消えていく街・1-4
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 店の整理を終えて、夕食を取りつつ。
 トレイルと船長は、互いの近況を報告しあっていた。トレイルは講師として見聞きした魔術学院でのトラブルをできるだけ控えめに、船長は商人として各地を巡った際に遭遇した事件の事を大げさな身振りと共に語った。トレイルは――時にそれが船長の作り話だと知りつつ――しばしば食事の手を止めては笑った。こんな風に楽しく食事をしたのは、この花屋の店舗を構えて以来、初めての事だ。もともと人見知りの激しいトレイルは、シラトスに長年住んでいるのにもかかわらず、この家に呼んで食事をするほど親しい間柄の友は持っていない。せいぜい、昔の教え子がたまに〈十二師〉としてのトレイルを頼って相談ごとを抱えやってくるぐらいで、当然、そんな時の食事は楽しいとは言い難いものばかりだった。
 和やかな雰囲気で夕食を終え、トレイルは、自慢のティーセット――これは五百年前、競王朝の王妃が使ったといわれる由緒正しいアンティークだ――で、蛇香茶をいれる。この茶は、名前こそおどろおどろしいが、綺麗な黄の色合いとほのかな甘い香りを漂わせる。この香りにリラックス効果が認められているのを知って以来、講師の仕事の夜はこの茶を淹れるのがトレイルの習慣だった。
「ところで船長、カノンはどうしたんですか?」
 カノンというのは、船長がいつも連れている従者の事だ。今の報告合戦の中にもたびたび話にのぼった。この世に一人しかいない『もっとも新しい生命体』で、いくつもの姿に変身できる。トレイル達の師匠が友人と共に生み出した魔術的生命体で、師匠の魔紋の一部を受け継いでいるから、概念的には『師匠とその友人との間にできた子』にあたるらしい。
 〈継続相方位干渉炉《シンクロニック・ライドヒーター》〉〈越境次元神種《トランス・シード》〉〈機構再生反応回路《リプレイ・サーキット》〉の魔術的三位一体を体現する強力な存在なんだそうだ――トレイルの兄弟子の一人であるムーが驚嘆しつつ教えてくれた言葉の受け売りなので、詳しい事はさっぱり理解できないが。
 だが、それは魔術体系から見たカノンのデータでしかない。
 トレイルの特によく知るカノンの姿は、五歳のおませな女の子だ。嫉妬深くて、小利口で、いつも船長につきまとってはしたり顔で説教するような子供だった。トレイルが船長を仮師匠とあおいで一緒に旅をしていた頃など、トレイルを便利な下僕だと思っていたふしさえある。よく抱っこやおんぶをねだられ、彼女を背負ったまま船長の起こすトラブル収拾の為に駆けずりまわったものだ。
 懐かしさと共に、常に船長の傍らに控えている彼女の姿が見えない事が気になった。
 船長は一瞬ギュッと、杖を――食事中も膝の上に置いていた杖を握り直した。
「カノン? ああ、あいつは今回留守番だよ。〈継続相方位干渉炉〉にある人格が多くなりすぎちゃったらしくてね、生態変換がうまくいかなくなっちゃって。だからアイツ、今は初期人格のまんまなんです、五歳児の。そのせいなのかわからないけど、偏頭痛と吐き気、記憶と言語の混乱がおこってるらしい。仕方ないから、〈干渉炉〉以外を停止させて、擬似冬眠をさせてきたよ。眠ってる間に人格内の整理統合が終われば、起きだして連絡してくるはずだからね」
 口調こそさらりとしているが、トレイルは手に力を込めた船長の身振りが気になった。青年はその動作が、船長の不安の現われだと直感的に解釈する。そして、その解釈が概ね間違っていないだろう事を、船長の言動に見出そうとした。
