「案君・潔秘」 5・反撃
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 符術の原始的な形が、魔物と呼ばれる魔術を使用する類の獣の体内構造を元にしている為、符術の文様は、解体され広げられた獣の姿を思い起こさせるものが多い。
 それが戦撃符術ともなれば、符術台と道具は腑分けされた巨大な獣、符術師はそれを取り囲む猟師に見えなくもない。
 肺を思わせる二つの楕円形には橙色の液体が湛えられ、動脈を思わせる数々の溝の先には心臓を思わせる二色の立方体、肝臓を思わせる部位には細かい櫛状の突起物など、全てが似通っているわけではないが、まるきり無視するには不可能な類似性を持って、さまざまな道具が、大人五人は横になれそうな巨大な台の上に展開されている。
 蔭白師は、自分の部下たちの手際を確認、潔扇にはわからぬ専門用語を次々と口にしては、十分に使用できる状態であるかを確認し、大きく頷く。
 恐ろしい断末魔が轟き続ける丘の下には目もくれず、符術台の上に広げた地図の一点に印を付け、位置を確認。部下たちが符術発現の座標を調整する。
 潔扇は、蔭白師が振り返って頷くのを確認し、もう一度戦場に目を転じた。
 斑将軍の弓矢隊の働きで、押し寄せていた敵は総崩れになりつつある。雷姫達も手を止め、状況を静観する余裕が出てきた。
 潔扇もひとまず安心する。過酷な戦いの後だ。ゆっくり休んでもらいたい。
 不意に、蔭白師の号令が響きわたった。
 一拍の間。
 そして、潔扇は背筋に走る強烈な恐怖の感情に驚いて膝をつく。
 人は時に、自分の想像以上の出来事に対し、体の制御を失うものだ。
 今の潔扇が感じたのも、それに近しいものだった。
 背後から放たれたモノの大きさを、潔扇の体が無意識に悟ったのだ。
――龍脈?
 かろうじて、その言葉だけを思い出すことができた。

 蔭白師を心中で散々に呼んでいるが、潔扇の体にも普通の人間ではない血が混じっている。
 むしろ、吏一族の勃興は、その血の恩恵によるものが大きい。
 吏一族は『森人』と呼ばれる亜人の出身なのだ。
 『森人』は、その名の通り、森に住んでいた人型の魔物である。容姿、知能、生態、全てが人間に酷似しているが、違うのが一点ある。
 彼らは背中に、皮膜状の翼を持つのだ。
 その皮膜状の翼に刻まれた印により、魔物のように魔術を使う。また、死んだ仲間の翼を用いて、符術を使用する。
 他にも、夜目が利いたり、人間よりも腕力が発達しやすいなど、小さな違いをいくつも持っている亜人だ。
 吏一族は、その『森人』を先祖の一人に持っている。
 とはいえ潔扇の祖父・吏沿扇ですら、人間と言っても過言ではないほど『森人』の血が薄くなった人物である。吏沿扇の父、つまり潔扇の曾祖父であるとされている吏滋扇は翼を持っていたと言われるが、それですら、先祖帰りだと大いに驚かれたのだという。
 限りなく『森人』の血が薄くなった吏一族は、長年、人と『森人』の間を取り持つ交渉人としての生活を続けていた。やがてはその立場を利用し、『森人』をまとめ上げ、住処としていた森を蹂躙する人間と交渉や戦闘を繰り広げるようになる。
 最終的には、追随する『森人』の能力を生かして夜襲奇襲を常とし、森から『森人』を追い払おうとする人々と組織的行動を持って対峙するようになる。
 吏一族は、その発祥からずっと、排除される弱者を保護する一族であったと言っても過言ではないのだ。
 その活動を住処の森だけでなく、その森をとりかこむ村へ、州国へ、そして全ての虐げられている人々への活動へと広げていったのが、祖父・吏沿扇の業績である。
 東方に名の知れた義賊となった後でも、吏一族に対する『森人』たちの忠誠は変わらず、彼らの能力や技術は祖父の率いる扇雷児党の大いなる戦力として活躍している。
 そして今。
 潔扇は地面に膝をつきながら、全く忘れ果てていた自分の中にある『森人』の血を、刹那の間、感じ取った。
 『森人』という魔物が、森の王者として自然に生きていた時――きっと、大いなる災害の前触れ、龍脈の乱れる時には、同じように背筋に緊張が走ったのだろう、と。

 空気が止まった。
「潔扇先生!」
 潔扇が膝をついていることに気づいた鴻君が、バチを投げ捨てて肩を叩いた。
