R-T-X 「10・路上と青年(上)」
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 昼を過ぎたばかりの大通りは車も人も多かった。
 都市からの強制避難・退去勧告が出ていても、すぐに行動できる人間ばかりではない。研究機関の密集しているこの街では、急に切り上げられない研究をしている人間も数多く、それが現段階までも都市人口の減らない一因だと考えられた。
 そして、家族が行動できないとなれば、当然のように残る子供達も都市に溢れる。街を歩く人々に交じる幼い子や制服姿は、そういった類の事情を抱えているのだろう。
 もちろん、一部の家庭では子供だけでも疎開させただろうし、実際に通学する人数も減っているのだろうが、今の佐々木柚実には、それらを確認する余裕も時間も意味もなかった。
 今の柚実にあるのは、目の前の風景――そっけないアスファルトの車道と心ばかりのデザインセンスを残して敷き詰められた煉瓦調の歩道と、それらに連なってそびえる高いビル群。楽しそうに語りかけてくる、母校の制服に身を包んだ少女。地階に店舗を備えたアパートやマンションのてっぺんがギザギザの境界線を連ね、その線の先には、秋にはまだ早すぎるというのに高く青い空の空気が湛えられている。
 柚実はそれらを順番に目で追いながら、最後にぐっと視線を地上に引き戻し、相田一裕に目を止めた。
 わずかながらも感じられた外の空気――高校生活を思い出させる空気をかき乱す敵に対し、心ばかりの反抗とクソマジメな少年への皮肉を込めて。

 相田一裕がアキオを伴ってやって来た時、最初に柚実が感じた事。それはまずいところを見られたという、怖れだった。
 先刻おこった車内装備のテストについての失敗と、その事に対する相田の反応は、柚実に『同い年だけど、自分とは住む世界が違う人』を強烈に印象付けてしまっていた。そして、体育会系の部活動で育ってきた柚実は、意識することもなく、ごく当然の反応として、その恐怖とも言える感覚を先輩後輩の上下関係に置き換えて解釈したのだ。
 それは同時に、相田の前だけでも、職務には熱心で忠実な後輩を演じようという結論を導いていた。
 その忠実な後輩が、民間人あがりの〈特務〉を毛嫌いする相田の、おそらく触れたことのない日常に触れていては、彼の怒りを買ってしまうだろう事も容易に想像できた。
 わかってはいたが、それでも柚実はここに留まっていたかった。
 〈特務〉に放り込まれたばかりで、騒ぎが収まればまた普通の生活に戻れるという期待が、心のどこかに残っていたのだろう。普通の生活に戻れるなら、相田のことなど気にしなくても良くなる。そんな未練が柚実の判断を甘くさせていた。
 もっとも、彼女自身は自分の気持ちを細部まで把握していなかった。彼女の意識的な位置づけどおり、後輩としての柚実がいじわるな先輩に反抗的な気持ちを抱くのは、普通の高校生なら当然の感覚だし、そしてそれを無言と目つきで表現するのもまた、高校生なら日常的な反応だからだ。
 迷いの後でやってきた怒りで顔をこわばらせる柚実。それに気づいた下條美雪は――バレーボール部の後輩だった頃から変わらぬ、あっけらかんとした態度と好奇心のおもむくままに、その原因を探して周りを見回そうとした……が、もう遅い。
 彼女が動く前に、アキオを連れた相田は「失礼ですが、どちらさまでしょうか」
 彼の右手がさりげなく拳銃のグリップに置かれているのを見て、美雪は小さく円らな目を、文字通りまん丸に見開いた。驚きだけではない。見慣れぬものを見た喜びに、だ。
「先輩、この人の銃、本物ですか!?  すご〜い、先輩も持ってるの?」
 柚実が頷く前に美雪は、柚実がなるべく隠そうとしていた大型拳銃の姿を求めて腰に手を伸ばしてくる。純粋にふざけ半分のじゃれつきなのだが、まだ親しいとは言い難い〈特務〉のみんなに見られているのが、柚実には気恥ずかしくてたまらない。
 それでなくともアキオを筆頭に子供あつかいされているのに――どんなに皆が隠そうとしても、その気配に気づかないほど鈍感な十代ではない――決定的に子供である自分を見られてしまったような気分だ。
 その美雪の手を、相田が掴んだ。
「待ちなさい。質問に答えてもらってない。君は何者だ?」
「痛いッ! ちょっと、やめてよッ!」
 美雪は同年代の男――もちろん、酷く落ち着いた印象を与える相田の姿は、美雪の目にはとうてい同年代とは見えていないだろうが――の手に驚いて急いで振りほどこうとする。やはりバレー部に所属している美雪は、柚実よりほんの少し小さいだけで、世間的には十分に大きな女性の部類に入る。その彼女が反射的に、力一杯振り回す腕。
 もちろん、相田がそれを許すはずが無い。
 美雪も運動部に所属していた人間だ、腕力に関しては並みの女子より自身を持っていたに違いない。だが相田の腕は――大型拳銃をたやすく操る腕力と握力を湛えた腕である。
 隣接の大陸では『ロデオ・ハルク』とも揶揄される、驚異的な反動の銃を操るこの若者にとって、美雪の動きはじゃじゃ馬のうちに入らないのだろう。
「答えろ。これは公安基本法3条で〈特務〉に許されてる職務質問だ。反抗する場合、連行もありうる事を念頭におくんだな」
 手首に溶接されてしまったかのようにビクともしない握力と腕力に、美雪が慌てて動きを止めるのがわかった。圧倒的な力の差を感じた者の反応として当然に、おとなしく相田の顔を見返す。
 相田はそんな反応に、なんの迷いも逡巡もない。
