R-T-X 「8・過去と青年(下)」
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 唐突に勢いよく大きく開け放たれる扉。驚きに顔を向ける一堂は、ヨロヨロと外へ出て行く三条の背中を目にすることになった。
「三条さん!?」
 真っ先に反応したのは木伏だった。だが駆け寄ろうとした彼女の前に、すっと白い腕が伸ばされる。驚きに足を止めた彼女に
「奴の事は放っておけ。個人的な発作だ」
 腕を出して彼女を止めたギルは、感情を吐き捨てるように呟いた。人を不愉快な気分になる類のいつもの笑顔は、三条の苦痛に丸められた背中を見送り続けたままだ。だがその気配はどこか強張って見える。そのせいだろうか、笑みにいつもの凄みがない。
 木伏には三条の突然の退室よりも、ギルのその変化の方が気になった。最近彼の表情を近くで見ていなかった木伏には、以前との差が特に大きく見えてしまうのかもしれない。一瞬だが、彼の変化を目にした途端、木伏の中で後悔が渦巻いた。彼の身に何かあったのかもしれない――それを、無事を確認されている弥彦の看病にかまけていた為見逃した自分に対する後悔。
 とはいえ、三条の『発作』とやらが身体的な物と思えば、例え軍医の発言とは言え、放っておく事など出来ない木伏だ。
「でも、ギル、三条さんには前回の怪我もあるわけですし――」
「それとは関係無い。アイツの主治医が言ってるんだ、私の言葉が信じられないのか?」
 信じられないわけじゃない。ただ、いつも見ているギルではない分、いつもにも増して信じきれないだけなのだ。
 木伏が黙るのを待っていたかのように、軍医は椅子から立ちあがった。
「ちょうど全員揃っている事だし、簡単に状況を説明させてもらおう。現在、〈特務〉は〈西方協会〉と共闘関係にあり、共に増加する一方である〈フリーク〉への対策を練っている最中だ。そして我々の部隊は、共闘の要の一つ。それも特別任務を預かっている部隊だ。作戦の失敗は許されない……否、私が指揮を取るからには失敗させはしない。……なんだ?」
 黙って片手を挙げた柚実は、問いかけられ、おずおずと切り出した。
「あの……全員って、弥彦さんはどうなってるんですか? ケガとかも心配なんですけど。それに三条さんがいないままでいいんですか?」
「弥彦・エンヤはまだ我々の部隊に所属している。だが三日内に目を覚まさなければ移動も検討しているところだ。我々の見立てによれば、危機的状況のクライマックスは二週間後。いくら弥彦の筋肉をマッサージで動かしていると言っても、これ以上伸びたらリハビリが必要になって二週間後に間に合わないからな。それに尚起はお前達と別行動を取るから、今説明しなくてもいいだろう」
 ギルは自分の机の引出しから、いくつかのディスクを引っ張り出した。
「各自、これを自分の戦闘服にインプットしておけ。作戦内容と空間閉鎖用の地図、連絡コードが入ってる。概要だけを言えば簡単な作戦だ。我々は二手に分かれ、主に他の部隊の誘導を行う。私とアヤメと尚起、そしてアキオ、柚実、一裕、弥彦の二手だ。部隊誘導の目的は〈フリーク〉と〈マスター・フリーク〉を引き離す事だが、こいつらの隔離後は奴らの戦闘を他の戦闘から隔離する事に専念する。戦闘はその際に必要とあれば参加しろ、無理に戦うより状況を整える事が最優先だ。空間閉鎖が行われ、奴らの戦闘が隔離された後は、空間閉鎖地域の防衛線を死守する。周辺で〈フリーク〉の殲滅が立て続けに行われた場合、閉鎖空間が破壊される可能性もあるからな。万が一破壊された場合、閉鎖空間を立てなおす作業に専念する。その為のクリーナーの設置も我々の任務だ」
 相田が淡々とした口調で
「閉鎖空間が破壊された場合、その反動で小規模の空間圧縮が起こります。周辺地域が破壊される事になりますが、その事に関しては? それに空間閉鎖を行っていた能力者そして魔術師自身の身体にも反動が予想されます。ケガ人の処理はどうなっているのでしょうか?」
「空間圧縮に対する警告は作戦中に私から指示する、すぐに避難しろ。事後処理は〈特務〉警備部の方に一任してあるという話だ。我々には関係ない」
「無視しろという事ですね。了解しました」
