1・同調の時計
『白月』の船室 | Home | NEXT→
01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10
11 | 12 | 13 | 14


 空飛ぶ船「白月」。いくつもの大陸を横切り旅をしながら商売を続ける彼――クラシスが寝起きする空飛ぶ家。
 普段ならフワフワと空を漂う丸い鉄の塊だが、ここ3ヶ月ほどは地上に横たわり、白い鯨さながらの巨体をさらしている。今いるこの大陸で空を飛ぶ事はご法度だ。空飛ぶ物は全て大陸教会の厳重な監視下に置かれている。
 さっさと別の場所に移動したい。
 クラシスは先月、取引に備えて買っておいた美術書を閉じながら、ため息をついた。その取引はこちらのミスでとっくにご破算になっている。今更書物を見ても、もはや時すでに遅し。手持ち無沙汰のまま、彼はベストのポケットにぶらさげていた懐中時計を手にする。23時。
 遅い。
 クラシスは同居人の帰りが遅いことに――たった今まで書物を読みふけっていて、時間を忘れていた自分に対する感情も含めて――いらだちながら懐中時計の裏蓋をはがした。レインズというシンボルサインの下に、大陸東海岸に初めて建てられた時計工房のタイプサインが刻まれている。西方では有数の工房・レインズ工房が東方に発注したはじめての部品になる歯車が一式、この懐中時計に使われている。精密時計の分野で西方の発想と東方の技術が初めて一体となった、記念すべき作品だ。東西の文化交流がこの一つの時計に詰め込まれている貴重な骨董品とも言えるだろう。
 本当なら売り物にしてもおかしくないそれを、一目見て気に入った彼は商売そっちのけで自分の手元におき愛用していた。この男は自らが気に入った物に対して時価や付加価値、後世への貢献などは考えない。自分自身が絶滅寸前の貴重な一族の生き残りという、骨董品のような存在である事も関係しているのかもしれない。
 滅びる物は滅び、朽ちるものは朽ちる。それでいいじゃないかと思う。ようはどう生きるかだ――人は他者に意思を伝えて初めて生き、そして物は使われている間こそ生きてると言えるんじゃないか、クラシスはそう思う。屍のようにショーケースに飾られて博物館に鎮座していたり、骨董品の展示会で持ち寄られるいわくつきの一品達なんてものは、ただの剥製みたいなものだ。物として生きていない。
 そう考えると、自分の商売の大半を占める骨董品取り扱い業は、死体斡旋業のようなもんだな――悪趣味な例えが浮かんで、クラシスは我知らず苦笑する。
 それにしても遅い。
 クラシスはボールペンの先より細い各種のドライバーと、台座のついた拡大レンズをテーブルの上に並べながら、先の『事件』もこの時計をいじってる時に起こったんだっけと思い出す。
 この時計の真贋判定をする為、書物をひっくり返してはレンズを覗き込んで、歯車の材質や山の形状を調べていて……気がついた時には――。
 嫌な予感に襲われ、クラシスはドライバーを懐中時計のネジ山に当てたまま考え込む。
 この手の偶然・因果律は、大抵どこかの悪意者によってもたらされる人為的なもの――因果とはいえない、計画的犯行だったりするものだ。誰かによって仕組まれた仕掛けに気づかない者には、全てが天の采配に感じられるもの。前回この時計をいじっていたからといって、今回も何か起こるとは限らない。もし何か起こったとしたら、この偶然が自分に悪意を抱く誰かの計画に沿って動いてる可能性を考えなければ。例えば――例えば、誰だ? 心当たりが多すぎてわからない。
 バカバカしい。
 唐突に理性が――いや、本能が囁いた。何を心配している? 自分は誇り高い女神に仕える一族の末裔だ。仇なすものには死と恐怖を持って報復するだけ、それでいいじゃないか。ちっぽけな命と力しか持たない人間どもに、何ができる? しかもこの、空を飛ぶことを禁じた大陸で、空を行き雲を越えて進む自分の船を、どうやって止めるというのだ?
