R-T-X 「10・路上と青年(下)」
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 雨が降る前の空気は、湿り気を帯びていて、重い雲が近づいていることがわかる。
 〈赤目のフリーク〉=三条尚起にとって、敵の存在は雲の距離に似ていた。ふと気がつき顔を上げた時、既に実体となった雨粒が頬に一撃を食らわせるような。気がつこうと思えばいつでも気がつけたであろうその空気は、ちょうど建物から外に出たようなキッカケが無ければわからないように、自身の居場所から移動しなければ肌に感じられないものだったのだ。ましてや、いつ〈フリーク〉が現れても不思議じゃない状況では、実際に現れるまで感じられない。
 だが、今、天を仰いだ三条は、自身の全身を叩く雨粒をはっきりと感じていた。無数の〈フリーク〉の存在が、聞こえるはずの無い銃声が、悲鳴が、肌を走る鳥肌となり、震える程の高揚が体を震わせていた。
 ギルと別れた後、三条はフラフラと当ても無く街を歩き続けていた。建物や景色は変わろうと、地形まではそう変わるものではない。トレーニングの一環として走り回った事もあり、ほとんどの場所は記憶と照らし合わせて修正済みだ。どの道を行けばどの辺りに行くことができるのか、どの方角にどのような場所があるのか、おおよその見当はつくようになっている。その記憶をぼんやりと辿りながら〈本庁〉へ向かっている最中の、目には見えぬ降雨だった。
 反射的に陽を探し、方角を確認し、三条は戦闘が起こっているであろう市街地に向かって走り出す。
 口元が、自然に笑みを作っていた。
 ギルは問いかけた。なぜ戻ってきたのかと。
 三条は答えた。〈フリーク〉の存在が気に食わないからだ、と。
 そう、何もかも気に入らない。過去と同じことが起ころうとしていることも、ノコノコとやってきてしまった自分も、自分を迎え討ち果たした今回の〈マスター・フリーク〉も、したり顔のギルも、忠告と称して自分の気持ちを揺さぶって行った〈西方協会〉も、役に立つのかどうかわからない〈特務〉も。
 そして今――。
 市街地の、駅前にある大型ディスプレイに映し出された見覚えのある顔に、三条は足を止める。銀色の長い髪や軍服姿に、三条は更に笑みを深くする。
 また気に入らないものが出てきた。〈E.A.S.T.s〉? 自分には直接関係ないが、〈フリーク〉同様、何も関係ない人々を殺して回る意味では同じ化け物の類じゃないか。
 今の三条は、ギルの気持ちが少しわかったような気がした。
 思う存分、この苛立ちをぶつける相手が現れれば現れるほど、笑いは止まらなくなる。
 怒りは自分の力不足から来るものだ。ギルはともかく、自分の場合は笑みの理由がわかっている。そう、わかっているのだーーこの怒りが本来は自分に向かうべきものであり、八つ当たりでしかない事は。それでも、わかっていても、止められないのが激情と呼ばれる類の感情だ。
 そしてこの感情こそ、三条が〈フリーク〉と自分を分かつ大事な部分なのだ。動物的な反射と学習能力を備えた〈フリーク〉には無いものーーしかし、自分や〈マスター・フリーク〉にはあるもの。
 感情の言語化の過程において、回転速度を速め、増幅され、巨大化したエゴ。それこそがこの激情の正体だ。
 少なくとも〈赤目のフリーク〉はそれを肌で感じている。
 そんな膨れ上がった感情をぶつけられる敵を求め、三条は一陣の風いや嵐の中心となって、逃げる人々に逆らい市街地を馳せた。
 
 

 レザミオンの演説が終わり、放送事故を告げる緊急画面に切り替わる。
 酒上誓子が、黙ってモニターの表示を切り替えた。情報の発信源が〈軍部〉なのかアカデミーなのかわからないが、十数個にも分割された画面には、市街地の戦闘の様子が映し出される。
 そこかしこに血ダマリを作っている小部隊、複数の〈フリーク〉に襲われ一方的に車両を叩き壊され逃げ惑う人々の姿、演説に耳を傾けていた人々の一部が、意を決したように戦闘へ向かう姿、銃弾の効果及ばず半身を引き裂かれた兵士、すでに動きを止めた〈フリーク〉に対しても恐怖のあまり発砲を止められずにいる民間人……さまざまな人間模様が展開されるモニター上の景色。
 雑多なそれらの中でも、特に一際整然と行動するいくつかの、一般人の集団が目を引いた。そのほとんどの集団が、黒服の男達の支持に従っているようだ。場慣れしたその行動力と統率力に、事情を知らぬ木伏ですら、彼らが〈西方協会〉に連なる人々であろう事が予測できる。
 〈E.A.S.T.s〉の人々は、自分達の存在を誇示することを好む。戦闘服として彼らオリジナルの軍服を身に着けたり、シンボルカラーである蒼の腕章を付けてから行動したり。彼らは誇りによって動いている。己の正義を行動をもって表明し続ける機会があるなら、決して見逃しはしないのだ。
 そのシンボルが見えない限り、黒服に率いられた集団は〈西方協会〉と考えて間違いなさそうだった。