「おい、コラ。待てよ」
 アキオが腕組みしながら、憮然とした表情でギルと相田を睨みつける。
「オ・レ・が、空間閉鎖するんだぜ? 俺もケガしたら無視かよ」
「無視だ。お前の事は誰も心配してない。〈西方協会〉もだ」
 そっけないギルの答えは、逆に清々しいほどだった。
「お前が死ぬなんて誰も思っていないから安心しろ」
「あのな……本当の事だとしても、少しは優しくしてくれよ。一応仲間じゃねぇかよ」
「期間限定のな。これが終わったら、いつお前に寝首をかかれるかわかったもんじゃない」
「それは俺より、そこの坊やの事じゃないのか?」
 アキオの悪意ある発言に、相田は微笑する。
「アキオさん、私は〈軍部〉の人間ですよ? どうしてあのギル・ウインドライダーを私が殺さなきゃならないんです? 理由がわかりません」
「あんたに理由が無くても、あんたの上司にはどうかな?」
「私の上司は現在、ギル・ウインドライダーその人です。何か勘違いをなさっていませんか?」
 険悪な雰囲気の二人をギルが笑う。
「ククク……〈西方協会〉と〈軍部〉の言い合いなんぞ、簡単に見れるもんじゃないからな、いい物を見せてもらったよ。だがそこまでにしておけ。どっちが私を殺しても構わんが、そういう話はターゲットの目の前ですることじゃないと思うんだがな。違うか、一裕」
「おっしゃるとおりです、ギル。ですが訂正させてください。私が恩人であるあなたを狙う事など有り得ません」
 軍医はフンと鼻で笑うと、取り出されていたディスクを再度、皆に見えるよう手にした。
「弥彦の復帰まで、ディスクの中身の確認とトレーニングは各自行うように。言っておくが、この作戦は長くても三日以内に終わらせる集中的なものだ。気負って疲労を溜めるような馬鹿なマネはするなよ」
 そのような事をしでかしそうな人間は一人しかいない。うまく能力をコントロールできず、〈特務〉のやり方を覚えきれずに悩んでる柚実の事を指していってるのは、誰の目から見ても明白だった。
「そうだな……当日までのシフトを少し変えておこうか。アキオと柚実は今までどおりでいい。一裕は弥彦とだが、奴が復帰してない今はアキオ達と一緒に行動してもらおうか。アヤメは私と一緒にいてもらう。スケジュール調整は各人話し合ってから私に申請してくれ。明日中にだ」
 ギルは言葉を切って、少し考え込むような仕草をした。各人の反応を見ているようでもあり、自分の語った内容を再確認しているようでもある。やがて一堂を見まわした軍医は
「今はそれだけでいいだろう。何かあったら私かアヤメに連絡をいれるように。では解散」
 そう宣言すると、白衣のまま、まるで三条の後を追うかのように出入り口に向かって歩き出す。
 ――と、その足が止まった。苦笑を押し殺したような顔で振りかえりながら
「アヤメ、ついて来い。話がある」



「わけわかんねぇよ……」
 三条尚起は本庁のロビー隅にあったベンチに横になりながらぼやいた。今日も一日中地下のギルの部屋にいたから気がつかなかったが、硝子壁の向こうではとっくに日が暮れ、闇色が庭先を漂っている。ロビーも通路は慌しいものの、尚起のいる一般人受け付け待合用のベンチにはポツポツと現われては消える、本庁従業員の待ち合わせをする姿しか見当たらない。
――どうして俺が『尚起』で、アイツが『一裕《オレ》』なんだ?
 ギルの皮肉にしか思えないが、どうしても、何かが違うと思えてしまう。アイダカズヒロの響きを聞いてから断続的に続いている吐き気が再びこみ上げてきて、三条は深呼吸を繰り返す。体を通る呼気が、心の中だけではなく内臓までもを狂わせてる不快感を運び去るような気がする。そんな気がするだけなのはよくわかっているのだが。
――そもそも、この状況事態が百五十年前、そっくりじゃねぇか……
 ギルの側で働いてる『三条尚起』と、突然現われた少年の『相田一裕』。違うのは少年が〈軍部〉の人間で、〈フリーク〉もどきではない事ぐらいだ。
 〈赤目〉は苦笑する。
――まさか、予言でもしてるつもりなのかよ、ギル?
 〈赤目のフリーク〉こと『三条尚起』が、あの『相田一裕』に見殺しにされるとでも? 〈マスター・フリーク〉にバラバラにされるとでも?