 美雪はすぐに無言の圧力に屈し、目で柚実に助けを求めてくる。もちろん、柚実だってそれを見て見ぬ振りできるほど冷たくもない。むしろ、そこで助け船を出してしまうからこそ、美雪のような後輩に慕われてきたのだ。本人はいたって無自覚だが。
「相田さん、ええっと……彼女、私の学校の後輩で――」
「お前の後輩など、いない」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。
 美雪もわからなかっただろう。きょとんとして柚実と顔を見合わせた。
 弥彦を振り返ると、困った顔で相田を凝視している。心なしか、怒っているようにも見えた。
 アキオは一人でニヤニヤ。傍観者を決め込んでるのか柚実の視線に気づいても肩をすくめるだけだ。
「相田さん?」
「お前は〈特務〉の人間だ。今も、今までも、だ。忘れるんじゃない。さっさと車内に戻れ」
「……ちょっと待ってください。『今までも』ってなんですか? この子、私の後輩なんです。私が急に学校やめちゃったから、心配してくれて。ここで会ったのは本当に偶然で――」
「何度も言わせるな。お前は〈特務〉の人間だ。わかったら車内に戻れ」
 一方的な物言いに、美雪が不快感に顔を歪める。まるで自分の代わりにそんな表情をしているようだと柚実は思うのだが、その柚実も、もしかしたら同じような顔をしていたのかもしれない。
 柚実は腕を伸ばした。相田と美雪の手を掴み、無理矢理引きほどいてみせる。相田はジロリと柚実を睨んだ。大きな目だ。ギルのような殺気とはまた違う、まるで大型の重機を前にしているような威圧感を発している。本当ならばそれは、柚実の傍らでオロオロしている弥彦に抱くべき感想なのだろうが。
 にらみ合う険悪なムードの二人と一人の空気を、ピゥ〜ルルルと、鳥の鳴き声を真似た口笛がかき混ぜた。このメンバーで口笛を吹くような余裕のある男は一人しかいない。柚実は間抜けな音と空気を呼んだ男を睨んだ。
「ふざけないでください、アキオさん」
「あらら、柚実ちゃんにはふざけてるように聞こえたんだ?」
 アキオは手錠の鎖を邪魔そうにしながら、パチパチと小さく拍手をしてみせた。手錠に気づいた美雪が警戒に後ずさるのを、柚実は不思議な気分で眺めた。
 自分の感覚では、今まで自分の訓練に付き合ってくれたアキオこそ仲間と呼べる人物であり、あからさまな敵意をぶつけてくる相田こそ、もっとも警戒するべき存在なのだから。
 アキオは美雪の反応などどこ吹く風。いや、反応には気づいているのだろうが、その類の差別にはもう慣れているのか。いつもと変わらぬあっけらかんとした調子。
「柚実ちゃん、正解。まあ、落ちつけって。だってさ、あんたらはともかく、〈特務〉じゃないオレにとっちゃ、こんな問答つまらねぇだけなんだもん。ふざけるぐらいしか俺の立場もないし? 〈特務〉じゃないから何かする事もないし? これぐらいのBGMぐらいならいいだろ?」
「状況を察してくださいよ」
「察してるよ。だからちょいとガス抜きしたんじゃねぇか」
 風船に針で穴をあける様を身振りで表現し、〈西方協会〉の男はもう一度、肩をすくめた。
「なあ、柚実ちゃん、そんな怖い顔しなさんな。あんたもだぜ、弥彦。法律の手足が〈特務〉だと思えば、誰が正しいかなんて、一目瞭然じゃねぇか。つまんない意地張らないで、そこのお兄ちゃんのいうコト聞いた方が身の為だぜ? さっさと車に戻りな」
 相田がアキオの方も見ずに顔をしかめた。
「捕虜も黙ってる方が身の為だぞ」
「あいよ、お兄ちゃん」
 今度はぴくりとも反応しない相田に、アキオは感心したように口笛を吹く。そして傍らの弥彦を見上げた。
「だってさ。俺は黙ってなきゃダメみたいなんで、あんたが説明してやれよ。この兄ちゃんは、なんだかんだいって、自分から説明はしたくないらしいわ」
 弥彦は困り顔のまま頷き、咳払いを一つして――柚実の前で小さく敬礼した。
 大きく息を吸うと、通りを歩く一般人が振り返るほどの大声で唱え始めた。
「〈特務〉基本法第六十六条第一項、急なる変節にて〈特務〉に入隊すべし人物の過去の抹消。〈特務〉一員として登録及び交付を受けたる者は、戸籍を抹消し、新たにこれを設けなければならない。第二項、新たな戸籍はこれを〈軍部〉の固有財産として管理し、法の定める範囲においてのみ閲覧を許可する。第三項、新たに〈特務〉の一員となりし者の履歴および職歴は、これを白紙として扱うべし」
 そこまで一気にまくし立てると、柚実と美雪が全く理解していない事を確認し、納得したように頷く。
「〈軍部〉内〈特務〉規則四条……過去に接触した人物との遭遇に際し、必要以上の会話を禁ずる。これに反した場合、〈軍部〉法規による個人情報漏えいの罪に相当するとみなす。……これで大体、わかるかな?」
 みゆきが「何それ?」と、怒った様に呟くのが聞こえたが、柚実はそれどころではない。
「どういう事ですか? 私、高校の友達と話すのもダメって事ですか?」
「話すのは構わないよ。ただ……自分が友達だったと相手に話すのはダメって事。赤の他人の『佐々木柚実』として、仕事の範囲で話せといってるって感じかな」
「一緒じゃないですか!」
「一緒じゃないよ。君は『〈特務〉の人間である佐々木柚実』であって、『高校二年生の佐々木柚実』じゃないんだから」
 弥彦はそこで一度言葉を切り、美雪を気遣うように横目でその表情を確認した。
「柚実ちゃん、君は〈政府〉によって一度死んだ人間だとされたんだ。ドッペルゲンガーを見たという事は、そういう事なんだ」
