R-T-X 「5・歴史と青年」
←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1 | 13-2


「あの……どうする気なんですか」
 弥彦は部屋に戻るなり、いつもどおりモニターの前に陣取ったギルを見下ろす。
「なんの話だ? 主語ぐらいつけてもらわないと、さすがの私でもわからんな」
「とぼけないでください。あの女子高生の事です」
 〈軍部〉本庁地下八階。
 『〈人格波動〉研究所』と銘打たれた小部屋に残っていたのは弥彦とギルの二人だけだった。三条と木伏は、保護された少女――佐々木柚実に付き添って別の看護室に行ってしまった。ギルの居座るこの部屋では、十分なデータが取れないとの判断だった。
 弥彦にはそれが我慢できない。
 人を実験体として扱う彼の言動は、この実直過ぎるほど実直で不器用な青年には、とうてい理解できないものだったのだ。
 ギルは弥彦の言葉に、片眉をつり上げて見せた。煙草をくゆらせながら
「それを知ったからといって、お前に何が出来る?」
「どういう意味ですか?」
「お前にはどうしようもできない事だ。最初からわかりきってる事なんだ、お前に話す必要はない。余計な雑念が入っては仕事に差し障るぞ?」
「僕の――私の事は関係ありません! 彼女はただの女子高生です。〈特務〉の医院に入れたとなれば、いろいろ問題が出てきます。彼女の今後の扱い方を知りたいんです!」
 柚実は〈特務〉専用の病棟にまわされている。特殊能力者・特殊技能者が占める病棟では、それぞれの個人情報が管理されているのだ。その情報の中には、〈特務〉隊員が〈特務〉隊員である理由――それぞれがどんな能力をどれだけ発揮できるかという情報まで含まれる。
 能力の長所・短所まで知られてしまう可能性があるのだ。それを知られるのは、危険な活動に従事する〈特務〉にとって、致命的な事である。
 だから〈特務〉の病棟は、〈特務〉以外立ち入り禁止である。その専用病棟に柚実が運ばれるという事は、弥彦にとって考えられない事態なのだ。
「ただの女子高生?」
 クククとギルは喉の奥で笑う。
「思い出せ、弥彦・エンヤ。お前が駆けつけた時、あの女が何をしていたのか、な」
 佐々木柚実は――もう一人の佐々木柚実に殴られていたのだ。弥彦を片腕一本で投げ飛ばす化け物に。
「お前は気がつかなかったか? 銀のカードに」
「……見ました。薄い銀のカードが、ドッペルゲンガーの拳を受け止めていました」
 そう。彼女が助かったのは、銀のカードが宙に浮かび、化け物の拳を的確に受け止め続けたからだ。
「あれは、あのお嬢ちゃんがやった事だ」
「え?」
「あれをやったのは、あの嬢ちゃんだ」
 弥彦の目つきが変わる。厳しい目だ。
「……特殊能力者って事ですか?」
「ちょっと違うな。あのお嬢ちゃんの力はまだ完全に開花していない。アヤメのように、固定化された能力ではないんだ。あの力をどの方向に持っていくかは、あの嬢ちゃん次第だ」
「もったいぶらずに、教えてくださいよ!」
 ギルはうるさいハエを追い払うように手を振った。
「すぐにわかる。お前は黙ってトレーニングにでも行け。〈フィストドライブ〉の出力が落ちてきてるぞ? お前がアレに頼りすぎてるんだ。〈フィストドライブ〉は貴様の意思に直結して作動してるんだ、慢心が出力に影響している。もう少し頑張ってもらわないと、アレを作った人間に失礼だとは思わんのか?」
 おそらくギルが作ったのであろう〈フィストドライブ〉だ。だが今の弥彦にそれを追求する余裕はない。
 弥彦ははぐらかすギルを睨み返す。普段は怖くてまともに目を合わせることすらできないというのに、今の弥彦にはギルが――とても小さく見えた。
 それに気付いたのだろうか。ギルは呆れたため息をついて、弥彦に向き直った。
「今のお前に教える事はできないって言ってるんだ。何を焦ってる?」