「どうかなされたんですか、先生! お怪我ですか!」
 手を振って大丈夫だと示しながら、潔扇は目の前の光景に心を奪われていた。
 鴻君もそれに気づいたのか、眼下の光景に息を飲む。
 二人は、いや、丘の上で控えていた鴻君の軍勢の皆が、それを目にした。
 斑将軍の弓も止まっていた。異様な気配に、あの頭の固い将軍も手を止めさせたのだろうか。
 目に見えたわけではなかった。
 しかしはっきりと、眼下の一点に向かって何かが駆け抜けてゆくのを感じた。
 気づかなかったのは、その一点と同じ場所を目指していた、盛氏軍の人馬だけだ。
 不意に、それが形を成した。
 吹き荒れた強風に、潔扇は思わず声をあげ、自分の肩を叩いたまま立ち尽くしていた鴻君の腰を掴んで地面に押しつけた。鴻君が、強風に煽られたまま目の前の光景に引きずり込まれるような錯覚が湧き起こったからだ。
 同様に、大事な祖父の眼鏡も目元からはぎ取られるように感じ、急いで手を伸ばす。片手で顔を覆うようにし、飛んで行かないように押さえつける。
 真っ白な固まりが瞬時にして大地と天上を繋いだ。
 強烈に空気を叩く風の柱は、一本のみならず三本たちあがり、鴻君たちの攻撃から自軍へ逃れようとしていた兵士たちの前に立ちふさがった。
 木の葉のように人馬が空へと舞い上がった。軽戦車が耐えきれずに粉みじんとなって吸い上げられる。
 弓矢の時には響いた断末魔も、今や聞こえない。悲鳴が聞こえなくもないが、大渦ががなり立てる風の音の前にはあまりにも小さな囁き声でしかない。
「竜巻」
 潔扇の手を押し退けて地面から顔をあげながら、鴻君が叫ぶ。その叫び声すらも、荒れ狂う気流の中ではとても小さな、平板な言葉となってしまう。
「こんな狭いところで、あんなものが、三本も!」
 未だ続く強風に息苦しくなりながらも、潔扇は目を離せない。
 兵士たちは逃げまどうが、次々に竜巻に引き寄せられ、吸い上げられ続ける。安全な場所にいる潔扇たちですら恐ろしいのだ。目の前で仲間たちが、そして自分たちも吸い上げられそうな風の力に耐えながら見守るしかない盛氏軍の抱える恐怖は、潔扇の予定していた以上のものだろう。
――確かに派手だ! まちがいねぇ!
 潔扇は竜巻による被害がどれほどのものかと目算する。
 転倒と弓矢の攻撃で三分の一、竜巻で三分の一、残りの三分の一は……。
――戦闘不能者だ。
 これだけの負け戦を味わった人間が、この後の戦闘に参加できるとは思えない。
――恐怖を抱えた人間を内部に持てば、恐怖は伝染する。
 恐怖を打ち消す方法は数多くあれども、生き残った人間の全てが立ち直れるとは限らない。
 そして、その立ち直れない姿は、まだ元気な兵士の心をも蝕んでゆく。
――生き残った三分の一は、盛氏軍の獅子身中の虫だ。くれてやる。
 恐怖は口伝えに軍を駆け回り、元々低下している士気をさらに低下させる。
 潔扇は顔を上げて竜巻の頂点に目をやった。
 雲を引きずる竜巻の先は、揺れながらも少しずつ細くなってゆく。
――なるほど。固定された竜巻には、続きがあるってわけだ。二重に派手さを狙ったな、おっさん。
 潔扇は全員分の「陰の符」を掴み――慌てて一枚だけ抜き取る。
 残りの符を全部起動させると、呼びかけた。
「雷姫将軍、斑将軍、蔭白師。見ての通り、竜巻が発生している。我が軍の戦撃符術だ。二次災害の発生を考え、上空からの落下物に警戒するよう、全軍に指令を。敵軍の被害は甚大であり、陣営を立て直すまでにしばらくの時間が必要だろう。その間に体を休めるように」
 すぐに反応したのは雷姫だった。
「今のうちに再攻撃は」
「こちらの陣営も、被害は少ないが疲労が大きい。弓矢の回収や斜面の死体も片づけなければ次の罠に使えない。なによりも、まともに陣を用意できたとはいえない。食事の事も考えれば、明るいうちにやるべきことは多いはずです」
「向こうの戦撃符術は――」
「手は打ってあります。情報が漏れるかもしれないので全ては話せませんが」
「我が君の前でも、同じことしか言わなかったではないか! 符術が飛んできてからでは遅くないんだぞ! いい加減にしろ!」
「言ってしまって後悔するような事はしたくないのです」
 雷姫が舌打ちすると、意外なことに斑将軍が声をかけてきた。
「軍師殿。向こう側からの攻撃が、今日はもうないという根拠をお聞かせ願いたい」