 それに気づいたのだろうか。船長はチラリとトレイルと視線を合わせ、プイとすねたように顔を背ける。
 トレイルに背を向け、緊張をごまかすかのように大きく背伸びをする。
「ああ、久しぶりの自由だ〜! いいなあ、一人って! この街の空気が埃だらけとわかっていても、それでもうまいと感じるこの気分! この気持ち、わかんないだろうな、トレイル君には!」
「念の為聞きますけど、どんな感じなんですか?」
「うーん、そうだね……トレイル君には教えてあげないよ。君はいつも自由なんだからね、カノンに監視されてる私の気持ちがわかってたまるかってんだ」
「……」
 トレイルは、だらしなくシャツの襟元を緩め始めた船長に向かって、心の中で独り言。
――相変わらず子供みたいだな、この人。
 よく考えれば、突然押しかけて来たというのに手土産の一つもないわ、侘びの台詞一つもなければ、久しぶりにあった弟弟子に対して相変わらず威厳の欠片もない――トレイルはそれ以上考えるのを止めることにした。よく考えれば、昔からそういう人だったのだ。今更驚くことでもない。
 そういえば、自分たちの師匠も言っていたはずだ。『この馬鹿弟子は、いつまでたっても無礼な男だ』と。
――むしろ、この人に成長する事を期待する僕が間違ってるのかもしれない。
 そんな言葉まで考えて、トレイルは頭を振った。いやいや、自分に学問のイロハを教えてくれたこの人物を、そこまで貶めてはいろいろ失礼だ――師匠も自分も、まるで人を見る目がないみたいじゃないか。
 自分はともかく、師匠を悪く言うわけには行かない。
 トレイルの葛藤もそっちのけで、燕尾服男は気持ちを切り替え終えたらしい。再びくるりとトレイルに向き直る。
「大体ね、トレイル君。いつまで私はアイツを連れて歩けばいいんです? シラトスが安定するまでって話だったじゃないですか、もう時効でしょう、ねぇ? ああ、もういっその事、カノンのヤツ、どっかに捨ててきちゃおうかな? あいつのことだから、ほっといても成長するだろうし。いつまでも私が面倒みるような相手じゃないよ、あいつは」
「ダメですよ、カノンの事は〈十二師〉全員で決めたんですから、しっかり見てもらいますよ――今回眠らせて来たのは特例になるんでしょうけど。しかもカノンは師匠の子ですよ? いくらなんでも捨てるなんて無茶ですって。もちろん、師匠と〈十二師〉に逆らうつもりなら別ですけど……って、船長がそんな事するわけないか。マニアですからね、船長は。師匠に関するものとずっと一緒にいたいんでしょ? カノンもコレクションだと思えば、楽しいじゃないですか」
 もちろん、カノンを物扱いするのは本心からではない。トレイルなりのジョークだ。いつもなら船長も笑って聞き流す範囲なのだが、今回はちょっと違った。
「なんですか、その言い方は。カノンと師匠の製作物を一緒になんてしちゃダメだ、カノンを個体として支配から解き放った彼女への、冒涜になるよ。大体、私をマニアと呼ばないでほしいな。私はただ、師匠の物を回収できる分だけでも保管してるだけなんだから」
 ムッとした調子で反論しようとする燕尾服の男。意外な反応に小さく戸惑いつつ、トレイルはイタズラ心のまま、大げさに驚いて見せた。
「あれ、違ったんですか? 僕はてっきり、船長は師匠の形見を集めて歩いてるんだと思ってましたよ。大陸商人になったのだって、その為なんでしょう?」