 弥彦は力いっぱい、息を吸い込む。深呼吸。
 胸の中でくすぶる『何か』を、その息で押しつぶす。
「貴方は、あの子に、『カズマサは私が推薦した』と言いましたよね」
 ギルは短くなった煙草を灰皿に押しつける。
「どうやら期待していた以上に面白い話になりそうだな。続けろ」
「『カズマサ』とは、〈特務〉Aクラスの佐々木和政の事でしょうか?」
「そうだが?」
「最年少で〈特務〉に入隊した、『〈特務〉の切り札』ですか?」
「ほお、そんな風に呼ばれてるのか! 見込みどおりだな」
 弥彦はデスクに手の平を叩きつける。ベコンとスチール製のデスクに手形が残った。
「……僕は、あの人と同期で、〈特務〉に入隊しました。初めての実戦は、彼と一緒だったんです。僕もあの人も、同じように……〈特務〉の人間でありながら、木伏さんのように特別な能力なんて持っていませんから。僕らが採用されたのは身体能力と武器扱いのプロとしてだから――」
 弥彦は言葉を続けようとしたが思いなおす。
 ギルが佐々木和政を推薦したのなら、彼は和政がどんな能力を持って〈特務〉に所属しているのかわかっているのだ。
 そして、当然、弥彦の能力だって知っているはずだ。格闘センスとずば抜けた肉体能力を買われて〈特務〉に入隊した事ぐらいは、上司として知っているはずだ。人が能力者並み――いや、能力者以上の破壊力を振るう為の兵器である〈フィストドライブ〉の被験者であるだけでも、弥彦がある意味『ただの人間』である事はわかっているに違いない。
 ギルは再び、ニヤニヤと笑い出す。どこからか取り出した煙草を口に咥えた。
「和政と一緒か。楽しかっただろ?」
「僕は」
 弥彦の腕がブルブルと震え出す。
「僕は、自分が〈特務〉の一員である事を後悔しました。彼が自分より高い評価を受けている事が、未だに納得できないんです」
「そうか」
「彼は人を人とは思っていない! 作戦を遂行する事だけが彼の生き甲斐なんです。その為に、誰がどんな風に犠牲になっても、味方が目の前で殺されそうになっていても、彼はなんとも思わないんです。そんな殺人機械を、〈特務〉の上層部は高く評価しているんですよ?」
 弥彦の言葉は徐々に大きくなっていく。彼の心の中でせきを切った言葉は、怒涛のように押し寄せた感情の高ぶりに乗じて、その声のボリュームを上げていった。
「一体、〈特務〉って何なんですか? 僕らはみんな、敵の人間を殺す為に〈特務〉になったと思ってるんですか? じゃあ木伏さんはなんなんですか? あの人は能力者になって、勤めていた会社から追い出されたんですよ? 僕みたいに好き好んで〈特務〉に入ったんじゃないんです、能力者になって仕方なく来た人が大半なんですよ? 僕だって人が殺したくて〈特務〉に来たんじゃないんです。でも、その評価の仕方がこれですか? 人を殺さなきゃ、能力者として認めてもらえないんですか? 人を殺すだけなら僕や和政でもできるって証明されているじゃないですか! どうして〈特務〉にやらせるんです、能力者は便利な兵器じゃないって、上層部はどうしてわかってくれないんですか!」
 いつのまに火をつけたのか、ギルは煙草の煙を吐き出す。
 軍医はほとんど弥彦の話を聞いていないようにも見えたが、眼鏡の奥からじっと弥彦を眺めるその視線には、〈特務〉の隊員を注意深く鑑定するかのような強い意志を感じる事ができた。
「随分ご立派な演説だな。お前に能力者の何がわかる? ん?」
 ギルは煙草を指先で揺らしながら挑発する。
「能力者じゃないお前に、能力者の代弁をしろと誰が言った? 人を殺したくてたまらない能力者だっているんだぞ? それともなんだ、能力者は人を殺したいって思う権利も無いのか? 人を殺す事ぐらいしか役に立たない能力を持っているヤツはどうすればいいんだ? お前の腕っぷしだって、立派な殺人能力だぞ? 和政と同じぐらい、人を殺すしか能の無いやつじゃないか、お前は」