 相変わらず耳障りで裏がえるような声だったが、勝利に酔っているように聞こえなくもない。
 潔扇は竜巻の強風が収まりつつあるのを感じつつ答えた。
「斑将軍、仮にあなたが、自分の預かった兵士の三分の一を、ただ無駄死にさせたと気づいたら、どう考えますか?」
「兵士が三分の一?」
「そうです。自分の知らぬ間に戦闘が始まり、ましてや気がついたら自軍のすぐそばまで敵に攻めいられた挙げ句、その被害が甚大」
「陣の張り方に問題がある、または部隊の隊長たちの怠慢ではないかと疑います」
「斑将軍、あなたは生粋の武人です。そして、向こうの指揮官である傳将軍もまた、生粋の武人です。自分が戦う前に自分の部下の落ち度で戦歴に泥を塗られているこの状態に、武人と呼ばれる人物が耐えられるとは思いません。一度、部下を集めて軍議を開くでしょう。叱咤するにも激励するにも。何にせよ、一度時間が必要だと考えるでしょう」
「なるほど。よくわかります」
「それに副将軍の彫将軍は、符術師で、部下からの信頼の厚い将軍でもあります。信頼が厚いということは、部下からの声をよく聞く人物でもある。これだけの被害がでている中、怖じ気付いている陣中の空気を、無理に戦闘に持っていく人物だとは思えません。武人ならその武勲で戦闘させる勇気を与えられるかもしれませんが、彫将軍は符術師ですから。警戒すべきは戦撃符術だけです」
 ふっと、風が止んだ。
 戦撃符術が発動した時のように、唐突な消え方だった。
 そして、上空に巻き上げられていた数々の品が降り注いでくる。
 あからさまに人の形をしているものも、矢も剣も、死体の手足やなんの変哲もない小石も、巻き上げられていた全ての品々が、力の流れを失って地面へと戻ってくる。
 その多くは盛氏陣営に落下したが、丘の上の鴻君の本陣へも、木片や折れた剣などがバラバラと降ってくる為、油断することはできない。
 潔扇は鴻君に促されて再び指揮戦車へ乗り組み、落下物を塞ぎながら、眼下の光景に目を凝らす。
 もちろん、相手の符術陣など見えるわけがないが、混乱の兆しを見ることはできないかと考えたのだ。
――そろそろだぞ、待智!
 待智は直属の部下の一人だ。扇雷児党の中でも武技に秀でている男で、符術陣の破壊を任せてある。
 タイミングは任せてあるが、これ以上待つとなると、戦撃符術の発動を許してしまう。
――目の前であんな竜巻みせられた後だ、こちらも同じ事されたらと思うと背筋が凍るぜ!
 同じモノを見ていただろう待智ならば、今すぐ突入しても全く変ではない。
「吏軍師!」
 「陰の符」から蔭白師の声が響いた。思いがけない、切迫した声だ。
「見極めてくれ、あれは何だ?」
 潔扇は、急いで敵陣営に目を走らせる。
 待智の突入を考えながら陣を見ていたから、何かおかしなものを見落としたつもりはない。
 実際、その変化は始まったばかりだった。むしろ、蔭白師の目の付けどころが良すぎたのだ。
――半分野郎は、目まで人間より良いのか?
 毒づきは、自分の落ち度からの裏返しだ。
 本陣の騎馬隊から、一部がゆっくりと離れつつあった。
 普通の騎馬ではない。一頭に二人乗馬している。御者役は普通の騎馬兵だと思われるが、後ろに乗っているのは、まるで子供が大人の鎧を着込んでいるかのように、体に合わない鎧を無理矢理着込んでいる兵士だった。
 重い兵士を二人乗せた騎馬は、荷馬のようにゆっくりと、死体が累々と転がる丘に向かって歩んでくる。
 他の騎馬たちも同様だ。落下物に追われている盛氏軍に紛れて、落下物を避けながらゆっくりと近づいてくる。
「なんだ、あれは?」
 潔扇も真意を測りかねる。
 重さは騎馬の良さである速度を殺し、ましては後方に座す兵士は素人ではないかと思われる人物。
 二者による機動や攻撃なら、軽戦車の方がずっと合理的であるのに、なぜ騎馬で?
――いや、この混乱の最中に軽戦車を動かすにはリスクが大きすぎる。落下物を避けやすいのは、確かに騎馬だ。
 だが、全てが説明できるわけではない。
「背後の人物は、確かに人ですよね?」
 潔扇の問いかけに、蔭白師は「間違いない」と返した。
「人形なら、こっちを指さしたりしねえよ」
 つまり、指示を出しているのは後ろの人間なのだ。
――鎧を着なれていない高位の人間? 貴族か? 文官? だがなぜ、貴族がここで前にでる?