 「死んだ?」と息を飲む美雪に、アキオが「書類上の話だけどね」とフォローを入れる。
「ここにいる柚実ちゃんはちゃんと生きてるよ」
 弥彦は、アキオの言葉を肯定するために、一度だけ頷いた。
「能力者であるという事は、この国にとっての軍事的財産に等しい。能力者は〈フリーク〉と同じぐらい、他国では稀な存在だし、絶対的な数だって少ない。どういう意味かわかるね? その財産の管理を徹底する為に、〈政府〉は能力者をいろんな形で登録し続ける。いろんな特典をつけたりしてね。そして君は、その一つの登録方法である〈特務〉を選んだ。君の場合は成り行きだったけど……だけど君には、君の昔の友達が、君の〈特務〉の仕事に巻き込まれないようにする義務ができた。〈軍部〉内〈特務〉の一員として、この国のこの街の市民を守るのは当然の義務だ」
「それと、私と美雪が話しちゃダメだっていうのは、違う事じゃないですか!」
「違わない」
 断固とした調子で弥彦が首を振るのを、柚実は信じられない気持ちで眺めた。
 化け物と戦っている弥彦を目の前で見た。だからこの男が、得体の知れないものと戦えるほどの強い意志を持っている事は知っている。だがその強さが、よもや自分の前に立ちはだかるとは思いもしなかった。
 柚実は自分がこの男を甘く見ていた事を悟らされた。ギルや相田の人を人と思わない態度と比べていたからだろう。普段はおっとりとした弥彦の言動を、彼の全てだと勘違いしていたのだ。
 実際はこんなにも、正義感にあふれた軍人であり、それ故に頑固であるのに、柚実はそれらの美徳も欠点も完全に見落とし、そして甘えていた。
 急に自分を助けてくれた三条が恋しくなった。アキオが頼りにならない以上、今、この状況からの救いを見出せるのは彼ぐらいだったからだ。
 逃げ出したかった。美雪とはまだまだ語るべき話が残っていた。自分の部活動の成績、友達の様子、教師達の反応。美雪から聞きたい話はいくらでもあった。そして、自分の今の生活の事を誰かに伝えたかった。ほんの数分でもいい、自分の今を昔の柚実を知る誰かにパッと話してしまえたら、どんなに気楽で楽しいだろうと思う。
 相田の事なんて、もうどうでも良くなっていた。あの調子じゃ、どうせ相手が仲良くしてくれる望みはないのだろうから。
 美雪と話をさせて欲しい。このタイミングでうまく三条が合流してくれれば、話も途切れてくれるんじゃないだろうか?
 三条はどこに行ってしまったのだろう?
 かないそうもない淡い期待に揺さぶられる柚実の前で、弥彦の説明は続く。
「君がこれから先にあつかう仕事が、どんなものになるのかわからない。重要な機密かもしれないし、大陸に派遣されるスパイかもしれない。確実なのは、君が能力者であるというだけで、扱える仕事の選択肢は普通の人間の倍になってるって事。その中には危険な仕事もあるでしょ? その仕事を妨害する為に、君の家族や友達を人質にとるのは当たり前の事だし。……そして僕らは、みんなを守るという〈特務〉の義務の一環として、僕らの過去を消そうと努めなきゃならないんだ。一番大事な人たちを、人質みたいな危険にさらさない為にね」
 弥彦の顔つきはどこまでも真剣そのもので、それはつまり、この説得がいつまでも続くことを予感させた。
 あっという間にうんざりした柚実が、弥彦の言葉を遮ろうとした時だ。
 手錠がジャラリと鳴いた。
 アキオの顔つきが変わっていた。

「一裕、お前の前方、二時の方角。もう間に合わない、撃て」
 アキオの声とほぼ同時に、相田が腰の大型拳銃を抜きはなって照準。
 そのタイミングに合わせるかのように、視界を横切り降ってきた黒く大きな影。
 突然起った一連の動きに対してあっけにとられる間も無く、相田はトリガーを引き絞る。轟音と共に飛び出した弾丸は、三十メートルほど離れた路上に、空から落ちて来た体制のままうずくまる一人の男性の肩口を破壊してなぎ倒した。
 銃声に気づいた通行人達が、悲鳴をあげる。即座に走り出す者もいる。パニックに陥る寸前の人々を目に、相田が「〈特務〉だ!」と呼びかけた。
「我々は〈特務〉だ、落ち着け!」
「相田さん!?」
 状況が飲み込めない柚実と美雪を、弥彦が背にかばいながら怒鳴る。
「〈特務〉です、〈フリーク〉の出現を視認しました! 付近のみなさんには、迅速な避難をお願いします!」
 〈フリーク〉の単語に、柚実はあらためて路上に倒れた四十歳前後の男性を確認した。
 よく見れば、男性の足下は真っ赤な血だまりが日の光を跳ね返して黒く輝いていた。先には男の体に隠れて見えていなかったのだろう、骨や内臓をこぼした胴体が、ぬるりとした水っぽい外見を晒し、衣服を染める赤の色に人工物の手触りを逆に思い出させていた。ぎくしゃくと立ち上がろうとしているその男の手には、引きちぎられた腕と、既に半分食べられてしまった頭部が、ぶらぶらと揺れていた。
 美雪が何かわめいて柚実にしがみついた。その感触に、柚実は我を取り戻す。
 その間に、相田が三度、立て続けに発砲。頭部、胸部、足部。全弾正確に着弾。巨大な威力を秘めた弾丸は、着弾と同時に肉片をまき散らす。バックリと口を開けた顔面は、その左側だけをぶらりと残した肉片と丸い首の痕だけとなって弾け飛び、〈フリーク〉が囓り取った頭部に負けない禍々しさを振りまいた。攻撃を受けた〈フリーク〉はこもった音を響かせて路上に倒れる。太股を砕かれた時にちぎられ、奇跡的にも直立したままだった片方の足が、倒れた体を追うようにバランスを崩して横倒しになった。
