秋に病に臥せって以来、ほとんど外出したことがないそうだ。小柄で白い肌は綺麗な金色の髪によく合って。すっきりとした顔のつくりなんて、女性から見てもうらやましいほど整ってる。セイズさんが女性じゃないのがもったいない。
 とはいえ、セイズさんの色の白さや髪の色は、いわゆる病人の肌で。髪の色なんて随分薄くなっているようだし、肌や表情にも生気がないのはこの私でもわかる。
 そのセイズさんが珍しく自分から体を起こすものだから、私も驚いた。
 彼は花瓶にさしていた、嫌いだという青色の花を次々引き抜きだした。
「私が嫌いなのは、青と紫の花だ。ケイに聞いてなかったのか?」
「申し訳ございません、お花ぐらいならお聞きしなくてもよいかと……お忙しそうでしたので」
 ケイヴィスさんはいつもニコニコしてお仕事してるけど、ちょっと見ていると休むまもなく仕事しているような方なのだ。セイズさんのお屋敷や敷地の管理はもちろん、財産やお薬の手配、食事やその材料の吟味までしてる。目が飛び出るようなお金持ちなのに、セイズさんはケイヴィスさんしか雇っていないからだと思う。普通ならもっと……そう、最低でも五、六人は使用人が必要な仕事なのに、それを全部ケイヴィスさんがやっているから。見ているだけでも大変そう。
 でも、ケイヴィスさんは、相変わらずニコニコ笑いながらそういった雑用をこなしていく。
 それだけじゃなくて、いつもセイズさんを気遣っていて。たとえば敷地の管理人さんに手紙を書く時なんていうちょっとした時間には、必ずセイズさんの寝ている部屋の書き物机で仕事をしている。
 そういやここに来た翌日、ケイヴィスさんはこんな風に言ってたっけ。
『インクの匂いが気になるからやめろって言われるんですけどね』
 ケイヴィスさんは手紙の束を整理する手順を説明する合間に、いたずらっぽく教えてくれた。
『でも、療養中とはいえ、人と会えないって悲しいじゃないですか。人の気配のない場所って、暗くて怖くて、逃げ出したくなりません? ご主人様は元々社交的な方だったので、動けないまま窓から歩いてる人たちを見ることができる分、知っている人に会えない事が辛いんじゃないかと思うんですよ。もちろん、ご主人様の側でかしこまるのも私の仕事の一つですし。……何よりいつも怒鳴られてばかりいますからね、私は。インクの匂い云々言われても続けてるのは、ご主人へのちょっとした反抗みたいなもんですよ。それぐらいの意地悪なら許してくださる方ですしね』
 そういうケイヴィスさんは涼しげだけど、私には信じられない。ケイヴィスさんが怒鳴られるほど厳しい方だなんて、私なんか……考えただけでもちょっと泣きたくなった。
『怒鳴られる?』
『ええ。手際が悪いとか、ニヤニヤするなとか、髪がうっとうしいから切れとか。ご機嫌斜めな時には背が高すぎるといわれましたよ。髪ぐらいなら切っても問題ありませんが、背を縮めるのは嫌ですよね。やっぱり足とか切るのかな? なんにせよ、痛そうだからやめてほしいものです』
 あははと笑っていたけど、文句にしても理不尽だと思っていたのは私だけ?
 だから、今、目の前で不機嫌そうな顔をしているセイズさんを見て「あ、これが例の理不尽な文句?」と考えた私は反抗的なメイドなんだろうか?