 実際、モニターの一つでは、戦闘行動を起こし始めた数人が、いそいそと蒼の腕章を取り出し、思い思いの場所へ身につけはじめている。上は腰の曲がった好々爺から、能力を使えるようになったとしても最近ではないかと思われる小学生まで、興奮に顔を赤らめ、顔を引き締めるどころかひきつらせるほどの決意を込めて、それぞれの腕にシンボルマークの刺繍された腕章を取り付け始める。
 木伏はぼんやりと、彼らの、これまで歩んできた人生を想った。自分も能力者として、決して平坦な人生を送ってきたわけではないのだろうが、彼らの人生が自分以上に過酷な道のりであったであろうこともまた、容易に想像できるのだ。
 それだけに、指導者が直に命令を下したと言っても過言ではない今回の演説が、彼らにとってどれほどの重みをもって受け入れられたのか――木伏には想像すらつかない。
 ミツヤとレザミオン、二人の毛色の違うカリスマに率いられた双方の集団は、〈E.A.S.T.s〉側の演説が終わって数分もしないうちに、指導者の気質と信念を体現するかのように、独自の行動をそれぞれにとり始めていた。
「何が始まるかと思えば、古狸の参戦というわけか」
 ギルは一度言葉を切ると、レイムーン大佐の隣りで悪意をもって微笑む黒衣の小男を顎で示す。
「奴に何を吹き込まれたか知らんが、命が惜しいなら私の邪魔をするんじゃない。影武者を使ったり、護衛をつけたり、小賢しく一人で安全なところから見物するつもりだろう? だが〈特務〉も〈フリーク〉も、甘く見ないほうがいい。私が手を下すまでも無く、無知な奴らが集団となった時の恐ろしさを、仮にも執政者ならわからないでもあるまい」
 もちろんですよと、長い銀髪を揺らして男は笑う。
「最初から、安全だなんて思ってませんよ。彼は私の、私は彼の影武者をしているだけ。危険な仕事であることは互いに変わらない。レイムーンとして、我が軍の大佐として活動する以上、突発的な事態に常に晒されているんですからね」
 そこで一度言葉を切り、自嘲気味に聴衆を見渡した。
「今日が良い例だ。貴方や我が親族と鉢合わせする予定なんかまるで無かった。それだけでも危険この上ない。今後も大佐として活動する時には、戦場に赴く可能性もあります。未知の――そう、ちょうど〈赤目のフリーク〉みたいな新種と戦わざるを得ないかもしれない。それを考えれば、とても安全だなんて思えない。私達は人間だ。危険な場所に居残るためには、いつだって楽観するわけにはいかないんですよ。ねぇ、酒上博士?」
 落ち着いた、小憎たらしいほどの余裕で酒上女史と顔を見合わせる美男子は、次いで傍らの男へ同意を求める。
「我々の真摯なる願いを、古狸の奸計と思われるのは心外だね、トレイル師。この街がどうなろうとかまわないが、この土地が人の住めない程、空間的に荒れ果ててしまう事を、黙って見過ごすわけにはいかないってだけなのに」
「陛下のように、長大な展望の望めぬ小人の声です。もしくは、己が一番の邪悪であることを隠したがる悪人の戯言です。気にしなければよろしい」
 パチパチと、唐突に拍手の音が響きわたった。ミツヤの掌が鳴らした、有無を言わせぬ介入の音だ。
 薄い微笑すらたたえーー木伏は初めて彼を目撃した日を思い出していたが、きっとそれは、この政治的な笑顔のせいだろうーーミツヤはゆっくりとギルの隣に向かって歩みを進めた。
 囁きにも似た響きで、だがそれはしっかりと、木伏たちにも届くよう慎重に調節された音量で、彼は口を開く。
「なんの根拠も論旨も無く、自らを王と呼ばせるのは狂人だけだよ、大佐……君がそう呼ばれる事を望むなら、今後も喜んで、大佐と呼ばせてもらう事にするよ」
 ギルの隣で足を止めたミツヤは、ギルの反応を伺ってから、酒上に目を転じる。
「私の知る限り、大佐はアカデミーの技術に信頼を置いていないはずです。貴女が専門に開発しているSDシリーズの初期作品を、彼がどんな言葉で笑ったと思いますか?」
 けだるそうな紅いカマキリの女は、マニキュアの色ムラをチェックしながら曖昧に返答。
「人は知識を積み重ねて力を得るものでしょう? 昔の私にはそれが精一杯だったかもしれないけど、十七代目の今回は、みんな満足してくれるんじゃないかしら。もちろん、先生を除いてだけど」
 ギルはかすかに鼻で笑い、ミツヤは肩をすくめる。
「申し訳ないですが、納得できません。SDシリーズが実用に耐える戦闘服だとしても、大佐がわざわざ足を運んで貴女と会う必要はないでしょう?」
「アカデミーは代表者として私を任命したの。部外者の方にその資格を問われる覚えはないけど」
 貴女を咎めてるわけではないのですと、ミツヤは小さく首を振って見せた。
 そして、こめかみを叩きながら、順番が違うと思うんですがねとぼやく。
「大佐の行動は政治で解釈するにも、軍事行動として考えるにも、浅慮すぎます。我々の把握している限り、大佐たちが<六人議会>や政府に、今回の演説に関して、通常の根回しは別として通告した形跡はありません」