「対〈フリーク〉用弾丸〈カナジ〉か。まさか一撃とはなぁ」
 アキオの呟きに、相田が抑揚無く返答。
「着弾時の破壊力を増しているだけだ。頭部破壊以外殲滅方法がないのは今までどおり。根本的な解決にはなっていない」
「〈フィストドライブ〉と同じって事か」
「あんたには、そこまで説明する義理も理由もない」
 確かにと、アキオは腕組みをして小さく笑う。眼鏡の奥でかすかに歪めた目で、何を考えているのかはわからないが。
 〈カナジ〉がどんな破壊力を持っていようと、それを〈フリーク〉に対して有効に使用するには、一撃必殺の破壊力を、頭部に向かって確実に叩き込まなければならない。
 弥彦は自分の二重現身に対し、通常弾丸を何発も頭部に叩き込んだにもかかわらず、倒すことができなかった。それは彼の弾丸が二重現身の思考の根本ともいえる部分を破壊できていなかったからだ。現段階ではそれがどこに当たるのか解明されていないが、〈フリーク〉や二重現身が本能的な行動を主とする事から、脳幹周辺ではないかと予想されている。弥彦の弾丸は、そこへ達する事ができなかったのだ。
 だが、この〈カナジ〉と呼ばれる弾丸は違う。一撃で前面から頭部奥を確実に破壊出来るのだから、通常弾丸の三倍の威力を見越してもおかしくない。もちろん、それが外れてしまった時に出る被害は、ただの発砲事件ではすまなくなるだろう。姿形は拳銃と弾丸だが、その威力は手榴弾並だ。その被害も恐れずに、自らの射撃の腕を信じる精神力も必要になる。
 大型拳銃の『ロデオ・ハルク』な反動を押さえ込み、計算し、相手の行動速度を考慮してトリガーを引く難しさ。それをやってのける人体。そしてその絶対的かつ機械的な精神。
 この〈カナジ〉は、〈特務〉の中でもトップクラスの銃使いである相田一裕=佐々木和政だからこそ、使用を許可された弾丸であろう。
 その弾丸の持ち主にふさわしい『〈特務〉の切り札』は、何事もなかったかのように、淡々と銃を腰に戻そうとする。
 そんな相田の肩を、アキオは手首にはまった手錠を隠そうともせず手の甲で叩く。
「おっと、お兄ちゃん、銃をしまうな。そのまま手を貸せ」
「なんだと?」
「まだ〈フリーク〉が残ってる、二本先の大通りまで来ちまってんだ。今の奴はそいつらの余波だ。このままだと、連鎖して増えるぞ」
 厳しい声色のアキオに、その場の全員が息をのんだ。
 一拍の空白。各自がその言葉を吟味。
 即、我に返ったのは、実戦慣れした相田だった。
「どうしてわかる?」
「〈西方協会〉をなめんなよ、ぼうず。てめぇらの大嫌いな魔術で、ココに連絡が来るんだよ」
 こめかみを叩く仕草をすると、アキオは手錠を振り落とした。見るからに頑丈そうな〈特務〉の手錠を――事実、それは〈フリーク〉化した人間を制御する為の品で、常用手錠の十四倍の強度を持つ上に〈人格波動〉を弱体化させる対波動を放つ品だったのだが――アキオは何の問題も無いかのように、バラバラにしてしまった。見えない刃物で断ち切られたその断面は、日頃からは思いつけないほど大きな力を彼が有していると、改めて認識させる。
 相田は自分の手に残された手錠の片輪を引っ張り波動認識錠を作動、解除させると汚い物でも放り投げるように自分の後方に投げた。手錠が落下する重々しい音が、今の騒ぎで人もまばらになってしまった路上に響き渡る。
「〈フリーク〉? え?  ねぇ、本気で言ってんの?」
 美雪だけが、一体の〈フリーク〉を殲滅した今でさえ、状況を把握していなかった。
 当然だ。〈フリーク〉という言葉が何を意味しているのかすら、理解しているのか怪しい。百五十年の災禍など、彼女には歴史上の知識でしかないのだ。仮に知っていたとしても、今、現在でも残り続けている伝染病のたぐい程度の認識だろう。ましてや、たった今、目の前で人を喰った存在が〈フリーク〉というものであるのかなど、思いつきもしないだろう。
 今回、政府が発表した強制避難勧告ですら、〈フリーク〉による災厄であるとは発表されていないのだ。研究施設の密集するこの都市周辺の住人にとって、政府が避難勧告の際に発表する情報は話半分で伝わっている。
 だが〈軍部〉による直接的な避難命令には素直に従う。
 もちろん、広報のメガホンでは動かなくとも、軍服姿に直に肩に手をかけられ説明されれば、どんな馬鹿者でも事態を把握できるものだからとも言えるが、それだけではない。
 〈軍部〉の制服が珍しくないほど町中に溢れているのなら、それがどこかの研究所が作り出した危険な薬物、疫病、兵器が漏れ出したであろう事は十二分に考えられるからだ。深くは問わない。自分たちも同じような研究に携わっている可能性もある――本人達が知らずとも、そのような方面に利用される可能性がある事は皆承知している――のだから、身近な危険でもある。
 高校生の美雪たちも、生まれた時からそのルールを肌に感じて生きてきたはずだ。だから理屈抜きの避難に対しての抵抗はない。柚実だって先日まで同じ立場だったのだから、彼女の抱く普通の感覚はわかる。
 問題は、その避難のルールが適応される状況のパターンを全く知らないという事だ。
 最も、それらの事情を抜きにしても、部活と遊びと恋愛事に多忙な高校生が――志のある一部を除くとして、どこまで深く政府情勢を把握しているかというのは疑問だ。〈フリーク〉による災厄だと発表されていたとして、それを耳に入れているかどうかも怪しい。耳にしていたとしても、どこまで真剣に身の振り方を考えるだろう?
