「案君・潔秘」 4・切迫
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 丘陵の頂上で指揮戦車から降りると、蔭白師が黄色と赤の神官服で出迎えた。赤が東方の太陽神を現し、黄色が西方の月神を現す、蔭白師だけが着用を許されているという神官服だ。
 灰色の剛毛を太い指ですきながら、やはり灰色の髭だらけの四角い顔を歪めさせ、牙をむくように笑う。
「おう、軍師殿。昨夜以来、半日でずいぶんご活躍じゃないかい?」
 そして、部下に持たせていた紙袋を、潔扇の後ろからやってきた鴻君に向かってさしだす。
「百姓たちからの差し入れです。将軍たちがうるさいでしょうから、毒味はすませておきました……その分、全部半分に割れてますが、ご安心めされよ」
 神官なりの気遣いなのだろうが、半分に割れた饅頭を渡されても、渡された方が困ってしまう。ましてや、戦場の悲惨さを眺めてきたばかりだ。
 さすがの鴻君も、引きつった笑みしか出てこない。
 潔扇は毎回気がつく度に陣営から姿を消している、この移り気で気ままな高位の神官に呆れつつ訪ねる。
「いつの間に百姓と仲良しに?」
「我々が初めて鴛城に行く時さ。山の街道から、同じ道を使って行っただろ? その時に病気をなおしてやったり、符術で水路を整備した事があるんだよ、俺と俺の部下で」
 その時のお礼だという。だとしても、ここに到着した前後の時間の、一体いつ、どの機会に抜け出していったのか見当もつかない。
 裏を返せば、彼は常に潔扇の想像の範囲外の事をしてのける輩なのだ。雷姫の行動は筋が通ってるが、蔭白師の行動は未だによくわからない潔扇でもある。
「逃げる時には匿ってくれるってさ。ありがたいことだね」
 両手両肘を合わせて拝む蔭白師。
――ホントに、喰えねぇおっさんだ。
 負ける時の算段は念の為にと作ってあるが、他人がしているとなると癪に障る。反面、予備の案があるのがありがたいのも確かだ。
 設置していた本陣へ鴻君と潔扇を案内しながら、蔭白師は小声で囁いた。
「こちらに来るまでに、戦撃符術の範囲を調べさせておいた。ありがたいことに今のところ、あちらさんの符術師部隊は進撃する予定がないみたいだから、地点観測と通常の戦撃符術の範囲内での話になるが」
「通常の?」
「あちらの副将軍は符術の専門家なんだろ? 俺や俺の部下は、西方に行ってた分、少しは魔術も使えるし、それまで覚えていた符術の熟練者ではあるんだが……新式の符術が開発されていても、それを学ぶ時間が無かったんだよ。専門家相手じゃ、なにしてくるかわからねぇって事だ」
「それは仕方ないですね。それじゃあ、通常の戦撃符術では?」
「大丈夫だ。少なくとも、この上までは届かない。進軍して来たら保証はできないけどな」
 本陣の天幕の前に来た時、鴻君は足を止めた。
「待ってください、潔扇先生。私の身を案じるなら結構です、防衛符術が発動するまで、どうか一緒に戦を見せてください」
――何を言い出すんだ、このおぼっちゃんは?
「……我が君、戦を簡単に考えないでください。すぐ下まで、敵が迫ってるんですよ? 戦撃符術が――」
「これは私の戦でもあるのです、潔扇先生。貴方だけの戦ではありません。私は貴方の主として、貴方の采配を見届けなければなりません。今後の為にも」
 鴻君は本気だ。一歩も引かないという姿勢で、腕を組む。
「我が君は、私を信用してくださらないと?」
「信用しています」
「ならば、なぜ?」
「貴方が貴方自身を信用していないからです」
「どういう意味でしょうか?」
「貴方が自分の策に自信を持っているならば、自分の身が安全だとわかっているはずです。ならば、貴方の側が一番安全だ。違いますか?」
――畜生。確かに一理ある。だけど、俺が死んでも戦には勝てるが、あんたが死んだら負けなんだぜ?
