R-T-X 「11・涙と青年(上)」
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 ケネス小隊は、出動命令に色めき立っていた。
 〈フリーク〉の出現という異常事態を本庁が把握する間もなく、目の前で電波ジャックがおこり、テロリストによる世界的な宣言がなされ、誰もが一気に大荒れの渦の中に落とされたような気分だった。
 コージ・カミヤシロは、三人がかりでハッチに運び込んだ分厚い鋼のケースの中身を気にした。
 対〈フリーク〉用の試作兵器だとは聞かされていたが、ケースは厳重な〈波動認識錠〉がかけられ、中身の形状すら把握できなかった。
 無愛想なケネス小隊長は、基本的に余計なことを語らないタイプの軍人で、その道具の使い方すら部下に教えてくれなかった。ただ、いつもにもまして険しいその表情は、今回の任務を不本意に、苦々しく感じていることを言外に語ってた。
 コージは移動用に指定された装甲車の、心地良いとは言いがたい振動に体を揺すられながら、同時期にこの小隊へ組み込まれた同僚のアーガイルの肩を叩いた。
 アーガイルは、根拠のない自信をもっている為か、軍服の上着を決して羽織らない。顎ひげをかきむしるしぐさは、そのむき出しの両肩をつなぎ、首筋に巻きつく翼の生えた蛇をあやしているようにも見えた。
「〈フリーク〉が出るなんて、驚きだよな」
 コージの言葉に、アーガイルはハッと鼻で笑った。
「オレ様の時代が来たって事さ。チマチマ実績あげるなんて、かったるくて仕方ねぇと思ってたんだ。大歓迎だぜ。〈フリーク〉も〈E.A.S.T.s〉もまとめて、俺が面倒みてやるさ」
 アーガイルは、例の演説を少し勘違いしているのだろうかとコージは思う。まるで〈E.A.S.T.s〉にも喧嘩を売っているようだが、何か比喩なのだろうか。
 アーガイルは、一言であらわすとデリカシーのない男だった。
 自分が一番能力が高く、出世するであろうと心から信じている『正真正銘の馬鹿』であり、その心情から来るのか、唾を吐きたくなるほど高慢ちきでもあった。コージはなるべく彼と話さないように心がけていたが、それでも、こんな時には頼らざるを得ないのも事実だった。
 なぜなら、ケネスたちが語らない分、アーガイルが語ってくれるからだ。
 ケネス小隊は8人の編成からなる〈特務〉Bクラス警備部の一小隊だ。
 ケネス隊長とその補佐を買って出ているブレジンが五十代で、アトウ、ライツム、バルドゥの中堅どころが四十代前半、アーガイルが三十代で、医療係のテレスが二十代、そして十代はコージだけになる。
 テレスは生真面目な女で、無駄口を叩く暇があったら端末で医療技術に関する記事を読みふけっているし、四十代三人組はコージそっちのけで酒盛りしているのが常だ。ケネスとブレジンは、老後の話ばかりしている。そして彼らは、まだまだ小僧であるコージは、世情や事態を把握する必要などないと考えているのだ。
 一昔前の言い方をすれば、丁稚という奴だ。使いっ走りで修行しろと。
 だから、癪に障るが、情報はアーガイルに頼るしかない。
 端末は支給されているし、操ることはもちろんできるのだが、それ以上に、誰かの意見を聞きたい時に聞ける人間がいないというのが、この小隊に対するコージの、唯一の不満だった。
 そして、頼らざるを得ないアーガイルが、同じ小隊内で誰にも相手にされていないほど、人間的に尊敬できない相手であることが、どうにもやりきれないのも事実だった。
 アーガイルの、天気の話をしているような気軽さにホトホトあきれながらも、コージは疑問を口にしてみる。
「〈フリーク〉って、どんな感じなんだろな」
 コージは〈特務〉に入って三年になるが、〈フリーク〉と対峙するのは初めてだ。コージだけではない。アーガイルも、最年長のケネスもだ。ケネス小隊の全員が、〈フリーク〉を見たことすらない。
 基本的に、〈特務〉の仕事は〈E.A.S.T.s〉への監視と反撃、第三種免許未登録の一般人能力者の引き起こした犯罪に対する調査が基本だ。
 能力者の能力は、個人差が大きい上に種類が無限大と考えても差し支えないため――とはいえ、能力者の願望を実現する能力など、とっさの想像力から生み出されるものが大半だから、そう突飛な能力など使われないが――〈特務〉はいつだって、それなりに忙しいし、人事の流動も激しい。
 仮に〈フリーク〉が出現したとしても、ケネスたちが対処できない状況であることは大いにありうるし、おそらく、昨今の〈フリーク〉は――コージたちが知るはずもないが――その運搬中の武器の運用実験の一環として、弥彦・エンヤが対応していたに違いないのだ。
「動きの早い死体だろ? 〈フリーク〉なんざ、ゲームじゃ雑魚キャラじゃねぇか。RPGで散々、ぶち殺してやったぜ」
「でも、能力者の成りそこないって考えることもできるんだろ? 基礎研修で教わったぜ?」
 コージの能力は、索的能力だ。ラジオのチューニングを合わせるように、意識した波長を探し出すことが出来る。