 〈フリーク〉なんて化け物に自分がなってしまうかもしれないなんて、本気で考えられるだろうか?
 柚実だって、先日までは同じ感覚だった。だから美雪の戸惑いが痛いほど、己の事のように感じられた。
 アキオは美雪の問いかけを無視して、相田に鋭い視線を投げかける。信用して良いのか疑ってるようでも、相田の実力を値踏みしてるようにも見えた。
「ウチでアタリを付けてた因子持ちが、見張りをぶち殺して逃げ出しやがった。ここだけじゃない、連鎖が始まって被害が拡大してる。〈本庁〉には連絡が言ってるはずだ。ウチの連中も対処にまわってるが、手が足りない。やれるか?」
 相田は即答。
「柚実、その子の護衛は任せる、二人でオレと一緒に来い。弥彦は〈西方協会〉と一緒に現場へ行け、無線は繋いでおくのを忘れるな。オレは〈本庁〉に確認したら〈フィストドライブ〉の許可を取る。それから車両で合流だ。小道を現場にするのは避けろよ」
 相田の指示が的確だと判断した弥彦は、自分の腰の獲物を手早く確認。腰の大型拳銃、電磁警棒、弾丸の補充カートリッジ二個と特殊弾丸カートリッジ一個がポケットに入っている事を叩いて確認。アキオに頷き準備完了を告げる。
 自他共に認める魔術師は何の準備もいらない。一瞬だけ、眼鏡の奥の瞳を遠くに彷徨わせた。位置を確認したのだろう。
「来な!」
 以前そうやって見せたように、指をパチンと鳴らす。その合図で二人の姿がスルリと風景の一部にかき消された。ミツヤがギルの部屋を退室した時と同じように。
 目を白黒させる美雪の手を取り、柚実は既に車両の無線を通じて〈フリーク〉の位置を確認する相田に駆け寄った。
「相田さん、美雪はこのまま帰した方が――」
「すぐそこの道だぞ。この辺りに潜伏している〈フリーク〉の因子を持った奴が、この騒ぎで連鎖的に〈フリーク〉化する可能性がある」
 相田は〈本庁〉からの照合を待ちながら、口早に応える。
「この女が逃げた先で〈フリーク〉に遭遇しても、俺たちは助けてやれん。一番良いのはお前が守ってやることだ。ここで使わないで、なんの為の力だ」
 照合結果と迎撃許可を受け、相田は自分の大型拳銃の弾倉を確認。弥彦と同じ手順で自らの武装を確認した後、鋭い舌打ちを一つ。
「なにボケッとしてんだ、さっさと乗れ」
 急いでいる分早口だが、感情的には落ち着いた声。相反する行動と心情を乗せた響きだ。
 この手の声に聞き手が抱く感覚は二種類ある。一つは正しさを表現する頼もしさ。もう一つは理解し難い不気味さ。
 相田一裕の場合は後者だ――柚実はその感触を振り払う為に声を出した。
「三条さんは?」
 柚実は自分に続いて美雪が乗り込むのを手伝いながら、自分でもよくわからないままにその名を口にしていた。
「三条さんは来るんですか?」
「化け物なんてあてにするな」
 相田は公共車両優先システムを作動、サイレンを作動、流れを緩めた道路に緊急発進させた車両を割り込ませる。
「誰かをあてになんかするな、自分の力でなんとかしろ。〈特務〉ならできる」
 大きく揺さぶられる車内で、必死になって座席シートにしがみつく柚実と美雪。タイヤの軋みややかましいサイレンの音に紛れて、柚実は確かに聞いた。小さな小さな落ち着いた言葉。それでいて鋭く空気を裂く呪詛。
「できないなら死ね」
 相田一裕の、憎悪に満ち満ちた呟き。誰に向けられたのかもわからない――おそらく柚実たちに対してなのだろうとは思えたが、それだけでは説明がつかない程の憎しみを込めた彼の本音。
 柚実はぞっとした拍子に我に返り、美雪が乗る時に握った手を、そのまま掴んでいる自分に気づいた。
 柚実がその手に気づいたのは、自分の後輩が全身を、手も含めたその体の全部を、小刻みに震わせていたからだ。
「ウソだ、ウソ、うそ、嘘。でも大丈夫、大丈夫。ここは大丈夫」
 きっと何が起ってるのかわかっていないに違いない。そう、柚実自身が自分に襲われた時のように、世界が急に勢いを増して回転しているように見えるに違いない。何をすればいいのかもわからず、流されるままになるしかないとわかっているはずだ。ただ、何か恐ろしいものが迫っている事だけを肌に感じながら。
 美雪は寒さをこらえるように身を縮め、何度も呟いた。泣き出しそうにもぼんやりしているようにも見えるその表情を、その時の柚実は彼女の混乱ゆえ放心とは気づかなかった。
 その虚ろともいえる言葉の羅列のまま、後輩は柚実に囁く。
「大丈夫ですよね。ね、先輩? 先輩?」
 答える言葉が見つからなかった柚実は、路上に停まる車を避けてスピードを増してゆく、相田の荒っぽくも恐ろしく精密な運転技術に目を奪われたまま、黙って頷いて見せた。



 ギルと木伏がインターホンに近づくと、赤い小さなランプが稼働の白に転じた。
『鍵は開けておいたから、勝手に入って来て頂戴』
 機械越しのだるそうな女の声は、ギルの突然の来訪を歓迎していないようにもとれる。だが自分勝手な軍医がその意図を汲んで行動するわけもない。わずかに肩をすくめただけで、無言で自動開閉扉へと歩を進めた。