「心外だなあ。もちろん、手に入りそうなら交渉してますけどね。でも十中八九、後世に作られた紛い物ときたら、もう探す気も無くしちゃいましたよ。大体、私は――」
「ならその手の杖はなんですか? 『紅月』って銘でしたっけ? 師匠の形見じゃないですか。四六時中持ちあるってるのは、師匠が船長に預けたからだって大昔にカノンから聞きましたけど?」
 船長は小さく舌打ちしたつもりだったようだが、壁に向かって立てられた音は反響し、しっかりとトレイルの耳に飛び込んだ。
「……あの尻軽道化師め……これだから嫌なんだ、あいつに張り付かれてるのは」
 トレイルはそれを聞かなかった事にして、嘆いてる男の前にカップを差し出す。ちょうど葉が蒸して、色合いと香りが飲み頃になったはずだ。
「で、突然の帰郷はどうしたんです? さっきのカノンの話の続きじゃないですけど、貴方が師匠に逆らうなんて、世界の終わりですよ。……シラトスには師匠の命令で、出入り禁止になったんでしょ? 一体、どうしちゃったんですか?」
「私だって当分、こんなところに来たくなんてなかったですよ〜だ!」
 船長は、茶の香りに誘われたかのように顔をあげた。大げさの極み。目に涙まで溜めている。
 トレイルはため息を一つ。魔術の気配はしなかったから、きっと目薬でもさしたのだろう――船長は昔から、こういった小細工が三度の飯なみに好きなのだ。そんな事をするより、魔術の一つや二つ使った方がずっと簡単に涙顔を相手に見せる事ができるはずなのに、船長は小細工する方を好んで選ぶ。きっと小道具を選んでいる時間が好きなんだろう――トレイルはそう考える事にして、それ以上追求するのをやめた。船長も変わってるが、自分だって『魔術を封印している魔術師』として、魔術師ギルドから見れば変わり者の部類に入ってしまうのだ。一概に人を非難できる立場にはいない。
 船長は自分の目元に溜まっている水を拭いながら、困り顔のパフォーマンスで話を続ける。
「誰がわざわざ、よりにもよってこの街に戻ってきますかってんだ。……でも彼女からの命令なんですから、仕方ないでしょう? カノンが嘘をついてなきゃって前提がありますけどね」
「カノンの魔紋共振回線は、師匠と船長と大陸教会の分しか登録してないんですよね? なら大丈夫でしょう、カノンは船長の身の安全を第一に考えるように教育されてますから。イタズラするにしても、敵地に飛び込ませるような嘘はつきません……っていうか、つけないはずです。そうでしょう?」
 言ってから、トレイルは船長の言葉の端に気がつく。
「え……師匠の命令? 師匠が船長に、わざわざシラトスに帰れって命令したんですか?」
「そうなんだよ」
 船長は懐から一つのペンダントを取り出す。親指大の蒼い石をはめ込んだ細工の淵には、『蒼月』と銘が刻印されている。これも自分たちの師匠から船長に預けられた魔術工芸品である事を、トレイルは遠い昔から知っていた。
「カノンに残ってた通信データをコピーしてきました。見てもらえれば、私がここに来た理由がわかると思うんですけどね」
 テーブルに置かれた『蒼月』に、船長は手をかぶせた。魔術師として力の行き来に敏感なトレイルでも微かにしかとらえられないほどの、小さな術のやり取りがあったのだろう、蒼の石が微光を放って反応する。
 その『蒼月』から放射された光が、人型を形作った。二人のいる居間の片隅にたたずむ、半透明のホログラフ。