 元々高校生になったばかりのコージが能力者となった時、自分でも驚いた能力の発露だった。
 〈特務〉で訓練を受け始めた当初、授業の一環で何度もカウンセリングを受けさせられたのだが――自分の能力のルーツを知ることで、本人に自信と生きる目的を与えるのだそうだ。能力者になったショックによる鬱状態を軽減するためらしい――情けないことに、これは当時気になっていた同級生の女の子が、今はどこで何をしているんだろうかを知りたいという願望から発現した能力らしい。
 自信をもつどころか、逃げ出したくなるような原点だった。
 そんなコージの能力は、今や〈特務〉の訓練で研ぎ澄まされ、様々な〈人格波動〉を感覚的に察知できるようになった。
 主に色や触感が刺激され、その微妙な濃淡で識別するのだ。調子が良い時など、走行する車を個別に察知することができる。もちろん、よく知る車体でなければ個別の波動を見分けることができず、効果は望めないが。
 その自分の能力に、人間とも死体ともつかない〈フリーク〉が、どんな風に感じられるのか。コージは少々不安でもあった。
 しかしアーガイルは――彼は1メートル四方の物質を、30秒で溶解することができるそうだ――いつもの嫌味な顔つきでコージの頭をくしゃくしゃにした。まるで子供をあやすように、だ。
「化け物は化け物。人間だろうが化け物だろうが、ぶち殺せば何もできなくなるだろ? だったら殺せばいいんじゃねぇか」
「あんたは、俺の能力の感触を知らないから、気楽に言えるんだよ」
「わかってたまるか。思春期のガキのエロ妄想が生み出した能力なんて、笑っちまって使う気にもならねぇね」
 コージは怒りと恥ずかしさで胸焼けのような痛みを覚える。コージにとっては、なるべく忘れてしまいたい話題なのだ。
 なんて言い換えそうかと思った矢先、急ブレーキで車体が大きく傾いだ。
 冷静沈着なケネスですら、慌てて反動に備えるべく腕を伸ばし、油断していたアーガイルとコージ、それと緊張で背筋を伸ばし続けていたテレスが、前方のシートに向かって吹っ飛んだ。ありがたいことに、運転席との間には強行犯捕縛用ネットが張られていたままであり、三人はそこにへばりついた。
 何が起こったと誰かが叫んだ言葉をかき消すように、運転していたライツムが悲鳴をあげた。
「〈フリーク〉です!」
 一瞬の緊張と、その後に虚脱めいた沈黙が落ちた。皆、無言で装甲車の窓に張り付く。
 確かに、前方に三体の〈フリーク〉がふらふらと歩いている。
 火事か戦災で焼け出されて呆然とした人間に、見えなくもない。コージはその〈フリーク〉の無表情さに、恐怖を覚えながら自分の能力でその波動を感知しようとした。
 だが、〈フリーク〉の姿は突然、皆の見守る中で、何かの門をくぐったかのように消えてしまった。ちょうど、プロジェクターの電源が落ちたようでもある。目の前から〈フリーク〉の姿だけが消えうせたのだ。
「コージっ!」
 副官役のブレジンが催促――よく考えれば、彼がこんな風に血相を変えて怒鳴ったのを見たのは初めてだ――コージは〈フリーク〉に照準を合わせようとしていた能力を、急いでその場所全体、そして自分たちの周辺へと切り替える。
 〈フリーク〉の消えうせた原因が、まだ見ぬ運動能力ゆえの錯覚だとしたら、小隊の命は風前の灯だ。
 一瞬、体に押し付けられた捕縛用ネットの網目が、まだ感触として残っているのかと錯覚した。
 決め細やかな凹凸で、黄金色で、整然と編みこまれた硬く冷たい物質を感じた。それは流動している風のようでもあり、明らかに機械的で人為的であり、自然にできた感触ではなかった。
 コージは一度だけ、基礎講義の一環で、これとよく似た感触を察知したことがあった。
「ま……?」
「ま?」
 アーガイルが間抜けな声を上げると同時に、ケネスが呟く。
「魔術だな。では、ここが〈西方協会〉が引いた境界線か」
「なんですかい、そりゃ?」
 コージは、こんな時でも隊長への尊敬も敬意も表さないアーガイルに、心底あきれた。
 そしてケネスも、若者の無礼を無視する。以前よりケネスは、アーガイルの両肩と首周りのタトゥーと、それを見せびらかす彼の精神を毛嫌いしていた。残念なことに、アーガイルがその嫌がりようを察していないのだが。
「魔術だな、コージ?」
「はい」
 コージはケネスが嫌いではなかった。無口なだけで、そして極めて正確に推論を出すにも関わらず、正答を確認する慎重さ。
 自分のような若輩者は、隊長の持つ情報を分け与えられない不満はあれども、彼から学ぶべきことも多いだろうと、割り切っていた。
「じゃあ、こっから本番ってわけだ」
 ライツムがハンドルを握りなおしながら、気合を入れる。
「アトウ、バルドゥ、ちゃんと攻撃の準備はしてあるんだろうな」
 ブレジンの言葉に、二人は目元に引き下げてあるゴーグルをはじいて見せた。この二人は攻撃的な能力の発生場所の精度を増すために、〈特務〉支給の立体座標設定補助のゴーグルを身につけて戦場に臨むのが常だった。
「お前こそ、発信元の確認はできてるんだろうな?」