 和政と同じ? 弥彦は首を振る。
 違う。自分はあんな風に、淡々と行動できるほど精神的に強くはない。でも和政のように、人の命を軽々しく扱えるほど『諦めている』わけではない。
 自分がまだ誰かを助けられるんじゃないかという希望を、捨ててしまっているわけではない。
 ギルは鑑識の目を変えることなく、口元を笑いの形に歪めた。
「ククク……大体なんだ、どうしてそんな事を私に言う? 私に言っても無駄だぞ、若造の寝言をいちいち進言してやるほど私は暇じゃないんだ」
 弥彦は自分の、ブルブルと震える手を、もう片方の腕でつかまえた。今更ながら自分が上官に暴言を吐いているのだと気づいたが、もう後には引けそうも無かった。ギルが最初に命じた「意見は聞かない」という言葉が不意に思い出された。
 怒りの興奮に震え続ける腕は止まらなかった。震えを止めようと伸ばした腕も同じようにブルブルと震え続けていた。
 弥彦は覚悟を決めて、口を開いた。もはや、命令に逆らって意見を述べた事実は取り消せない。なら最後まで言い切ってしまおう。
「確かに若造の寝言なのかもしれません。僕は人殺ししかできないのかもしれません。でも、僕は今でも、凶悪犯や〈フリーク〉化した人を処理する時にはむなしくてたまらないんです。……でも、簡単に人を殺せる和政は、いつのまにか〈特務〉のAクラスに。たった十六歳で、特別任務に付くことになって……僕は未だに――いや、僕が普通なんです。そんなのわかってます。〈特務〉に来てたった半年なんだから、Bクラスで当たり前です。でも、でもあんなヤツが、僕らよりも大きな舞台で仕事をしてるなんて……あんなヤツが、あんなヤツが僕らの仲間だなんて! 僕らは、この街はあんなヤツのお情けに守られているなんて、信じたくないんです……」
 弥彦をジッと眺めていたギルの、その目が不意に、狡猾さに歪んだ。
「わかったぞ。お前、あのお嬢ちゃんが〈特務〉に入って和政みたいになるのが怖いんだな? 和政はただの人間だが、あのお嬢ちゃんは能力者になった。その能力で、和政みたいに殺しまくるのが怖いのか。だからあのお嬢ちゃんの今後が気になるんだな?」
 ああ、そうなのか。
 弥彦はギルの指摘に、胸の中でもやもやとくすぶっていた『何か』が晴れるのを感じた。
 それはきっと……弥彦の想像力が生み出した恐怖なのだ。戦場を飛び交う弾丸やギルの言動のように現実的で身体的な恐怖ではなく、ただの幻のような物なのだろう。
「そうです、きっとそうなんでしょう。それに……いつか、あの男も能力者になるかもしれない。能力と遺伝の関係は立証されていませんが、可能性が無いわけじゃない。しかも彼ら兄妹は双子だっていうじゃありませんか! 彼が能力者になったら……あの男が能力者になったら、そんな力を手に入れたら、もっとたくさんの人が死んだり傷ついたりするんです。そんなの、僕は黙って見ていられないです。でも僕には止める力も無いんです。止められる程近くに居る事すらできないんです」
 弥彦はそのまま沈黙。
 それを眺めていた軍医は――唐突に指を一本立て、空中の一点を指した。
「弥彦」
「……はい?」
「これはひとさし指だ」
 ギルの笑みが深くなる。
「この指にできる事はなんだ? キーを叩き、ペンを持つ事か。人の目を潰しえぐり出す事か、傷口をふさぎ出血を止める事か」
「……」
「なら、この指にできる事は何だ?」
 ギルは器用に、薬指だけを立てて見せる。
「指輪を引っ掛けるためのものか、呪い《まじない》を込めて薬を混ぜるぐらいしか能がないのか」
 笑顔のギルだが、眼鏡の奥の瞳がわずかにしかめられた。
「右と左はどちらが必要なのか? ピアニストに聞いてみるがいい。意味のない事だと思わないか?」
「……おっしゃる意味が、よくわかりません。私は、ただの人間ですし、右利きですから、もし片腕を切り落とさなきゃならなくなったら、右より左を切り落とします。僕には左より右が必要なんです」