 真っ白なトレンチコートと黒いスーツの人物。真っ黒なショートの髪に、鋭い眼光を放つ真紅の左眼と、叡智を湛える漆黒の右眼。背は女性と呼ぶには高すぎ、男性というには足りないような気がする微妙な高さ。肉付きも同様。
 あまりにも中性的なその姿と顔立ちは、ゆったりと着込まれたその衣類と相まって、どちらの性とも断言できないものだった。おそらく、弟子たちでもほとんどが師匠の性別を断言できないだろう。便宜上「彼女」と称されているが、実態はわからない。
 ただ、どちらにしても他人の目をひきつけるだけの美しさと、意識が吸い込まれそうな神々しさが漂っているのは確かだ。映像でこれだけのカリスマ性を放っているのだから、実物を目にした時はどうなることか。他の直弟子たちに比べて師匠との付き合いが短いトレイルなど、会う度その威厳に押しつぶされ跪いてしまうのが常である。魔術とは関係ない生活をおくる人達にとっては、師匠のその能力がどのように感じられているのか想像するのは難くない。
 神と称されるにふさわしい魔術師――それが自分たちの師匠なのだ。
「ホントに、本物の師匠だ……」
 懐かしいその姿に、トレイルは思わず呟き――慌てて口をつぐんだ。ちらりと船長の顔を覗き込むと、真剣な表情で自分の呼び出した映像に見入っている。
 先までのおどけた所作や表情が嘘だったように、その顔には真面目を通り越した狂気さえ感じられた。
 彼がどんな気持ちで映像を見ているのかわからない。だが、簡単に説明できる類の心情でもない事は、その無表情ともいえる横顔からも察する事が出来る。
――邪魔をしちゃいけない。
 師匠と船長の関係は特別なものだ。それがどのような形であれ、いつでも船長は師匠の姿を追い続けている。おそらく何度も見たであろうこの映像も、船長にとっては何度見ても見飽きない類の物なのに違いないのだ。
『……ライル・カイデンを探し出せ』
 外見と同じように、恐ろしいまでに性別のわからない響きで師匠は呟いた。
 真っ赤な唇が、真っ黒な右の瞳が船長を捉えて言葉を続ける。
『殺す事は許さん、殺される事も許さん。……シラトスに行き、奴を探し出すんだ。捜索の障害となるだろうからシラトスの排除コードは解除したが、一ヶ月後には回復させる。……それまでに事を済ませろ、これは命令だ。私をこれ以上失望させてくれるなよ』
 映像は唐突に途切れた。おそらく船長側からの逆探知を恐れたのだろう。
「……師匠の居場所は?」
 恐る恐る尋ねたトレイルに、船長は大きなため息をつきながら否定に首を振った。『蒼月』をしまいながら
「全くわからない。まだ『マスター』を追って次元間移動を繰り返しているのかもしれないし。確かめようにも、私の力や今の文明のレベルでは無理な注文さ」
「無理なのは命令の方ですよ。ライル・カイデンって、あのライル様でしょう?」
 もっとも有名な〈十二師〉であるライル・カイデンは、トレイルの前に〈十二師〉となった人物だった。〈十二師〉とは、トレイルたちの師匠の直弟子――総勢十二名をさす言葉で、例外なく魔術的な長命を得ている。一番新しい〈十二師〉であるトレイルでさえ、既に二百年を生きた。それ以前の〈十二師〉たちにいたっては、もはや神話の時代から生きているといっても過言ではない。
 そして、ライルは神話的存在の一人だった。
 現在の六大魔術師ギルドを影で牛耳ってるとも噂され、二代前のシラトス王室の顧問魔術師だった。そして、船長が仮師匠に任命されるまでの、トレイルの仮師匠だった人物である。
 この有名人を探し出せ? 探し出せというからには、どこかに雲隠れしているのだろうか?
