R-T-X 「2・〈特務〉と青年」
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 パサンと、かんだかい音を立ててパスケースが投げ出される。ギル・ウインドライダーは自分のデスクから灰皿を取ってきながら
「〈第三種政府関係者〉免許だ。発行されたばかりのほやほやだぞ。これがどういう資格かは知ってるな?」
 パスが投げ出されたサイドテーブルに向かって、青年はささやかな食事を広げていた。昨夜、血まみれでギルの元にやってきた青年――〈フリーク〉である。広げられた食事は、なぜかこの医者の診察室で山積みにされている軍用食だ。ギル自身は食事をとるそぶりも無く、自分のデスクに着いてしまった。つい先ほどまで部屋を出ていたから、その時にでも食べてきたのだろう。
 昨日青年の身体につけられた無数の、完治するまで何ヶ月もかかりそうな全身の傷はいくつかの包帯を残して綺麗に消えてしまっていた。血を滴らせていた両眼も今は大きく澄んだ赤茶色の虹彩をきらめかせている。とんでもない回復の早さだ。
 どこか不本意そうな顔で軍用食を頬張りながら、〈フリーク〉はギルの問いかけに答える。
「特殊技能を持つ民間人を登録させ、必要な時には〈特務〉の一員として働かせる。その代わりに税務等の割引が行われる特権つきのおいしい免許だ……もっともその実態は、民間人から特殊な能力を持っている者を政府に登録する事によって、来るべき次の〈カタストロフィ〉《大災害》に備える、自己申告制の魔女狩りリストだがな」
「ほお。『山』にこもっていると聞いたが、ちゃんと人間社会に適応しているんじゃないか」
「お前みたいな引きこもり型変態医者とは違う」
「ククク、あいかわらずの嫌われようだな。でもそいつを選んで頼って来たのは貴様だぞ」
 ギルはデスクの上に広げた、何かの機械の設計図を見ながら皮肉げに笑った。〈フリーク〉はブスッとした表情で
「お前が名前だけでも医者だからだろうが、『現代の錬金術師』さんよ。あの怪我だったし、ヤツの来れないような場所にいた知り合いが貴様だったってだけだ」
「まあ、確かに、〈軍部〉本庁にけしかけて来る馬鹿はお前ぐらいだな。よくセンサーに引っかからなかったものだ。……もう少し警備を強化させるよう申告させなければいかんな。お前のようなヤツがこれ以上、私の平穏な生活を脅かす事がないように」
「お前ほど平穏って言葉が似合わないヤツも珍しいと思うぜ、死体愛好者」
 突然、それまでパスケースを冷たい目で見下ろし続けていた青年が、食事の手を止めた。
「……ギル、貴様っ!?」
 パスケースに視線を釘付けにされる〈フリーク〉。ギルは唇で、くわえている煙草をゆらゆらと揺らしてニヤリとする。「いい名だろう?」
 突然、青年は手にしていた食器をテーブルへ、叩きつけるように下ろした。
「どうしてこの名にしたっ!」
「イヤか? 自分が殺した男の名前は? ん?」
「俺が殺したんじゃない!」
「お前だよ」
 含み笑いをしながら、ギルは〈フリーク〉に向き直る。「お前が殺したんだ」
「違う、俺は――」
「目の前で死なせておきながらか? お前には助けるだけの力があったんだぞ? 殺したも同然だろうが。お前だってわかってるんだろう?」
「……」
「それに、自分一人じゃ〈カタストロフィ〉を乗りきれないって知っているんだろう? 何かの助けが必要なはずだ。〈軍部〉に、私のところに戻ってきたのは助けが必要だからだろう?」
 悪魔のように優しく、どこか突き放すように囁きながら、ギルは〈フリーク〉をなめるように見まわす。
「今、お前に必要なのは百五十年前から知っている私と、今の社会で認知される為の戸籍および資格のはずだ。社会の中で仲間を得る為には所属が必要なんだ、それぐらい、ココ《社会》から逃げ出したお前にはわかってるだろう? 多少イヤな事があっても我慢するんだな」
