9・流星の光る場所
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 彼の師匠はかつて、草原で共に星空を眺めながら呟いた事がある。
『……何も視ずにこの空を見れたら、きっと皆が言うように、美しいと思えるのかな』
――視る?
『……そう、視る。正確には視えてしまうのだ』
――何を視ているんですか? 僕にはただ、星が光ってるようにしか見えない。あの大きな白い星と、隣の並んでる三つの星をつなげればバスケットの形に見えるとか……そんなもんです。
 師匠はふと笑って、彼に顔を向けた。美しい白い顔。艶やかで一本一本が息づいているのを感じられる黒髪。しっかりと閉じられた両眼。だが師匠は確かに彼を見ている。いや、視ている、のか。
 師匠は結局、彼との修行中に一度もその眼を開ける事はなかった。自らの大きすぎる力と崩れた世界のバランスと、それらを考慮した結果、眼を閉じる事で自らを律したのだ。一呼吸置いてから話す言葉も、流れる歴史に余計な影響を与えぬよう、何度かシミュレートしてから話すが故だ。
『……その星座の見方は、アイツから教わったのか?』
 彼は頷く。
――船長もよく、こんな風に寝転がってました。僕も修行でさんざん絞られた後、あの人と一緒に見てました。
『……何が見えた?』
 師匠は落ち着いた声で訊ねる。咎めている様子はない。むしろ、恐縮してしまうのは彼の方だ。船長と師匠の関係を知っている彼の方が、ざっくばらんな師匠の問いかけにドギマギする。
――きれいな空と……月と、雲と……それと……。
『……落ちてくるもの』
 師匠は喉をくっと反らせて、仰ぎ見るように空の端から開かぬ瞼をじっくりと滑らせる。
 視ているのか。
 彼は師匠の手がすっと、空の一点を指し示すのを見た。
『……どうしても視えてしまうな。あそこに』
――?
『……あそこに、余計な〈私〉がいる。三人、か。世界を星々に変えて、降らせるつもりだ』
――? どこに、ですか? 降らせる?
 師匠はニッと、自嘲気味に唇を引き上げる。
『……どこに落とすのかまでは、今の私にはまだわからない。だが、『主』の居る世界だ。流れ星が落ちて輝き、あの方が安心して眠れる世界だ。……どこまでも続く果てしない連鎖の中の、小さな停滞の場。故にその影響は測り知れない』
 嬉しそうだ。
 彼にはわからなかった。今でもわからない。
 師匠は知らないという事実を、嬉しそうに語ったのだ。その気になればいくらでも知識を引き出せる存在が求めるのは、無知という遡及性のない現象なのだろうか。
『……新しい星が降れば、お前も私もそこに行くだろう。世界の欠片《かけら》となって、星を作る星となって。そして世界を創る為に『主』がやって来る』
 そうすれば。
『……そうすれば私はまた――』



「嫌な夢を見ました……」
 トレイル・トリルアーガスは、勝手にガンガンと音を立てる頭をやりすごそうと、コメカミに氷嚢を押し当てながら――同じ量のワインを空けたはずなのに涼しい顔で朝刊の見出しに目を走らせるクラシスに対し、精一杯の抵抗とばかりにぼやいた。
 カノンが飛行船『白月』の中で調整の為の長い眠りに入ってしまった為、病院に居られなくなったトレイルは、クラシスの日常生活をカノンに変わって監視するという名目で、『白月』の中の一室に転がり込んだのだ。
 トレイルとしては順調だった講師の仕事を一時休業へと切り替えざるを得なくなり、クラシスとしてはうるさい小姑が来たとブツブツこぼしている。双方共に不満のある生活のスタートだった。
 昨夜はその入居祝いも兼ねて、二人で自棄酒を喰らって不貞寝したのだ。
「大昔、師匠と話した夢。う……気持ち悪っ……」
 大慌てで、部屋の隅に転がされていた甲板掃除用のバケツを拾い上げ、トレイルは胃のむかつきをギリギリまでこらえようとする。
 クラシスはちらりとトレイルに目を向けた。だがそれもつかの間の事。新聞を読む素振りで顔を隠しながら
「珍しいね、君が師匠の夢を見るなんて。ユガリなんかは良く見てるみたいだけど、あいつは腐っても宗教家だからなぁ……宗派も違うのに、大陸教会聖書を隅から墨から読みつくしてるし。半分妄想みたいなもんだから、本気にした事はないけれど」
「僕のは違いますよ。本当に、昔、師匠と話した話……」
 喉の奥がゴボゴボと音を立てる予感まで覚えて、トレイルはあわてて口元を押さえた。体中の臓器が一斉に好き勝手暴れ始めたような気分だ。二日酔いに効く薬草の類をいくつか知っているが、それを取ってくる余裕も無い。
 情けないなぁと、クラシスは呆れた様子で新聞をめくった。
「私より先に老けちゃうんじゃないのか? 今からあれぐらいで二日酔いになるなんて、かわいい顔して中身はヨボヨボだって暴露してるようなもんだぜ?」
「船長は、僕らと体のつくりが違うんですよ。二日酔いになんかならないんでしょ」
「失礼な。私だって二日酔いの一つや二つ、経験してるさ。若い頃の話だけどね」
 大ボトルを並べてボーリング勝負が出来たほど飲んだ昨夜の量を、水でも飲んだかのように平気な顔でやり過ごせる男の二日酔いとは……どんな量だと想像しただけで、トレイルは鼻の奥にアルコールのつんとした香りを想起させた。
 そして、慌ててバケツを抱えて隣部屋に駆け込む。
 背後から「絨毯の上にはこぼすなよ」というクラシスの声が追いかけてきたが、もちろん、返事をする余裕などあるわけがなかった。