 全て杞憂だ。
 苦笑しながら、意を決してドライバーを握る手に力を込めた時だった。
 彼の住む鋼鉄の海獣の中を、軽やかなステップと鼻歌の、リズムとハーモニーが響きだす。
 最初はただの気のせいとも言えた雑音は、その存在を少しずつ確かな音楽に変えながら彼のいる部屋に近づいてくる。彼の船室(キャビン)へ一直線。
 バッと風が動いた。キャビンに流れ込む外界の空気。そして
「ただいま〜」
 見目麗しい女性がそこに立っていた。白いレースのワンピースは真っ赤な髪とのコントラスト中、不思議にもやけに健康的な姿に見える。長い髪をかきあげながら、彼女は少し幼いその顔をきらめかせてクラシスの傍に駆け寄った。
「ねぇ、聞いてよ、船長! さっきね、例の――」
「遅いぞ」
 そうするつもりはなかったが、刺々しい声色が口をつき、女はあっけにとられたように口をつぐんだ。
「あれ? ……なに怒ってるの、クラシス?」
「怒ってなんかない」
 クラシスは外したばかりのネジを、最初からの予定のように何気なく締めはじめる。彼女の顔を極力視界に入れないようにしながら。
 心配していたなんて知られたら、後々面倒だ。
「じゃあ聞いてよ! さっき、メルに会ったの。当然だけど、私が誰だかわからなかったみたい。えへへ、ちょっと楽しかった。あ、船長の知り合いだって言っておいたから、ちゃんとそれらしく答えておいてよ? いつもどおり、船長の妹みたいなもんっては言っちゃったけど」
「……例のって、例の移動する店か? まさか、その格好で行ってきたのか!?」
「うん。ダメ?」
 ぞっとする。
 彼女の出かけてきた店というのは――その手に関しては決して素人ではないはずのクラシスも良くわからない、一種の魔法で様々な次元と繋がっている特殊な場所なのだ。建物がそうなのか土地がそうなのか、その店は各次元を移動しながら来る者拒まずの経営をしている宿屋だ。大抵の宿屋がそうであるように、この店も一階が食堂となっているので、クラシスも何度か足を運んでくつろいだりしている。
 目の前で不思議そうな顔をする彼女も、自分同様、店の穏やかな雰囲気に魅かれてちょくちょく出入りしていたはずだ。
 だが、今回はちょっと事情が違う。今はあの店の特性が彼女の体調にどう作用するかわからない時期、あそこに軽々しく行っては行けない時期なのだ。身近な存在であるクラシスだって出かけてるのを控えているというのに、当の本人が行っては元も子もない。
 ついつい、声を荒げてしまう。
「何考えてるんだ、カノン! お前、自分が今どういう体なのかわかってるんだろ!?」
「まあ……たぶんわかってるんじゃないかな」
 彼の怒りに肩をすくめながら、彼女はその美しい頬を苛立ちの色に小さく膨らませた。クラシスはそれを無視。心配していただけ、その心配を気づかれないよう小出しにしている分だけ、彼は低く長々と文句をつける。
「あんな、体が不安定なりかねない場所で……店先で発作が起こったらどうするつもりだったんだ!?」
「それは大丈夫よ、私たちとシステムが全く違う魔法じゃない」
「わかってるのはシステムが違うって事だけだ、どんな魔術要素が暴走するかわからないじゃないか。今、お前を制御してるのはお前自身じゃないんだぞ? だいたいお前は――」
「はいはい、わかったから。お説教はもうたくさん。『五歳』ならともかく、今の私は『二十歳』よ? 『二十歳のカノン』に、門限守れって? 冗談じゃないわよ、まさか私の保護者きどりなんじゃないでしょうね? 私に監視されてる分際で」
「お前の保護者なんて、こっちから願い下げだよ。まったく……お前みたいなじゃじゃ馬を躾けるのに何年かかったと思う? それをこんな……大体、午後五時に病院に行った時は『五歳』だったじゃないか、どうして『二十歳』になってるんだ? そういう事はよせってドクターにも言われてるだろ!」