 何よりも心配なのは……
「ライル様を探し出せって、船長に命令するなんておかしいですよ。ライル様が船長をシラトスから追い出したんですよ? 大体、ライル様はずっと前から、船長を殺そうとしてるじゃないですか!」
 師匠が何を考えているのかわからない。
 船長は首をかしげて、トレイルの顔を見下ろした。
「仕方ないさ、それに見合うだけの事を私はしちゃったんだから。昔から真面目で責任感の強いアイツが、同門の恥とばかりに私を消しにかかるのは予測できてたわけだし」
「でも……ライル様が居なくなっただけなら、別の人に命じればいいじゃないですか。僕が探したっていいでしょう? どうしてわざわざ船長を指名するんですか? 師匠だって、船長がどんなに苦労してライル様の追っ手から逃げ回ってるのか知ってるはずですよ? なのにそれって――」
 まるで殺されて来いといってるようじゃないか――トレイルは言いかけ、船長の目に気づいた。
 困ったような、呆れてるような、そんな目でトレイルを見ている。教え子の視線に気づいて、大陸商人は肩をすくめながら口を開いた。嫌な事を報告する時のように、早口でまくし立てる。
「君の言いたい事はよくわかるよ。正直に言えば、私も最初はそう命じられたのかと思ってショックだった」
「ならどうして――」
「でも私は、彼女に命じられた事をするだけだ。今までもそうだったし、たぶんこの先もそうだろうね。それが私に出来る唯一の事なんだろうし。それに『殺される事も許さん』って命令されてる。少なくともあの人は、まだ私が死んでわびる事を許したわけじゃないって事さ。だから……私はただ全力をもって彼女に尽くし、彼女の意図するとおりに動くだけだね」
 トレイルに向かって寂しげに笑いかけると、船長はどかっと椅子の背もたれに身をゆだねる。手をつけられる事なく忘れ去られていた蛇香茶のカップを片手で取り上げながら、船長は
「さて……これで私がここに戻ってきた理由はわかると思うんだけど。どうして真っ先に君のところに来たのか、わかるね?」
 トレイルはうなずく。
 目の前でお茶の香りを確かめた後、ゆっくりとカップに口をつける船長を眺めながら
「まず断って置きたいのは、僕はライル様の居場所を知らないという事です。期待されていたのなら申し訳ないですけど、船長が追放されてからの僕とライル様は、同門っていってもほとんど交流がなかったもんですから」
 一時は仮師匠だったとは言え、ライルはトレイルを船長側の人間として嫌っている。トレイルも自分を「魔術師になれない」と判断したライルを、好んで近づきたい相手とは思っていない――寂しい事だとは思っているが。
 その二人の関係を知ってるからだろう、船長はティーカップを傾けながら、とんでもないと手を振ってみせた。
 トレイルは脳裏で目まぐるしく動くライルに関するデータを整理しようと、あえてそれらを口にしてみる。
「ええっと……ライル様の消息を知る方法は結構ありますよね。所属してる六大魔術師ギルドや大陸教会、顧問魔術師だったシラトス王室に問い合わせるとか。人探しならシンプルに裏ギルドに依頼するっていう手もありますし……でも、どれも船長とライル様の確執を知ってる機関だ。下手に顔を出したら、ライル様に告げ口されちゃう。だから船長は、〈十二師〉としてライル様に接する機会もあって、消息を調べるにしても自然な立場にいて、且つ口の堅い僕を選んで真っ先に飛んできた、と。要するに、もし僕がライル様の居場所を知らなくても、〈十二師〉である僕を窓口にして調査しようって考えてる……僕のところにいの一番にやって来た理由は、そんなところなんでしょう?」
 船長は芝居がかった動きで目を丸くさせると、口に含んだ蛇香茶をゆっくりと嚥下した。にやりとしてトレイルに同意する。
「うんうん、上出来、上出来。わかってるじゃないか、私好みのお茶は、だけどね」
 カップをテーブルの上に置かれた皿に戻しながら、船長は指を一本立ててみせる。
「でも今一つ、考慮が足りないな」
「え? ……何です? 他に何かありましたっけ?」
 忘れられちゃ困るなと、船長はトレイルの額に指を突きつける。そのまま指先でぽんと額を押しながら
「一番大事なことじゃないか。君の将来だよ」