「お前がやってるのはただの嫌がらせだろうが」
 青年は忌々しそうにパスを見下ろす。
 自分の顔写真――かなり古い写真だ――と、その横に書かれた名。
『三条尚起』
 全身を震わせるほどの嫌悪をあらわにする〈フリーク〉に、軍医は意地悪そうに詰め寄る。
「〈フリーク〉、パスを取れ。お前には今、名前が要るんだ」
「……この、サド野郎」
「あれから百五十年たったのだから無理はないが、忘れたのか? そいつは私には誉め言葉なんだぞ」
 長い沈黙。
 そして〈フリーク〉は、サイドテーブルから剥ぎ取るようにパスを手にした。



「木伏さん、ちょっといいですか?」
 弥彦・エンヤの声に、木伏は振り向く。目の前にヌッと現われたがっしりとした体格の男。弥彦は格闘技の選手のように盛り上がった筋肉を、窮屈そうに〈特務〉の制服に収めた若い男だ。引き締まった頬肉や堅そうな額周辺の角張った骨格、一度や二度は折れたり潰れたりしたことを思わせる太く歪な鼻柱と格闘訓練の繰り返しですり切れたのだろう平べったい耳たぶから思わせる厳めしさに反して、どこか幼い表情をみせる。
 対する木伏は、その辺のOLが〈特務〉の制服を着ているだけの女でしかない。十人並みの容姿である事は自覚しているし、特に気負って女性を強調することもないが、〈特務〉だからといってとりたてて体格が良いわけでも、体型の崩れがあるわけでもない。皺の深さに気をつかうお局様的年齢になってしまったとはいえ、ごくごく普通の女性である事が〈特務〉としては新鮮であり安心もできるのか、昨今は弥彦のように入隊二、三年程度の男が各種の相談を持ちかけてくるのも珍しくはない。
 そして弥彦と木伏は、幸か不幸か、今まで何度も二人での作戦行動を命じられてきた間柄だ。〈特務〉は、その特殊で強大な能力を駆使するため、実行部隊はごく少数で活動する事が多い。あまり多くの人間で行動しても味方をまきこんでしまうのが関の山だからである。弥彦と木伏の組み合わせも、単純に互いの能力が相反する性質のもの、仕事上互いに補いあえる性質であるが故に配置された最小部隊であるというだけである。それ故に、性別も能力も全く分野が異なる二人であるが故に、妬みや卑屈の感情を持つことなく接する事が出来る。だから弥彦も他の女性隊員に比べて声がかけやすいのだ。
 もっとも、今回はそれ以上の理由があったのだが。
「聞きましたか、例の転属命令」
「聞いた聞いた。また一緒だね」
 ついさっき届いた辞令の話だ。〈特務〉の人間に転属は珍しくない。それぞれの能力に最も合った作戦行動に参加できるよう、常に流動しているといってもいい。
「やっぱり……僕の報告書でしょうか」
 弥彦は昨日、巡回中に死体を発見している。その異常な殺され方が、ここ数日に渡っておこっている連続殺人事件の手口に良く似ていたのだ。普通ならその対策本部に任せるか、協力するにしてもその対策本部に配属されるはずである。
 だが今回は違った。
「僕が〈赤目のフリーク〉なんていったから――」
「そんなの、あの『開かずの間』に配属される驚きに比べれば全然よ。あそこ、誰か居たの?」
「……あれでしょ、ギル・ウインドライダー……」
 いかがわしい噂の耐えない男の名をあげ、弥彦は心配そうに眉を寄せる。木伏も思わずため息をもらす。
 噂いわく『あの男と二人きりになって無事に帰ってきたものは居ない』。
「あの人が『開かずの間』に居るっていうのは噂だと思ってたんだけどね。あの人、いつから〈軍部〉にいるのよ」
「僕が入隊したときは――」
「居たに決まってるでしょ。私が入隊した頃から居るんだから」
「いつです、それ?」
「……あんたは女性の年齢を聞くような常識知らずなわけ?」
「あ。す、すいません」