 ライツムは二人の答えを踏襲して、マーカーの点滅するモニターを指で弾いてみせる。確かにその点は、これから突入しようとしている路地の先にあった。そしてライツムは、タイミングをゆだねるようにケネスへ向かって、了解サインに指を立てて見せる。
 ケネスが無言で頷くと、ライツムは〈フリーク〉が消えた路上へ、恐怖を振り切るようにアクセルを踏む。
 急発進の反動で揺れながら、コージは――荷台のケースの中身とその形状を、もう一度だけ気にした。



 雨の気配が、どんどん強くなる。
 もちろん、本当の雨ではない。三条の感覚が捉える、〈フリーク〉の気配だ。
 不意に左から飛び掛ってきたその気配に、三条は身を翻して対処。ボロボロになった〈フリーク〉の衣類を掴んで引き倒し、後頭部へ指先を突き立てる。通常なら指を骨折してしまうだろうが、三条の〈フリーク〉としての体は難なく〈フリーク〉の肉体へと沈みこみ、指先を蠢かすだけで脳幹付近を抉り取り、沈黙させる。
 体が、反射的に動く。どうすれば良いのか、三条が考えるよりも先に体が動く。百五十年前の遺産だ。
――でも、これだけじゃダメだ。
 〈マスター・フリーク〉は、知的生物だ。言葉を交わした事はなかったが、拳を交えたからわかる。
 次の一撃、コンビネーション、攻撃の裏表、カウンターの有無……全て、加味された上での攻撃。それは、言葉以上に雄弁に物語る。
 何よりも、三条=〈赤目のフリーク〉を見逃したという事実。
 まるで、百五十年前と同じ。尻尾を巻いて逃げ出した姿を、後を追わずに放置した事実。
 知性のない〈フリーク〉に、こんな事はできない。同士討ちすら始める〈フリーク〉に、「後日」はないのだ。
 だからこそ不可解な〈マスター・フリーク〉の「後日」の為であろう行動。
 後日。後日に再度決着をつける、と。
――なぜ、そんな事を?
 前回といい、今回といい、なぜ〈マスター・フリーク〉は、自分を生かし、見逃す?
 知性があるからといって、理知的な答えが返ってくるとは思えない。だが、理由なく、二度も解放されたわけではないとも思う。彼らには彼らなりの思惑があるのだろう。三条を生かしておくべき理由が。
 〈マスター・フリーク〉は、〈赤目〉を必要としているのだ。
 再び背後から飛び掛ってきた別の〈フリーク〉の胸元を振り返りざま掴み、半身を入れて背負い投げ。地面に這いつくばった体にも、指先を差し込んで抉る。
 〈フリーク〉は、〈赤目〉が必要な理由を知らない。知っているのは〈マスター・フリーク〉だけだ。
 いや、後はギルか? それと、意味深な事を語る〈西方協会〉か? 
 気になる事は、もう一つある。
 弥彦と柚実が遭遇した〈マスター・フリーク〉だ。
 「次はお前だ」と、言ってのけた〈フリーク〉。三条が知る限り、知的な〈マスター・フリーク〉でも、言葉を話したことはない。
 話せるほどに、知性が育っているのか? ならば、どこで言葉を理解した?
 別の個体であるなら、〈マスター・フリーク〉が複数存在していることになる。そんなことがありえるんだろうか?
 ギルの話では、〈マスター・フリーク〉は〈西方協会〉につながるものたちに因子を植えつけていた可能性もある。つまり、能力者の近親者だ。能力者になりやすいものに〈フリーク〉化の因子を植え付ければ、ドッペルゲンガーの出現率のみならず、〈フリーク〉化、能力者化の可能性も高くなるだろう。
 仮にそれを選んで行っていたのなら、今回の〈マスター・フリーク〉には明確な意思がある。
 つまり、二度目の〈カタストロフィ〉を引き起こす意思だ。
 正面に二体の〈フリーク〉が、唐突に出現した。
 その姿に戸惑いつつ、跳躍。〈フリーク〉としての跳躍だ。二人の頭が並ぶ空間へ跳び込む。思いっきり左右に両足を広げ、踵で側面から延髄までを抉り取る。
「いやぁ〜、一撃で二体とは、たいしたもんだ」
 着地した後、前方からの声の主を睨み付ける。
「なんのマネだよ、アキオさん」
 アキオは半透明の立ち姿で首をかしげた。
 先の二体は、アキオが魔術で転送してきたのだ。それを悪意ととった三条だが、軽く笑顔でかわすアキオ。
「『投影』なのはわかってるな? 俺は今、三一ストリートで魔術を使ってる最中だ。正直、しんどい」
 三条はギルから渡されていた〈軍部〉用端末を起動。三一ストリートに緊急シグナルが点灯した。ウソではないらしいと判断する三条。
「今回〈フリーク〉化した奴は全部把握、全部補足した。もちろん、オレだけでやってるわけじゃないぜ? 三分の二はオレが受け持ったってだけさ。これで次の連鎖までの時間は稼げるだろう。そんなんで、俺の担当した奴らは、別の空間に集めてある。問題は、それを支える俺の力が持たないって事だ。〈フリーク〉は普通の人間とはまるで違う。魔術で閉じ込めても、その魔術要素が勝手にバラけちまうから、維持するのも桁外れの労力がいるんだよ」
「理屈はわからないんだ……俺には手伝えって言えば、それで良いんだよ。ギルみたいに」
「説明するのは、俺たちなりの礼儀さ。悪く思わないでくれ」
 三条は思わず笑みをこぼした。