「私は、貴方の策を信じます。その証拠に、貴方に同行します。手に入れたばかりの貴方を、見極める間も無く失うわけには行きません。貴方の死は私の死と思っていただきたい」
――おいおい、大きく出たな。ますます迂闊なことはできなくなったってわけだ。俺を間者と疑っているわけではなさそうだが、厄介な荷物なのは間違いないな。
「……私は、自分の身を守れる程度の剣術は学んでます。しかし、我が君をお守りする程の力量とは到底呼べません。万が一の時には、貴方を見捨てて逃亡せざるを得ない」
――ってなわけで。諦めなよ、ネギ介殿。
 ところが鴻君は、意味ありげに蔭白師に目を向けた。
 蔭白師は我関せずとばかりにそっぽを向いていたが、主君の視線に耐えきれず、大きくため息をついた。
「潔扇先生、我が君は西方で細剣の扱いを学んできている。お命を狙った賊を刺し殺した経験もある。鴛君とは違う」
――聞いてないぞ、そんな話!
「ちなみにこの件は、雷姫も知らない。知られたら、私の命が危ない。そういう事だ」
 蔭白師がおどけて首をはねられる仕草をしてみせる。
――つまり、蔭白師が鴻君をお忍びで連れ出して、その最中に暗殺されかかったってことなんだな?
 となると、潔扇の想像していたような、ただのおぼっちゃんではなさそうだ。
――いや、これはこれで良いぞ。相手への最大の挑発になるし、主君自らが鎧姿で指揮をとっているならば、オレよりもよっぽど士気があがる。流れ矢だけは警戒しなきゃならねぇけどな。
「……わかりました、我が君。それでは、ここの斜面の端までは許可しましょう。兵士たちに見えるように、私の指示に従って采配をお願いします」
「ありがとう、潔扇先生」
 潔扇とさほど年の違わぬ主君は、子供のようにゆるんだ笑みを向ける。
 とても、人を殺したことのある人物とは思えない。あいかわらず、腰の据わらぬネギ介だ。どうやって細剣を使うのか見当もつかない。
――不思議なおぼっちゃんだ。
 潔扇は流れ矢対策にと近衛兵の二人に声をかけて盾をもってこさせながら、そんな言葉を思い浮かべた。


 そんな間にも、雷姫は大軍を引き連れて丘陵の登坂に取りくんでいた。
 先の攻撃で転がる多くの死体に、馬も足を取られがちで登るのが困難そうではあったが、それは後ろに続く部下たちも、そして追っ手も変わらなかった。
 ただし、雷姫たちはその兵の死体がどれだけ多いのかを一望できたが、追っ手たちにはわからない。自分たちの前に攻撃した者たちが打ち倒されたとは思っていただろうが、よもや、それが数千単位の死体とは思っても見なかったのだろう。
 その均衡がわずかに崩れたのが、雷姫隊に追いついた敵の騎兵隊だ。
 本陣本隊の一部と合流し、自軍の歩兵を蹴ちらさんばかりの勢いで追ってきた騎兵たちは、雷姫たちが捜し当てながら登ってゆく坂をたどるようにして速度を上げた。
 そして、ついに雷姫隊の最後尾に剣を振るう。
 最後尾の兵士は、一撃目をうまくかわしたと見えて馬上でよろめいたが、更に追ってきた別の騎兵に切りつけられてのけぞった。
 だが落馬する際、自分を死に追いやった騎兵の乗馬に切りつける。足首を切られた馬が驚いて棹立ちになり、後ろからやってきた騎兵たちに押されてバランスを崩し倒れる。そのまま、斜面をわずかに滑って敵兵をなぎ倒した。
 その騒ぎは、最先端を行く雷姫の目や耳にも届いたようだ。振り返った雷姫は、黙って鞍にぶら下げていた投石器の革紐を手に取り、投石準備の為に振り回し始めた。
 彼女の副官が気づいたらしく、皆に号令をかける。口々に叫ばれるその命令は、潔扇のところにまでかすかに聞こえた。
「投石用意!」
 続けて最後尾になった騎兵たち数人が、槍で牽制しながらなんとか逃げ回り、時には敵の手にかかって倒れていくなか、雷姫の騎兵たちは口々に叫ぶ
 叫びながら、皆が革紐を回しながら坂を登る。
 女の怒声。雷姫のものだったのだろうが、言葉までは聞こえない。
 一斉に放たれた石礫に、敵の騎兵たちの足が止まった。
 再び次の石を準備しながらも、雷姫隊は登坂の足を止めない。
 だが……確かに投石の効果はあったが、焼け石に水も同然だ。
 潔扇は敵の騎兵たちの多さを考慮して、意を決した。
 懐から鏡を取り出し、隣の丘陵との境目に生えた灌木の、坂の中腹に向けて光を反射させる。一度ではない。三度、手で光を遮り、拍子を合わせる。
 しばらく立つと、逆に本陣へ向けて三度瞬く光が見えた。
 そのまま潔扇は機会をうかがう。
 ついに、雷姫達の隊が馬返しの設置してある、丘の踊り場に到着した。
 思わず安堵の息を吐く潔扇と鴻君だ。顔を向けると、鴻君も潔扇に振り返ったところで、目が合うと満面の笑みを浮かべた。
――いや、あんたの安堵と俺の安堵は違うぜ?