 萎縮する弥彦の胸元で、緊急召集のベルが鳴った。〈特務〉に配給される小型無線機のベルだ。ほぼ同時に、木伏の物からもコールが鳴る。
 無線機に収納されているイヤホンマイクを引っ張り出し耳に押し込みながら、二人は顔を見合わせた。情報を流し続ける声が二人の行き先を告げている。
『……なお、正体不明の波動数値を感知。殲滅戦許可。木伏アヤメBクラス警備官には状況データの収集および現場指揮を命じる。弥彦・エンヤBクラス警備補佐官には『FD-003』による迎撃を命じる……』
「ええっ!? また木伏さんとぉ?」
 弥彦は情けない驚愕の声をあげる。
「……それはどういう意味よ……」
「い、いや……別に……」
「急にそんな憐れっぽい声なんてあげちゃって、それじゃまるで私が、いつもいつも弥彦くんをいじめてるみたいじゃない?」
「いや、そんなことは……」
 口を滑らせた事に気づき、慌ててフォローしようとする弥彦。
「木伏さんの事は尊敬してます、心強いです、本当です! これからも先輩として指導してください」
「先輩ね……要するに年寄りだと言いたいわけだ?」
「ち、ち、ち、違います、全然違いますってば! いじめないでくださいよ〜」
「あ、やっぱりいじめられてるとおもってんでしょ?」
「ないです、ないですってば! あげ足取らないでくださいよ! あああ、俺にどうしろっていうんですか」
 頭を抱える弥彦だが、結局、現場に着くまで木伏の皮肉は続いたのだった。



 現場はある駅前の広場。逃げ惑う人々の波をかき分けて進むのは無理だと判断した二人は、指揮車を乗り捨て、持てるだけの装備を手に近隣のビルへ。
「木伏さん、何かわかります?」
 木伏は腕時計型小型モニターの端子を、別に装備しているリストバンドに接続。自分の感覚が捕らえた無意識の映像を視覚化させる。彼女の無意識部分が捕らえた周辺地域の情報が映像として現れる。木伏が〈特務〉に所属していられるのは、彼女のこの能力が評価されたが故である。
 モニターには、木伏も見えていないビルの中の状況が映し出される。まだ避難していないサラリーマン達やOLの姿もあり、避難誘導に動いているはずの部隊の怠慢に舌打ちする。無意識映像の範囲を拡大、ビルの外の状況へ映像は切り替わる。その間にも、二人は屋上へ向かうエレベーターに乗りこむ。
 木伏は抱えていたケースからカスタムライフルを取り出し、その調子を確認しながら弥彦に声をかける。
「弥彦くんは準備できたの?」
「え? まあそれなりには……」
「何、その生返事は」
 弥彦の右腕は肘から巨大な鉄塊に覆われていた。試作兵器『FD−003』通称〈フィストドライブ〉だ。
 人よりガタイのいい弥彦自身の腕の、約三倍の大きさはある。レトロなロボットのように長方形の箱のような形状をした手甲だ。実際の腕より先にある鉄の拳は、箱の中の弥彦の手の動きに即座に反応する。
 弥彦はギュッと、西瓜ほどもの大きさをほこる拳を握る。小さな鉄の箱をつなげたような指先の動きに合わせて、腕を走る巨大なチューブが収縮した。
 足元のブーツには、〈フィストドライブ〉の付属品であるアンカーが取りつけられている。巨大な拳を操る際に足元を固定するアイゼン代わりの鉤ヅメだ。今はまだ稼動していないが、〈フィストドライブ〉の稼動率に応じて地面に爪を立てるようになっている。



 木伏の『無意識の目』による映像はこのビルから数軒先の駅前広場へ。
 広場のほぼ中央に、芸術的にばら撒かれた真っ赤な液体。その中で呆然とたたずむ少年の姿。年齢は十歳ぐらいだろうか。「こんな小さい子が?」と呟いてしまった弥彦の気持ちも良くわかる。
 だが、その少年の手には女性の腕が握られており、周りには、引き千切られたとおぼしき肉片や手足がばら撒かれているのだ。素手でこれだけの事をしでかしたとは信じられないが、他にめぼしい武器を持っている気配は無い。木伏も様々な角度から少年の武器を探すが見当たらない。