 酒上家の、高い天井と大きく開けた玄関の白い大理石の輝き。弥彦でも抱えきれないだろう大きな壺がいくつも並び、それらに生けられた大輪の花々の数々。むせかえるような花の香りをかき混ぜるシーリングファンと、小さなシャンデリアがわずかに揺れる長い廊下。
 その中をギルに従って歩きながら、木伏は半ば呆れていた。何もかもが目を見張るほどの高級品であることはわかるのだが、視界に二、三個同時に入り込むほど並べられてしまっては、全てが当然のように存在感を無くしてしまう。個々の強弱を無くした建物の中は、広いにもかかわらずジャングルのように有象無象の詰め込まれた印象を与え続けていた。木伏は息苦しさを覚え、襟元を指先で広げる。
 応接室へ通されると、更に視界が開けた。壁一面に設置された巨大なモニターは数枚の動画を貼り付けて佇み、せわしないその表面とは裏腹に、声変わりしたばかりと思われる少年が観光ガイドさながらの慣れた調子でのんびり解説している音声。よくみると、画面の多くはアカデミーや〈軍部〉から転送されてきたデータだが、メインで起動している画面は、中学の制服をまとった男の子が、自分や周りの風景を様々な角度で撮影しているビデオレターだった。
『――そんなんで、飛行機が遅れたんで着いたばかりです。え〜っと、大陸に来たのは久しぶりだからかもしれないけど、もうホームシックになっちゃったみたい。おばあちゃんもママやパパの心配をしてます。こっちの友達と遊べるのも悪くないし、おばあちゃんもいろいろしてくれるけど……ねぇ。やっぱり、自分の部屋が一番落ち着くでしょ?』
 心の繊細さを予感させる細面の少年は、そこでカメラを自分に向け、ほんの数秒悲しそうな顔。そして唐突に茶目っ気たっぷりの表情に――白目を剥いて舌を出して見せた。
『こっちじゃ、誰にもこんな顔できないしね!』
 短く神経質な笑い声を響かせる。
 木伏はその少年に見覚えがあった。だが誰なのか思い出せない。身近な誰かの面影が確かにあったというのに、どうしても思い出せない。その思い出せない不安が、木伏の胸中で不吉に変わる。
 木伏がもどかしさを感じている間に、少年の映像はインターフェイス側からの要請でストップ。切り替わる寸前でカメラを動かした為に、モニターの一角には残像で白く濁った画面がへばりついた。
 木伏は大きなソファの背もたれに隠れて見えていなかった女性に気づいた。真っ白な革張りソファの陰から立ち上がった、深紅のパーティドレス。
 長い黒髪を背中で一つにまとめ、気だるそうにこちらに向ける視線は、木伏とギルの顔を捉えていながら、なんの感情も浮かべては居なかった。細面で神経質そうなのは、ビデオの少年とうり二つ。透き通るような白い肌に整った顔立ちは確かに美しいのだが、人形のように、人の形をした別の生き物を想起させた。するすると近づいてくる立ち姿に、木伏は大きな紅いカマキリの印象を重ねてみる。
「久しぶり」
 彼女の短く、事務的な挨拶は平板で、疑う余地も無く攻撃的だった。
「驚いたわ。こんな状況でまだ動けるなんて思わなかった……本当にバケモノじゃない。〈フリーク〉だって少しは苦しそうな顔をするのに。おまけにその顔、どうしたの? 腫れてるじゃない。また何人かバラして来た?」
 落ち着いた押さえ気味の声は、そんな物騒な言葉を紡いだ。
 不意にギルが、挨拶もなく彼女の背後のソファを指す。
「どういうつもりだ、それは」
「お客さん。私のお友達がアカデミーだけだと思ってたわけじゃないでしょう? 貴方みたいにアポ無しで来る人もいれば、彼らのようにきちんと礼儀正しくやって来る人たちもいるってだけ」
 彼女の声に応じて、ソファに腰をおろしていた人々が立ち上がる。
 特に目を引くのは、背の高い三十代の男だった。三人の中央に立つその銀髪の男は、目元をミラーグラスで覆い、堂々と悪びれずに姿勢を正す。その軍服は黒地に金で縁取りされ、胸元には若さに似合わぬ数々の勲章。
 脇を固めるのは、杖を持つ黒いトレンチコートの若い男。そして勲章こそないが銀髪の男と同じ制服をまとっている、まだ十代であろう幼い顔立ちの少女。中央の男が飛び抜けて背が高いおかげで、両脇の二人は更に小さく見える。トレンチの男が落ち着き無く笑いをかみ殺しているのに対し、少女は無言と無表情で次の指示を仰ぐべく中央の男の顔を見つめ続けている。
 そんなちぐはぐな三人は、同じ意匠の蒼い腕章を身につけていた。
 木伏にはその腕章と、銀髪の男が身につけている軍服に見覚えがある。
〈E.A.S.T.s〉――異世界からやってきた人々の末裔を名乗る彼らは、この大陸が浮上した頃から歴史上に姿を現し、この地を彼らに与えられた『約束の地』であると主張している。皇帝を名乗る首領レザミオンは私設軍隊を保有しており、特S級の危険人物として当局からマークされている人物だ。
 ギルは立ち止まったまま、彼らを鼻で笑った。
「アカデミーの一員が、テロリストと一緒とはな」
 銀髪の男がミラーグラス越しに目を向けた。