 反応を伺うように言葉は途切れたが、口を開くものは誰もいない。ミツヤは続けた。
「アカデミーの総本山NPRIにも、演説に対する予告らしき接触はありません。軍事行動であり奇襲であるならありうる話ですが、事実は演説、しかも協力の申し出のようだ。だが歴史的な演説による協力だと信じるには、常識的な根回しが足りなすぎる。もし何の通告もなくこんな宣言を出されたんじゃ、下部組織も一般兵も混乱するに決まってる。命令を組織に組み込んで行き届かせるには、この危機的状況に対して時間が無さ過ぎる……これじゃ、私はこう考えますよ? 仮に悪意なら政府と民間を分裂させるためのプロパガンダ、善意ならば、内部の反論を無理やり押し切って、少しでも自由に発言できる間に急いで発表された草案のようだってね。一言で表すなら〈E.A.S.T.s〉の内部で、深刻な分裂が起こっているかもしれない、と。いや、私も若い頃に似たような事をしたから、覚えがあるんですよ」
 懐かしい話だと、レイムーン大佐が口を挟んだ。
「君たちは大した泥棒だった。世代交代の小さな亀裂から、〈西方協会〉を乗っ取ったんだから」
「それは誉め言葉だね、大佐?」
「友達は選んだ方が身のためだ、教皇。皮肉としても言葉が洗練されていない。不快だ」
「それは困った。では新しい世界に適応する第一歩として、私の言葉に慣れていただくしかないな。それに、我々は盗んだ覚えなどないね」
「口を慎んだらどうかな? 誰に口をきいていると思ってる」
「何度も言ってるはずだ――君が自分の立場を理解し、〈E.A.S.T.s〉を解散したら、君との付き合い方を考えてもいい。私も君と、この先何百年と争うつもりはないんだ」
 大佐との会話を、語気を強めて強制的に打ち切る。そして、再び女博士に語りかける。
「彼のしがみつく権力のように、力は人を変える。今までできないと思っていた理想が、権力によって実行できそうだと思いついた瞬間、周りが見えなくなる。よくある事です。誰にだって、起こりうる事です。そうは思いませんか、博士?」
 ミツヤはマニキュアから彼へと視線を戻した酒上に、再び政治的な笑顔を向けた。
「百歩譲って、あの演説にまつわる行動の全てが後手に回ってしまったと考えましょう。この大佐がそこまでのマヌケだとは思えませんけど。それにしても、なぜアカデミーから手をつけるのか。協力体制を築くなら、まずは〈軍部〉のはずだ。または、この騒動の終着点として領土の分譲を意図しているなら、交渉相手は政府であるべきでしょう」
 ミツヤはわざとらしく、考え込むように顎を掻いた。
「なぜでしょうね、酒上博士? なぜアカデミーからだと思いますか?」
「それを私に言わせる気?」
「できれば、そうしていただきたいのです。このメンバーでは長い付き合いですから、どんな答えが返ってくるのか想像がついてしまうので。博士の頭脳は、新しい視点を提供してくれると信じてます」
 酒上はため息をついて、恨みがましそうにギルへ視線をチラリ。
「〈フィストドライブ〉の為。それで満足?」
「FDシリーズ? しかし――」
「軍部はFDシリーズを正式配備する方向で動いてる。ただし、あれは大量生産できる品じゃないでしょう? おまけに一般的な技師に管理できる物でもないし。だから必要な数量と在庫の管理はアカデミーが受け持つ事になってる。そして私がその責任者」
「FDシリーズはギルだけが作成できるはずでは?」
「忘れられちゃ困るんだけど、私もアカデミーの一員でありながら錬金術師でもあるわけ。先生が何を意図してアレを作ったのかわかれば、本家と同じとまではいかなくても、実用レベルの品物は作れる」
「つまり……殺傷能力のあるエアガンみたいな?」
「悔しいけど、その喩えはぴったりね」
 疑わしいと全身で表現するミツヤに、酒上はもう一度ギルを横目で眺める。
「嘘じゃないわ。ギルに嘘をついて生きてた人間なんていないから。私はもう少し長生きしたいの。こんなところで死ぬつもりはないから」
 ギルは感心したように酒上の視線を受け止めるが、何も語るつもりはないらしい。薄笑いのまま、ミツヤと酒上のやりとりの続きを促す。
「そのFDシリーズと、大佐の関係は?」
「FDシリーズの投入時期の確認」
 トレイルが陽気に口を挟む。大げさに、演技的に、手の中の杖をクルクルと回しておどけながら。
「我々だって、自分の部下の命が惜しいんだよ。FDシリーズが対〈フリーク〉用纖滅兵器だということは、同じ〈人格波動〉の余波で攻撃する能力者にも対抗できる武器だってことだろう? 少なくとも、あの重量と攻撃力は、物理的な意味だけでも十分に脅威さ。そんな代物で我々を攻撃されたりなんかしたら、たまったもんじゃない。釘を刺しに来たんだよ」
「すぐには使うな、と?」
「同盟者だと納得している以上、できれば飲んでもらいたい条件として、だけどね。やりたきゃやればいい。でも、やられっぱなしでいるほど、我々も余裕があるわけじゃないんだ。しかるべき手段で応じるよってコト」