 ビルの屋上に出た二人は駅の方向を確認。木伏は弥彦に目をやる。
「行ける?」「ハイ」
 弥彦はエレベーターの中で、右腕に取りつけていた『FD−003』〈フィストドライブ〉の安全装置解除ボタンを押した。〈波動認識錠〉が点灯、三十パーセント以下にセーブされていた出力が動作確認を兼ねて一気に限界まで跳ね上がり、そしてゆっくりと稼働率を下げていく。それは眺めている木伏に、いつも、大きく深呼吸した後に吐く息を思い出させた。
 〈波動認識錠〉は個人情報を管理する人体の波動――〈人格波動〉を認識してロックがかけられる仕組みになっている。指紋同様、生きた個人のみが開封する事ができる為、悪用乱用を防ぐには便利な代物だ。その為、絶大なる威力を発揮する〈特務〉の武器の全てに取りつけられている。
 巨大な指先で屋上を覆うフェンスに触れると、金網は薄紙のように裂けた。二人はその隙間から隣接するビルに飛び移る。同じように次々とビルの屋上を伝って駅に近づく。その度に血の香りが強くなり、緊張も高まる。それを紛らわそうとした木伏がおどけた仕草で〈フィストドライブ〉を突っついた。
「しっかし、何度見ても圧巻ね、その腕」
「そうですね。〈軍部〉も何を考えてこんなもの作ったんだか。大きすぎるし右腕だけだし。それにこれ、振り回してるだけで結構疲れるんですよ」
 試作兵器は〈軍部〉のアカデミーから配給されてくる。その中のいくつかは、純粋に何かの実験データを取る為だけだという兵器とは呼べないものすら混じってくるのだ。この巨大な四角い手甲も、一体何が目的なのか木伏達にはわかりかねる。
 駅を見下ろす場所まで来ると、弥彦は顔つきを変えた。いつもは情けなさそうな若者の顔が引き締まり、戦士の風貌に変わる。
 眼下にはモニターで確認した少年と大きく広がる血の染みが、現実としてそこにあった。
「木伏さん、他に何か異常は?」
 木伏はモニターを覗きこむ。
「ん……誰?」
 木伏は無意識のとらえた人影を探して辺りを見まわす。自分達同様、少し離れた高架に車を停め、この惨状を見下ろす者達が居る。
 眼鏡をかけた白衣の男と、〈特務〉の訓練用ジャケットを着こんだ青年だ。裸眼では見えにくいはずの距離だが、二人ともジッと駅前広場を眺めている。
 不意に。
 白衣の男がこちらを見た。
 木伏の無意識がとらえている風景だ、カメラがあるわけでもないし、第一距離がありすぎてこちらの動きも分かるはずが無い。それなのに白衣の男はモニター越しに木伏と目を合わせ、ニヤリとした。
 背筋が凍るような笑みだった。
 木伏は慌てて端子を引き抜き、モニターを切る。そのまま覗き続けていたら殺されるような気がしたのだ。手が届かないとわかっているにもかかわらず。
 弥彦はそんな木伏の様子をいぶかしげに見やる。木伏は慌てて「大丈夫。何にも無いって」と手を振って見せた。
 あくまで問題は目の前の標的――少年であり、あの白衣の男は何者なのかわからないが、関係無いはずだ。それにアレだけの距離があれば、仮に何かしてこようとしてもできまい。これといった兵器を持っているようにも見えなかったし、彼ら以外に不信な人影も無いところ伏兵が居るとは思えない。隣りに居たもう一人の男は〈特務〉のジャケットを着ていたわけだしと、木伏は彼らが、自分たちに危害を加える類の人間ではないと判断しておくことにした。
「何かあったらサポートするから、心配しないで。……相手は男の子だけど、見てのとおり、素手で人体を引き千切れるんだから、情けをかけちゃダメ。わかってるわね?」
「まあ……僕も死にたくないですから、やる時はやりますけど」
 戦士の顔つきになった弥彦は、笑い方までどこかストイックに変わる。