 バケツの中身を処分し、青い顔で戻ってきたトレイルに向かって水の入ったグラスを差し出しながら、『白月』の船長は呆れ顔で当分飲めないねと囁いた。もちろん、考えたくもないトレイルだったりする。
 ありがたいグラスの水で喉を少しずつ湿らせながら、トレイルは自分の見た夢を話した。遠い過去において、自分が師匠と過ごした短い期間に交わした言葉の記憶を。
 兄弟子であり仮師匠の男は、それを一度もさえぎる事なく、最後まで黙って聞いていた。普段の騒がしさから考えれば奇跡的な事なのだが、トレイルは酷く納得する。師匠と仮師匠の間にしっかりと根を下ろしている、狂気にも似た繋がりを。人が本能とも呼ぶ抗い難い感覚を。
 トレイルの話を聞き終えたクラシスはどこか上の空で、ソファに座ったトレイルの左に腰をおろした。
「なるほど……それにしても、不思議なもんだね、こんな日が来るなんて」
「?」
「僕が、僕の弟子と二人きりになってしまうなんて。カノンが居なくなってしまうなんて、さ」
 ため息を一つ。重い。
 船長がこんな息を吐く事など滅多に無い。少なくともトレイルの前では。
「アキは、どんな気分だったんだろう? 遠い昔に、星と一緒に落ちてきて、あの約束の場所で僕と出会って。僕なんかを助けたばっかりに、僕と二人きりで、誰も知らない土地に放り出されて」
 声は虚ろだ。とおりは良いのだが、言葉の連なりに張りが無い。気持ちがどこかへ向かっているのがわかる。
 だが、それはどこへ向かっているというのか? 過去か、未来か、アキか、カノンか?
 揺れ続けているが故に、その声には中身がなかった。
「目的はある、けどあてはない。死んではならない、あきらめてはならない、待ち続けなければならない……ふふふ、おかしなもんだね。アキの『主』に対する存在意義が、僕に与えられた罰と同じものだなんて」
 神妙な顔で指を組み、船長は天井の一点を見上げた。反論しようとするトレイルの気配を察したのか
「わかってるよ、君の言いたい事は。カノンはまだ生きてるっていいたいんだろ? 死んだみたいに話すなって」
 そのとおりだった。
 トレイルの事を幼い頃から知っている船長だ、次に言いたい事は大抵察してくれる。だが、毎回察してもらっても嬉しくない。自分はそんなに単純な人間なのかと情けなくなる。特に二日酔いの最中ならば、だ。
 でも、いつ帰ってくるのかわからないんだよ――クラシスは小さく押し殺した声でそう言った。
「でもこのままじゃカノンもアキと一緒だ。いつ帰ってくるのかわからない。このまま永遠に会えなくても不思議じゃないんだ。だってそうだろ? 彼女たちは神だ。時間も存在も僕らとは勝手が違っている。その気になればいつまでも生きていられる。でも僕自身が、待ちきれない。彼女達が戻ってくるまでに、生きてられるのか。その、『新しい星が降れば』? 『新しい星』とやらは、どこに降るんだろう? 『お前も私もそこに行く』……僕が居ないな。僕はどうなるんだろうな? 一緒に行けるんだろうか?」
 トレイルは息を飲んだ。考えもしなかった。
 カノンの病はあくまで一時的なものだ。兄弟子達の理論が正しければ、『白月』のブラックボックスはカノンの大きすぎる記憶を補い、整理し、カノンの肉体を正常に保つだけの記憶以外の全てを『白月』内に吸い上げて保管するはずである。
 百年千年単位の記憶だ。船長やトレイル、他の〈十二使〉達には持ちきれなかった記憶をも、細部にわたって忘れる事もできずに記録してきたカノンの記憶。作業には長い時間がかかると思われた。