 〈マスター・フリーク〉は、名前の通り、〈フリーク〉を生み出す存在だ。
 人間の各種の〈人格波動〉に楔――波動剥離因子を打ち込み、その一部を引き剥がす。その引き剥がされた〈人格波動〉つまり二重現身は、本体との合一後〈フリーク〉化する。その際、元々は楔として打ちこまれていた波動剥離因子が変容し、〈マスター・フリーク〉に対する畏怖が植え付けられるのだとか。波動剥離因子を植え付けられた際目撃した〈マスター・フリーク〉の姿を、第二の生として〈フリーク〉化する際、本能的な恐怖の対象として記憶に刷りこんでしまうらしい。
 おそらく、〈赤目のフリーク〉だってそうだったのだろう。あの頃はただの〈フリーク〉だったのだ。ただ、理性を保ったまま〈フリーク〉化した、毛色の違った〈フリーク〉でしかなかったのだ。
――だから
 だから尚起を見殺しにした。〈フリーク〉としての本能が、〈マスター・フリーク〉と対峙する事すら不可能にさせていたからだ。
 怖くて……自分を〈フリーク〉にしてしまった〈マスター・フリーク〉が怖くて、一歩も動けなかった。それだけじゃない。足腰が立たなくなって、惨めに地面に這いつくばってあとずさる事しかできなかった。
 目の前で人形のように腕をもぎ取られ、足を砕かれ、頭部を踏み潰された尚起を、泣きながら見ている事しか出来なかった。それだけじゃない。
 動けない〈赤目〉を〈マスター・フリーク〉は勝ち誇った目で見下ろし、見逃したのだ。
 無傷のまま、尚起の身体をかき集め、ギル達の待つ陣営へ戻っていった屈辱的な時間は忘れられない。
 尚起の血でぬめる腕に、尚起の身体を抱いて――ギル達の元に向かいながら、何度も振り返った。後をつけられてはいないか、殺されてしまうんじゃないかと怯えていた。
 ギルは黙って尚起の、バラバラになった体と潰れた頭を見ていた。いつものように煙草を咥え、白衣を負傷兵の血で汚したまま見ていた。
 何も言われない分だけ、みじめだった。
 尚起の家族もそうだ。何も知らなかった家族は、遺体を拾ってきた相田一裕に丁寧に頭を下げてくれた。旦那さんを見殺しにしたのは自分です、許してくださいと頭を下げても、家族は涙を拭いながら仕方がないとだけいっていた。
『こんな時代ですから、貴方を責める事なんて出来ません。何よりも、主人が生前に、そう言ってましたから……』
 未亡人の言葉が優しい分だけ、息が止まるほど後悔がつのった。
 そんな、ただひたすらみじめだったあの時間は――もう百五十年も前の事なのだ。
 なのに――。
「なにやってんだか……」
 三条――〈赤目〉はため息をつく。
 あの時、屈辱的にも自分を見逃した〈マスター・フリーク〉は、当時の〈軍部〉や〈西方協会〉の助けをかりて、この手で倒す事ができた。〈赤目のフリーク〉という名で、一時は〈軍部〉でもカタストロフィ下の英雄として称賛された時期もあった。そのまま残っていれば、もしかしたら〈特務〉の一員として出世していたかもしれない。
 それを全部捨てて、〈赤目〉=相田一裕である事を捨てて、この街を出ていこうとしたのは自分だ。この街にいればいるほど、『三条尚起』の死が自分を苦しめるのに気づいたからだ。どうしてもっと早く、〈マスター・フリーク〉に立ち向かう勇気を持てなかったのかと悔やんでしまうからだ。
 ギルは街を出る際、後始末を承諾してくれたし、実際、うまく相田一裕が死亡した事にしてくれた。気にくわない奴だが、その事は感謝している。
 だが、それだけだ。
 無一文で山中に隠れ住み、居場所を転々と変え、日々の食料と寝床を確保するだけで精一杯の生活を百年も続けてきた。その間ずっと食料の事しか考えてこなかったのにもかかわらず、あの頃の記憶は何一つ捨てられなかった。
 大事にしたかったのに無くしてしまったものは沢山あるのに、だ。
 自分と一緒に戦ってくれた仲間と、自分を助けてくれた恩人への誠実さと、〈赤目のフリーク〉という存在が世界を救うのだという使命感と、そんな自分の力を信じる事と……
 全部、今の自分には無い。そして欲しくなんか無い。
――ああそうさ、ギルの言うとおりだ。
 もう二度と失いたくないから、何も欲しくなんか無い。
 自分を信じられないから、他人も信じられない。
 〈軍部〉がなんだ、〈西方協会〉がなんだ、ギルが何だ。あいつらのしている事は、自分には関係無い。
――俺は、目の前に〈マスター・フリーク〉が出てきたら頭をブチ抜いて、この前の借りを返すだけだ。
 子供だと笑ってくれてもいい。自分の身体的時間は百五十年間動いていないのだから、精神的時間も子供のままなんだろう。



「失礼するよ」
 頭上から不意に声をかけられ、三条は驚きに動きを止める。人間の姿はしているが、三条の中身は〈フリーク〉だ、感覚器官や筋力は普通の人間と比較できないほどの差がある。その〈フリーク〉の感覚を潜り抜けて姿を現したのは、半透明の人の姿だった。三条のすぐ横に真っ直ぐに立ったまま、フワフワと浮いている幻影。