 弥彦は無造作に屋上から地上に向かって、頭から飛び降りる。〈フィストドライブ〉の唸りと共にその右腕が地上に突き出され、巨大な手のひらが大地に触れる。破壊音を響かせるアスファルトの陥没と共に、弥彦の身体は大地に片手一本で倒立して着地した。そのまま右腕の〈フィストドライブ〉一本で跳ね起き、大地に着地しなおす弥彦。右腕を突き出した構えをとり、少年の攻撃に備える。
 呆然として立ち尽くしていた少年の顔が、弥彦の姿を目にしたことによって一変する。突然、少年の口から発せられた獣のような咆哮が広場を震わせ、その身体が一回り大きくなる。着衣の一部が膨れ上がった少年の筋肉によって引き裂け、弥彦に向かって突進してくる。その強力な脚力によって足元が陥没した。
 〈フィストドライブ〉に体重の乗った少年の右腕が振り下ろされる。ガッシリと受け止めた弥彦の足元でブーツの鉤ヅメが大地に食いこみ、巨大な拳〈フィストドライブ〉がシュルルと作動する金属音をたてた。弥彦の目の前で、無表情な少年の生気の無い瞳が見開かれる。
 少年はそのまま弥彦の首筋に向かって頭部を突き出す。その一噛みで〈特務〉の戦闘服のカラーがゴッソリともっていかれた。左腕が弥彦の肩を掴み、その肉を引き剥がそうとする。
 弥彦の苦痛の雄叫びに同調するかのように、巨大な拳が少年の腕を跳ね上げた。そのまま少年の左肩に向かってギロチンのような手刀を――鉄の塊を叩きつける。突然変異的に強化されていた少年の身体だが、高速で振り下ろされた〈フィストドライブ〉の攻撃に耐えきるほどの強度は無い。あっけなくもがれ、転げ落ちる左腕。肩口から噴きあがる血の奔流。それは、少年の顔がわずかながら眉をひそめるような歪みを生じた瞬間、すっと流れる勢いを弱めたように見えた。
 それもつかの間の事。振り下ろした手刀の自重にバランスを崩された弥彦が迎撃体制を整えようとする隙に、少年の横殴りの右拳が弥彦を襲う。何とか鉄の拳で受け止めた弥彦だが、小さな身体からは信じられない程の怪力によって、アンカーで食いこんでいたアスファルトごと吹っ飛ばされる。地面に叩きつけられた弥彦が痛みに呻きながら体制を立て直す前に、少年が襲いかかる。振り上げられた拳が弥彦の顔面をとらえようとする。
「!」
 瞬間、少年の動きが止まった。身体をひねってビルを見上げる少年。それと同時に弥彦の顔に生暖かい血が降りかかる。ビルの屋上から、ライフルを構えた木伏の姿がチラリと見えた。少年の背中にある数発分の着弾痕とそこから零れる血を見、弥彦は急いで身体を起こす。木伏のサポートに感謝しつつ、〈フィストドライブ〉を構える。この手甲型試作機の鳴らす金属音が、弥彦の気持ちの高ぶりに呼応するかのように一層高く鳴り響く。
 拳を突き出すためだけに特化された作りをしている〈フィストドライブ〉に、手首の自由を許す関節はほとんど無い。一体化した腕と拳をつなぐフレームは防御と質量を増やすために厚く作られ、その下には、内蔵された小型ブースターロケットの噴射口がある。弥彦の構えと興奮に揺れ動く〈人格波動〉の波動値に応じてカバーが跳ねあがり、その噴射口が姿をあらわす。ブーツのアンカーがガツンとアスファルトに食い込み反動に備えた。
 ブースターは出現とほぼ同時に点火。厚さ五十センチのコンクリ壁を楽に粉砕する通常の〈フィストドライブ〉の一撃さえもかすむ、圧倒的な高速高圧力の拳が少年めがけて突き出される。
 少年は直前に気づいた。残っている右腕一本でその一撃を防ごうと試みる。なんとかタイミングは間に合った。少年の顔面と巨大な拳の間に筋肉の膨れ上がった太い右腕が差し込まれる。



 だが、鉄色の拳は何の抵抗も無く突き出された。



