「案君・潔秘」 3・突入
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 盛氏軍の前衛に配置されていた騎兵と歩兵の一群は壊滅しているが、今回の一波で倒せたのはせいぜい一万であろう。騎兵も弓兵も、軽戦車部隊も残っている。
 なによりも、符術師一千人の方が気がかりだ。
 だが、敵の副将軍である彫将軍が符術師であるという点が、潔扇にはありがたい。
 彫将軍が符術師ならば、まず最初に戦撃符術の心配をするはずだ。騎兵の訓練を積んできた武人の将軍は、時に軽く見がちな符術であるのだが、符術師の将軍ならば特に戦撃符術の恐ろしさを良く知っている。まずはその対策に手を着けるに違いない。

 一撃で戦の流れを変えてしまうと言われる戦撃符術の出現によって、東方の戦いは大きく変わった。
 通常の符術は、一つの札に記された文様その組み合わせ、それを記す為に使われた様々な薬品の混合物による墨で龍脈を利用し、自然を操るものだ。
 それに対し戦撃符術は、大きな符術台に並べられたいくつもの薬剤と、そこに留められた龍脈と、それら符術台の配置や組み合わせによって発動する、巨大な符術だ。
 使用できる内容は様々だが、たとえば戦撃符術と呼ばれる段階まで巨大化した火球弾による被害は、三千の戦車部隊を一瞬にして壊滅させるという。
 そんな符術が本陣に直撃すればどうなることか。
 いや、互いに戦撃符術を見境なく発動させれば、互いに互いを全滅させる危険があるという事実がある。
 だからこそ、戦撃符術に対抗するべく、戦場が決定した瞬間、戦撃符術の威力を軽減する為の防衛符術を準備するのだ。
 現在、二つの陣は防衛符術を発動させていない。
 鴻君側は、符術を準備することで敵の符術師に龍脈の乱れを悟られないように。
 盛氏軍側は、戦場をこの先に展開すると仮定していたが為だ。
 その場の力を利用して発動させる符術は、現場でしか発動できない。先に防衛符術を使用しても、この場にその保護が展開されるだけで移動先には付いてこない。その為に、本陣を確定してから符術を使用するのだ。
 蔭白師は急いで防衛符術を用意しているだろう。ただし、当初より本陣を丘陵の頂上にと確定していた為、盛氏軍より有利でもある。先に到着している蔭白師率いる百人の符術部隊が第二の本陣を設置しているからだ。そこに防衛符術の八割方の準備は終えておくとも約束していた。
 人の意思を元とする西方の魔術とは違い、符術の場合、百人の符術師だろうが一千人の符術師だろうが、防衛符術の準備内容は変わらない。
 一千人の方が早く準備が終わるだろうが、龍脈の力は川の流れと同じものである。川をせき止め、水を貯める作業に近い。
 となれば、結局、符術が利用可能になるまでの時間はさほど変わらないという。
 もちろん、一千人の符術師に利点がないわけではない。
 蔭白師が防衛符術の準備を八割方終えていたように、その十倍の人数ならば、すぐに発動できるよう、戦撃符術の準備をいくつも用意しておけるということである。
――それでも、暴走を警戒すれば、一日に三度が限界だ。
 自然の力を利用する為、戦撃符術を使用するにはその地にある力を互いの陣営で奪い合う形になるという事実がある。
 あまりに個々の戦撃符術陣が近づきすぎると、符術そのものが発動する為の力が集まらないという事態にもなり、それどころか二つの戦撃符術が連鎖的に暴走し、各軍が一瞬にしてほぼ全滅するという悲劇も起こり得るという事実だ。
 その例としてもっとも有名なのが、東方六十州成立直前に起こった「五主帝戦役」の一つ、「艇丁関の悲劇」だろう。
 双方の陣に組まれた計8つの戦撃符術が暴走し、二十万の兵士が一瞬にして土石流と何本もの竜巻の餌食となった。