 しょうがないヤツだとギルは含み笑い。
「質問を変えてやろう。〈フィストドライブ〉は、どうして右腕だけだと思う?」
「え?」
「不便じゃないか? どうせなら両腕あった方が便利だしバランスが取れるだろ? だけど、お前も今言っただろう。右の方が大事だって。なら右だけでもいいんだろ?」
 確かにそうですが――と、弥彦はうつむく。
 その話ですすめるなら、全身をあの器機で覆ってしまった方が利便性は高そうだ。ギルはあの鉄の拳の設計者なのだから、バランスの悪さを理解しているなら、解決策を練ってもらいたいと思わざるを得ない。そうしないには何らかの思惑があるのかもしれない。弥彦が黙っていると、ギルはかけている眼鏡を外し、眠たげに目をこすった。
「戦いには、決定的な一打というものがある。わかるな?」
 どんな戦いにも決定打は存在する。少しずつ積み重ねられたダメージを一押しする小打撃でも、カウンターで相手を沈める大打撃でも、それが勝敗を決した一打である事にかわりはない。
「〈フィストドライブ〉は、その一打の為の兵器だ。相手を殺す為の、最後の攻撃の為だけの兵器なんだ。だから右利きなら右腕の分だけでいい。左利きなら左腕の分だけでいいんだ。……少なくとも、〈軍部〉にとってはな」
 目をこすっていたギルは、そのまま目を閉じる。白衣の男は、そのまま椅子の背もたれにもたれて、まるで眠っているかのように脱力した。だが煙草を咥えるその唇だけは動き続ける。
「身を守りたいなら〈フィストドライブ〉を使わなくても良い。それは本来の使い方じゃないんだからな。もし身を守り且つ戦いたいのなら、別の道具を用いるべきだ。あんな鉄の塊じゃなくてな」
「守り、かつ、戦う為の……別の道具?」
 ギルは唇の端をつりあげ、弥彦の呟きを嘲笑う。
「〈特務〉の仕事は、特殊な事件に対処する事だ。普通の人間にはできない事をする為にある。それは『人を殺す』って作業がイヤでも含まれてるんだ。この街を狙う者を排除する――つまり迎撃の為の仕事だ。それが和政の仕事だ。殺しの現場には、人殺しのプロが必要だ。だからあいつを推薦した。……だが、お前は違う」
 そう言ったギルの言葉を、弥彦はどこか遠くで聞いたような気がした。



 木伏アヤメは、待合室のベンチで待っていた三条尚起に診断書を手渡す。
「経過は順調。剥離していた〈人格波動〉も正常値に戻りつつあるって」
「そうですか」
 三条は診断書をぼんやりと眺める。
 つい数時間前に、素手でドッペルゲンガーを退治した人間だとは思えない気の抜けた横顔。木伏は三条の横に腰を下ろし、彼の手にしている診断書を横から覗きこんだ。
「まだ高校生なのに……あの男、この後あの子をどうするつもりなのかしら」
 三条は木伏に顔を向けた。放心したまま
「〈特務〉に入れるつもりでしょう? 能力者が自分の能力を最大限に発揮できる職場は〈特務〉しかないし、世間じゃいまだに能力者は差別されてる。ここに連れてきたのは、ヤツなりの優しさですよ」
「優しさ? あの男に? ここに連れてきたのだって、彼女のデータが欲しいからじゃない」
 木伏が鼻で笑うと、三条も力なく笑った。
「それも無いとはいえませんけどね……木伏さんは、いつから特殊能力を?」
「二十五歳。普通に会社づとめしてたから、大変だったわ。……私に隠し事ができない、怖い、気味悪いって思っちゃうらしくて。『別にあんた達の私生活なんて興味無いわよ。見る気もないし見たくもないわよ!』って思っても、周りはそう思わないみたいでさ。それから〈特務〉に入って、鍛えなおしだからね。体力づくりからはじめたから、最初はヘロヘロ。ホントに泣きたくなった」
 自嘲気味に語る木伏に、三条は微笑み続ける。「わかりますよ」
 そんな三条の肩を、木伏はポンと叩いた。
「興味があるっていえば、貴方、いったい何者なの?」
「ん? どういう意味ですか?」