 雷姫の身を案じてないわけではない。だが、それだけじゃないのが軍師であり、むしろ作戦の段取りがうまく行っているかの確認で安堵しただけだ。
 ざっと踊り場を見渡して見る潔扇。
 数度の投石でなんとか凌いでは来た雷姫隊だが、さすがに十数名の被害は免れなかったようだ。とはいえ、平地での誘導による百数名の被害と合わせても、十分な成果だと言わざるを得ない。
 百名の死で、その二十倍以上の敵を引きずってきたのだ。責める要素はどこにもない。
――その百名の犠牲が人間だってことを忘れなければな。いちいち兵士の死体なんて数えてウジウジしてたら、軍師なんてやってられねぇよ。わかってるさ。
 そんな物思いの合間に雷姫が下馬。即座に馬返しの裏で控えていた歩兵から槍を奪い、斜面に向き直った。
――まだやるか、鬼女将軍! 自ら!
 雷姫の部下達も次々馬返しの内側に到着する。追ってきた敵兵が同様に内側に入り込もうとするのを、控えていた歩兵達と共に串刺しにして行く。
 雷姫も雷姫の部下も、歩兵と共に槍を振るい、斜面からやってくる敵を迎撃し続けている。雷姫は一人の兵士を槍の調達係に任じ、貫いた槍を引き抜く間もなく次の槍を受け取って突き立てる。
 その戦いぶりに、交代するはずだった歩兵達も度肝を抜かれたようだ。退却することも忘れて彼女の周りに集い、共に戦い続ける。
 潔扇も彼女の動きに目を奪われそうになったが、押し寄せる敵の数で我にかえった。
「蔭白師」
 弓と符術のタイミングを見ているはずの蔭白師に声をかけると、まだだと首を振った。
 井行防衛線の内側に、予定していただけの追っ手が入りきっていない。
 もっと、敵を急かす要素が必要だ。
「最終防衛線の近衛兵隊長に伝令を! 歩兵達を予定通りに退却させろ。敵を引き寄せるんだ」
 馬返し周辺の守りは手薄になってしまうが、仕掛けを動かすには敵の注意を更に先へと向けさせなければならない。
 伝令符ではなく、近衛兵の一部が馬を駆って飛び出してゆく。この乱戦の中、伝令符を使ったとして、声が届くかどうか。生きた人の声の方が間違いなく届く時もある。今がその時だ。
 潔扇の指示が届いたのか、歩兵達は少しずつ残りの坂を登り始めた。彼らの姿を見て更に、追っ手は本陣への道のりを考えるだろう。
 後は、仕掛けの機会を伺うだけだ。
 潔扇は兵士達の密度を見極めようとしながら、馬返しによる最終防衛線が突破されないかと、胃を握られるような気分で眺める。
 馬から下りた雷姫は、底なしの体力と恐ろしい早さで動き続けていた。
 彼女の強さはその早さだと漁将軍に教えられた事がある。
 早くて正確。故に無駄がない。無駄がないだけに長く動けるのだと。
 だが、その体力がいつ潰えるのか、気が気でないのも確かだ。そして、彼女を失うことは鴻君だけでなく軍にとっても大いなる痛手であることは間違いない。撤退させられるなら撤退させたいのが本音だ。
 それでも潔扇は、作戦の為に反対の事を願わずにはいられない。
――もう少し、もう少しの間だけ暴れてくれ、雷姫!
 騎兵と騎兵がぶつかりそうになって槍を振るえないほどの密度まで、騎兵の馬と歩兵がぶつかりそうになっておののくぐらいまで。
――頼む、やってくれ!