 潔扇は再び、符を手にする。
「雷姫将軍」
「どうした?」
「不振な騎馬の一段が丘の下に近づきつつある。突撃を仕掛ける気配はないが、専任の見張り役をたててください。早急に」
 雷姫の返答はなかったが、馬返し周辺で慌ただしい動きが生まれ、潔扇の言葉が受け入れられた事を察することができた。雷姫も一目で、騎馬の異様さに気づいたのだ。
 騎馬たちは、背後の自陣で起こり続ける阿鼻叫喚を無視したまま、じりじりと丘へ迫る。
 竜巻の発生した井号防衛戦を通り過ぎ、緩やかな斜面をわずかにのぼり。
 そこで一度止まった。
 後から続く騎馬は、順に横へ並び、丘の幅を計測するかのようだ。
 そして、数歩歩んで、また停止する。
 これにはさすがに雷姫も驚いたようだ。
「吏軍師! あれは何だ!」
――珍しく名前を呼ばれたな。
 ぼんやりそんな事を考えたが、その潔扇にも見当がつかない。
「こんな策は、聞いたことがありません。もう少し、様子を見させてください」
「奴ら、まるで距離を測ってるみたいだぞ」
「確かに、そう見ることもできます。でも、斑将軍の弓でも、あそこまでは届きません。死体周りの傷を見てもわかるはずだ。そこまで素人の人間を、この場面で投入できますか?」
「確かにそうだ。なら、なんなんだ!」
 雷姫の気持ちもわかるが、それは潔扇も同じだ。
 あの、背後に隠れている合わない鎧の人物たちは何者なのか。それがわかれば少しは対策も立てられるだろうに。
「逆に考えましょう」
 不意に、指揮戦車の隣に座していた鴻君が呟いた。
 時々見せる遠い目で、鴻君は眼下の光景から目をそらして指揮戦車の天井の一点を見据えていた。
「我が君、何かわかったのですか?」
「わかりません。でも皆さんはあの騎馬たちしか見ていませんよね? 向こうの本陣から考えていないのでは?」
「向こうの本陣?」
「あなたが他の将軍に、向こうの将軍ならどうするか、考えさせるように。あなたが向こうの軍師なら、どう考えるか。敵の考えを予測するのは戦の基本中の基本ですから、軍師に言うのもおこがましいですが」
「……我が君、本当にわかってないんですよね?」
「ええ、わかりません」
 潔扇の疑いの眼差しに気づいたのか、鴻君はいつもの優男の、腰の据わらぬ笑みを鴻君に向けた。
「わかりませんよ、潔扇先生。わかっていたら言ってます、死にたくないですからね。私はただ、全体的な偏りが無いように注意しているだけです。適所に人材を置くのが今の私の仕事、策に気づくのは潔扇先生の仕事。違いますか?」
――確かにそうだが、本当にわかってないのか?
 急いで謎を解明しなければならない潔扇としては、ネギ介殿が本当に気づいていないと思いつつも、からかわれているのではないかという疑いと苛立ちが消えない。
――確かに相手の身になるのは基本だ。焦って思考が停止してたな。となると……俺が向こうの軍師だったら、か。
 現在、被害の大きい歩兵、弓兵は使えない。
 騎兵も軽戦車も、本陣で作戦会議をしている間の護衛として、なるべくなら使いたくない。
 戦撃符術なまだ準備が出来ていない。防衛符術すら発動していない。
――待てよ? 戦撃符術の龍脈の力がまだ足りない状態なら、敵の符術師一千人は……一千人はいらないだろう? むしろ、今の敵陣で余ってる兵は、符術師ぐらいだ。
 そう思って例の騎馬たちを眺めると、背後に乗っている素人の鎧兵士は、符術師にしか見えない。
 符術師たちは神官職であり、救護班も兼ねている。前線に出ない彼らは、神官職で符術台の周りに配置されるのが当然である為、鎧らしい鎧を持たないのだ。
 そう思えば、大きすぎる鎧たちは予備の品を着せられたが故に、体格に合っていないからだと理解する事が出来る。符術師たち本人にとっても、盛氏軍にとっても、符術師を前線に出すのは想定外の出来事なのだ。
「蔭白師! 奴らは符術師だ!」
 「陰の符」に向かって叫ぶと、隣で鴻君が「ああ、なるほど!」と膝を叩いた。
 伝令符の向こう側では、蔭白師が呆れた声をあげる。
「符術師だぁ? なんで符術師が、あれっぽっちで前線に出てるんだ!」
「私も聞いたことがないから、蔭白師には覚えがないかと思ったんです」
「西方ならば魔術師が戦場で大暴れすることはあるぜ? 魔術は符術よりも簡単に発動できるし、上手い奴は派手な魔術もポンポン出せるからな。でも奴らは違うだろ? 大体、生粋の魔術師はギルドで戦場に出るのを禁止されてるんだ。戦場にいる魔術師は、魔術騎士か、神官職か、ギルドの教育体系の外で教育されたモグリの魔術師か、何にせよ、こんなところにあんなにいるわけねぇぞ?」
「魔術師の話は良いですから! 符術師なら、あの後何をするんですか!」
「わかったら言ってるっての!」
 そう、やはり神官職である符術師が、前線に出ることそのものが、異常なのだ。
――符術師である彫将軍の策だ。間違いなく。
 符術師であるからこそ、普通の将軍が思いつかない「符術師を前線に」と考えつくのだ。
――彫将軍の策だと考えれば、軽戦車ではなく、そして騎馬を少数出したという意味も合点が行く。
 おそらく、傳将軍が軍議を開くと決定し準備している間に、彫将軍が勝手に始めた作戦なのだ。
 騎兵を大量に動かすと、その長である傳将軍の許可がいる。最高指揮官の目を盗んで作戦を決行する、そしてその為にはどうしても騎兵が必要だった……。
――傳将軍が軍議を開いている間、彫将軍が警備を任されているのか。だとしたら、警備と言う名で牽制攻撃を仕掛けている?