 再び、少年の身体が動きを止める。〈フィストドライブ〉の周囲のフィンが加熱に反応し、バシュッと音を立てて開いた。排気の熱風が弥彦の顔を叩く。
 頭部のあった場所を通り抜けた鉄塊の拳が真っ赤に濡れていた。肉片が血に塗れた広場に零れ、粉砕され吹き飛ばされた右腕の手首が遠く離れた広場の隅にボタリと落ちる。
 疲労と戦闘終了の安堵感に肩で息をする弥彦の上半身が返り血で真っ赤に染まっていた。その右腕上腕部の制服はブースターの噴射による熱でボロボロに焦げ落ち、赤い火傷の痕を残している。それでも水ぶくれにならないのは〈特務〉の戦闘服のおかげだろう。高速の動きによって弥彦自身の体を襲ったソニックブームは、下手な戦闘訓練後よりも大きなダメージを彼の体に叩き込んでいた。
 少年の身体がバランスを崩して倒れた。弥彦もその場に座り込む。
 少年の身体を簡単に粉砕した感触――それが全く無い事が、弥彦を言いようの無い罪悪感に追いこんでいた。
 何度かこの試作機を使用した戦闘を経験している弥彦だが、今だにその、あまりにも巨大で人の力をちっぽけに感じさせる〈フィストドライブ〉の感覚になれることができない。それは通常の戦闘よりもずっと、弥彦の体力も精神力をも消費させた。
 どれぐらいそうして座り込んでいたのかわからないが、結構な時間が過ぎたに違いない。足音に気づいた弥彦が顔をあげると、木伏が彼に向かって走ってくるのが見えた。
 その姿がとてもまぶしく見えた。いつも通りに。



 現場から約一キロ離れた高架の上。
 ギル・ウインドライダーは煙草をふかしながら笑う。同じように、高架を吹きぬける風の中、広場を見下ろしていた〈フリーク〉に声をかける。
「見えてただろ?」
「……まあな」
 裸眼では遠すぎるはずの距離だったが、〈フリーク〉には戦闘が見えていたようだ。それをいうならこの軍医も、どういう手段を用いているのか木伏の『無意識の目』を看破して見せたのだから、広場の様子も見えていたのかもしれない。
「どうだ? あいつらは使えそうか?」
「なんで俺に聞くんだよ。決めるのはお前なんだろ、変態医者」
「実際使うのはお前だ。私は外野で応援してるのが――」
「俺は部下なんていらないって言ってるだろうが! だいたい、お前が自分でやればいいだろう、なんで俺に決めさせるんだ!」
 青年は怒鳴りつけるとさっさと車に乗りこむ。ドライバーズシートで、ふてくされたようにジャケットの襟を立てて顔をうずめる。「いつも勝手に決めやがって……早く乗れよ! 置いてくぞ、ヤブ医者!」
「『なんでだ』と聞いたな?」
 ギルは窓から青年を覗きこむ。「そんな事もわからないのか。私がやったら意味が無いだろ? お前のような『人間』が、奴らを駆除する事に意味があるんだ」
「……お前だって人間だろうが。偉そうなこと言うな」
「ククク……そうだ、私のように偉そうなのがいくら言っても意味が無いのさ。誰だって自分の理解できない論理で動いているやつは認めたくないんだからな」
 軍医は見下す視線で車内の青年に言い放つ。
「お前みたいに、いつまでもガキみたいな事をいってるわかりやすい人間こそ、この世界には必要なんだよ。そしてあいつら〈特務〉にもな」
「ガキで、わかりやすいヤツで悪かったな」
 〈フリーク〉はギルを睨みつける。その眼孔の鋭さにもギルはひるまず、逆に皮肉げな笑みを返してきた。
「悪くは無い。ただ私には便利なだけだ。それに――」
「それに?」
 ギルは黙ってサイドシートに戻る。車内で待っていた〈フリーク〉はむずがゆそうに顔を歪めつつ
「なんだよ、気になるだろ?」
「気にするな。お前には関係ない話だ」
 ふてくされる〈フリーク〉を横目に、軍医はニヤニヤしたまま、口元の煙草を窓から投げ捨てた。



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