 『手伝えって言えば、それで良い』とは言ったが、本心ではない。わからないならわからないなりに、説明されればされるほど、相手が自分を信じてくれていると感じる。逆に、何も語らぬギルにも説明を求めたぐらいだ。
 死んだ三条尚起がそうしてくれたように、自分がこの戦いの中でどのような位置づけであるのかを話してもらう事が、〈赤目〉の戦いへのモチベーションを高め、そして維持しているのだ。
「それで?」
「ここから三一ストリートまで、俺の友人が障壁を張る。その中に、俺が今回の〈フリーク〉を全面投入する。箱の中にマウスの群れを入れ込むようなもんだ」
「残った数は?」
「八十ぐらいかな。任せて良いか?」
 確かに、八十人の人間を一度に運ぶと考えれば、それだけでも桁外れの能力ではある。三条の知る限り、普通の能力者なら十人も運べればAクラスだ。魔術というものの仕組みを正確には理解していない三条だが、アキオが疲弊してもおかしくないと納得した。
「ちなみに俺は、この『投影』を消したら、まず半日は魔術が使えない。〈軍部〉の端末を持ってるなら、それで弥彦か一裕に連絡をとってくれ。俺は基本的に、あいつらのそばにいるからな」
「それぐらいの数なら、オレ一人でも問題ない。〈特務〉もいるんだろう? あんたたちの仲間も。なら十分だ。任せてくれ」
「おおお〜、頼もしいねぇ〜。さすが三条尚起、さすが〈赤目のフリーク〉」
 おどけた顔で肩をすくめ、そしてストンと腕を下ろす。
「頼まれついでに、もう一点、頼みたいんだが、いいかい?」
 投影が指を鳴らす仕草をした。
 半透明の映像に追加し、周囲にバラバラとなった〈フリーク〉の姿が転がる、血まみれの装甲車の姿が現れた。装甲車にはまだ、一体の女性の〈フリーク〉が体当たりを繰り返している。
「柚実ちゃんが一人で戦ってる。一裕の判断で、一人で残された。援護が行くはずだが、それまで持ちこたえられるかわからねぇ」
「なんで素人を一人で残した?」
「さあな。柚実ちゃんの実力を信用したか、邪魔だから〈フリーク〉に喰われることを期待したんだか、それはわからねぇよ」
「場所は?」
「端末で装甲車両のBF4459を検索しな。あの子の車両だ」
 舌打ちしながら、手早く入力を済ませる三条を、アキオは黙って見守る。
 やがて検索を終えた三条が、位置を納得して顔をあげると――アキオはゆっくりと、芝居がかった仕草で腕組みをしてみせた。
「さて……アンタは一体何者なんだろうな? 俺たち〈西方協会〉にとっても、あんたは興味深い存在だよ。百五十年、人里から離れていたあんたが、どうして〈特務〉の最新端末を、こともなげに操って見せる? ここ数週間で身に着けたのかい?」
「そりゃ――」
 言いかけて三条は黙った。
 誰かに学んだ記憶も、自分で操作を探り出した記憶もなかったからだ。過去の端末と同じだったからと答えようとして、記憶の中の端末とは外見も中身も別物であることは明白であり、とても目の前の魔術師を騙せるような言葉とはなりそうもなかった。
 アキオは三条の答えなど、全く期待してなかったようだ。さっさと手を振り、気にするなとジェスチャーで示す。
「ま、今はそれどころじゃないな。じゃ、あの子を頼むぜ。よろしくな」
 ニヤリとし、アキオは扉の向こうへ消えるかのように姿を消した。
 次の瞬間。
 三条は自分の視界に出現した〈フリーク〉に身構えた。
 アキオが抱え込んでいた〈フリーク〉が、三条の始末すべき獲物として用意されたのだろう。
 約八十体。全部がここにいるのではない故に、今の視界に移るのは五体か。しかし、歩んでゆけば行くほど、この五体が十体となり、二十体となるであることは想像できた。
 三条は笑う。
 八十体なんて、百五十年前の、三年がかりで阻止した〈カタストロフィ〉に比べれば、ほんの握りだ。
 そして、こんな〈フリーク〉なんかよりもっと巨大な敵がいると思えば、気休めにもならない。
 そもそも、この程度の敵なら、〈赤目のフリーク〉へと変身せずとも、始末できる自身がある。
 体が、勝手に動き出す。敵の背後へ。背後へ。敵の攻撃が繰り出されるよりも早く、その首へ一撃。
 端末が示す柚実の元へ向かって、三条は瞬時に敵を屠りながら、走り出した。



 〈E.A.S.T.s〉の面々は、それぞれ単独で行動を開始。
 ルカ達のようなチームプレイに慣れている者は少ないが、それぞれが必死で、〈西方協会〉の手助けをしようと走りよってくる。
「指揮官は誰だ?」
 蒼い腕章の壮年男性が、アキオの護衛へと回ったルカに呼びかけた。
「現状が落ち着くまで、あんたたちの指揮に従うつもりだ。誰が指揮官だ?」
 きれいに白くなった頭髪と口髭だが、声にも張りがあり、全身にみっしりとした筋肉がついている。休まずにしっかりと鍛え続けていた体と一目でわかる体つきだ。〈E.A.S.T.s〉に所属する前、そして民間人となる前には、どこかの軍隊にいた経験があるのかもしれない。
「私だ」
 一裕=和政が、涼しい顔で挙手。
「〈西方協会〉の人間は、そこの魔術師の護衛だ。〈軍部〉の命令において現場を任されているのは、ギル特戦小隊の私だ」