 翌日、近辺の村には文字通りの血の雨が降り、バラバラに引き裂かれた手足が五十キロ先の民家に降ってきたという噂まである。
 土石流が発生した山では、河川に吹き出した溶岩が流れ込み川を塞ぎ、その流れを変えてしまっただけでなく、本来ならば噴火口に溜まる硫黄や鉄、沸き立つ温泉なども流れ込み、人はおろか動植物が近づけぬ地獄のような土地となって荒れ果てた。
 そもそも、艇丁関は名前の通り、美しい船の形をした山並みを讃えられた風光明媚な観光名所であり、火山の様相など欠片も見あたらなかった場所である。
 その地に起こった悲劇を、符術師のみならず、戦撃符術を用いる軍人たちが知らないわけがない。
 それを踏まえて考えるに、戦撃符術は何度も重ねて使える術ではない。
 戦力にまだ余裕がある盛氏軍は、戦撃符術の準備が完全に終わったとしても、すぐには使用しないはずだ。
 その前に、鴻君の部隊が符術師部隊に到達し、符術台や符術陣を破壊すればいい。
――その前に、符術師を守ってる雑魚が邪魔だ。
 その為の、雷姫だ。



 潔扇の眺める眼下の景色、その盛氏軍の中に焦りの色が見えた。
 西側の丘陵の林の中から、黒と金の鎧で武装した騎兵が駆け降りてくる。旗印には雷の文字。
 雷姫の騎兵隊だ。



 雷姫の軍は駿馬を与えられた切り込み隊でもある。
 斑将軍たちの兵が使用する為に弓を全部与えてしまった為、雷姫たちに支給する弓は無くなってしまったが、それを鼻で笑う猛者たちばかりで構成されている部隊でもある。
 彼らは弓の代わりに、革紐で作られた投石器や、機械仕掛けの投石機を用いて、馬上からの射撃攻撃を開始した。
 そして、驚く盛氏軍の弓兵たちに、一直線に切り込む。
 盛氏軍の弓兵は、領民の中から主に狩りを生業にしている者を徴兵して用いている。獣ならともかく、人間の振るう刀剣と戦う術を持っている訳がない。訓練はしているのだろうが、騎兵に対抗できる程の訓練時間があったとも思えない。
 彼らが苦し紛れに振るってくる山刀など、荒々しい武人の集団である雷姫の騎兵隊に通用するわけがないのだ。
 弓兵の一団を一気に突っ切り、その背後に控えていた歩兵の一団の半ばまで、楔のように入り込む。
 そして、そこで旋回だ。
 地中に埋めた指を曲げるように、土を掘り出すように、雷姫の率いる一団は兵を囲って削り取りながら退却を開始する。
 その行き先は、数え切れない死体が転がったままの、鴻君の足下の丘陵である。
 しかし、本陣の西側に位置していた彼らは、南側に配備されていた騎兵たちがどんな目にあったのか知らずにいる。知っていたとしても、自分たちの行き先が同じ惨劇の場所だと気づいていたかどうか。
 しかし、潔扇が驚いたのはその後だ。
 雷姫は南に旋回して歩兵たちを引きずったまま、再度東へと転進したのだ。
 歩兵たちの援護をしようと走り出していた騎兵と軽戦車の中へ突き進む。
「無茶だ!」
 思わず声を上げた潔扇に、鴻君も振り返る。
 雷姫の軍勢は、騎兵たちの間をすり抜け、さらに奥にある本陣に接触。
 そこで再度旋回し、改めて南の丘陵を目指す。
 すり抜けられた騎兵たちは、振り回された自軍の歩兵たちによって身動きできず、転回することも困難だ。騎兵でもできないところへ、軽戦車の一群ができるはずがない。
 そこへ、再び楔のように切り込む雷姫たち。
 背後から兵士たちを切り倒し、歩む道を作り、動けない騎兵も軽戦車の御者も薙払う。
 そしてついに、楔の先端が盛氏軍の中を突破した。
 先頭に立つ雷姫の、黒と金の鎧がはっきりと見えた。それどころか、返り血がその鎧からこぼれ落ちる様まで見えた。
 その雷姫の一団を頭に、怒り心頭で追い始めた盛氏軍の姿は、まるで毒蛇だ。雷姫隊という三角の頭部を持つ巨大な蛇である。
――なんて女だ! 鬼神か! 鬼女か! やっぱりおっかねぇ!