 とぼける三条に、木伏はやんわりと不信の眼差しを投げかける。
「ドッペルゲンガーとはいえ、あれも立派な〈フリーク〉の一種よ。それを素手で、しかも一撃で倒すなんてどういう事? 弥彦くんがやたらと感動してたわよ。もし何かの技だっていうなら、弟子になりたいとかまで言ってた。本気かどうか知らないけど、弥彦くんの事だからかなり本気っぽいと思っていたほうがいいかも」
 三条はもう一度、力なく笑った。
「あれが俺の能力だとでも思ってください。素手で〈フリーク〉を倒すだけの……そうですね、怪力が僕の能力なんですよ」
「どういう意味?」
 それ以上の話は勘弁してくださいと、三条は拝むように両手を合わせる。
「わかるでしょう、木伏さんも。他人に自分の能力を知られると、あとあと弱点とかが外部に漏れて大変なんですよ。……もちろん、木伏さんを疑っているわけじゃないけど、こういう場所じゃ、誰がどこで聞き耳たててるかわからないから」
 そりゃそうだと木伏も納得する。能力者の大半が、自分のデータが流出するのを恐れているのだ。〈特務〉の作戦会議だって、問題は自分が何をできるかであって、自分の能力の細部に渡って説明するわけではない。
 相手が三条尚起という民間人である為、木伏もついつい、〈特務〉の常識を忘れてたずねてしまったのだ。自分の失言を認めて謝罪する木伏に、三条は困ったように「構いませんよ」という言葉を繰り返した。
 気をとりなおして、木伏はため息を一つ。
「話を元に戻すけどね……私、あの佐々木柚実って子に、私や他の能力者のような思いはさせたくないの。まだ両親にも詳しい事は連絡していないし、今ならまだ能力も不安定みたいだし。隠しとおせば何も起こらないんじゃないかって。自分の能力を把握したら、それで普通の生活はおしまいよ。どんなに頑張っても、能力を使いたくなる。どんなに小さな力だとしても。そして誰かしら、それに気づくものよ……例えば〈特務〉の人間だとかね」
 それにしても早すぎよ。
 うめいた木伏から、三条が目をそらしていく。
「そうですね。百五十年前もそうでした」
「?」
「百五十年前、〈波動剥離現象〉が増加した時期があります。木伏さんはご存知ですよね」
 うなずく木伏。
 〈特務〉で学ぶ、能力者の歴史には必ず語られる時代だ。
 〈人格波動〉という力が名づけられたのもその時代ならば、〈特務〉が結成されたのもその時代だからだ。



 百五十年前。
 世間を騒がせたのはドッペルゲンガーが自分を殺しに来るという事件だった。
 ドッペルゲンガーは自らと同じ姿をした人間を追いかけ、喰らう。〈人格波動〉を研究するものによれば、それは過剰に増大した人間の〈人格波動〉――人の意識パターンが生み出すエネルギー――が、分離し、独り歩きを始めてしまった現象だという。分離したもう一人の自分は、元の体と合一を測るために本能的な行動を取る――つまり喰らうのだと言われるが、真相はわからない。
 喰われた人間=ドッペルゲンガーは、一体化後、その大多数が肉体に異常を来たし、他者を襲いはじめた。過剰な〈人格波動〉のエネルギーが一つの人間の中におさまりきれず、その肉体と精神を狂わせてしまうのだ。
 化け物と化したそれらの人々が、一般人を殺害して歩く時代の到来だった。それまで隣人だった人が、恋人が、親が兄弟が、突然自分に襲いかかってくる地獄絵図が各地で繰り広げられた。
 〈軍部〉は急いで対策を練った。それらクリーチャーはまとめて〈フリーク〉と名づけられ、有効な手段を模索した。アカデミーは全ての研究を放り投げ、〈フリーク〉に対抗する武器の開発に血眼になった。
 やがて、災禍の中から成果が上がり始めた。〈人格波動〉という概念が提唱され、〈フリーク〉化する現象が〈人格波動〉の剥離である事が発表され、〈波動剥離現象〉と名づけられた。その〈波動剥離現象〉は、どのような経緯で起こるのか、はっきりした事はいまだにわからない。