 特徴あるデザインの黒いスーツを着込んだ青年だった。東方風に整った顔立ちと、どこかホッとさせるにこやかな笑顔。その笑みを唇に浮かべたまま、警戒に顔をしかめる三条を上空から眺めている。
「その格好……〈西方協会〉か」
「『投影』ですまないね。はじめまして、〈赤目のフリーク〉。お察しのように〈西方協会〉の者だよ。アキオから連絡があって、急いで君の様子を身に来たんだ。どうやら身体の問題じゃなかったようだ、安心したよ。今回の作戦の切り札が病欠では話にならないし」
「……名前ぐらい名乗れよ」
「名乗るほどの者じゃないよ、通りすがりのようなもんだからね」
 青年は片手をヒラヒラと謙遜で振って見せる。もしここにギルや木伏がいたなら、彼が〈西方協会〉のミツヤだと教えていたのだろうが。
 ミツヤは三条の全身を、ゆっくりと視線で辿る。
「……なるほど、術的工程が途中で止まってるのか。『埋葬』に傷があって溶解がうまく行ってないんだね。それで条件がそろってるのに『石』が発現できないのか」
「……なんだ? なに言ってんだ?」
「錬金術の話さ。受け売りな上に自己流だけどね」
 さらりと言ってのけた青年に、ベンチに横たわったままだった三条は身を起こす。ギル以外に錬金術を語る人間を見るのははじめてだったからだ。純粋に興味が湧いた。
「あんた、錬金術師か?」
「いや、魔術師だよ。ただ、友人がギルにつきまとわれていた時期があったから知ってるだけ。ギルに魔術を説明する見かえりに、友人は錬金術の理論を説明してもらっただけなんだ。僕はその彼に教えてもらったから……錬金術師の系譜でいけばギルの孫弟子とでも言えばいいのかな?」
「ギルにつきまとわれてたなんて、ご苦労なこった。よく生きてたな、そいつ。解剖されてるぜ、普通なら」
「いや、彼は今でも友人を解剖したがってる。それだけに友人をかくまうのは大変だよ。だから僕らも彼に対しては慎重に接している。今、こうやって『投影』で話していても、〈人格波動〉を逆探知されるんじゃないかとヒヤヒヤしてる」
 ミツヤは薄っすらと苦笑すると、もう一度、値踏みをするように三条の全身を眺めた。
「どうやら悩みがあるようだね。私の忠告を少しでいいから聞いてもらえないかな?」
「……なんだよ?」
 話せば話すほど興味が湧いて、三条は軽い気持ちで『忠告』とやらを聞くつもりで答えた。もしこれが他の人間――木伏やアキオといった、ギルの部隊のメンバーの忠告だったら聞くつもりなどなかっただろう。自分の今に密接にかかわっている人間達に対して、三条は無意識に敵対意識を持っていた。原因はわからないが、自分を居たたまれない気分や息苦しい気分にさせる彼らに、三条は小さな憎悪を抱いていたのだ。
 そんな事など知らないミツヤはコホンと咳払いを一つ。そしてゆっくりとした口調で
「君の悩みは、傷口の上に巻いた包帯みたいなもんだよ」
「?」
「傷はある程度まで大事に取り扱うべき物だけど、適当な時期になったら空気に晒さなくちゃ、きちんと回復しない。息のできない皮膚は、包帯の下でふやけて腐っていく。その腐敗はもう君の全身をボロボロにしているね。今の君は、それを自覚してない『生きた死体』だよ」
 生きた死体。
 三条はその響きに胸をえぐられたような衝撃を受ける。
 確かに、自分の時は止まってる。今の時間を生きる木伏や弥彦、柚実だけじゃなくアキオと話している感覚も息苦しい。それは死んでるようなものだからなのか?
 もしかしたら、本当に自分は死んでいるんじゃないだろうか? それを自覚していないだけなのか? それは自分が〈フリーク〉だからなのか?
 ミツヤは一気に混乱におちいる三条を見下ろしたまま、淡々と告げた。
「君の傷は、君の悩みは――君を腐らせる一方だ。大事にするにも程がある」
「あんたに……あんたに俺の何がわかるっていうんだよ!」
 苦し紛れの一言は、ミツヤをさらに苦笑させるだけだった。
「わからないよ。私は君と『三条尚起』の関係を、ギルから遠い昔に聞いただけだから。今はじめて会ったぐらいだからね、わかる方がおかしい」
 この男は、〈赤目〉が『三条尚起』を見殺しにした事も知っているのだ。
 顔を強張らせた〈赤目〉に、ミツヤは困ったねと呟いた。
「あのね……だからこれは忠告、他人から見た君の姿を言ってるだけだよ。君の傷は、君が自覚しない限り永遠に君を蝕んでいく。……それを考えるとギルは優しいね。君にやりなおすチャンスを与えてる。彼の事だから、絶対にそうとは言わないだろうけどね」
「なんだと? ギルがなんだって?」
 あの自分勝手な錬金術師が、三条に何かをしているという感覚はなかった。強いて言えば今回自分を叩きのめした〈マスター・フリーク〉を倒せるよう、投薬と簡単な筋力トレーニングのメニューを組んだだけだ。
 他に何を?