 予定外の旋回で、彼女が引き連れてきた兵は敵軍全体の三割ほどにも見えた。四千にも満たない騎兵の一団が予想外の位置から現れ、しかもあっさりと本陣に迫った事実は、武闘派の傳将軍の怒りを引き出したのかもしれない。
 事実はともあれ、最初の接触からほんの半時間たらずで、雷姫は本陣の兵まで引きずり出して見せたのだ。
 雷姫の駆る駿馬が、死体の転がる丘を駆けあがる。障害物の無かった潔扇達で十数分。それを避けながらの彼女らは、倍の半時間と見て良いだろう。
 潔扇は指揮戦車の中に手を突っ込み、蔭白師を呼び出す。
「蔭白師、雷姫の動きを見ましたか?」
 ややあって、咳き込む物音が聞こえた。饅頭でも食していたのだろうか? これだけの死体と血の匂いを前に食事ができるとは、やはり変わり者だ。
――いつになっても予想外のことをしやがるこの神官が、一番警戒するべき人物かもしれねぇなぁ。
 急ぎの件だ。聞こえてはいるだろうから、要件を話してしまうことにする。
「雷姫が予定以上の兵を誘導しています。斑将軍の弓で止めきれない可能性がある。戦撃符術の用意はできてますか?」
――できないなら、馬返しの周囲で雷姫と近衛兵で時間稼ぎをさせる。でも防衛線の死守はこちらの被害も大きくなるはずだ。おっさん、頼むぜ?
「軍師さんの予定している戦撃符術は?」
 さすがに真面目にならざるを得ないのか、比較的緊迫した声色での返答。
「作戦会議で言われたのは、派手な奴を一撃用意って話だったぜ?」
「かまいません、やれますか?」
――種類なんてどーでもいいんだよっ!
「予定時間と場所は?」
「井行防衛線と阿行防衛線の間に。おそらく、前回の様に阿行防衛線の中に全員を引き込むことはできません」
 予定していた歩兵と騎兵ぐらいなら間に合ったのだろうが、本陣の一部まで動き出したなら話は別だ。
 弓で迎撃する兵と、符術で迎撃する兵を二等分しておかなければ。
「防衛符術はどうする?」
「連続して用意することはできますか?」
「防衛符術を後回しにする覚悟があるなら」
 符術に使用する龍脈を川の流れだとするなら、今まで一つの器に全部引き込んでいた水の流れを、二分することになるのだろう。
 先に準備しておいた符術への流れを完全に断ち切ってしまうと、不完全に術が発動してしまい、一からやり直しになってしまう。
 そして、先に取り組んでいた防衛符術に使用するよりも早く、戦撃符術は用意できると蔭白師は言っているのだ。
 それはつまり、こちらが防衛符術を発動するより早く相手の戦撃符術が直撃すると、鴻君を守りきれない可能性が高いという意味でもある。
「手は打ってあります」
「わかってる。だが間に合わないかもしれねぇ。それでもいいんだな?」
 潔扇は、自分の顔をじっと見つめる鴻君に振り返った。話は聞いていたはずだ。着慣れぬ鎧を身につけた鴻君は、どこか幼い子供のようでもあったが、反面、その表情は脳裏で何かを想い描いている人間のそれで、目つきは酷く遠かった。
 だが、潔扇の視線に気づいたのだろう。ゆっくりと目を合わせてくる。
 そして鴻君は、笑った。
「皆が全力で戦っているのはわかってます」
 潔扇は頷いた。
 鴻君が事態の恐ろしさをどれだけ理解しているのかわからないが、お許しはでたのだ。
「蔭白師、戦撃符術の用意を。私は鴻君をお連れします」
「わかった。待ってるぜ、軍師殿。百姓と呑んだ時にもらった饅頭ならべて、お待ちしてるからな」
 半獣人の神官は、ガハハハと牙をむいているのだろう笑い声を残し、伝令符を終了させる。
 鴻君は無言で指揮戦車に乗り込んだ。潔扇も近衛兵たちを二つに分けさせ、一部を指揮戦車の護衛としてさらに丘を登るよう指示。残りの歩兵と近衛兵に馬返しの周辺で防衛するよう命令した。
 ただし、雷姫が到着したら、歩兵には後退するよう告げた。強行軍の上に丘陵を走らされた歩兵だ。一時間やそこらの休息で回復できるとは思えない。武人たちは承知の上で行っている戦だが、歩兵の彼らはかり出されただけなのだ。これ以上の無理を強いるのは、全体の士気にも関わる。
 残された歩兵たちのどこかうらやましそうな視線を感じつつ、指揮戦車を出すように指示する。
 鴻君は再び、あの茫洋とした遠い目で、丘の斜面を眺めていた。



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