 不意に肩を叩かれた。
 蔭白師だ。鴻君に弓の合図を送る鐘のバチを渡しながら、潔扇に顔を向ける。
 初めてみる真顔。
 初めて聞く声色。
「彼女は強い」
 頭を殴られたかのような一言だった。
 蔭白師はしばらく潔扇の顔を眺めて、自分の言葉の影響を確認していたようだ。
 そして、潔扇が返す言葉を探す間に、顔を背けてしまう。
 鴻君に渡した、そして今は脇に控える護衛の近衛兵が抱えた紙袋へ勝手に手を突っ込み、割れた饅頭を二つ取り出して、荒々しく頬張る。
 潔扇の面前へ、もう一つの割れた饅頭を突き出す。
「顔が強ばってるぜ? 雷姫の怖さは、あんたが一番知ってるんじゃないのか? いつもいつも顔色うかがってたクセに、いざ雷姫が危ないとなったら居てもたってもいられないってか? そんなんじゃ、この先やってられないぜ? 喰えよ。喰って、我らが神に祈りな」
 蔭白師はもう一つ頬張りすぐに飲み込むと、片手で祈りの印を切った。
――彼女は強い。
 潔扇は蔭白師の言葉を脳裏で繰り返す。
――彼女は強い。そう、確かに強い。あれだけ戦える奴は、男にもそうはいないだろう。しかも片目であるにもかかわらず、だ。
 だからと言って、蔭白師の言うとおり、神にすがるつもりはない。
 すがるとしたら……。
――雷姫を信じろってことか。俺は雷姫の力を信じていなかったって事か。すがるとすれば、俺の眼力、俺の才能か。
 雷姫なら何とかできると踏んで、そしてもしもの時の為に用意した仕掛けと。
 それらを準備した自分を信じろということか。今までは自分を信じていないと言うことか。
 思わず鴻君に振り返る。
――このネギ介殿の言うとおり、俺は俺を信じていないって言うのか?
 蔭白師は饅頭を突きつけたまま、言葉を続ける。
「なあ、軍師殿……我らが天点大聖は、いつだって静かに燃えてるぜ? 俺は戦はよく知らねぇが、軍師ってもんは、ああいうもんじゃねぇのか? 己の道を決めたら、その道を静かに燃えながら、皆を眺めながら通り過ぎるもんじゃねぇのかい?」
 無理矢理押しつけられた饅頭をそのままにするわけにもいかず、潔扇はむしりとるように受け取る。
 失礼だとは思ったが、神官の言葉にざわめいた自分への苛立ちを自覚した上での、反発でもあった。
――確かにそうだ。だけどな、あんたにまで言われたくは無かったんだよ! 雷姫のことだけじゃねぇ、鴻君と同じ事をな!
 喰えない男だと思っている分だけ、自分が制御できないであろう男だと認めている分だけ、自分の焦りを見抜かれた事が気に入らない。
――しかも、よりにもよって『軍師ってもんは』と来たか!
 饅頭にかぶりつき、無理矢理のどに押し込む。気づかぬうちに乾いていた喉の奥に、饅頭が通らない。それを怒りのままに押し込む。
「違いますよ、蔭白師」
 潔扇の言葉に何を思ったのか。蔭白師の顔が、ギラリと牙を見せて笑みを作った。
「軍師とは月のようなもの、太陽たるものは我が君です! 我が君の居ない陰において全てを統率するのが軍師です! 天点大聖など、私にはもったいない!」
「では怯えなさんな」
「ご忠告には感謝します。おかげで、好機までの良い時間つぶしになりました」
 潔扇は、眼下の兵士達の密集を眺めて頃合いを見た。
 槍を振るえなくなるほど押し寄せた敵騎兵だ、破れかぶれで槍を投げつけて、剣を取り出す。彼らの背後には敵歩兵達が追いついたものの、動けぬ馬に進路を塞がれ、更に後ろからやってくる兵士に押されて身動きできない様を見る。
 敵の部隊長がさがるよう怒声と身振りで指示するが、声が後方まで行き届かず、動く気配はない。
「蔭白師、弓は?」
「あと十数秒だ。どうする?」
「止むを得ません。我が君、私が声をかけたら鐘を打ち鳴らしてください。蔭白師、その後ですぐ、戦撃符術の用意を」
「了解した」
 潔扇はもう一度、隣の丘陵との境に生える潅木に向かって鏡を瞬かせる。今回は三度、そしてわずかに間をおいて、もう一度。