 ミツヤは「なんでもないよ」と笑って手を振った。
「わかって欲しいのは、今の君の事だよ。今の君を信じている人間がどれだけいて、君の何を見ているかを感じる事だ。そして腐った自分を捨てる事。その為に君には用意された新しい身体があるじゃないか」
「用意された身体?」
「『三条尚起』という身体だよ。ギルが君に用意した、最高の記号」
「……わけわかんねぇよ、あんたの言ってる事」
「そうかな? できるだけギルの作った精神工程を壊さないように忠告したんだけど」
 うまくいかないなぁとミツヤは笑った。
「ギルの事だ、今回の事にどうしても『石』が必要となれば、彼なりに作業を進めるだろうし。私はこれ以上忠告するは止めておくよ」
 三条の目の前で、半透明だったミツヤは急にその姿を揺らめかせる。
「覚えておいてよ? 君の傷は君を腐らせているだけだって事。それだけでも違うはずだから」
 すうっと、たなびく煙が空気に紛れていくように〈西方協会〉の青年は消えた。
 一人残された三条は、再びベンチに横になりながら首を捻る。
「やっぱりわけわかんねぇ……魔術師もギルも、あいつら頭良いフリしてわけわかんねぇことばっかり言いやがる……いつもいつも、俺を馬鹿にしやがって!」
 でも―― 一つだけわかった事がある。
 ギルは自分を変えようとしているのだ。どんな意味かはともかく、変えようとしているのは間違いない。
――俺の傷は、俺が自覚しない限り永遠に俺を蝕む?
 俺の傷?
――『尚起』の事が、俺を腐らせてる?
 初対面の人間から突然投げかけられた忠告だ。無視してもいいはずなのに三条はその言葉を脳裏でめぐらせる。
 その意味に心当たりがある事、それが言いようもなく不愉快だった。



 ついてこいといったのは……
――おかかえ運転手って事?
 胸の中でほのかに燃えあがる怒りのまま、木伏はハンドルを力いっぱい握り締める。別に何かを期待していたわけではないが、まさか運転手がわりだとは思わなかった。
 そんな彼女の隣り、サイドシートに深く腰掛けたまま、ギルは膝の上に乗せた端末を何やら動かしている。木伏の事などお構い無しだ。
 本庁を裏口からでたギルは、〈西方協会〉が運営してると噂される業者からレンタカーを借りていた。その運転を木伏にまかせたまま、自分は持ってきていた小さな端末をピコピコ操っては何やら含み笑いをしているのだ。不気味というか馬鹿にされてる気分になるというか……あまり気分がいいものではない。
 ちなみに行く当てはない。ギルは「三時間だけ、この車を走らせておけ」とだけ言ったまま、作業をはじめてしまったからだ。
 そんなワケで、木伏はもう一時間、ただ適当に市街地をグルグルと走らせている。
 ――と。
「そろそろいいか」
 急にギルは顔をあげた。「アヤメ、運転したままでいい、よく聞け」
「はい、なんでしょうか?」
 今更なにを? そろそろとは?
 ギルは使っていた端末を後部シートに放り投げると、自分のシートを倒して横になった。
「私が〈軍部〉、特に〈特務〉からはあまり良い眼で見られていないのは知ってるな?」
「……噂程度なら、聞いた事がありますが」
 『開かずの間』の妖怪といわれたギルだ。あの部屋に閉じこもり、〈軍部〉の命令や活動に服従してこなかったであろう事は、考えるまでもなく察する事ができる。そして実際、彼の反抗的な行動の数々は噂という形で耳にすることもあった。
 木伏の反応に頷いたギルはあっさりと、更に衝撃的な事を口にする。
「なら、〈特務〉が私と尚起を消そうとしている事は知っていたか?」
「い、いいえ……何かの間違いでは?」
 ギルが優遇されているのは、〈赤目〉との繋がりをもつ唯一の人間だからだ。そして〈赤目〉こそ、空間崩壊の危機を前にした時、人が用意できる最高の切り札なのではなかったのか?
 〈フリーク〉の出現や〈マスター・フリーク〉がどのようにして出現するかは、まだ解明されていないはずだが……仮に〈赤目〉を始末した場合、次にカタストロフィが起こったら〈軍部〉はどうやって対処するつもりなのだろうか? とても信じられない。
 ギルは木伏の驚きを鼻で笑った。まるで彼女の疑問を読み取ったかのように続ける。