 だがこの考えは少々危険でもある。
 傳将軍と彫将軍が別個に活動していると考えられるからだ。大将と副将が並んで軍議に出席しないとは、通常は考えられない。指揮系統が二分されているだけで、命令の出所について無駄な混乱を招き、軍事行動には支障をきたす。
 それを放置しているのならば、潔扇には都合が良いが、逆に都合が良いことを想定して考えるのは失敗の元である。情報の裏が取れるまで、二人の将軍の仲を邪推するのはやめておこう。
 では、指揮系統は別として、なぜこの状況で符術師を前線に出した?
――雷姫のようにこの機を逃さず突入しようと考えるのは悪い案じゃない。俺もここに到着したのが昨晩でなければ突入させていただろう。ならば、その突入を防ぐ為に、先制するのは考えられない話じゃない。
 ただ悩ませる為だけに騎馬を出す大馬鹿者はいない。
 何らかの攻撃を仕掛けてくるはずだ。それも、こちらの軍の全体が対処しなければならない大騒動になる事を。
 眼下の十数騎と十数人の符術師だけで。
――となると、騎兵を選んだのは、戦場の機微に不案内な符術師の護衛でもあるのか。そこまでして符術師を使って……何をたくらむ?
 符術師だからこそ出来る攻撃。
 それは符術に決まっている。
 個人の符術。しかしそれは、極めて小さな力でしかない。本来の符術は、気軽に火を起こしたり、水の涸れた土地に簡易の池をつくったりする程度の、小さな奇跡でしかない。もちろん、地面を穿つことぐらいは出来る。座標を指定できる分だけ自由度もある。だが発動までの数秒の間が必要であり、その分、攻撃をかわされやすいとも言える。
 おおよそ、白兵戦および個人戦には向かない技術だ。
 だからこそ、符術師である蔭白師にも想像がつかないとも言えるのだ。
――符術師だとわかった。だが、符術師が出来ることは、他の道具で補えることも多い。
 潔扇は今まで通り、少し進んで様子をうかがってはまた丘を進むといった動作を繰り返し続ける符術師を眺め、頭の中をさらう。
――あの動きは、距離を測っているのか?
 こちらからの攻撃が届かぬ距離を確認している? だが先にも話したように、弓矢の届く範囲ではないとすぐに気づくはずだ。
 ならば逆か。
 こちらからの攻撃の距離ではなく、向こうからの攻撃の距離を測っているのか。
 ならば、敵は飛び道具を使うつもりだ。
 戦撃符術ほど遠くの座標で発動できない個人の符術は、符術符を現場に到達させる為に弓や石にくくりつけて飛ばすことによって、遠方からの発動を可能にさせる。
 けわしい山岳地帯などで、上方の落下しそうな岩を先に崩してしまう時などに、弓に付けた符術符で衝撃を与えて落とすのだと聞いたことがある。
 極めて特殊な使い方だが、同じように丘の上に向かって符術を使おうとしているのなら、考えられない事ではない。
――しかし、他の道具で出来ることを、わざわざ符術で行う利点はなんだ?
 例えば、火をつけるとする。
 現在、火をつけるとなると、火壷を持ち歩き、火壷から火を移す。
 火計を仕掛けるとなると、松明を用意したり、火矢を作る為に布と油を巻いた矢を用意しなければならない。
 どれも一目で、何をしようとしているのかわかる道具だ。
 しかし、符術師は火を起こす符を作成し、発動させたい場所に置くだけでよい。直前まで、何をしたいのかわからないだろう。
――符術師の存在は、それだけで何をしてくるのかわからないという利点なのか。
 火でたとえて考えてみたが、例えば地震も想定できる。
 丘全体を揺るがす技術が符術にあるのかと問われればわからないが、戦撃符術では行えたはずだ。
 ならば、個人の小規模な地震を重ね、上方の潔扇たちを揺さぶることは十分に可能であるし、丘の表面に土砂崩れを引き起こせるのならば、その効果は十分と言えるだろう。
 この丘があっての潔扇の罠でもある。崩されれば、一度後退せねばならないのは必須だ。
 それを彫将軍が見抜いていたなら、丘をどうにかするのは当然だ。
 他の攻撃なら?