 ミツヤは黙った。例の政治的な笑顔を浮かべたままだが、その脳裏で何を考えているのか、いまいち把握できない。その顔のまま、傍らのギルに視線を向けた。
 ギルは苦笑にもにたため息を一つ。
「アヤメ」
 ギルが低く名前を呼び、聞きつけた場の視線が木伏に集まる。思いがけぬ注目に、木伏の息が詰まる。
「〈フィストドライブ〉は、汎用的な兵器だと言えるか? テスト運用にずっと立ち会ってきたはずだ、感想を正直に言え」
「……いいえ」
「なぜだ?」
「まず、大きすぎます。一般的な兵士では持ち上げる事も困難です。携帯にも不向きです。移動にも車両が必要となります。徒歩による従軍の場合、手荷物として長距離移動するのは現実的ではありません。装備したままでは尚更です」
「他には?」
「白兵戦用武器ですから、専門的な知識が必要になります。手甲である事から格闘知識の延長で扱う事もできますが、大きさを考えれば、剣術や槍術の基礎知識があると尚良いかもしれません。しかし現在の格闘教練のプログラムに、これらの攻撃術の取得時間はごくわずかに割り当てられているのみです。初等科から訓練を受けている兵士なら別ですが」
「剣術等の取得者がいた場合は問題ないんだな?」
「しかし〈フィストドライブ〉は片手のみの武器です。そして大きさ、重量は、刀剣の比ではありません。あくまでスキーマとしての剣術が役立つであろう範囲であり、大砲で殴るようなものが一番近いでしょう。人間の体はイヤでも振り回されますが、防具は〈特務〉の戦闘服のみが想定されています。そして〈フィストドライブ〉の攻撃に生じる隙を防ぐ手段は、戦闘服の強度以外ほとんどと言ってありません。装着者の命を守るには、装着者の技能に頼らず、射撃などによるサポートが必須になります」
「〈フィストドライブ〉装着者のみの小隊ができるとして、戦場に投入した場合、どのような事態が想定できる?」
 木伏は脳裏に浮かんだ弥彦の姿を、その戦場を、目の前のモニターで戦う人々の中にいくつも並べてみた。
「……〈フィストドライブ〉の攻撃範囲は大きく、装着者の行動も必然的に大きくならざるをえません。装着者同士がサポートしあうような繊細な行動は期待できないでしょう。最悪の場合、武器に振り回された挙げ句――」
 ギルがその先を引き取った。
「同士討ち、だな。現実的ではない」
「ただし、小部隊につき一人の装着者なら、実現の可能性は高くなります。フロントマンとしての装着者と、そのサポートの部隊です」
 自分たちの部隊を脳裏に描きながら答えた木伏に、ギルは非情にも否定を繰り出す。
「それもまた、現実的ではないな。〈フィストドライブ〉が動かせなくなったら、その部隊はおしまいだ。かといって、二、三人の装着者だとしても、同士討ちは避けられない」
 ギルは薄笑いを更に深く攻撃的に歪め、各人に見せつけた。
「〈フィストドライブ〉は私の選んだ人間が、〈フリーク〉に対抗できるべく与えた一品だ。簡単には死にそうにない馬鹿な男の為にであって、〈フリーク〉の一撃で死ぬような人間にやるもんじゃないんだ。おいそれと作成できるものでも、扱える品でもない。しかも一兵士でも思いつけそうな事実を、貴様等は現実で実験してみようってわけか? 茶番だな」
 一時の沈黙。
 テロ組織の面々は、薄い笑みを張り付かせたままのミラーグラスの男、小馬鹿にしたように杖で肩を叩く小男、無表情の少女。
 神妙な顔で、モニターを眺める博士。
 半眼でそれらの姿を眺める〈西方協会〉の男。
 そして、紅いドレスの博士が、その沈黙を小さく引き裂く。
「茶番かどうかを確かめる為に、実験はある。そうでしょう、先生?」
「有意義な実験かどうかは、机上で判断できる」
 酒上がモニターの一点に灯ったランプと表示に目を向けたまま、きっぱりと言い切った。
「先生は一つ忘れています」
「何を?」
「世界が貴方一人のものではないという事を。貴方が一人で苦しんでるわけでは無いという事ですよ。貴方が生きようともがくように、私たちも私たちなりの戦い方でこの事態に対処しようとしてるんです。貴方なりの愛情はありがたいのですが、父親気取りにも限度があるのではなくて?」
 彼女の言葉に、ギルがハッと笑いの息を吐き出した時だ。
 次なる来客を告げるチャイム音が鳴り響いた。
「紹介しますよ、先生。私の旦那様が、迎えに来たようなので」




 作業は機械的で効率よくあるべきだ。
 弥彦はそんな言葉をふと、脳裏に浮かべた。
 言葉を浮かべたまま、左側から飛び掛ってきた女性の脳天に肘を振り下ろし、地面に叩きつけたところを軍靴で後頭部を踏みつける。筋肉の重さだけではなく軍靴の丈夫な厚底の重さと躊躇ない動きが、骨ごと内部を押しつぶす。右腕は曲がり始めたロッドを的確に振り続け、三人の〈フリーク〉の肋骨を折り、顎を砕き、額を跡形も無く砕いていた。
 武術とは、効率の追求でもあるはずだ。
 そんな言葉も、弥彦は思い描いた。