 さらに、〈軍部〉は〈波動剥離現象〉から立ち直った人々を探し出す事に成功した。剥離した〈人格波動〉との合一を果たした者の中に、正気を保ったままの人々がいる事に気付いたのだ。彼らは剥離してしまった精神的エネルギーを、物理的な力に変換させる事で、肉体と精神を蝕む意思の力をそらしてたのだ。能力者の誕生である。
 彼らの力は暴徒化した〈フリーク〉達に有益な対抗手段となった。彼らは少しずつ〈フリーク〉を退治して行き、現象は連鎖していたのか、増える一方であった〈フリーク〉達の数も減り始めた。彼ら能力者達を〈軍部〉で正式採用し〈特務〉が作られた頃には、〈フリーク〉の数も最盛期の約半数にまで落ちこんでいた。
 都市的な〈カタストロフィ〉が完全に沈静化するまでには、三十年の歳月を有した。今や〈フリーク〉は姿を消し、〈赤目のフリーク〉にその名残を留めるばかりである。能力者も、この時勢の変化なのか、環境的な変化なのかわからないが、ドッペルゲンガー体からの移行という現われ方をしなくなった。
 例えば木伏は、ある日突然、自分の持っていた携帯電話のモニターに、自分が見えるはずのない景色が映し出されている事に気付いた事から能力者として目覚めている。それ以前に、ドッペルゲンガーに襲われる経験もなければ目撃した事もないのだ。
 その為、〈波動剥離現象〉はウイルスによる伝染病的現象であり、能力者の体には抗体ができているのではないかという観点からの研究もある。だが生活環境的な現象であったのだという見方が一般的だ。
 それでも稀に、〈フリーク〉が出現する時がある。また、国内外を防衛するにも特殊で強大かつ無制限のエネルギーである〈人格波動〉を利用できないわけがない。本来〈カタストロフィ〉という特殊状況下限定の部隊であった〈特務〉が存続しているのは、その為なのである。



「百五十年前の〈波動剥離現象〉の時も……貴女のように嘆き悲しむ人はたくさんいました。普通の生活をさせてあげたい、せめて普通の青春というものを感じてもらいたいと――そう思っていたと思います」
 三条は佐々木柚実の診断書に目を落とす。
「でも、それは儚い願いです。隠そうとすればするほど、人はそれを見つけ出そうとする。人はなぜか、そういう弱みを見つけると暴きたくなる性を持っているようなんですよ。だから隠しつづけるが故に傷つくのは彼女です。下手に世間に帰して迫害されるより、すっぱりと世間から隔離してしまうのも一つの手なんですよ」
「そんなの、彼女が判断する事でしょう。貴方やギルがする事じゃないはず」
「ギルはそういうヤツなんですよ。勝手に決めて勝手に事を進める。もっとも、私は今回の件について限り、反論するつもりはありませんが」
 三条は診断書を食い入るように見つめている。木伏と目を合わせたくないように見えた。
「木伏さん、貴女は……能力者として生きていて、つらいと思った事はありませんか? 普通の人間として扱ってもらえず、手を握るだけでも嫌な顔をされ、奇異と畏怖の対象になった経験はありませんか?」
 もちろんある。あるから〈特務〉に来るしかなかったのだ。
「ギルは、そういう生き方しかできない男です」
「?」
「あの男は……まだ私の推測で確認は取っていませんが、ギルは生まれついての能力者なんです」
「え?」
 正直な話、それは考えもしなかった木伏だ。
 能力者の七割は〈特務〉に所属しているといわれている。他の二割が三条のような〈第三種免許〉拾得者だ。残り一割は、自分の能力を隠してひっそりと生きている人々である。だがギルのように自分の力を誇示するタイプの人間が、その能力を自分達の前に公開しないとは考えにくかったのである。
 それに、生まれつきの能力者なんて聞いた事も無い。能力者の大部分は十二、三歳から三十歳の間にその能力が発現すると言われている。それは意思に左右されやすい〈人格波動〉が、人格の未分化状態にある幼児期には発動しないという説や、脳神経の発達の有無、各種の経験等、成人してからの力であるという面が強いからだろう。