 たとえば、水は遡れないから潔扇たちの元へは届かない。
 ならばやはり、攻撃するとなれば、火か。
――しかし、ここは化霧が発生するような場所だ。霧が消え去ったとはいえ、水分は露となって残っている。火計を使うには、時期と場所が悪すぎる。
 そう思いながら自分の足下に目をやった潔扇はどきりとした。
 霧の発生時には当然にあった、斜面を覆う冬草の枝葉に乗っていた水滴。それらがすべて、綺麗に消え失せていたのだ。
 潔扇たちが殺害した兵士たちの血糊以外、斜面は乾き切っている。
――なぜだ! まだ半日もたっていないのに!
 陽気のせいかと天を仰ぐが、当然のごとく、午前の日光にそこまでの力はない。暖めることはできただろうが、一瞬にして蒸発させるだけの温もりはない。
 天を仰いだ潔扇は、先に眺めた同じ雲に思い当たって愕然とした。
――あの竜巻か!
 強風で地上のものを巻き上げていった、蔭白師の竜巻。あれが、斜面を覆っていた冬草の露をも、上空へ運び去ってしまったのだ。
 蔭白師に対抗手段を用意できないかを問うつもりで、「陰の符」を手にした時だった。
 騎馬の前方、つまり本物の騎士が、鞍に下げていた弓を手にした。
 後方の騎士から――つまり符術師から符を渡され、弓の先端に取り付ける。
 一並びの騎士が全員、弓に矢をつがえ、丘の上に向かって狙いを定めた。
 もちろん、丘の斜面の下方からだ。とても馬返しの時点までは届かない。斑将軍たちの待機する両側の丘に向かって絞られた弓も同様だ。
 しかし彼らはつがえ、そして放った。
 丘の中腹にバラバラと突き刺さる小さな矢の群。
 それらが一斉に火を噴き出した。
――やっぱり火計か!
 乾いた冬草をはい上がる火の手。そして、矢に取り付けてあるのだろう符術符によって、風が巻き上がる。丘の下から上へ。あおられた火の舌がチロチロと燃えるものを探してさまよう。
 斑将軍の弓隊の足下にも、火が迫って行く。
「蔭白師!」
 「陰の符」の起動ももどかしく叫ぶと、相手もひきつった返事を返した。
「やばいな、符術をこんな形で使ってくるとは思わなかった。しかも戦場だぞ? 野焼きじゃねぇのに」
「水を用意できますか? 符術で?」
「同じように個人の符術で用意するという意味なら無理だ。水源が近くにあるならともかく、遠すぎる。戦撃符術なら調達できるが、間に合わん」
 下方からの風は止まない。弓による符術の追加は続いているから、ひっきりなしに風を送り、煙突を昇るように火も煙も丘の上に流れるよう誘導しているのだ。
 やがて火の勢いは丘の斜面に転がる死体の山に到達した。
 悪臭と黒煙が視界と感覚を覆い始める。煙は喉にもからみ、息を付けぬ者たちが咳込み始める。
 さすがの鴻君も顔をしかめた。だがそれ以上に、兵士たちの動揺が大きい。
 まっすぐに自分たちへ向かってかけ上がってくる火の手と煙に対し、退却の命令が出ないからだ。そして、自分たちで火を消そうにも、陣営の水はごく限られたものしか携帯していない。強行軍でこの地にたどりついた為、最低限の水しか運び込まなかったのだ。それを兵士たちもわかっている。今回の戦に当たり、上官の許可なき水の使用は厳しく罰することになっている。その上官も、おそらく大量に使用することになるであろう消火活動に躊躇しているようだ。
 迷いの間にも、煙の勢いは強くなる。
 だが、丘の頂点に陣を引いた以上、黒煙を避けるには退却する以外に道はない。
 そして、この丘を手放すことは、自分たちの地形の有利を手放すという意味でもある。
 それは勝ち取れるかもしれない勝利を投げ出すという意味でもある。
――やりやがったな、彫紫炎!
 化霧の発生源である松江河まで水を調達するとして、その分の戦力を割くのも手痛いが、調達班が出るのを見越して待ち伏せなどされては、さらに手痛い被害が出る。
――だが、背に腹は代えられん!