 もちろん、トレイルはそれを覚悟していたはずだ。だが楽観していた事も確かである。自分達に与えられた長命の呪いに感謝するほどに。
 だから、カノンの作業が終わるまでに、自分達が死んでしまえばどうなるかなんて、考えもしなかった。
 ましてやこの、幾度もの生死の境を乗り越え続け、仮師匠であり破門されたとはいえ一番弟子である男が、死んでしまうだなんて。
「……考えすぎですよ。船長は百人に踏まれても生きてそうだし」
「そうかな? この間だってあやうく死にかけたんだぜ? ライルの奴、本気で首は絞めるわ腹は刺すわ……ちっちゃい頃から可愛げのない奴だと思ってたけど、あそこまでやるかぁ?」
 珍しく命令を出してきた師匠の指示で、一昨年前、船長に恨みを抱く兄弟子と再会したのだ。もちろん、この男達が首を突っ込んで無事に済むわけがない。シラトス王室の親衛隊から全魔術師ギルドの治安部隊、各町内の警備団まで引きずり回した大騒ぎになった。
 そういえば、トレイルが船長と初めて出会った時も、船長とライルの世界を巻き込んだ大喧嘩で、同じような騒ぎになったもんだが……今考えると、どちらも彼らの師匠が仕組んだ出来事だ。
 自分の師匠ながら、何を考えているのかわからない。
 そんな人をいつまでも愛しているといえる船長も、何を考えているかわからないトレイルだったりする。
「あの時は仕方ないですよ。ライル様もライル様ですけど、船長も船長なんだから。あんな場面で大見得切っちゃったら、ライル様だって刺すしかないでしょうが」
「あ、なるほど。そういう事か。確かにあいつ、やたらとプライドは高いからな〜。あの後はてっきり本当に恨まれてるのかと思って随分落ち込んだもんだけど――」
「いや、落ち込んだは嘘でしょ、ちゃんとこの目で見てたんだから覚えてますよ。大体、落ち込んだ人が大喜びでライル様殴ってるなんておかしいでしょ? 勝手に事実を捻じ曲げないでください……それと、船長は恨まれてますよ、ホントに。そこは理解しておいてくださいよ。間に立った僕の身が持たないです……」
 あの騒動の時を思い出したのだろうか。船長は刺された時の傷が残っているはずの左脇腹をさすりながらふっと表情を和らげた。からかう時の表情――瞳を見開いて大げさな身振りを加えてトレイルの肩を抱く。
「なあに、私の行動は全て、君の成長の為に仕組まれた試練だよ、トレイル君。甘んじて受けたまえ。そして立派な魔術師になるんだぞ、私が仕事をしなくても済むぐらい稼げる魔術師にね」
 その声の中に、先にあった虚ろな響きはない。中へそっと詰めこまれはじめた感情にほっとし、トレイルは丁寧に頭を下げた。
「そんな試練いりません、お願いですから人の売り上げとりあげるのも勘弁してください」


 余計な〈私〉がいる。
 三人、か。
 世界を星々に変えて、降らせるつもりだ。

 新しい星が降れば、お前も私もそこに行くだろう。
 世界の欠片となって、星を作る星となって。
 そうすれば私はまた、お前達に会える。


 嫌な夢だった。
 あの日もそう感じた。
 師匠は嬉しそうだったけど、自分は嫌な気分だった。
 まるで、自分の死ぬ時を予言されたみたいで。
 世界を星々に変えて、降らせるつもり?
 世界の欠片って、星の事なのか?

 そこで僕は師匠と再会する?

 なんのために?
 再会しても、話すことなど何も無いのに。


 〈「流星の光る場所」・了〉



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