「? 僕の?」
「私の味方をしてるって誰かにばれたら、シラトスに居られなくなるかもしれないよ。いいのかい?」
 ライルはシラトスの守護者、忠実な〈十二師〉として女神の代理人として認知されている人物だ。ライルが敵だとみなしている船長に、シラトスの住人がどんな危害を加えてくるか想像もつかない。ほとんどのシラトス住民にとって〈十二師〉は神話だが、ライルだけは、政治中枢の人物として現実なのだ。当然、その船長に組するものとしてトレイルにも害が及ぶ可能性は十分にある。
 それは困る。かなり困る。命の問題は当然のこと、この店のローンだってまだ払いきってないのに。
 困ったと心の底から感じたのを察したのか、船長は苦笑しながらトレイルをなだめた。
「君を窓口にする方法は無理だ。大丈夫、君がライルの居場所を知らないという話を聞けただけで儲けたよ。少なくとも、〈十二師〉は彼女がライルの姿を見失ったという事を知らないという事がわかったからね。念の為ベルーのトコロに行って確かめるけど、〈十二師〉が事情を知らないとなると、失踪は政治的な判断である可能性が出てくるだろ? そうなれば君とは関係ない話になるじゃないか。安心しろよ」
「どうして政治が?」
 おいおいと船長は更に苦笑を深める。
「〈十二師〉と現行政治は相互不干渉を暗黙の了解としてるからね、たとえ〈十二師〉であるライルに関する問題でも、政治的な部分が絡んでるなら〈十二師〉に話が行き渡らないのも道理だ。神学的な話なのかシラトス王室内の話なのか、現段階じゃどの分野かを特定するのは難しいけど」
「……じゃあ、どうやってライル様の場所を調べるんですか? 政治の話になっちゃうなら、部外者には調べにくくなっちゃうでしょう? 教会や魔術師ギルドの問題ならともかく」
 うーんと、船長は大げさに嘆きながら腕を組んだ。
「君は知らない方がいい」
「なんでですか?」
「大抵のギルドは、君が極力魔術を使わないようにしてる事を知ってるからね。もし私とつるんでると知れたら、君を人質に取るかもしれない。この問題に深入りするつもりがないなら、これ以上私の行動を知ろうとしない方が身の為だよ?」
 一理ある。
 あるけど、ここで投げ出されては、トレイルの立場がない。戦力外通告を受けたようなもんだ。ムッとして食い下がったのはトレイルらしくない行動だったが、感情的になった人間の行動なんてそんなもんだ。
「ここまで知らされておいて、僕に降りろっていうんですか?」
 船長は船長で、そんなトレイルの言い様が気にいらなかったらしい。嫌そうに目を細めて
「しょうがないだろ? それともなんだい、君は自分の仮師匠二人が殺しあうところを観たいって言うのかい? 私は君をそんな風に育てた覚えはないんだけどね。私だって君の娯楽の種になるのはご免だ」
 仮師匠二人が殺しあう――確かに、その可能性もないわけじゃないのだ。
 船長は自分が顔をしかめている事に気づくと、大きく手を広げて見せる。商人たちの間で『これで値段交渉は終わり』という合図の、市場の神への印を指先で描く。
 そして、場の空気をとりなすように大きく背伸びをすると、あくび交じりに笑った。
「そういうことで理解してくれないかな。なんと言われようと、後は私だけでやるつもりです。君はここでお花を売ってなさい。その方が君らしいし。それに……今の私はただの商人だよ、トレイル。アキが何も言ってこない以上、私はライルを見つけ出すだけです。それ以上、何もする気は無いんだ――魔術師らしい事はね。君が心配してるような事は、多分おこらない」
「でも船長――」
 このまま放っておけるほど小さな問題じゃないはずだ。下手をすればシラトスの魔術師たちがが船長側とライル側に二分され、全面的に戦争状態になるかもしれないのだから。相手が女神に仕えてる〈十二師〉という、宗教的な立場としても重要なポストについているだけに、二人の争いはそのまま宗教戦争に発展しかねない要素も含んでいる。
 その引き金を引くのが、もしかしたら自分になるかもしれないのだ。
 かといって、船長の探索に参加すれば自分の身が危なく――ライルに組する者たちに情報を流せば、大恩ある船長を大きな危険に晒す事になる。
 どうすればいいんだ?