「〈フィストドライブ〉が完成すれば、〈フリーク〉を人間が排除する事が可能になる。もちろん、〈赤目〉の様にレイレン反応なしに〈フリーク〉を殲滅する事はできないが、〈フリーク〉並みの力を持った兵士を大量に用意できるんだ。カタストロフィに対しては少々使い方を考えなければならないかもしれないが、人の用意できる戦力としては十分過ぎるほど十分な力だ。となれば、生意気な私や〈赤目〉もいらない」
「ですが……アキオさんから私が聞いた話では、三条さんは〈赤目のフリーク〉として……以前はたった一人〈フリーク〉に対抗できた戦力として、多大な戦果をあげてきたじゃないですか。今回だって、頼まれたワケでもないのに私達と一緒に戦おうとしていてくれる。そんな人を〈軍部〉が――」
「だから尚更なんだ。今回の事について〈軍部〉が欲しいのは〈フリーク〉殲滅じゃない、我々の排除だ、人間が〈フリーク〉を駆逐する結果が欲しいんだよ。外部から助けられなきゃカタストロフィを退けられないというプレッシャーを、〈軍部〉が取り除きたいんだ。組織も人間と一緒だ、コンプレックスがあるんだな、錬金術師や魔術師、そして英雄たる〈赤目のフリーク〉に」
「コンプレックス? なぜそんな?」
「大昔、〈軍部〉は魔術の類を反政府的に使われて以来、魔術師達を弾圧してきたんだ。ところがカタストロフィ時に、〈フリーク〉へ対抗できる兵器を何一つ準備する事ができなかった――〈西方協会〉と私が散々忠告したのにもかかわらず、だ。幸い〈西方協会〉が特殊弾丸――今、〈軍部〉が使っている対〈フリーク〉用特殊弾丸の原形を開発するのに成功していたから、弥彦のように能力者じゃない者も〈フリーク〉を倒す事ができるようになった。〈フィストドライブ〉が汎用化されたら、奴らはほとんどの事態に対処できるようになるだろうな。だが……それを作ったのはこの私だ。アカデミーのつまらん科学者でも技術者でもない。前回といい〈フィストドライブ〉といい、〈軍部〉は自分たちの手で何一つ〈フリーク〉に対抗できなかった事を自覚したんだ。それで私のように失われたに等しい知識を持っている人間を、脅威に思ってるのだろう。自分達のできない事をできる人間や組織が、いつ自分達に牙をむくとも限らないとな――だから〈第三種〉免許なんて制度を作ったりして、できる限り能力者や魔術師の類を管理しようとし始めたんだ。もちろん、いつでも皆殺しにできるようにだ。魔女狩り時代並みに野蛮な奴らだよ」
 ギルは唐突に、声をあげて笑い出した。ギョッとする木伏をよそに笑いつづける。
 彼が息を切らせて黙り込むまで、木伏はただ、すぐ隣りで興奮に震え続ける空気と気配が静まるのをじっと待つしかできなかった。
――違う。
 これはいつものギルじゃない。
 何かから逃げ出そうとしてるかのように、それから目をそらそうとしているかのように、自分を奮い立せ続けてるように感じる。
 ギルは笑い疲れたのか、声をあげるのを止め荒い息を整え始める。そして嗄れた声で続きを話しだした。
「ああそうさ、あいつらは私達を恐れてる。その恐れを認めたくないから私達を殺したいのさ。特に〈赤目〉と私は、共にたった一人の人間だ。たった一人の〈マスター・フリーク〉を倒せる〈フリーク〉と、この都市でたった一人の錬金術師、『現代の錬金術師』だ。〈西方協会〉を相手にするより簡単だとでも考えたんだろうが……ククク、馬鹿な奴らだ。私とアイツがそう簡単に死んでくれるとでも思ってるのか? 『もしも』があるとして、相手はこの私だぞ? ククク……この私、ギル・ウインドライダーが相手なんだぞ? わからないのか、この世界を道連れにする人間だと思わないのか? 私はやる気になればいつでもできるんだ、ディメンションダウンなんて理論上は一人でもできるんだからな……奴らの馬鹿さ加減は、いつも私を楽しませてくれるよ、全く」
 今日のギルは饒舌過ぎる。何が彼の口を動かしているのかわからないが、木伏は彼の言葉に意識を集中する。運転中だから彼の表情を目にする余裕はないが、それ分だけ、彼の声に彼の真意を読み取ろうと試みる。
 このドライブはただのドライブじゃない。木伏に〈軍部〉の事を話す為に作られた口実だ。
――だけど、それ以上に何かがあるはず
 しかし、それが何かわからない。木伏が考え過ぎなんだろうか?
――怖い。
 ギルが、今までと違った姿を見せているのが怖い。おかしい。ずっと、ギルの事を――ギルの別の面を知りたいと思っていたのに、どうして今ごろ恐れているのだろう?
――私はこの人に、何を期待してるんだ?
 正常な感覚か? 異常な発言か? その知識? その力?