「ああ、もう! 人の話ぐらい聞きなさいよ、反省してるって言ってるじゃない、そんなのもわかんないの、この石頭!」
「いつ反省してるなんて言ったんだよ!?」
「今よ、今!」
 カノンはバンとデスクを叩き、置かれたままだった懐中時計をガタタと振るわせる。彼女は座ったままのクラシスの薄紫の瞳を、同じ視線の高さになるよう屈みながら漆黒の目でしっかりと捉える。
「わかってるけど、そんなに怒らなくてもいいじゃない! 私だってたまにはおしゃれしたいわよ、大人の格好で大人の遊びもしたいの、お酒も飲みたかったの! 三ヶ月も療養したんだから、たった五時間六時間ぐらい遊んだって良いじゃないのよ! クラシスだって遊びにいったりバーに行ったりしてるのに!」
「怒らないでいられるか、この、尻軽道化ッ! お前がまた倒れたら、面倒みるのは僕なんだぞ! 前みたいに手遅れ寸前だったなんて、僕は二度とごめんだ! じっとしてろ、面食いの色狂い!」
 ふっと脳裏を掠める記憶。彼が懐中時計に夢中になっている間に、カノンは全身の神経に変調をきたし、声を上げる余裕もなく床に倒れて死の予感に怯えていたのだ。それに気づいた時にクラシスの中に湧き上がった、言いようもない後悔。その原因が、元々存在そのものが不安定な彼女の中に歳と共に降り積もった膨大な情報と、何よりも危険を伴うクラシスとの生活によるストレスであると知った時に感じた無力感と自己嫌悪感。
 傍らの空間が一瞬にして消えうせたような恐怖と絶望感、息の詰まる漆黒の時間……カノンがいなくなった時に知るであろうその感覚を、身をもって覚えたあの瞬間を、クラシスは絶対に忘れることなどできない。
 そんな彼の記憶を打ち消すように、目の前のカノンは声を張りあげる。
「発情期の時の貴方ほどじゃないわよ、痩せガラス!」
「同じ発情期でもカラスの方がまだ品があるさ、馬並み道化よりはな!」
「ちょっと、女の子に向かって馬並みとは何よ、馬とは!」
「お前はどっちでもないだろうが」
 そういい放った途端、カノンはサッと顔色を変えた。クラシスを睨みつけると
「私は女の子がいいの。クラシスだって、一緒にいるのが女の方がいいでしょう? 男ばっかりじゃむさくるしい」
「男同士? それもまた気楽でいいもんだね、久しぶりにトレイルでも連れてくるか」
 皮肉交じりのその調子に、カノンは再び頬を膨らませた。
 トレイルというのは、クラシスの知り合いの青年で、今いるこの街で花屋を営んでいる。一時期、この船の住人だった時期もあるが、その時は当然、カノンも一緒で三人暮らしだった。
 『二十歳のカノン』は睨みを続行しながら足を踏み鳴らした。その姿はまるで子供だ。イライラのあまり、基本体である『五歳』のクセが出てきたのだろう。
「そういう事じゃなくて!」
「じゃあ、どういう事だよ?」
「私は、女の子でいたいの。レディなの。どっちでもないとかじゃなくて……ちゃんと女の子として扱ってよ」
 急にどこかはにかむような気配を漂わせ、カノンは自分の頬に手を当てた。
「ほら、いつかお嫁さんになる時、女の子らしい感じじゃなきゃダメじゃない?」
「フンッ、本当の事を言って何が悪い。お前はカノン、カノンはカノンだ。女でも男でもない、大人でも子供でもない。そうだろ? 大体、誰がお前を嫁にもらってくれるって言うんだよ。それこそトレイルぐらいじゃないのか? 先にいっておくけど、僕はごめんだからな」
「ちょ、ちょっと! ……それってどういう意味よ」
 抗議の声を無視して、クラシスはテーブルの上にあった懐中時計を手に席を立った。