 どんな敵に対しても、己の力を十分に伝えられる攻撃と体術をパターンとして体系化したもの。ただ殴るだけでは腕の筋肉だけの力でしかない。しかし、武術を学んだ人間は、殴るという動作が腕だけではなく拳の硬さ、握力、手首の固定、肘の向き、腕を伸ばすタイミング、腰の捻り、足の開き、足首の向き、地面を掴む力……それら意識していない部位も含めての、体の全てが作用する動きであることを知っている。
 そして、その動きを最小限にして最大限に生かすよう、体に覚えこませてある。
 弥彦は足にしがみついてきた少年を無造作に蹴り上げ、わずかに浮いた体の右こめかみに向かって右フック。ふっとんで行く姿を目で追う余裕は無い。振り返りながらも少年の気配が立ち上がらないものだと意識しつつ、すぐに飛び掛ってきた老人の顔面にロッドを突き刺し、抜けなくなったロッドを回収するべく足で遺体を踏みつけ引き抜く。
「アキオさん、運びすぎッ! 俺らのことも考えろよッ!」
 すぐ傍らでルカが悲鳴じみた叫びで呼びかけるが、そんな仲間の呼びかけにすら、黒衣の魔術師は目を閉じたまま応じない。聞こえているのかも怪しいが、弥彦にはそれを確かめる余裕はない。
 ルカはアキオの魔術のように、空間の一部を歪める能力を持っているようだ。
 敵の拳が彼の手のひらに当たった瞬間、その敵の後頭部から拳が飛び出す。己の攻撃で己の死を招いた〈フリーク〉は、元々理性が乏しいとはいえ、何が起こったのかわからないまま死体となるだろう。
 自分の手のひらに攻撃があたらなければ能力は発動しないらしく、ルカは近くの敵には拳法にも似た構えで近づいては手に攻撃を受けて跳ね返し、遠くの敵に対しては威嚇も兼ねて小型拳銃による狙撃を行っていた。
 弥彦は血まみれの手のひらを制服の裾で急いで拭いながら、ルカの動体視力と的確な手さばきに感心していた。何よりも、一つ間違えれば腕ごともぎ取られても仕方が無い〈フリーク〉との戦いに、恐れることなく徒手空拳を繰り出す姿に驚く。
 額の汗を袖で拭いながら――後から、血まみれの袖では額が汚れただけだと気づいたが――弥彦は疲労でがたついてきた膝をかばいつつ、右わき腹を狙って背後から近づいていた男性の顔面にロッドを一つ振り下ろす。飛び散った歯の欠片が頬に当たったのを感じながら、返す一閃で側頭部ごと脳幹周辺を陥没させる。
 戦闘そのものは長くないはずだ。しかし気がついたら巨大スクリーンの演説も終わっていた。
 単調でありながら気の抜けない作業に、もう何時間もこんなことをしているような錯覚が弥彦の脳裏を侵食している。
 何よりも、筋肉の疲労が、通常の活動なら数時間分の労働であると告げている。
 足がしびれて、ふらつく。踏み込みが甘くなってきている。息が上がり、汗が絶え間なく噴出している。
 弥彦の脳みそがまたもや囁く――機械は疲れを知らない。武術は効率的に動ける。
 だが、何日もベッドの中に横たわっていた弥彦の身は、復帰したばかりだ。復帰しやすいよう処置を施していたとはいえ、その体力と筋力は、今までと同じものとは言い切れない。
 力が足りないと、弥彦の本能が声にならない声でぼやく。
 〈フリーク〉の身体を破壊する度に、全力で繰り出さなければならない拳。その威力を支える、全身を走る緊張と筋肉の収縮、その負荷。
 〈フィストドライブ〉なら、指先を掠めさせただけでも致命傷を与える事ができるのにと、目の前に降ってわいた少女の腹を蹴り上げながら思う。
 アキオは弥彦の心情も疲労もお構いなしに、どんどん〈フリーク〉を異動させてくる。裏を返せば、こんなにもたくさんの〈フリーク〉が、アキオの設定した境界上をうろうろしているという事なのだ。
 〈フリーク〉化の連鎖が始まっているというのは本当なのだろう。
 ルカの連れてきた〈西方協会〉の面々は、各々自分なりの戦い方で〈フリーク〉を相手にしている。〈西方協会〉は民間人の支援を主にする団体のはずだが、この人々は、少し毛色が違うらしい。どの人々も、攻撃的なスタイルで行動し、なによりも戦い慣れている。
 一人の女性メンバーは、〈フリーク〉の足下のみを汚泥のようなぬかるみにする能力を発揮し、ピンチに陥ったメンバーが体勢を立て直すスキを作ってやっているし、自身に掴みかかってきた〈フリーク〉には更に深いぬかるみに腰まで落とし、逃げ延びるスタイルだ。
 一方、あるメンバーは指さすことで対象となった〈フリーク〉の2、3体を金縛りにすることができるようで、動けなくなっている間に遠隔攻撃の出来るメンバーが、見えない刃で頭部を輪切りにしたり、燃やし尽くしたりといった、戦略的な選択肢を増やし続けている。
 先の女性のように金縛りを強固に発揮することで頭部を直接破壊したりもできるようだが、しかしこの手の攻撃は特殊な使い方のようで、疲労が大きくなるのも見て取れる。弥彦自身の戦い方で喩えれば、〈フィストドライブ〉で必殺の一撃を放つような、無視できない反動を持つ技なのだろう。