「青い花は、本気で嫌いなんだ。胃がむかむかしてくる。紫の花も嫌。自分の葬式みたいで吐き気がする」
 言葉どおり吐き捨てるように言いながら花瓶から抜き取った花を……私の目の前で二つに叩き折った。無残に折れた茎を目に、セイズさんは「フン」と、勝ち誇ったように笑う。
 そして――
「あ!?」私は思わず悲鳴をあげた。
 セイズさんはいつもご自分が外を眺めている窓から、青い花たちを下に向かってばら撒いたのだ。この部屋の下は、そのまま大通りへ。思わず窓から身を乗り出した私の視界には、石畳の上へバラバラと落下する青い花弁が映った。
 そんな花たちの末路を見ることなく、セイズさんはボソリと呟いた。
「……ざま〜みろ。そのまま踏み潰されちゃえ」
 あんまりな言い様に、私の頭は真っ白になる。
 紫の花は買ってなかったけど、水色の小さな花を付けた鈴蘭はいくつか入れておいた。コスモスに似た花の名前は知らないけど、それもパステル色の青で素敵だから頼んで入れてもらった。
 青は空の色。セイズさんがいつも眺めてる外の色。
 だから、気に入ってくれるんじゃないかと思って入れたのに、逆効果だったなんて……。
 興奮してるのか、セイズさんは頬を紅潮させながら
「ケイはどこに行ったんだ?」
「あ……お薬を取りに、下風切羽ギルドに……」
 混乱でぼーっとしていた私は、やっぱりぼんやりとした答えを返してセイズさんに睨まれた。こんなんだからドジばっかり踏むんだろうけど……私は体だけじゃなくて心のコントロールも不器用なんだと思う。自分でも、よく今まで生きて来れたもんだと感心する。本当に。
「帰ってきたら僕のところへ来るよう伝えろ。アイツに聖書を読んでもらう日だ、今日は少し早めに来てもらおう……誰かさんのおかげで気分が悪いからな。それとタオルを持って来て、手が茎の汁でベタベタする。全く、気が利かないな、お前は。ああ、なんて名前だっけ? メリー? マリー? まあいいや、名前なんて」
「す、すみません! あ、それと私の名前はマーサと――」
「頭下げてる暇があったら、タオルを持ってきて欲しいんだけど?」
「は、はい! ただいま!」
 セイズさんの下から退出しようと背を向けた瞬間、涙がこみ上げてきた。
 勝手な話だけど、お花を買ってきたのは自分の判断で……いつも失敗ばかりしてる私にしては気の利いたことをしたような気分になって嬉しかったのだ。それが逆にご主人様を怒らせるような結果になってしまった事が、言いようもなく悔しくて。
 穴があったらもぐりこんで、盛大に泣いていたと思う。
 でも今はガマンガマン。目の前にセイズさんが居るし、この人、私が泣き出したらもっと怒りそうな気がする。
 涙がこぼれる前に、急いで一礼。小走りに部屋を出ようとした私に向かって
「ちょっと待て」
「……はい?」
 セイズさんはサイドテーブルの引き出しから大陸教会聖書を取り出す。丁寧にページをめくりながら、何気なく言った。
「タオルを持ってくるとき、ついでにナイフを持ってきてもらおうか」
「え?」
「誰かさんの気が利かないから、食べたい時に食べられないんだよ」
 セイズさんはチョンチョンと、サイドテーブルの上に乗った果物籠を指差した。



 そんなわけで。
 私はタオルとナイフをご主人様に届けた後、急いでマンションの前に走った。
 こういうのもなんだけど、あれは結構なお値段の花だったのだ。ひょっとしたら大陸商人が仕入れてきた珍品だったのかもしれない。気に入って買ってきたわけだし、セイズさんが要らないのなら私が自分の部屋に飾ってしまいたかった。
 何よりも、そのままセイズさんの言うように踏み潰されるのを想像すると、なんだか私自身が潰されるような気がしていても立ってもいられなくなったのだ。
 案の定、もう既に一、二度踏まれた靴跡がぺしゃんこになった花弁にくっきりと描かれていた。私は思わず天を仰いでため息。ついでに大陸教会の祈りの印を宙に描いてお願い事。
 知識の女神様、私にはこの花にお水をあげる事しかできないけど、どうかもう一度、綺麗な姿になりますように……。
 急いで願掛けして、私は花たちを拾い集めた。ぼんやりと、私が買わなかったらもっと大事にされていたんじゃないかと思い始める。大きなお屋敷の一輪挿しや、魔術学園の教室や、画家のモデルだとか……想像すればするほど、少なくとも踏み潰されるような事はなかったんじゃないかと、後悔の念ばかり募ってくる。
 そんなんだから、何度も歩いてる人たちにぶつかったり、馬車にひかれそうになった。たった十数本の花なのに、風に煽られた花たちはいろんな場所に散っていて、それを探しながら歩いていた私は、通行人にとって邪魔以外の何ものでもなかったのだろう。
 いつからそうなっていたんだかわからないけど、私はボロボロ泣きながら花を拾っていたみたい。
 だからその人が現れたときも、最初は気づかなかった。自分の涙を拭うのに精一杯だったから。
 ……ううん、本当は視界の端で見ていた。でも、私は気づかない振りをしていたんだ。
 ケイヴィスさんだと思い込んでいたから。
 セイズさんに怒られた事を、いつもニコニコしているあの人に泣きながら説明するのが嫌で、その前に泣くのを止めようとしていた。だから……ずっと無視していた。うつむいて、目を擦りながら、ケイヴィスさんが話しかけてきてくれるのを待っていたんだ、きっと。ケイヴィスさんに甘えているのはわかっていたけど、予想してなかった所から邪険にされた事は、私の想像以上に私を打ちのめしていて――今までやった数々の失敗の思い出と一緒に、私の頭の中を後悔で一杯にしていた。
 だからケイヴィスさんが私のところにやって来るまで、それまでには笑顔になれるよう、必死になりながら待っていたのだ。
 そして、とうとう、私の視界に陰がさした。彼が側にやってきた印に。



「大丈夫かい?」
 上から投げかけられた言葉に、なんとか笑って振り返ろうとした。笑顔を作った途端、また泣きそうになったけど――私、なにやってんだろうって思ったから。
「ええ、大丈夫、です……」
 私の言葉は最後には小さくなってしまって、ひょっとしたら相手に聞こえなかったかもしれない。
「そう? ならいいんだけど……珍しいね、アオイロセイチョウソウの花をシラトスで見るとは思わなかったよ。しかもこんなに無造作に捨てられてるのを見るとはね。これの実は煎じて飲むと頭痛に効くんだ。もちろん、観賞用にももってこいだけどさ」
 私の目の前に立っていたのは、ケイヴィスさんなんかじゃなかった。
 思い返せば思い返すほど、どうしてあの人とケイヴィスさんを間違えたのかわからない。魔術学院にいた時に習った魔紋の関係だったのかも。人が持っている固有の波長が似ていたとか……。
 それとも服装? ケイヴィスさんはいつも執事服を着ていたけど、目の前の人は燕尾服を着ていた。裾の縁取りにさりげなく複雑なステッチが入ってる以外、ぱっと見た感じは特に目立ったところのない燕尾服。しかもシルクハットをかぶってる。なんで間違えたんだろ?