 帰って来た姿と元気な言動を見ていたら、ほっとして喉が渇いた。水でも飲んでこよう。まったく、なんでコイツの為に自分が気をもんだりしなきゃならないんだ。
「どこ行くの?」
 声の位置に違和感を感じ、彼は目線を落とした。
 目の前にいた乙女の姿はなく、かわりに白いレースのエプロンをつけた少女が、ふてくされたようにペテンと座り込んでいた。まるでアンティークドールのような、作り物のように美しい少女だ。かすかに朱のさした頬が、見る者に彼女が生き物である事を指し示す小さなよりどころになっている。真っ赤な長い髪と大きく潤んだ黒い目は、少女が今までそこにいた女と同じ存在である事を主張していた。重そうに広がったワンピースの裾が、床に朝顔のように咲く。
 カノンの一番基本的な姿――『五歳のカノン』だ。彼女の体にもっとも負担をかけない姿。
「ねぇ、どこ行っちゃうの?」
「水を飲んでくるだけだよ」
「……ホント? 怒ってない? ママたちみたいにどっか行っちゃうんじゃないの? ……私のこと、嫌い?」
「うるさいな、水が欲しいだけだって。僕が何しようと勝手だろ?」
「……やっぱりまだ怒ってる……ねぇ、ごめんっていってるじゃない?」
「今、はじめて言ったくせに」
「ごめんってば。ほら、『五歳』になったから機嫌なおしてよ〜。お嫁さんの話なんてしないから、お薬もちゃんと飲むから〜。ね? ね? ……ううう……」
 グスっと鼻を鳴らしながら、彼女は目元をぬぐいだす。
「……う……ううう……クラシス、怒んないで……怖いのやだよ……うう……ばかぁ……」
 いきなり泣き出した少女に、クラシスは呆れて、腰に手を当てながら大きなため息をついた。
「『二十歳』でダメだからって、『五歳』で泣き落としっていうのは、随分と卑怯な手じゃないかい?」 
 グスグスと泣きながら、彼女はフラフラと立ち上がった。長身のクラシスに対して、その腰にも届かないような小柄な体を起こす。キッとクラシスの顔を見上げると、唐突にピョンと飛び上がった。とんぼ返りをした勢いを利用してクラシスの足を蹴り飛ばす。
 硬い革靴の踵、それも縁をうまく脛にヒット。予想外の反撃に、反射的にうずくまるクラシス。
「痛っっったぁぁぁぁ! なにす――」
「この、ちょ〜鈍感男ッ! あんたなんか大ッ嫌いッ! ママに言いつけてやるんだから!」
 膝をついたクラシスの前でアッカンベーと舌をだす。タカタカと靴音を響かせて走りさりながら、少女はキャビンから飛び出していった。
「待て、カノン! アキになんていう気だ!? やめろ!」
 自分の愛しい人に、今以上の悪い印象を与えられてはたまらない。慌てて立ち上がろうとした彼は、急いでいた事と脛の痛みに気を取られ足をもつれさせる。そのまま無様に転倒。
 自分の体重がダイレクトに痛みとなって跳ね返り、彼は自分の馬鹿さかげんに呆れながら床に転がった。唐突に何もかもが面倒になり、彼はそのまま倒れ伏したまま独り言。
「……誰が鈍感だ、誰が。失礼な」
 まったく。人の気も知らないで。下手に兄弟同然に育ってきてるから、よけい始末におえやしない。
 ポケットから飛び出した例の懐中時計がゆっくりと弧を描いて、やがてカタカタと床で踊りだす。まるで彼をあざ笑っているようで、気分が悪かった。



〈「同調の時計」・了〉



『白月』の船室 | Home | NEXT→
01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10
11 | 12 | 13 | 14
・「この話、面白いかも」と思ったらポチリとお願いします。

copyrights (c) 2001-2017 suzu3ne@CloudCollector'sVector(2CV) All rights reserved.