 ギルが横になったまま、腕を組むのが視界の端でわかった……と、そこではじめて、木伏はギルが車を走らせていたワケに気づいた。
 ギルは木伏と話す場所として、わざわざ密室の車内を選んだのだ。〈軍部〉本庁や〈特務〉通信機器では、どう頑張ってもセキュリティに問題があると考えたのだろう。同盟関係にある〈西方協会〉を介して手に入れたレンタカーなら、少なくとも〈軍部〉からの盗聴を防ぐ率は高くなる。さらに車内でギルが端末を使っていたのを考えれば……おそらく、念をいれて、自分で調べなおしたのだろう。盗聴器が情報を飛ばしている周波数でも探していたのかもしれない。
 慎重なギルの行動に、木伏はあらためて、状況の深刻さを感じた。だがギルはいつもと変わらぬ調子と尊大な態度で続ける。
「おそらく、〈軍部〉は今回のドサクサに紛れて私と〈赤目〉を始末するつもりだ。〈フリーク〉か〈マスター・フリーク〉の犠牲になった事にしてな。そうなると、私の元で働いてる事になっている人間が邪魔になる。とはいえ、アキオは〈西方協会〉の人間だから手をだせないだろう――数人分の能力者に匹敵するだけの力を持った珍しい魔術師、〈西方協会〉の看板を背負ってるのにふさわしい存在だ。アイツに正面きって喧嘩ふっかけるほどには〈軍部〉も馬鹿じゃない。柚実は和政の妹だ、〈特務〉としても興味があるだろうからすぐに殺しにかかるとは思えない。何も知らないような小娘一人洗脳するのも簡単だしな。何よりあいつはアキオにまかせてあるから心配ない。……となると、問題はお前と弥彦だ」
 ギルは眼鏡を外すと、ダッシュボードの上に置いた。細められた目、その横顔を運転の合間に垣間見た木伏は、自分と彼が極めて近い距離で並んでいるのを再確認する。
「私と、弥彦くん、ですか?」
「そうだ。奴らは必ず、お前と弥彦に接触してくるだろう。私と尚起に、今のところ最も多く接触している〈特務〉だ――使わない手はあるまい? 隙を見て私達を消すよう命じられるはずだ。その命令の窓口になるのが――」
「Aクラスの佐々木和政……『相田一裕』ですね? 本来なら我々の上官にあたる人間ですから、不自然ではないと」
「そうだ。もしお前達が暗殺を拒否しても、あの坊やに命じれば良いわけだからな、やつらのかけた保険だろう。少なくとも、事のあらましを知る事になるお前と弥彦は、もしもの時でもあの坊や一人で始末できると思ってるはずだ」
「口封じに殺すという事ですか?」
「そうだ。だが……やり方が気にくわないんでな、少し反抗してやる事にした」
 ギルはクククと含み笑いをしながら寝返りをうった。白衣の裾にはいつ付いたものなのか、古い血痕が薄い茶色で残り、存在を自己主張している。木伏に背を向けた格好で軍医は
「お前達は殺させん。お前には今回の騒動が終わるまで、私についていてもらう、お前の事は私が守ってやる、その為のシフトだ。作戦中にお前の『無意識の目』も使えるし、私的には問題ない。今回のカタストロフィが私の計画どおりに収まってしまえば、お前達の口を封じる理由もなくなる。それまで私に付き合ってもらうぞ」
「……弥彦くんはどうするんですか? まだ病人なんですよ? とても今回の作戦までに目を覚ますと思えないんですが……」
 まだ意識を取り戻さない弥彦が目を覚まさなければ、〈軍部〉が考えてるような「ギルと〈赤目〉を、不意をついて始末する」という計画自体が無謀な試みになってしまう。この計画は、とても木伏一人でできるわけがない作戦だ。弥彦が居てこそ、〈フィストドライブ〉で〈赤目〉を倒す事ができると考える事ができると考えた方が無理はない。
 木伏の疑問に、軍医は笑いに震わせた肩で応えた。
「フフフフフ……まだわからないのか? アイツは戦士だぞ? 戦士の目を覚ます事なんて簡単だ。〈特務〉だってとっくに気づいてるだろう。〈特務〉が気づかなくても、和政なら気づいてる。……まあ、お前にはできないだろうがな」
「もったいぶらずに教えてもらえませんか」
「明日にでも弥彦に聞いてくれ。私があいつを外そうと考えてる事を知った以上、今日中にでも〈軍部〉は動き出す。明日には弥彦が合流しているはずだ」
 木伏は簡易ミーティングの話を思い出す。確かに、三日以内に目を覚まさなければ弥彦を外すと言っていた。それはこの事を見越しての事だったのか? 佐々木和政を誘導する為?
 いや、それよりも、もっと曖昧で重要な問題がある。
「ですがギル、弥彦くんは真面目です。真面目過ぎるほど……上司からの命令となれば、もしかしたらもありえます。〈軍部〉の事は、いつ話しましょうか?」
 生真面目過ぎる弥彦なら、もしかしたらギル達を殺しにかかるかもしれない。悩みながらも、仕方がないと襲いかかっても不思議じゃないのだ。
 ギルは再び声をあげて笑った。嬉しそうに
「何を心配してるんだ、お前は。……話す必要はないぞ、あいつは最後まで自分がどう使われていたか知らなくてもいい奴だ、囮がわりにちょうどいい。それに馬鹿な〈軍部〉の指図にヒョイヒョイ乗るようなどうしようもない奴を、私の大事な〈フィストドライブ〉の被験者に選んだ覚えはない」
「え?」
「〈フィストドライブ〉は〈軍部〉に使わせる為にあるんじゃない、弥彦が使う為にあるんだ。あいつがどんな能力者になろうと関係ない、〈フィストドライブ〉は弥彦の物だ」