 もし三条の言うとおりなら、彼は幼児でありながら大人としての意思と体を持っていた事になる。
――ありえない。
 百歩譲って――早熟な子供であったとしても、そんな異常な子供の話、木伏達の耳に入らないわけが無い。
 だが三条は真面目な顔で語り続ける。
「ギル・ウインドライダーは能力者です。少なくとも彼がなんらかのエネルギー体を発生させる事ができる能力者である事は間違いありません。ですがあの男は極力それを隠したがる。代わりに自分の頭の中を見せたがる。自分の学者としての才能と力を見せたがる、研究と仮説と、それを表現する物を作りたがる。それは……」
 カモフラージュなんですよ、と三条は言った。
「能力者として生きたくない、でも能力者として見られる視線しか知らない。だから『能力者ではない一個人の奇人』としての視線を求めてる。それが彼のコミュニケーションの取り方なんです、多分アイツはそれしか知らないんです。俺にはそう見えるんです」
 木伏はあらためて、あの白衣の男を想う。
 あの殺意さえ感じる笑みの裏側にある歴史。それは――どう頑張っても見えてこなかった。想像できない。
 ギルは最初からずっと、未来まで、あの何もかも見下した笑みで、たった一人で生きていくように思えた。
 いつまでもいつまでも……仮にこの先この街が無人となり風化し砂漠となってしまったとしても、あのシェルターのような地下の一室に閉じこもり続けるような気がした。砂漠の真ん中で白衣をなびかせているような気がした。誰もいない世界を見下す笑みで。
 そんな木伏の物思いから、三条の声が現実へ引き戻す。
「だからあいつは……彼女を守ってやるつもりなんでしょう。あいつなりのやり方で。世間から引き離す事は、今の彼女にとっては確かに辛い事でしょう。強制的に今までの生活や家族から引き離すのは、木伏さんの目には非情に見えるかもしれない。でも、今から〈特務〉に入れば能力者として生きて行く術も、仲間も手に入れる事ができる。同じ悩みを持つ者同士で笑い合う事もできる。……ギルにはそんな経験が無いんです。これはアイツができる最善の策なんですよ。例え恨まれる事になろうとも、あいつはそういう形でしか他人を守れないんです」
 不器用な男なんです。
 三条は木伏と視線を合わせないまま、ポツンと、そんな言葉を口にした。



――『お前は違う』
 弥彦は立ち尽くす。目の前には椅子にもたれた軍医が、そのまま眠ってしまったのか脱力したまま動かない。口元にあった煙草を灰皿に戻して、もう数十分はたつというのに。
 弥彦の脳裏には、もう何度目とも知れないギルの言葉がリフレインされる。
『お前は守る腕だ。和政と同じ腕じゃない。お前がする事は殺す仕事じゃない、守る仕事なんだ。この街の住人を守る為に敵を殺せ。お前がこの街を守る事ができるから、和政はどこかへ攻撃や反撃する事ができるんだ』
『〈特務〉の仕事が殺す事だと? 違うだろ? 殺す事が含まれているだけに過ぎないはずだ、お前に期待されているのが殺す仕事なだけだ。アヤメに人殺しをさせるほど上層部《うえ》も馬鹿じゃない。「人を殺す人間」を殺すのは、お前の仕事なんだよ。それだけの図体をして〈軍部〉に所属していて、「自分は人を殺せません」なんて寝言いうんじゃないぞ』
 守る為に殺す? 守る為の腕?
『指は五本揃って始めてできる仕事がある、両腕が揃って初めて弾けるフレーズがある。一つ一つにできる事があっても、役割がわかって始めて意味を持ち、できるようになる作業があるんだ。わかったな?』
 和政と弥彦は、それぞれ別の作業を行うべき者なのだ。たくさんの〈特務〉隊員たちが、それぞれ別の作業をする事によって、〈特務〉全体が一つの機能として動く事ができる。わかっていたはずなのに、なぜ忘れていたんだろう?