 一裕の指し示す先に立つ、様々な光盤を操るアキオの姿に、〈E.A.S.T.s〉の男は息を呑む。
「魔術師って、〈西方協会〉のアキオじゃないか! 本当に本人なのか? どうしてこんなところに!」
 ルカが苛立ちをこめて叫ぶ。
「それぐらい、事態が切迫してるんだよっ!」
「治療の出来る奴はいるか?」
 一裕が発砲する手を休めずに問う。
「負傷者を集めて、治療に専念させろ。能力じゃなくてもいい。医療関係者はアキオの近くに集まれ」
 〈西方協会〉から二人、〈E.A.S.T.s〉から一人が駆け寄った。
 治療の出来る能力者は数が少ない。〈人格波動〉を一部共振させて行うのが一般的であり、それ故に、己だけではなく、治療者との共感性を必要とする。共振のショックによって死亡する可能性もあり、人によっては、傷の痛みをも感じ取ってしまう為、自分の生命をも脅かすという。また、能力者となるきっかけの中で「治療・治癒」を願う人間も少ないことから、扱える人間が少ないという話だ。
 三人の中で二人が治療を行える能力者であったのは、かなり運の良いことだ。
 今までの戦闘で怪我をした〈西方協会〉メンバーや勇み足で早々に足を折られた〈E.A.S.T.s〉の青年などが、仲間に引きずられてアキオの足元に連れてこられる。
「怪我人を気にするなんて、お前らしくもない」
 弥彦は軽い驚きをもって、一裕に掴みかかろうとした〈フリーク〉を一蹴り。一裕がその〈フリーク〉の接近を許していたのは、弥彦が一裕を守ると踏んだ上でのことだろう。喰えない男は昔からだ。
 真顔のまま、一裕は肩をすくめる。
「さっきから、動くのに邪魔だったんでな。あとで死体も撤去させよう。〈フィストドライブ〉が届いても、動き回れなくては威力も半減だ」
「それなら簡単だ」
 話を聞いていたのだろう。〈E.A.S.T.s〉 の白髪の男が、突然地面を蹴り付けた。近くに転がっていた〈フリーク〉の死体が、まるで波打ったかのような地面に飲み込まれて消えた。
 〈西方協会〉の中にも似たような能力の人物がいたが、この男は地面をより水のように変化させ、生き物のように操ることができるように見える。
「地面に埋めちまえば良いんだろ?」
「あとで掘り返すことは?」
「できるさ……ああ、後で〈フリーク〉の身元確認しなきゃならないからだな?」
「そういう事だ。あんたの名前は?」
「クニミだ。マヒロ・クニミ。信じるか信じないかはアンタしだい」
「早速だが、クニミには死体撤去に専念してもらおう。〈E.A.S.T.s〉の中から信じられる奴を二人護衛にして、片付けてくれ。現状はこちらが優勢だ、三人いなくても支えられる」
 クニミは無言で了解に親指を立ててみせ、同じく蒼の腕章をつけた人間に声をかけはじめた。
 弥彦は疲労している〈西方協会〉たちのサポートで、〈フリーク〉を蹴り続ける。〈フィストドライブ〉が無い今、そして手持ちの武器がつきかけている今、その上体力も消耗しつつある今、一番の攻撃力を持つのは腕力の三倍といわれる脚力だ。体重と太ももの力をフル稼働させて蹴り続ける。
 一裕は相変わらず、皆を見渡せるアキオの傍で、正確無比な射撃を怠らない。クニミが言われた作業を始めると、そちらのサポートを中心に、惜しみなく弾薬をばら撒いている。
「いつになったら、終わるんだよ」
 ルカが舌打ちしながら、アキオの頭上に迫った〈フリーク〉を射殺。
「こんなに普通の人間が街に残ってたなんて、政府の警告なんてザルだな」
「お前は、さっきから……文句ばっかだよな……」
 不意に聞き慣れた声とその抑揚のなさに驚き、弥彦は思わず振り返る。
 ルカが目を白黒させていた。
 彼に抱えられているのは、脱力したアキオだ。既に魔術の光は消えうせ、全力で疾走した後のような、荒く小刻みな呼吸を繰り返す。
 時折乱れる呼吸で全身が大きく揺れるたび、そこかしこから汗が滴り落ち、地面に雨あられとばかりに零れ落ちた。
「もうすぐ、〈赤目〉が来る……」
「アキオさん? アキオさん、しっかり! ちょっと! ウソでしょ、アキオさん? アキオさん!」
 ルカの呼びかけに、アキオは力なく片手をヒラヒラ振った。
「誰か、アキオ様を見てくれ! 早く! 普通じゃない!」
 救護の一人が顔色を変えて駆け寄ってくる。ルカと力を合わせて仰向けにすると、アキオの頭髪から汗が飛び散った。
 魔術を使っている間はなんともなく見えたのだが、想像以上の負荷がその体に蓄積していたのだろう。
 彼らが救護に専念できるよう、弥彦は倒れたアキオとルカ達から〈フリーク〉をなるべく遠くまで引き離そうと試みる。文字通り、人の壁となった弥彦の耳に、銃声の合間をぬってアキオの言葉が飛び込んでくる。様子を伺うたびに、苦しげな表情が視界へ入ってくる。
「〈赤目〉が……そこまで来てる……オレも、もう一踏ん張り……」
 息も絶え絶えに告げ、一度、唾を飲み込んだ。
 ルカの肩を掴み、震える膝を掌で押さえつけながら立ち上がろうとし、怒鳴る。