 健康的な張りを保つ白い肌と理想的な曲線を描くアゴのラインに、木伏は年甲斐も無くドキリとした。顔の全てが見えているわけでもなく、何も語っていないというのにこの有様だ。佐々木柚実のように若い娘なら、その場にいるだけで目で追ってしまうに違いない。
 ギルとはまた違った意味で、ほっとけない何かをもっている男であるのは確かだった。
「これは心外ですね、ギル。貴方にまで我々の崇高なる目的を理解していただけないとは」
 開かれた唇から漏れ出す、低く落ち着いた響きには、隠しきれない自信と威厳が満ちていた。
 しかし自信なら白衣の男も負けてはいない。笑って小馬鹿にする余裕まである。
「貴様らがテロなんかで私の研究の邪魔をしてるなら、お前達の世迷い言を理解する必要などない」
「それは残念です。『あの世界』を取り戻すことは、貴方にとっても悪い話ではないはずです。長い目で見れば、貴方にとっても必要な安息が訪れるでしょうに」
「私が得するわけじゃない。私の周りに群がってるコバエどもが喜ぶだけだ。そこの失敗作みたいな奴がな。そうだろう、トレイル?」
 ウフッと小さな笑いをかみ殺し、黒いトレンチコートの男はギルに目をやる。虚ろな瞳で、不気味な作り笑いを張り付かせたまま。
「僕の事を覚えてくれてたんだ? うれしいなぁ〜。これで僕も安心して待ってられるよ、あんたの死ぬ日をね」
「本気で言ってるんじゃないだろうな?」
「〈ディメンション・ダウン〉が何をもたらすであろうか、ぐらいはわかってるよ。僕だって〈十二師〉なんだから」
 手の中で杖をくるりと回し、あははと笑う。
「だけど、もうそんなものはないっていうんだろう? ねぇ、〈教皇〉? いつまで隠れてるつもりだい?」
 トレイルは杖で、広い部屋の隅を指した。調度品と絵画で鮮やかな金色の色彩を振りまいているその一角で、不意に景色が動いた。
「隠れていたつもりはないんだけどね。どうも取り込み中だったようなんで、一段落つくまで待ってるつもりだっただけ」
 銀髪の男ほどではないが、十分なほどの背丈と恵まれた顔立ちを持つ東方風美男子は、以前のように、所属を表わす黒い変型スーツ姿で――だが先日とはうって変わった堅い表情で、場に姿を現した。
 〈E.A.S.T.s〉の少女が無言で銀髪の身をかばい、腕を水平に持ち上げる。その腕を銀髪がゆっくり掴み、おろさせた。
「ありがとう、〈リッパー〉。でも大丈夫だ、私の遠い親戚だし、自分の立場をわからないお馬鹿さんでもないはずだ」
「どれぐらい昔の親戚だい?」
 ミツヤが警戒を解かぬまま、呆れたように呟いた。
「確かに何もするつもりはないけど、君と私が親戚だって言い張るなら、人類全体が兄弟だって言ってるようなもんだね。アキオの兄弟に間違えられる方がまだマシだよ」
 銀髪の男は、傍らの少女の髪を撫でてやりながら
「生憎だが、『この世界』の人間を人類だと思ったことはないんでね」
「なるほど。じゃあ私の事も人類じゃないと? 私は君達のいう『こっち』生まれだし」
 いらだちからか、ミツヤは軍服の男に向かって大げさに肩をすくめてみせる。その動きはアキオにも似ていて、木伏は二人が兄弟だという言葉を信じそうになった。もちろん、どこにも似たところなどないのだが。
 対する銀髪の男は平然と、そして悠然とした態度で返答。
「君に課せられた〈教皇〉の運命と、わずかながら流れてる同胞の血には敬意を表してる。〈皇帝〉としてね」
「またその話か。血統なんてくだらない。空ばかり眺めてるから、そんな時代遅れの概念にとらわれてるんじゃないのかな? それに私は本物の〈皇帝〉を知ってる。君なんかじゃない」
「血は理解だよ、〈教皇〉。自分が所属する集団を、もっともミニマムな集団を得、足がかりにする事ができるし、アイデンティティの底を見極める事ができる。すなわち己の理解だよ。そして私は『あの世界』の〈皇帝〉だ。『この世界』の〈皇帝〉には興味がない」
「それは以前も聞いた。君はちっとも変わってないらしい」
 片手で拒否のジェスチャーをする〈西方協会〉の一人と、苦笑して俯く軍服のテロリスト。
「貴方こそ、私たちと敵対することで余計な犠牲を増やしている。矛盾してるとしか思えない」
 ミツヤは小さく首を振った。どこか諦めたような顔は、同じ内容の会話が何度も交わされた事を言葉以上に語っていた。
「矛盾しているのは君の方だ。皆が築いてきた平和を憎んでかき乱す者に、理想の平和が作れるとでも思うのか」
「形だけの平和をありがたがってる貴方達こそ、この世界で虐げられる個人の苦痛を無視して理想を語る、もっとも大きな悪だ。皆を守るといいつつ誰一人も救えきれない、それが口先と魔術だけで相手を封じ込めるペテンでなくてなんだというのかな?」
「自分の野望の為に、最初から傷つけるつもりで人を集める君がそれを言うか」
「もちろんだ。皆も覚悟を決めて私の元に集っている。傷ついても構わない、それでもこの世界に復讐したいという人間には、私という旗印が必要なんだ。優しすぎる君ではなく」
「優しい? それが私の失点だとでもいいたいのか? だからって君のしている事が正義にはならない」
