R-T-X 「1・軍医と青年」
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 〈軍部〉本庁に勤める人間なら、一度は聞く名前がある。
 ギル・ウインドライダー。『現代の錬金術師』と呼ばれる軍医の名だ。 
 彼は〈軍部〉本庁に専用の仕事部屋を持っている。当然一介の軍医としては破格の待遇だ。それが三十五歳だと言われている男への待遇であるなら尚更だろう。
 地下八階倉庫の横に、管理人室とは明らかに違ったつくりの部屋が二つ。それがギルの仕事部屋であり宿泊場所でもあり――本庁の隠れ名所でもある「開かずの間」だ。
  二つ並んだ扉の一つには、誰が架けたのか『保健室』というふざけた札。事実上、ここが診察室であるようだが、こんな辺鄙な場所の診察室にくる軍人など居ないに等しい。名ばかりの診察室だ。
  そしてもう一つのドア。そこに掲げられたぼろぼろのプレートには、かすれきった字でこう書かれている。
 『人格波動研究所』



 ギルにとって昼夜というものは存在しないに等しい。
  噂によると不眠症だという。もっとも、この地下の一室には、昼夜を確かめる日差しなどないのだから、少々生活時間が狂ってしまっても仕方がないのだろう。
  彼の生活に明確な睡眠時間は存在しないのだ。起きている時が仕事時間であり、昼なのかもしれない。それが例え丑三つ時の深い夜の間であったとしても、彼にとっては昼なのだ。
 その日もギルは、その部屋で器機端末を操っていた。深夜、明け方をむかえつつある暗闇は本庁だろうが〈軍部〉の寄宿舎だろうが決して変わらない。全てを黒に覆い隠し、ささやかなさえずりを思いがけないほど遠くまで届けてしまう。
 軍医は情報を並べていたディスプレイから不意に顔をあげ、にやりと笑った。彼の笑みは、とても平凡な、これといって特徴のない顔を一気に凶悪な相へと変える。見る者全てが不快に――そしてある種の不安と恐怖を感じる笑みへと変わるのだ。
 かけていた眼鏡と白衣の襟を正しながら
「こんな時間に来客とは。最近では珍しいことだな」
 ギルは煙草をくゆらせながら呟く。ヘビースモーカーのこの男は、手術中でも煙草を吸うというもっぱらの評判だった。事実この男、戦場でも煙草を手放さない。前線の手術なら尚更だ。
「しかもずいぶん珍しい奴が来たもんだ。ククク……何年来だ? ずいぶん経ったなぁ」
 ギルの背後で、接客用のソファがドサリと鳴った。重い物が乗せられた音。
 かすれた声が軍医にかけられる。
「俺は二度と会うつもりなかったんだがな……あいかわらずだな、万年白衣男。これぐらいじゃ驚かないってか……」
 ギルは席を立つと、客に振り返りもせずに隣室へ向かう。診察室だ。診察台の脇へ無造作に放り投げられていた古ぼけたバックを取り上げながら
「どうしてここに来たんだ? ここにはもう、お前の居場所なんてないはずだぞ」
「まぁな……」
「お前がそう望んだんだ。本当なら――」
 ギルは押し殺した笑いを響かせる。ゆっくりとソファに近づきながら
「――そうだな。陳腐だが不法侵入者あつかいだな。今ここで私に、野良猫みたいに殺されてみるか、〈フリーク〉? 相手してやってもいいんだぞ?」
「……懐かしい名前だ……」
「口に出したら、バラしてみたくなったよ」
 ギルは手にさげたバックから、一本のメスを取り出す。はたと立ち止まり、手術用の刃物を眺め
「ククク……これじゃ役不足だったな。もっとも、内側から切ればどうかはわからないが。となると、頭部切開用の電ノコかレーザーか。それでもダメなら私自身の腕になるな。なぁ、どれがいい?」
 長い沈黙があった。そしてゆっくりと
「……あんたが、決めろよ……俺はもう、どっちでもいい」
「〈フリーク〉、そうはいかないんだ」
 ギルはバッグを足元に落とし、メスを握ったままソファに近づく。軍医のバックは水っぽいものの中に落ち、ビチャリと鳴った。
「そいつは私が珍しく大事にしているソファだったんだ。それをダメにした奴をほっとけるほど、私は優しい人間じゃないんだがな。大体なんだ、そのザマは。私の前でそんなに血の匂いを撒き散らすな、本気で殺してみたくなるだろう?」
 ソファの上には血まみれの男が倒れている。全裸だ。引き締まった無駄のない筋肉は所々汚泥にまみれ、無数の切り傷が残されていた。ぐったりとしたまま動かず、瞼も力なく閉じられていた。
 二十歳そこそこの顔立ちはどこか幼い気配をたたえたまま。眠っているようにも見える。大きな瞳の端からは涙のように血の跡。それらがポタポタとソファに染み込み、床に零れ落ち、じわじわと大きな溜りをつくって行く。
 ギルは血だまりへ踏み入れてしまった靴を一瞥。楽しくてしょうがないといった、ぞっとする笑みで〈フリーク〉に近づく。
 腹部で大きく開いた傷口の一つへ、無造作にメスを差し込む。そのまま引き上げれば胸元まで一気に裂けてしまうのは確実だ。だが〈フリーク〉は――刺し込まれた時にややのけぞったとはいえ、その後は身じろぎ一つしない。
 軍医は突き出ているメスの柄を指先でもてあそびながら
「大体そいつは私のベッドがわりだったんだ。これからどうやって眠ればいい? 私でも眠れる時はぐっすり眠りたいものなんだ、わかってると思ってたが……フン、もう話す気力もないか。情けないな」
 返事のない〈フリーク〉に、ギルはおどけたため息を一つ。
「まだ起きてるのはわかってる。そろそろオチルのもな。その前に教えろ。何があった? 一言ぐらい言っておけ」
「……」
「まだ寝るなといってるんだが、わからんのか? 起きられないならその綺麗な目玉に煙草でも突っ込んでやろうか?」
「……また――」
 青年は消えそうな声で囁く。



 ……また、始まったんだ――



 来客の青年はそう呟くと沈黙。そのまま気を失ったようだ。
 ギルは黙ってその顔を見下ろす。一瞬真顔になったその顔は、誤魔化すように極上の笑みを浮かべる。
 眼鏡をはずすと、青年の腹部に刺さっていたメスをひき抜いた。血流が止められていたのだろうか、ビシャリと飛び出してきた血は、軍医の白衣に跳ね上がって点々と赤の模様を描く。
 ギルはそれに目もくれず、床に落としてあった医療かばんを引き寄せた。
「そうか。じゃあ仕方がないな」
 眼鏡を自分の机に放り投げると、くわえていた煙草を床に落とした。血だまりのなかでくすぶっているところを踏みつけると、傷だらけの青年の頭部を鷲掴みにする。
「このまま見逃してやろうと思ってたが気が変わった。悪く思うなよ、〈赤目のフリーク〉」





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