 それとも身長? でもケイヴィスさんはもの凄く背が高いわけじゃない。この人は絶対、シラトスでも五十位内に入る長身だ。私なんかこの人の胸元ぐらいまでしか届かない。私はごく平均的な身長のはずなんだけど。
 では体型? これが一番よくわかるかも。だって二人とも、肩幅は広いけど、どちらかといえば痩身だから。
「はい、どうぞ。これで全部のはずですよ」
 彼はにっこりと笑って、自分が拾い集めた花を私に差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
 自分が間違えたということに気づいて、私は慌てて叫んだ。燕尾服の男性は、手の平をブンブン振って「いいえ、困った時はお互い様ですよ〜」なんて笑ってる。それを聞いて、私はもう一度礼を言った。
 シラトスで一年中コートやスーツを着てるのは、魔術師か貴族しかいない。だけど目の前の人はそのどちらにも見えなくて、私はどうすればいいのかわからなかった。貴族にしては気さく過ぎて、魔術師にしては愛想が良すぎた。何よりも、貴族と魔術師の両方に共通する気位の高さというか、ピリピリした緊張感が感じられなかった。どちらの職業も些細な事柄に神経を使うから、普段から気を引き締めている人間が多いのに。
 だからその時の私は、この男性の職業がわからなかったし、その分、精一杯お礼を言うことしか頭に浮かばなかったのだ。
 ――で。
 そんな職業不明の男性は、ポンと手を叩いて私の目を覗き込んだ。薄紫色の瞳が、猫みたいに私を映していた。
「そうだ、ちょうどいい! お嬢さん、お花の代わりといっちゃなんだけど、『白猫のほおずき花店』とやらは知ってるかい? どちらの方角かぐらいはわかるかな? シラトスには久しぶりに来たもんで、迷っちゃって困ってたんですよ」
「え……えっと――」
 とっさの事で言葉が詰まった。そのお花屋さんで買ってきたのがあの花束だったからだ。偶然って怖い。
 私は花束を買ってきた時のことを思い出す。道順は簡単だけど、このマンションからは少し遠いはず。
「ここからまっすぐ、真正面の外壁に向かって歩いてください。大きな交差点を三つ過ぎて四つ目の交差点の左に白と緑の縦縞の屋根と白い猫の看板が見えます。交差点で曲がってからは五分ぐらいかな? あの通りにある花屋さんはあそこぐらいだから、すぐわかりますよ。ここから歩いて行くと、二十分ぐらいかな?」
「おや、本当に? さっき通ったはずなんですが、気づかなかったなぁ」
 彼はシルクハットの鍔をあげて、通りの向こう側を見ようとした。あいにく陽が傾いてきて薄暗くなりつつあるし、何よりも人ごみで見えないはず……でも、この人の身長なら、もしかしたら見えるのかな?
 何か納得したらしく、彼は手にしていたステッキをくるりと一回転して見せた。細身のステッキには蔦の絡まったような銀細工の握りがついていて、さりげなく、この人もそれなりに財産を持っているんだなとわかった。
「ありがとう、お嬢さん。なんとか今日中にはたどり着けそうだよ。いやはや、街の中で遭難するんじゃないかと冷や冷やしてた」
 彼は大げさにも、かぶっていたシルクハットを脱いで一礼する。栗色の髪が後ろに撫で付けられているのに、なぜか前髪が二房――こう言っていいのかわからないけど、昆虫の触覚そっくりに下がっていて、風に吹き流されていた。
「気になさらないでください、私こそ……その……ありがとうございます」
 自分でもしつこいとは思いつつもう一度礼を言うと、長身の燕尾服男はにっこり笑って手を振った。
「いえいえ、困ってる女性を助けるのは紳士の務めですからね。お気になさらずに」



 これが私と「船長」の出会いだったのだけど。
 その時の私は、彼がなんの為にシラトスに居たのかわからなかったし……ましてや彼の「特別な仕事」に自分が巻き込まれることになるなんて、想像もしていなかった。



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