『お前はその為に〈軍部〉に居るんだろ? 和政みたいに人を殺したくて〈軍部〉に来たんじゃないんだろ? 〈特務〉Bクラス警備補佐官、弥彦・エンヤ。違うか?』
 そうだ。自分が〈特務〉に居るのは人を殺したいからじゃない。自分にできる精一杯の事をしてみたいからだ。自分の才能が〈軍部〉に求められていたものだからだ。だがそれは、決して人を傷つけたり殺したりする事ではない。
『〈フィストドライブ〉は兵器だ。だがあの攻撃にしか使えないはずの鉄クズが、お前の命を守らなかったワケじゃあるまい? あの出力が、誰かの命を救い上げる役にたつのかどうか、それはあれを装着するお前の意志にかかっているんだとは思わないのか? 一本一本の指が、たった一つの事しかできないわけでもあるまい?』
 この生まれもった体と力が何かの役に立てるならと思ったからこそ、〈軍部〉に、〈特務〉に来たのだ。
 その果てにあるのが、敵を殺すと言う事。
 でも、と今の弥彦は思う。この体が、この腕が敵を殺すよう求められているとしても……この体を持つ自分は、敵を殺さずに済ませる決定権を有してもいるのだ。
 可能な限り、自分は誰かの命を救い続ける事ができるはずなのだ。たとえ相手が敵であったとしても。
――僕は和政に嫉妬していた。
 自分より年下であるのに、飛び級で〈特務〉へやって来た、才能豊かな佐々木和政に。
 なんのためらいも無く銃の引き金を引き、殺傷する力を行使している和政に、自分の求めているものを誤って投影してしまっただけなのだ。
 彼の持つ殺傷力――精神力の大きさそのものに惑わされていたのではないだろうか。
 それは……右利きの人間が、理由も無く左手で文字を書こうとしているように虚しく、そして意味のない行動なのではないだろうか。
 目的が違うのだ。和政と弥彦の生き方は。
『お前みたいなお人よしは、和政を追っかけて戦場に行っても足手まといだ。警備部に残ることを考えろ。Aクラスになんて行くんじゃない。お前みたいな甘い考えをしてる若造はノイローゼになるぞ? 和政に嫉妬するだけ無駄だという事を頭に叩き込んでおけ、この馬鹿者が』
――僕は警備部の人間だ。人を殺したくてここに来たんじゃない。
 少なくとも、今の弥彦の仕事は一般人を守り――その為に必要とあれば、場合によっては殺害するという事。
 そして可能な限り、敵である人間の命を奪わずに済む方法を考え続ける事。
 そう納得した途端、弥彦の脳裏から、佐々木和政への怒りが消えた。
 彼は彼の成すべき事をすればよい。
 彼の結論が人を殺し続け、作戦を成功させる事だけならば、自分はただ自分の出した結論どおり、人を救う事を考え続け、戦い続けるだけの事だ。
 自分は自分のできる事を精一杯するだけだ。
『〈フィストドライブ〉はお前の為の兵器だ。お前にしか使わせない。お前しか、あれが右腕だけである本当の理由を理解できる人間はいないだろうからな。……理由? そんなものは自分で探せ。私が言うべき事じゃない』
 今、ギルは動かない。その目はいつものような殺気を放つ事も無く、瞼の裏側に隠されている。
 それでも弥彦は、ゆっくりと一礼した。武道で教えを受けた時のように。
「わかりました。覚えておきます、僕が警備部の人間であるという事を」
 この拳が、人の命を砕く為だけのものではないという事を忘れずにいれば、〈特務〉の一員である事を後悔せず、誇りを持てる日が来るのかもしれない。
 それが遠い未来の事だとしても、弥彦は自分の気持ちの中に小さな出口の影を見る事ができたような気がした。



 その時。
 頭を下げていた弥彦には、ギルがそっと微笑む瞬間を目にする事ができなかった。




←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1


copyrights (c) 2001-2017 suzu3ne@CloudCollector'sVector(2CV) All rights reserved.