 もちろん、使い手が一番多いと言われている高エネルギー弾をぶつける能力者もちらほら見られるが、彼らを見ると、この部隊がますます際だった存在である事がわかってくる。
 一般の能力者が、この手の「エネルギーの塊」を攻撃手段としてイメージする時、人の常として「投擲」を連想する。つまり、ボールを投げつけるイメージだ。事実、能力者に成り立ての人間や、〈特務〉のジョークで見せる時には、振りかぶる動作で発動させることが多い。
 そして、その延長として「ボールは消えない」ものであるのが常なのだ。
 能力者の能力とは、大げさに言えば、自由に出し入れできる自分の分身のようなものだ。だからこそ、何もないところに手を伸ばすように、何もないところにエネルギーを取り出して設置できる。裏を返せば、そこにある自分のエネルギーを自分にしまい込む事だってできるはずだ。「途中でボールを消してしまう」事が。
 しかし、一般の能力者の大半は、このしまいこむ作業ができない。ボールであることを前提に扱ってしまう傾向があるので、当然、何かにぶつかって破壊と消滅の後を残すか、反発して手元に戻ってくることをイメージしてしまうのだ。
 その当然のイメージに反し、この〈西方協会〉のエネルギー弾使いは、このボールのイメージを持たない。エネルギーの出し入れを自由にできるのである。
 弥彦は乱闘の中で何度も、色とりどりの光球が敵を粉砕しては自己崩壊し、またはフリークにかわされたと思った瞬間、味方に誤爆してしまう前に霧散する姿を目撃した。
 これは相当の訓練と経験を積んだ能力者でなければできないはずだ。能力者となる成人が、子供時代に抱いた常識を払拭するだけの訓練が。
 息を喘がせ、何とか整えようともがきながら、脳裏でそんな事を思い描く。そう、自分が幼年学校より軍の兵士として訓練してきたように、常識とは別の事が世界にあると刻み込む訓練が、彼らにもあったのだろう。
 だが、幼年学校の頃に、自分は何を考えていただろう? ただ長く走れる身体と、力強く支えられる筋力と、誰よりも早く、誰よりも遠く、投げ、撃ち、走り、倒れ、喰らい、眠り……その中で、友と呼べる人々に出会い、尊敬する大人に師事して……。辛くて楽しかった日々。
 でもあの頃は、こんな化け物との戦闘なんて、考えたことも無かった。
 〈西方協会〉の彼らだって、自分の生きている間に、大昔の災害と同じ事が起こるとは想いもしなかったはずだ。こんな事態を想定していた人間なんて、どこに居るんだろう? 
 せいぜい、百五十年前を知っている、〈赤目のフリーク〉ぐらいだろう。
 とりとめのない思い出が噴き出し、一貫した思考ができないと自覚しつつ、グラグラと疲労でかすむ視界を袖で拭ってぼやく。
「なんでッ、僕らが、こんな事……ッ!」
 その時、こすった視界の端でルカが駆け寄って来たのが見え、弥彦は伝言かと顔を上げた。だがルカは左手を振り払うように動かし、その手の動きのまま、弥彦の襟首を掴む。空いてる右手で掌底を前方に突き出す。
 右腕を囓り取られたような傷口を振り回しながら、そしてルカの掌底で体当たりの反動を局所的へと直に返されたのだろう、深くえぐり取られた鳩尾の傷口から大量の血液を溢しながら、年配の男性が仰向けに倒れる。弥彦は反射的に、その額や鼻筋を狙って発砲。着弾した顔面が砕け散り、同時に脳みそも撒き散らされ、彼の〈フリーク〉としての命も終わった事を告げる。
 そこで初めて、弥彦は自分の側に〈フリーク〉が迫っていて、ルカが庇ってくれたと気づいた。
「へばってるならへばってるって言え。足手まといより、よっぽどマシだ」
 弥彦を無理矢理座らせるように引き倒し、肩を叩く。
「アキオ様の声がかかってる客人を、軍人だからといって置き去りになんかしない。アキオ様共々、安心して座ってな」
 リーダーらしく、各人の動きを確認しながら援護で射撃しつつ、そんな事を怒鳴るルカ。本人も怒鳴るつもりはないのだろうが、発砲音がうるさくて、自身の声量がわからなくなってるのだろう。
「それに、ただ休んでもらうつもりはないんだ。〈特務〉の応援が来るよう手配してくれ。アキオ様が戦力を調整してくれているとはいえ、自分の聞いてる限りじゃ、この状況で魔術を使い続けるのはあまりいい話じゃない。決着つけるなら早い方がいい。そうだろ?」
 弥彦は腰の端末を引っ張り出し、作戦行動の確認。緊急事態としていくつもの部隊が派遣された事実を確認したが、現在の弥彦のブロック方面へ派遣された部隊は二つだけだ。次いで和政の無線にコールを入れる。部隊の手配は彼がしたはずだ。弥彦の場所の特定の為にも、通話だけでなく位置判別用のシグナルも打っておく。
 反応はすぐにあった。和政からのコール。
 挨拶もなく、和政は突き放すような早口で告げる。
『位置は把握した。すぐに向かう。〈フィストドライブ〉の手配は済んだ、シグナルを五一五一に切り替えろ。〈フィストドライブ〉の運搬班にも位置を知らせなきゃな』