 そして私は自分の選んだ弥彦を信じる――ギルはボソリとそう呟くと、背を向けたまま続けた。
「五分だけ眠らせてくれ。それと……私の寝言は無視しろ。いいな?」
「ええ? ちょっと待ってください、私、聞きたい事が――」
「お前なら大丈夫だろ」
「どういう意味ですか、それは?」
「質問は受け付けない。最初に言ったはずだが?」
 ちょうど信号が赤になり、車は停止する。急いで横たわっているギルの顔を覗きこんだが、彼は既に目を閉じていた。
 横たわったまま苦しそうに眉をひそめ、ピクリとも動かなかった。



 背筋がゾクリとした。次いで、背中で何かがチクチクと痛みはじめる。以前から時々感じた事のある感覚だ、特に疑問はなかった。疑問を挟む時間もないはずだと知っていた。
 弥彦の意識は酩酊の中から急速に引きずり出された。見開いた目には暗い病室と、長い間刺激を与えなかったおかげで痛いほど眩しい非常灯の光。目をしばたたかせながら、弥彦は背中の悪寒の命じるまま腕を伸ばした。
 身体が勝手に跳ねあがる。無意識が掴みかかった先には、〈特務〉の黒い制服に身を包んだ人影。
 ついさっきまで弥彦の額に押し当てられていたデリンジャーのバレルを掴むと、相手はあっけなくそれから手を離した。〈特務〉の火気には全て取りつけてある〈波動認識錠〉の解除ランプが点灯、デリンジャーの安全弁がロックされる。思いがけない行動と思いがけないランプの点灯に驚いた弥彦の手からもするりと滑り落ちる銃身。床で金属の塊がガシャリと音をたてた。デリンジャーではバレルが回転しなければ発射できない。とっさの事とはいえ、相手の判断はそう悪いものではないだろう。
 弥彦は襲撃者を追ってベッドから飛び降りながら相手にタックルする。〈波動認識錠〉の解除ランプ――それがどんな意味を持つのか、普段の弥彦なら判断できたかもしれない。だが眠りから目覚めたばかりの弥彦には、相手が同業者である可能性など欠片も浮かばなかった。
 相手は敵なのだ。自分を殺しに来た敵なのだ。背中の悪寒がそう教えてくれている。
 襲撃者が新しく取り出していたリボルバーの銃身の影を、弥彦は痛む目と非常灯の微かな光の中、かろうじて確認する。壁に激突させてよろめかせる事はできたが、取り落とさせる事はかなわなかったらしい。
 弥彦は襲撃者が体制を立て直す前に、相手の顔面を鷲掴みにする。がっちりアイアンクローを決めたまま、彼は襲撃者の頭を病室の壁に向かって叩きつけようとした。途端、ゴリッと硬い物が腹部を圧迫したが、構わずに腕を振り降ろそうとし――
 次の瞬間、弥彦の体は止まる。
 目の中で、一斉に白と黄色と緑の点が踊り出した。自分たちを取り囲むように、強力なマグライトが弥彦と襲撃者を照らし出す。
「そこまでだ、弥彦・エンヤ警備補佐官」
 ライトの向こう側から、誰かがそう告げた。何人もの人間が、自分達を取り囲んでる。酷い瞳の痛みに、弥彦がかろうじて視認できたのは、その数人の人影と、マグライトが〈特務〉の大型拳銃に取り付けられている事――その銃口が自分に向けられている事ぐらいだった。
 何が起こったかわからないまま――弥彦は自分の手が振り払われたのを感じて、襲撃者に目を戻す。自分の身体の下に居た襲撃者はライトの反対側、弥彦の影の中に居る。痛いほどの光より、影を目にいれていた方がまだマシだった。その影の中から投げかけられる声。
「腕が落ちたんじゃないのか、弥彦?」
 妙に大人びた顔で呟く少年――いや、青年か? たった今、下手をすれば弥彦に頭を割られて死んでいたかもしれない少年は、顔色一つ変えずに右手を伸ばした。その手の先には落とす事ができなかったリボルバー。アイアンクローで振りまわされている間も離さず、弥彦が壁に叩きつけようとしたその隙を狙って腹部に銃身を押し当てたのだ。
「俺が脳みそぶちまけられるより、俺がお前の腸をぶちまける方が早かったはずだ。昔なら同時だった」
「……和政? 本当に?」
 聞いてから、弥彦は自分でも馬鹿な質問だと思った。
 佐々木和政は、弥彦の記憶にある初陣の頃より少しだけ背が伸びていた。だがそれだけだ。育ち盛りだというのに恐ろしいほど変わらない印象。空気と話しているような手応えのなさ。
「どうして、お前が、僕を? ……その前に、ここはどこなんだ?」
「〈特務〉専門病院だ。お前は二重現身との同一化後ずっと眠っていた。お前がなかなか起きないから、俺が無理矢理起こすよう命じられたんだ、同じ職場のよしみで。ああすれば、弥彦ならきっと起きると思った。あんたはどんなに深く眠ってるとしても、自分に向けられてる殺気に気づかないような男じゃないだろ?」
「……同じ職場……って?」
 二人を取り囲んでいる〈特務〉たちは何も言わない。不気味なほど静かだ。佐々木和政に場の流れを一任したように見える。確かに何も知らない相手から説明されるより、吐き気がするほど嫌いだが知っている和政に言われた方が少しは落ちつく。何よりも、和政は『上層部から命令されない限り』嘘はつかない。ある意味不気味なほど、職務に忠実な男なのだ。
 そんな和政は――目の痛みは取れつつあるものの、未だに混乱している弥彦に向かって――機械的に告げた。
「姿勢を正せ、弥彦・エンヤ。お前に特命が下った。心して拝命しろ」




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