 その言葉を苦笑でいなすミラーグラスの男。景色を映し出し跳ね返しているその表面に向かって、ミツヤは続ける。
「やっぱり、私たちが和解するにはもう少し時間が必要らしいね。それに、互いに痛い目にあう必要がありそうだ」
「それについては全く同感だ。遺憾でもあるが。それに今日のところは別の用件が待っている」
 互いに頷き合い、ギルに目を向けた。ミツヤが銀髪の男に視線で念を押すと、白衣の男に向かって張り詰めた声をあげる。
「お願いできますか、錬金術師殿」
「いいだろう」
 軍医は笑ったようだった。まだ腫れている頬を片手で押さえながら含み笑い。
「仮にとはいえ、歴史的対談だ。私で良ければ仕切らせてもらおうか」
 「殺しはなしでね」と、トレンチコートの男が笑う。「あんたはすぐ殺して終わらせちゃうんだから」
「〈皇帝〉と〈教皇〉を殺すような馬鹿はしないさ。〈マスター・フリーク〉を始末するより面倒な事になる」
「その事は〈十二師〉の名にかけて、私が保証しますよ。『混沌の時代よ、こんにちわ』ってね」
 あはははと軽薄な笑い声。
 銀髪の男は、ミラーグラスにトレイルを映しながらその肩を叩いた。
「はしゃぐのはよしたまえ、同志。君の品位だけではなく、〈E.A.S.T.s〉全体の品位が貶められてしまう。初対面の女性が二人もいる場では尚更だ」
 木伏と酒上に向かって頭を巡らせ、銀髪の男はわずかに会釈をした。トレイルはそんな銀髪の行動を揶揄するように小さく拍手。
「騎士道精神ってやつ? 好きだねぇ、あんたも。自分の国も仕える人間もいやしないのにさ。ねぇ、〈特務〉さん? これぐらい楽しい会話の一環ってやつだよねぇ?」
 急に話の水を向けられた木伏は、戸惑いながら姿勢を正す。
 彼らのワケのわからない言葉の応酬。先日のアキオとギル、そして先刻の三条とギルの会話同様、木伏の気持ちをかき乱す『わからない』という現状。その状況は、今までなら恐ろしい事態であるしか思えなかった木伏だ。しかしギルと行動を共にするようになった昨今は、安心と共に好奇心が芽生え始める。木伏の恐れる『わからない出来事』も、最終的にはギルが、もしくはアキオが教えてくれるであろう事がわかったが故に抱ける安心だった。そして今の木伏は、この会話を脳裏に留めようとする事で一杯でもあった。後で錬金術師か魔術師に説明を求める為に。
 ギルの表情を確認しようとすると、いつものぞっとする笑みのまま木伏とほんのわずかだけ目を合わせた。まるで道端の小石の位置を確認したような、そんなどうでもよい動作。だが木伏はそこに、ギルなりの意思を感じる。この男はきっと、本当にどうでもよい石コロなら目にすら留めないだろう事が、うっすらとだが理解できてきたからだ。
「すごい光景ね」
 酒上誓子が皮肉げに唇を歪めて見せた。銀髪の男の会釈にも全く動じず、今までのやりとりも黙って場所を提供していた女主人は、確認するように一人一人の顔を眺めてゆく。
「〈軍部〉、〈特務〉、〈アカデミー〉、〈E.A.S.T.s〉、〈十二師〉、〈西方協会〉……一触即発って奴ね。ここから〈空間崩壊〉が起ってもおかしくないわ」
「そんな事にならないよう、私が来たんですよ」
 ミツヤは囁く。出てきた時と同じ場所から動かず、背筋を伸ばして睥睨する。
「我々の知らないところで世界が終わってしまう事にならないようにね」
「わかってるわ。それにしても、〈E.A.S.T.s〉とちょっとだけお話しようとしたら、これだけ強力な存在が集まってきちゃうなんて。私にも予想外の出来事」
「自覚してください、酒上博士。今や貴女はこの世界の中心と言っても過言じゃないんですから」
 真っ赤なドレスの研究者は、冷ややかに返答。
「貴方みたいな偉くて惚れ惚れする男にそんなこと言われると、なんだか口説かれてるみたい。結構気分がいいかも」
 ミツヤは無言で、その言葉をはね除ける。苛立ちこそなかったが、酒上の言動を不快に受け取った事は見て取れる。
 巨大モニターのリモコンを持ち上げ、画面を停止したままだったビデオレターから切り替える。避難勧告を受け、特別放送を流し続ける政府広報番組へ。
 画面の中では、速報のテロップが流れている。都市部で〈特務〉による戦闘行動が開始されているとの情報だ。避難を促す文字も見られる。
 酒上の手元の操作で画面の一部が分割、〈軍部〉の文字連絡情報が表示され、木伏は自分たちの部隊も現場に到着している事に気づいた。驚きに息を呑む。
「レイムーン大佐、例の『演説』はそろそろ?」
「予定ではまもなくです」
 銀髪男は、さっと少女が差し出した左腕の腕時計をのぞき込んで頷いた。
「予定ではあと二分ほど。歴史的宣言が発表される時に歴史的対談の場が用意されるとは思いもしませんでしたが、これも我らが神の思し召し。面倒な説明をする手間が省けました。どうかそのままでお待ちください」






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