 びっくりするほど冷静で、トゲトゲしいぐらいの言葉だ。だが、それが平穏の中から発せられたものではないとすぐに理解する。ルカの銃声とは明らかに違った、〈特務〉仕様大型拳銃の轟音が無線の向こうで鳴り響いていたからだ。その事実に二度驚く。強力な反動を、どのように操っているのか――無理に押さえ込もうとすれば力むに決まっている。力むと言うことは、瞬間息を停める、つまり息を乱す作業だ。その乱れが、会話の中に感じられない。弥彦が知ってる限り、かつての和政でも多少の力みはあったはずだ。それがないのは、彼がAクラスとして積み上げた実力故に違いない。
 自分とは違った特技を持つ和政に、改めて畏敬と畏怖を感じる弥彦だ。
『三分、待ってろ』
 それだけ言い残して、回線が途切れる。和政の言うとおり、シグナルを中央向けの緊急シグナルに変更する。これで発信器の識別番号と登録された〈人格波動〉から、軍部〈本庁〉では弥彦の呼びかけだと判断できるはずだ。そして、弥彦にしか使えない試作武器を運搬する部隊にも。
 ルカの護衛に甘えて――アキオの護衛でもあった自分が彼に護衛されている事実に苦笑せざるを得ないが、彼の言葉どおり、疲れ果ててるだけでは足を引っ張るだけだ――今のうちにと弾丸カートリッジの交換をしてしまおうとするが、右手の指が緊張に強ばり、震えてうまく動かせない。武者震いや怯えではなく、今の戦闘中に堅く握りしめたままだったが為の、筋肉の強ばりだ。
 膝にこすりつけ、痙攣が止まらないかと息を吹きかけるが、全く効果はない。仕方なく、拳銃を握った左手を近づけ、右手は台座代わりにしておく。無理やりドッキングさせ、補充を完了するが、そこに至るまでにかかった時間の長さに、弥彦は自分の未熟さを感じ取る。
 力が足りない。
 もう一度、弥彦はその言葉を痛感する。たった数十分の戦闘で、指先が震えるほど、限界近くまで追い込まれている自分の肉体に、唖然とすらしてしまう。
 こんな体で、間に合うのか?
 そんな事すら考えてしまう。〈フィストドライブ〉の唯一の試験者として、ギルの部隊の一員として、〈赤目のフリーク〉が安心して戦える場を提供できるほど、己は磨き上げられた武器であり得るか。
 今のままでは、間違いなく曇りきった刃だ。早急に、壊さぬように、新たに研ぎ上げなければならない。
 その時間は、あるか? 今は無い。だがその次はあるのか?
 弥彦は左手の銃をホルスターに戻し、空となった左の手を眺める。
 自分の力は――もう一つある、能力者としての力は、間に合うのか?
 いや、本当なら既に使えていてもおかしくないのだ。自分がわからないだけで。歯がゆいが、自分は実力の全てを出し切って戦っているわけではない。その中途半端な力のまま、やられるわけにはいかない。もちろん、ここでやられる事も、アキオの信頼を裏切るような事も、するつもりはない。
 もう一つの力が使えれば。
 騒がしい戦場ではあるが、試しに攻撃を繰り出す能力者たちのエネルギー弾と同じようなイメージを浮かべてみる。赤、青、黄色。紫、緑、橙色。黒、白……イメージをしては見るが、反応らしい反応はない。
 攻撃をしたいわけではないのか。
 ますます、弥彦は自分の中にある力への望みがわからなくなる。疲労の息が整いつつある中、今度は木伏のように遠くが見えるのではないかと想像してみた。だが、脳裏の映像は弥彦の想像以上のリアリティをまとわずにそこにあり続ける。
 一体、何が不満なのか――思うように動けないジレンマだけではなく、はっきりとしない自分自身の感覚にも苛立ちは募ってゆく。
――落ち着け。
 深呼吸を一つ。硝煙とサビの匂いが充満する空気を、喉に絡めながらも吸い込みきる。
 肉体を一つ一つ点検する。硬い指先、震える太もも、張り詰めた肩。それらを緩めるイメージと感覚をゆっくりと広げる。
 尊敬する武技教官の顔を思い浮かべた。童女にも通じるあどけない笑顔を持った女性教官だったが、恐ろしいほど正確な技とキレを持つ、鋭利な短刀とも呼べる存在の人物だった。
 体格に恵まれた弥彦がお墨付きをもらうまで、幾度となく対峙しては己の力任せの戦闘術が無力に等しいと思い知らされ続けてきた女性だ。
――力を抜け。目を開いて敵を見ず、自分の身体の中を見てみろ。
 彼女の言葉と声を脳裏で再生する。
――よくしなる竹は戦わない。流れる水は考えない。
 もう一度、深呼吸。掴もうとしてはすり抜けられ、殴ろうとしてはかわされ、守ろうとしては転ばされた。対峙した時の彼女の姿を思い浮かべ、その笑顔を思い出し、己に重ねようとする。
――戦うな。誰が敵なのかわからない場所なら、尚更だ。
 彼女はそんな事も言っていたが、こんな風にも言っていた。
――だが軍人である以上、避けられぬ戦いもあるだろう。その時は――。

 弥彦は唇の端をつり上げる。思いっきり、痛いほどに。ギルの笑みを思い出しながら、そして武技教官の穏やかで健康的な笑みを思い出しながら。
――笑え!