 潔扇が意を決して、伝令符を掴んだ時だ。
「蔭白師!」
 符術台のそばに居たはずの蔭白師が、自分の部下である符術師たちを引き連れて丘の頂上の際――つまり鴻君と潔扇の乗り込んでいる指揮戦車のところまで、肩をいからせて歩み寄ってきた。
 黒煙にむせる為か、皆一様に口元を布で覆っている。
「吏軍師、我々の護衛をいただきたい」
「はい?」
「ああ、もう、面倒だな。鴻君、近衛兵をちょっと借りますよ」
 やはりむせっている近衛兵の一団を大声で呼び、護衛の楯を持つよう勝手に指示している。
 準備が終わってから、鴻君に振り返り。
「いいですね?」
 鴻君は煙にやられたのか、ボロボロ涙をこぼしながら目元をこすり、黙って頷く。
 それを見届け、蔭白師は来た時と同じように肩をいからせ、斜面を下り始める。彼の部下たちも同じように、斜面を下りはじめた。
「蔭白師、なにを?」
 潔扇が追いかけながら問いかけると、蔭白師はケッと唾を吐いた。
「火消しに決まってんだろう、軍師殿」
「しかし、水が」
「俺たちは符術師だっての。ま、今回はちと違うけどな」
「違う?」
「まあ見てなって。悔しいけど、こんな符術の戦いは初めてだからな。びっくりさせられた分、俺たちもびっくりさせてやろうじゃねぇの。燻製にされる前にな」
 いつもの牙をむいた笑い声が聞こえたが、表情を見ることはかなわなかった。すでに前方を黒煙に阻まれ、喉がつまり、会話も困難になりつつあったからだ。
 だが、口元を布で覆っていた蔭白師たちは、まだ話す余裕があったのだろう。
 蔭白師はゆっくりと、後方の部下たちに指示を出した。
「符術師部隊、進軍停止! 波瑠隊、亜斐隊の二隊は視界の確保準備、準備が出来次第、発動しろ! 残りの部隊は抽出作業を開始! 視界が確保され次第、火元にぶつけてやれ!」
 潔扇は黒煙で覆われた視界の中、蔭白師の部隊の中にぼんやりと薄紫の光を見たような気がした。
 自然の光の色ではないそれを見極めようとした矢先に、目の前の黒煙が身をよじった。先の竜巻の時にはしかと見ることはできなかった風の流れだが、今は黒煙という色がついた状態故にしっかりと把握できる。
 下方から上方へ、敵の符術によって無理矢理押し上げられていた風が、今度は上方からの風とぶつかり、行き場を失ってその場で上空へと逃れて行く。煙もその流れに引きずられて昇る方向を変えた。
 晴れて行く視界の中、潔扇は見た。
 蔭白師たちの体の前に、丸く光る文様が浮かんでいた。見間違えかとも思ったが、各々がそれらの丸い文様へ大事に手をかざしていることから、それらが実在するものだと察することもできた。
 先に見た薄紫の光は、蔭白師が声をかけた部隊の人々が手にする光の円盤の色だった。薄紫が、風を操るものの色なのだろうか。
 下方からの風をゆっくりと押し返しながら、火の手を探す。程なくしてその姿を見つけた。馬返しまで、そう距離はない。恐ろしい早さで燃え広がったことがよくわかる。
 馬返し周辺で待機していた雷姫たちは、ギリギリまで潔扇の指示を待っていたらしく、飲料水を桶に移し変え、肩に担いでいた。馬返しに燃え広がった時にはやむなしと消火するつもりだったのだろう。
 しかし急に黒煙が除かれ、何らかの手はずが整ったと悟ったらしい。
 桶を肩からおろし、斜面の途中で作業をはじめた潔扇と蔭白師を振り返り見ている。
 蔭白師は他の符術師たちが一つの円盤を抱えるのに精一杯だというのに、三つの円盤を使用していた。
 長命な分、この技術の扱いにも一際長けているのだろう。
 光でできた複雑な紋様の円盤は、空中に張り付いているかのように動かず、それらを順々に触れて御しているのか、蔭白師は慌ただしく手を動かし続ける。
 いつになく真剣な表情には、びっしりと汗が浮かんでいた。
――魔術か!
 潔扇も数えるほどしか見たことのない、西方の魔術だ。人の意志で世界を変化させる技術。
 この光の円盤も、蔭白師たちがそれぞれ自分の意志を用いて出現させた、本来の自然には存在しないものなのだ。そしてその光の紋様に応じて、光の色に応じて、様々な現象を発現させる。
 符術とは対極に当たる技術だ。
 符術師というだけで珍しいのに、魔術も使えるとなるとかなり珍しい存在だ。
 蔭白師の二つの宗教の神官という立場や、彼に仕えるこの十数名だからこそ、両方の技術を取得する機会に恵まれた、非常に希有な存在なのだと断言できる。
 符術による火計も予想外だったが、魔術による鎮火も、敵味方共に予想外の展開だ。
 見ている間に、蔭白師たちの前方にはブヨブヨとした水の固まりが浮遊するようになった。どこから運んでいるのか、いや「抽出」と蔭白師は言っていたから、空中から集めているのか。竜巻で吹き飛ばされたとは言え、河の近いこのあたりの空気は、十分に加湿されている。その空中の水を取り出すのか。それにしても、こんなにもたくさんの水を取り出せるのだろうか? 真相はわからない。だが、現実としてそこにある水だ。