「文句を言う前に、やることあんだろっ! オレなんかより先に、気遣うものがあるだろ!」
 必死の形相で、ルカの肩を揺さぶる。
「〈バーン・サザード〉の跡継ぎが、ここでうろたえてどうする! わかってんだったら、さっさとやれ!」
 一気に、息が続く限り叫ぶと、再び脱力してルカに体重を預ける。先にもまして苦しそうだ。
 それでも、アキオはそこに立っていた。
 ルカは雷に打たれたように背筋を伸ばした。アキオの腕を急いで肩にまわしてその身を支えながら、大きく息を吸い込む。
「〈赤目のフリーク〉が近くまで来てるぞ! 百五十年前の英雄だ! 俺たちも、もう一踏ん張り! ここの残りを始末したら終わりだとさ! さっさと片付けようぜ!」
 歓声ともドヨメキとも取れる声が上がった。〈赤目のフリーク〉が何であるかを知らなくとも、それがルカに希望をもたらした戦力であることはすぐにわかる。
 アキオが倒れたことで瞬間的に落ち込んだ皆の士気が、ルカの呼びかけで盛り返した。
 アキオは、自分が一種の目的であり希望であったことに気づいていたのだ。そして、自分が倒れることで何が起こるかを。だからこそ、すぐに手を打つよう、ルカに指示したのだ。
 そして、ルカもそれを承知した。今、この三つの所属からなる戦闘集団は、同じ目的を必要としている。
 先はアキオを護衛しつつ〈フリーク〉を殲滅することだった。
 そして今は、〈赤目〉がやってくるまで、この場を支えること。この場にいる〈フリーク〉を倒せば、はれて戦闘が終了するということ。
 ルカの呼びかけが遅かったら、失望した集団に気の緩みが出ただろう。なし崩しに陣を崩されたかもしれない。
 しかし、戦闘が終わるという希望は、皆を再度団結させる大きな力となった。
 戦闘の轟音の中、澄んだ音が数度、鳴り響く。
 支えられて立ったまま、再度、アキオが魔術を展開させたのだ。俯いていたアキオは、自分の身を支えるもう一つの柱として、その輝く魔術の文様を選んだかのように、必死になって手を伸ばす。
 弥彦が彼の身を気遣って振り返った時、一瞬だけ、アキオは顔をあげた。
 汗まみれで歯を食いしばり、眉間に深く縦皺を寄せた悪鬼のごとき形相。
 すぐに伏せられたその表情は、弥彦にギルを思い出させるのに十分な、恐怖と巨大な能力を予感させる狂相でもあった。





 一体の〈フリーク〉を倒したとはいえ、車両の上から降ってきた女性の〈フリーク〉はまだ残っている。
 柚実は、窓ガラスに貼り付けていた銀のカードを、手元に集めるイメージを展開。『銀色の壁』と同じように、ギルから渡され、増殖していたカードたちは自在に動き、そして柚実の手の中へと戻ってくる。
 柚実は、何枚にもなるはずのカードが、重ねられると同時に一枚へと還元されていくのを、ほんの少しだけ不思議に思った。深く考える余裕がなかっただけだが、そういうものだと納得する。
 ギルは何をしても、何を作ってもおかしくない人物だと――アキオに教えられていた。
 たとえば、未だに信じられないのだが、百五十年以上前から生きているという話。
 木伏や弥彦は信じられないというが、アキオは事実だという。もっとも、アキオも百五十年以上前から生きていると言うのだから、胡散臭い話ではあるのだが。
 一裕は何か知っているのかもしれないが、話らしい話をしたことが無いのでわからない。
 三条はいつも一人でトレーニングに行ってしまうから、こんな雑談を交わしたことすらない。
 百歩譲って、アキオの話を信じるとしよう。
 そのアキオが語るに、ギルは錬金術師として、自己の在り方を変え続けてしまった人間なのだという。反面、「出自が特異であった為、自分を自在に変化させる術として錬金術師となったのかもしれない」とも言われているのだとか。
 その結果としての不老。
 アキオもまた、特殊な事情によって「現状を維持する」というエネルギーの恩恵を受けているのだそうだが――それ故にアキオも不老なのだそうだが、柚実にはアキオのいつもどおりの軽い口調が、どう考えてもウソをついているような気がしてならない――ギルに至っては「取り返しのつかないレベルで、世界と関わりすぎてしまった」のだと、アキオは言う。それを説明するには複雑な上に、アキオでも確証の持てない魔術的な話が多すぎて、柚実には話せないのだとも。
「あれだけ何でもアリな存在を、一から説明しろって言われたって、俺には無理。断然ムリだね」と。
 だから、こうやってカードが何十枚にも、そして一枚にも変化することぐらい、不思議でもなんでもないのかもしれない。
 窓ガラスを覆っていたカードが全て剥がれると、鼻血と思われる血痕で曇った景色が現れた。その景色の奥から、中年女性の〈フリーク〉が駆け寄ってきては顔面から強化ガラスに体当たり。ショックアンカーがしっかり効いているらしく、想像していたほどの車両の揺れは感じなかったが、余りに破滅的で機械的なその動きに戦慄する。
 何度目かわからぬ激突と分厚い血曇りを残し、女〈フリーク〉は再度の助走のために後ずさった。