 現状を肯定する為に。
 〈フィストドライブ〉を着けた時のように。
 己の無力も、厄災も、焦りも、全て笑い飛ばしてしまえばいい。気負っても焦っても仕方ない。身体が動かないなら動かないなりに、今やれる事を探せばいい。

 笑みと共に、少しだけ呼吸が変わった。切羽詰まっていた荒い息さえ、自分でも不思議なほど武者震いの息に聞こえてくる。余裕が脳内に広がる。まだまだ行けると自分自身が、身体が囁いている。ついさっきまで、限界を訴えていた全身が、感覚を失いつつあった神経が、じんわりと別の熱を伝え始める。
 熱の正体は、戦意だ。
 己の内からゆっくりと沸き上がってきたその熱の勢いに任せ、弥彦は己の状況をもう一度、顧みる。先とは違った形で。
 〈フィストドライブ〉はこちらに向かっている。それだけで喜ばしい事だ。少なくとも、自分はまだ戦える。あの器械さえあれば、こんな身体でもあと十人は仕留める自信がある。
 あの武器で、自分自身のドッペルゲンガーでさえ倒せたのだ。一般人の〈フリーク〉なんて、目じゃない。
 ならば、〈フィストドライブ〉が届くまで自分にできる事は?
 弥彦はもう一度、空になった左手を眺めた。少しはマシな動きをする左手で、強ばり続ける右手の指を一本ずつ広げ、また閉じるように拳の形に戻す。マッサージをして、少しでも自分なりの感覚を取り戻して起きたい。
 〈フィストドライブ〉の利点の一つは、指先の動きもフィードバックする機能だ。長短の変わる全長は、指の動きでコントロールできる。中指の最長から拳まで、全部で六段階の調節。掌を広げることで最大範囲の防壁。指先を使った捕獲。
 人間の道具は、身体の単純化から複雑化への歴史だ。腕の延長の棒、爪や牙の延長の刃物、皮膚の延長上の衣類と鎧。その意味で、〈フィストドライブ〉は正しく延長上にあり、かつ先祖返りした道具と呼べる。武器の原点である自分の肉体へと戻って来た武器。
 現時点で右腕右手のみで完成形である〈フィストドライブ〉は、右手が動かなければ話にならない。
 戦闘のプロとして、道具を使える状態までコンディションを回復する。それが自分の代わりに戦っていてくれるルカ達の為にもなる。必ず、なる。
 いや、そうあるべきだ。
――それに……。
 続いて浮かんだ顔が誰なのかを認識する前に、弥彦の身体が反射的に動く。視界をきちんと見ていたつもりは無かったが、危機を本能が察知したのだろう。
 目の前で指揮をとっていたルカの腰にタックルしていた。
 倒れ込む二人の上に、踏鞴を踏んで、結局倒れ込んできた血まみれの〈フリーク〉。ルカの隙をついて突進してきたのだ。弥彦の足下でジタバタもがく身体を、反撃される前に膝下を跳ね上げる事で吹き飛ばす。
 その反動のまま跳ね起き、同じように飛び掛ってきていた〈フリーク〉の胸元を蹴り潰す。
 人体は重い。だが、弥彦の脚力は筋力だけでそれをはね除けられる――自分の身体能力の高さを思わぬ形で再確認した弥彦は、安堵も込めて相好を崩す。
「油断した。すまん」
 青ざめて這うように身を起こし、先に飛び掛ってきていた〈フリーク〉と対峙しようとするルカ。真顔には混じりっけない恐怖が張り付いている。
「ホント、いい加減にしてくれよ、アキオさんっ! 死ぬトコだったじゃねぇか!」
 心情の裏返しか、本気で怒鳴りながら攻撃を受けるべく構えをとったルカの前で、〈フリーク〉の身体が横殴りに吹っ飛ぶ。
 発砲の轟音を耳にし、発生源をかろうじて判別して振り返る。
「邪魔したか?」
 相田一裕=佐々木和政が、機械的に排莢しながら弥彦に向かって歩いてくるところだった。
 『カナジ』の薬莢が重々しくアスファルトに転がった。
「さっそく〈西方協会〉と仲良しゴッコか。お前らしいよ」
 次弾を装填し終えると、会話の間に短銃を乱射する。〈フリーク〉に対する威嚇にも見えたが、そのほとんどが頭部に着弾、致命傷を与えている。いつそちらを見たのかすらわからない短時間での補足と射撃。そして絶対に味方を誤射しない現場のシミュレーション能力。
 信じがたい能力に、弥彦だけではなくルカも気づいたのだろう。ルカ自身も銃を扱うだけに、和政の技術の高さに気づかざるを得ないのだ。驚きの気配が言いしれぬ感動に変わるのがわかった。この力を味方にすれば、どれだけ心強い人間であるか。この窮地に現れた戦力に、誰もがそう感じるに違いない。
 そして弥彦も、心の底から笑った。自分が寸前に浮かべていた希望。この同期の殺人鬼が、自分の援護にここへと向かっているという希望が、現実となった事に。
 ギルは弥彦に「この街を守る為に殺せ」と言った。今の和政も、一裕として「この街を守る」一員だ。目的を違えていた二人だが、同じくした今、これほど心強い男はいない。〈赤目のフリーク〉も信用できる男に違いないが、組織という力で縛られた自分たちには、命令という心情抜きの絆がある。それはある意味、少なくとも和政に対しては、何よりも信頼できる絆でありうるのだ。
「何を笑ってる? お前らしくもないな」
 不満ともとれそうな顔で弥彦を見、首をかしげた。
「ならついでに、あいつらとも仲良くやってくれ。俺の代わりに」
 彼が顎でしゃくった先には、蒼い腕章の一団が硬い表情で駆け寄ってくる姿があった。












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