 次の瞬間、戦闘の激しい喧噪の中でも一際大きな悲鳴が上がった。
 丘陵の三カ所に渡って張られた三本の丈夫な荒縄が、一斉に張られたのだ。縄を跨ぎまたは踏みつけていた者は言うに及ばず、武具を引っかけられてはね飛ばされる者、体勢を崩した馬が暴れたり足を折ったりして落馬するもの……それらが、密集している人の中で起こった事が最大の問題だった。
 先の雷姫達の投石による騒ぎ以上に、転倒する人々の数と被害は甚大だった。将棋倒しになった人々は、それだけで人と武具の重みに血反吐を吐き、動きを封じられ、後から来る人々の足を止めさせ絡ませ転倒させ、次なる被害を生み続けた。
 先に弓矢を回収させていた、挙斗の息子である巨斗の率いる元義賊の集団が、矢を回収しつつ端と端を行き来しながら張った荒縄だ。
 もしもの事態の為に張らせておいたのだが、これがまさに「もしも」の事態である。切り札を出すには少々早すぎると思ったが、いた仕方ない。
 今、この札を切らなければ、これだけの大軍を一気に全滅させる機会を失ってしまう。
 これだけの人々を全滅させた事実そのものが、この先の戦の行方を、三倍の兵を相手に戦う為の布石になるはずだ。
――三倍相手に、長々戦うつもりはねぇよ!
「鴻君、鐘を! 気が済むまで鐘を叩いてくださいッ!」
 鴻君は迷いなく、眼下の光景を静かに熱っぽく睨みながら、何度も何度も鐘を打ち鳴らした。
 先と同じように、斑将軍が矢の雨を降らせる合図の鐘が、何度も何度も鳴り響く。
 そしてすぐに、その音をかき消す断末魔の声が一斉に轟き渡った。
――ひるむな!
 潔扇は壮絶な全滅劇を前に、自分に言い聞かせる。
――これぐらいの死者で、怯えるな! 五十万の大軍同士の戦なら、ほんの一片でしかないんだぞ!
 鴻君の鐘は止まない。
――俺たちの先には、もっともっと死者がでる。間違いなく、この倍以上の死者が出る。鴻州を取り返すまでにどれだけになるかわからねぇ。それを今更止めるわけにもいかねぇ。さっさと慣れろ、俺! 誰だっていつかは死ぬんだ。たまたま俺が、どこかの誰かの、そのいつかを呼んだだけだ。気にしちゃいけねぇ!
 まだ鳴り響き続ける鐘。。
 潔扇は、鴻君は止められなくなっているのだと気づいた。いそいで主君の腕を取る。
 鴻君は驚いたように顔をあげ、荒い息をついた。
「あ……ありがとう、潔扇先生。感謝します」
 憔悴した顔は、鴻君もまた、眼下の光景に圧倒されていた事を言外に語っている。
――そうだ。主よりも先に狼狽してちゃ、軍師の肩書きが泣くぜ。相手がネギ介殿だとしたら、尚更だ。
 鴻君の感謝に、わずかに生まれた余裕をもってほほえみ返す潔扇。
――……っておい! 何ほっとしてるんだ、俺! 自分みたいに怯えていた人間が他にいたからって、安心してるんじゃねぇよ! しかも相手はこのおぼっちゃんだぞ? 蔭白師ならともかく、比べる相手じゃないだろ!
 自分に呆れる潔扇だが、曲がりなりにも笑むことができた効果は大きかった。
 血生臭い風を、思い切り吸い込む。つい先の瞬間まではその臭いの先にあった死の数におののいていたが、今は違う。
 その血を支配しているのが自分であるという満足をもって吸い込む。いや、吸い込めるほどの己を演じ、演じきれることで満足する。それは更なる笑みを呼んだ。
――俺がこいつらの生死を預かってる! 俺が!
 一人の人間として己の命を大事にしているからこそ、相手の命を簡単に奪える己の力の大きさを実感できる。その実感は、本能的な興奮を呼び起こし、更なる力を行使する欲求となる。
 そして、その力を行使するのは今を除いてあり得ない。
「蔭白師!」
「まかせとけ!」
 身を翻し、戦撃符術の台へ駆けて行く赤と黄色の神官服。
 戦撃符術だ。






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