 柚実は自分の能力を窓ガラスの外に展開。カードが増えたという、つい先程までそこにあった光景を元に、小さな『銀色の壁』を空中に、タイル上に敷き詰める。
 ガラスから直角に。直立したカードが十字型に配置され、再度飛び掛ってきた〈フリーク〉の顔面を待ち受ける。
 〈フリーク〉に対する知識がほとんど無い柚実には、先の〈フリーク〉の頭部に突き刺したカードが天啓のようだった。とりもなおさず、頭部を、顔面を破壊すれば〈フリーク〉が止まるという経験から、全力で能力を支える。
 それは――最も近い喩えで表現すると、両手を突き出して壁を押すような動作だろうか。腕が曲がらぬように、角度に不安を覚えながらも、待ち受けるショックに備えて、全身を腕そのものへと集中させる動作が、一番近しいような気がした。
 能力を複数発動することの難しさと抵抗は、〈フリーク〉を前にした恐怖ですっかり消えうせていた。全力で走り続けるように、全力で、出せる限りの確かさで『銀色の壁』を支える。右手にしっかり、ギルのカードを握って。
 女性の〈フリーク〉は、直立しているカードの存在に気づかなかったのだろうか。正面から見れば直線で浮かぶ十字でしかなかったから、錯覚だとでも思ったのか、それともそこまでの思考能力を期待してはいけないのか。
 顔面に十文字を刻みつけ、そのまま首の皮一枚まで『銀色の壁』をくい込ませて、〈フリーク〉は溢れる血を振りまきながら地面に崩れ落ちた。
 これで、二体目だ。
 柚実は安堵に息をつき、足元にかばっていた美雪の手をとった。
「とりあえず、これで、大丈夫」
 引きつりかすれた声と、自分の手が汗で湿っていることに気づいた柚実は、自分のポケットからハンカチをだそうとした。手が震えて動かない。あきらめて掌を見る。力が入って白と赤のまだらになった左手と、汗に曇るギルの銀のカード。
 張り詰めていた呼吸を整えようとする。息が荒くなっていたが、苦しいというほどでもない。一裕を追って行ってしまったのか、他に〈フリーク〉の姿は見当たらない。とはいえ、死角からやってきた女の〈フリーク〉のように、気を抜くこともできない。せめて、一裕が呼ぶであろう応援が到着するまでは。
 周囲を警戒しながら、がっくりと肩を落としている美雪を励まそうと肩に手を置いた。
 その手が即座に撥ね退けられる。
「……美雪?」
 後輩は俯いたまま、動かない。先刻までは目に見えるほど震えていた姿も、今は弛緩しきったように物言わぬ物体と化している。
 嫌な予感がした。錯覚でしかないことはすぐにわかったが、柚実は、自分を慕ってくれていた後輩が、急に〈フリーク〉になってしまったような予感に襲われて、せめてその顔を見ようと覗き込んだ。
 顔を背けられた。
 徹底的に拒否するその動きは、間違いなく〈フリーク〉ではなく人間のものだったが、それは逆に、人間だからこそできる「人を傷つける行為」でもあった。
「会わなきゃ良かった」
 美雪は背を向けたまま低く、力なく、そんな言葉だけを漏らした。
 それは――あの時、柚実に出会って声をかけなければ、こんな事態に巻き込まれずに済んだのだという後悔であり、そして柚実に対する呪詛でもあった。
 美雪へとかける言葉を無くして、彼女の肩に置こうとしていた腕を自分の胸元に引き寄せた柚実は――せめてもの償いにと、車外に目をこらした。
 そして、こういうことかと納得した。
 〈特務〉であるということは、自分の親しい人を危険にさらすということ。
 だから、不用意に接触してはならないということ。
 ならばと柚実は兄を思う。
――お兄ちゃんは、私の為に連絡を取らなかったのかな?
 こんな事にならないように。一方が酷く怯えて苦しみ、一方がその言葉に傷つかないように。
――だったらお兄ちゃんは、きっと、優しい人なんだ。
 きっと、弥彦のように生真面目で、でも困ったように笑い、なのに絶対に芯を曲げない人。
 きっと、そうだ。
――なのに自分は……。
 柚実に背を向けてしまった美雪を横目にすると、涙が出そうになってくる。
 ギルが、今のうちに泣いておけといっていたのに。そして自分も、目や喉が痛くなるほど泣いたはずなのに。
 でも、こんな事は覚悟していなかった。化け物に襲われる恐怖への涙だとばかり思っていた。
 まさか、後輩との再会で傷つき、泣かされるとは思っていなかった。
 柚実は銀のカードを握りなおし、右の袖でがむしゃらに目をこすった。涙がこぼれそうだ。ハンカチを取り出す余裕なんて無かった。こすればこするほど、痛みは涙と変わり、落ちそうになってはこする。
 落ち着いていた呼吸は再び荒くなる。涙をこらえてリズムが変わる。嗚咽になりそうなそれを、必死でこらえる。
「ごめんね」
 ようやくそれだけを言えた。
――私が〈特務〉で、私が能力者で、こんな事になっちゃってごめんね。
 言葉は浮かべども、声にはならない。
 ただ、楽しく話したかっただけなのだ。昔のように。ただそれだけだったのに。タイミングが悪かっただけだとはわかっている。だけど、保護の為とはいえ、こんな危険な場所にまで連れてきてしまったのは、やはり自分が能力者という存在であったが故だ。