 水の固まりはそれぞれの魔術の腕を反映して、大小それぞれの大きさで漂う。
 やがて、次々と宙を滑り、火元へ向かって投げ出される。
 水袋を地面に叩きつけるように、遠く離れた火元にバシャリという騒々しい音をたてて着地する水たち。
 もちろん、一度や二度では間に合わない。
 蔭白師たちは顎を滴る汗を拭いながら、自分の生み出した光る円盤にしがみつく。
「蔭白師、馬返し前も大事ですが、左右の丘もお願いします」
 想定外の出来事に無理を言って申し訳ないと思いつつ、指示を出す潔扇だ。
 蔭白師はぎょろりと潔扇を睨んだが、なにも言わずにそっぽをむいた。
 神官も潔扇の言葉の正しさがわかっているのだ。
 斑将軍の弓隊が控える丘にも火の手は上がっていた。風向きの関係もあってか、本陣へ向かう火の手ほどの速度ではなかったが、そろそろ向こうも消火に飲み水を使用する準備をしているはずだ。
 いや、すでに使っている可能性もあるが、咎めることはできない。ここまで我慢しただけ、よく辛抱したと言わざるを得ない。そして奥の手を出してくれた蔭白師に感謝するばかりだ。
 斑将軍が頑固だけの武人ではなくごく普通の武人だったとしても、まさかこんな手があるとは思わないだろう。
 なにはともあれ、援軍である彼らの身の安全も確保しなければ。


 蔭白師たちの消火作業は、何度か休憩を挟みつつ、二時間ほどの時間を費やした。
 すべての火を消し止めたと確認した瞬間、蔭白師たちは一斉に斜面に横になり、しばらく声を上げる気力もなく倒れ伏していたものだ。
 蔭白師曰く「二時間を全力で走りきった事と同じ疲労」があるのだそうだ。
 蔭白師は何度も敵の符術師たちを呪う言葉を吐きながら、潔扇に怒鳴った。
「おい、軍師殿っ! 同じ事を明日もやれといわれたら、この中の半分は死ぬからな! もうやらねぇぞ! そのつもりでいてくれよ!」
 もちろん、今回は警戒のあまり符術の攻撃を許してしまったが、次は事前に手を打つつもりの潔扇だ。
 消火活動の間に、これらの一連の作業の発端となった敵の符術師たちは騎馬と共に立ち去ってしまっていた。しかしあの一群がなにを仕掛けるかわかった以上、次に来たときには符術符を用意する前に、雷姫たちに突入を命じるつもりでもある。そして、雷姫も了解済みだ。二度と同じ事はさせない。
 潔扇は消火に追われていた為に自分の目で見ることはできなかったが、挙斗から待智が符術部隊に突入し、符術台の二つを破壊、一つの作業を中断させたという報告を受けた。
 待智には引き続き、様子を見て突入するよう控えさせている。
 敵軍の軍議は長引いているのか、それとも全軍が揃うのを引き続き待つことにしたのか。
 午後からは潔扇の読み通り、大きな動きもなく、敵陣営は静まり返っていた。
 潔扇も自軍の休息を最優先させ、見張りの部隊には丘の上の死体を――今回の騒ぎで燃死体となった者たちを撤去させることにした。数が多すぎるのですべての撤去を強要する事はできなかったが、案の定、兵たちからは嫌がられる作業となった。荷車で集め、丘陵の更に隣の丘の下へと運ぶことにしたのだが、万が一奇襲と鉢合わせした時に備えて護衛もつけなければならず、この護衛の仕事も歓迎されざる仕事として不満があがった。
 だが、いずれはやらねばならぬ作業でもある。死体をそのままにしておけば伝染病の温床ともなるし、このまま死体を前に一晩あかすのは気分も悪い。悪臭は士気にも関わる。なによりも、人として、戦いあった兵士同士として、そのまま打ち捨てるのは忍びなかった。
――気になるのは、彫紫炎が死体を燃やすような攻撃を想定していたのかって事だけどな。
 今回の火計は、火そのものの恐怖よりも、死体や武具が燃える事で発生した煙の方がやっかいだった。
 あの煙を前提に、つまり味方の死体を焼いてしまうことを前提に立てた作戦だとしたら、自軍の兵士たちの反感を一気に集めてしまっただろう。
 蔭白師の竜巻のように鴻君の軍勢に恐怖を与える目的で死体を焼いたのならば、盛氏軍の反感の方が大きくなるであろうこの作戦は逆効果だったはずだ。
 兵士たちに人気があるという符術師将軍が、自分の名を貶めるような作戦を立てるだろうか?
――どうも、作戦内容と実行の機会が、食い違っているように思えるんだがな。
 符術の攻撃を仕掛けてきた時に感じたような違和感を覚えるのだ。
 何にせよ、何とか一日を無事に乗り切ったのだ。
「長かったですね」
 いみじくも鴻君が斜陽を眺めながら呟いた。
「今日は本当に、一日が長かった」
 しかし潔扇は知らなかったのだ。
 今日の戦闘が、少なくとも潔扇個人の戦いが、この夕日と共に終わったわけではなかった事を。

 それは、夜半に訪れた。




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