 悩むトレイルに、船長はやんわりと笑いかける。席を立ち、ドアに向かいながら
「それじゃおやすみ、トレイル。続きは明日の朝にでも話そう。今日はもう眠くて眠くて……お茶、ごちそうさまでした」
 船長は最後に大きなあくびを一つ残し、扉の向こうに消えた。
「え? あ……おやすみなさい」
 遅すぎると思いつつ、もう誰もいなくなった扉に向かって声をかけるトレイル。自分も眠くなってきたと思いつつ、頭の中心は船長たちの事で昂ぶっている。
 船長はあんな風に言っていたが、本当に明日になってから話し合ってくれる保障はない。それは見習い時代から骨身にしみてわかってるトレイルだ――あの人はトレイルを困らせる為だけに、明日の朝フイといなくなってもおかしくない人だから。その性格が全然変わっていないのは、店の屋根にのぼってトレイルを待っていた事からでも推測する事ができる。彼が屋根にのぼった事に意味など無かったはずだ、帰ってくるだろうトレイルを慌てさせるという目的以外には。
 だがその奇行が、船長の居場所をライルに知らせているとは思わないのだろうか?
 いや、仮に思っていたとしても、彼が遊び心を放棄するとは思えないけど。
――こうやって考えると、本当に船長は不利な立場なんだなあ……
 せめてあの奇行さえなければ、穏便に大陸商人を続けていられるのだろうに。下手に目立つ行動をとるから、いつもいつも余計な攻撃まで受けているに違いない。
 『真面目なライル』が、『不真面目な船長』を嫌ってるのもむべなるかな。
――もちろん、それだけじゃないのは他の〈十二師〉からイロイロ聞かされたけどね
 船長が、トレイルの前にライルを教えていたなんて……今からじゃ想像がつかないのだが。
 若い頃の船長とライルがどんな風に毎日を過ごしていたのだろうと、ぼんやり想像を膨らませるトレイル。だが、途中ではたと思い出した。
「あれ? 船長が『眠い』?」
 彼はちょっとした睡眠障害をもっている。彼が『眠い』という単語を使うのは稀だ。あくびまでして見せたという事は、本当に眠いのか?
 彼の不眠症を知っているトレイルから見れば、あの会話を打ち切りたかっただけのように見える。
――その分、僕によく考えろって事だろうな……
 自分の進退に関わる問題だ。考えなきゃならないとわかってはいるのだが、久しぶりに会った仮師匠の事をついつい考えてしまう。
 船長は今、眠れぬままにトレイルが答えを出すのを待っているのだ。
 自分の部屋で待ちながら、眠れないまま、一体何を想っているのか。
 自分を排除しようとしているこの街に居て、自分を殺そうとしている人々に囲まれて、味方であるはずのトレイルさえも頼りきれず、常に自分を見守りつつ手助けしてきた供も連れず……たった一人、敵地で眠れぬ一夜を過ごしてる人間が何を想うというのだろう?
 ここは、彼が眠れなくなるほど忘れたいと願っている、そんな呪わしい過去を突きつけ続けるシラトスの地。ここに居るだけで、彼は自分の罪を思い出し、苦しめられているはずだ。
 そんな魔術都市で、彼は何を想えば安らかな気持ちで居られるというのだろう?
 忌まわしい都市、忌まわしい過去、忌まわしい人々……船長にとって悪意の塊のような都市。
 自分ならどうするだろう? 自分が船長なら、この街をどう思うだろう?
 自分なら――僕なら……。



――こんな街、消してしまいたいけど。



 自分の中から出てきた言葉に、トレイルは嫌な予感が背筋を走るのを感じる。
 そんな事が出来るわけないと打ち消しながらも、それでも一抹の不安は心の奥に残り続けていた。



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