――もう二度と話さないから、話せないから。だから許して。
――必ず、ここから助けてあげるから、だから、ごめんね。
 窓の向こうに、人影が見えた。柚実は反射的に、その人影の足元へ『銀色の壁』を展開。車に近づけないよう、柵のように何枚も突き立てる。
――こんなことしかできなくて、ごめんね。
 せめて、美雪を怖がらせないように、出来るだけ遠くへ。遠くで始末しよう。
 柚実は銀のカードを握りしめながら、声もなくギクシャクと戸惑う〈フリーク〉の姿へ銀色の力を振り下ろす。輪切りにされた頭部が落下すると同時に、〈フリーク〉の体も糸が切れたように倒れこんだ。
 先刻まで、複数の力を使うことができなかった柚実だ。今となっては、どうして出来なかったのかわからない。まるで、どうして自転車に乗れなかったのか思い出せないように。
――必要だから。
 今は、美雪の為に、全力でやる。その為に「できない」なんて言ってられない。
――〈特務〉だから。
 〈特務〉なら出来ると一裕は言った。
 そのとおりだ。今の柚実に出来るのは、こんなことしかない。だからこそ、できることを全力でやる。
 ただ、それだけなのだ。




「弥彦、弾薬は余ってないか?」
 一裕=和政の声に、自分の弾薬カートリッジの一つを手渡すべく駆け寄る。徒手空拳でもなんとか対応できる自分よりも、弾薬を最大限に有効活用できる男に渡すのは当然だ。
「〈赤目〉が近づいてるってな」
「三条さんが来るなら、もう安心だ」
 弥彦がその言葉にこめた信頼を、わかっているのかいないのか、和政は頷いた。
「ケネス小隊もすぐそこに来てる。この通りでは人が多くなり過ぎてる、横で待機させた。〈フィストドライブ〉を受け取りに行ってこい。小隊から一人連れて、戻って来るんだ。他のケネス小隊には、柚実の保護に行ってもらうことになってる。もちろん、柚実の近くにいる小隊にも連絡はしてあるんだが、どうも手が回せないらしい。ケネス隊が一番だ」
「了解」
「アテにしてるぜ、『化物より化物』な〈フィストドライブ〉の弥彦を、な」
「その期待がはずれないよう、祈っててくれ」
「アキオは大丈夫みたいだな」
「今は、な」
 言外の意味をくんだのか、再度頷く和政。
「ケネス小隊には、二人いる」
 弥彦は一瞬、その意味がわからずに和政の顔を確認する。
 大真面目な、いつもの顔で和政は何事もないかのようにトリガーを引き続けながら、弥彦の耳元に言葉を投げた。
「俺たちが選ばれた意味を、忘れるな」
 一瞬、背筋に寒気が走った。
 脳裏に、目を覚ましたあの夜の光景が蘇る。
 和政の襲撃、自分を取り囲む〈特務〉とマグライトの眩しさ。
 あの時、和政が告げた「特命」の言葉が、弥彦の記憶を振るわせる。
「今じゃ、ないだろ?」
 乾いた口内を湿らせようとしながら返答した弥彦に、『〈特務〉の切り札』は冷静につき返す。
「もちろんだ。だが、早いに越したことはない」
「……オレを見張るつもりか?」
「そんなつもりはない。そんな命令は出ていないからな」
 その通りだ。佐々木和政は、命令以外のことをするつもりなど、元よりない。非常にシンプルであり、融通が利かない。まるで、和政自身が操る弾丸のように、目的に向かって突き進むだけなのだ。
 それでも彼が『切り札』足りえたのは、『能力者ですら不可能』と思える命令をこなし続けてきたが故だろう。
 むしろ、『能力者ではない〈特務〉』だからこそ、『能力者のこなせないミッション』をこなすことができたのかもしれない。弥彦には想像のつかない仕事を。想像でしかないが、そのミッションも、傍目には融通を利かせての多少の遠回りがあったとしても、最終的には目的を達する過程として最短であることも多々あったであろう。
 そして、その仕事の完遂能力の根本にあるのが「命令以外のことはしない」という明白で強い意思であったに違いない。
「気になるなら、お前がオレを見張ればいいだろう」
「そうだな」
「さっさと〈フィストドライブ〉を持ってこいよ。そろそろ、死体からカートリッジを拾わないと足りなくなる」
 元々、弾丸が足りなくなって呼ばれたことを思い出し、弥彦は慌ててケネス小隊の待つ隣の通りへと向かう。
 通りをつなぐ路地には二、三の死体が転がっていたが、それらは〈フリーク〉として処理されたのか、それともただの犠牲者だったのかわからない。もはやどこまでが誰であるかすら区別のつかない程、バラバラに分解された遺体としか判断できなかった。
 ケネス小隊の移送トラックが見えた時には、彼らは既に戦闘状態へ突入していた。
 特殊ゴーグルを付けた三人が主に戦闘しており、炎や水飛沫がそこかしこにばら撒かれている。悲鳴にも似た戦闘の怒声の飛び交う中、初老の男が二人、冷静に車両の傍に控えていた。
 弥彦は自分に向かってなされた余りにも冷静な敬礼に半ば戸惑いつつ、返礼。
「弥彦・エンヤ、〈特務〉Bクラス警備補佐官殿ですね。ケネス小隊隊長のナグモ・ケネス警備主査補佐官です」
 自分よりも三階級も、そして年齢も二周りは上の初老の人物に、二十歳そこそこの弥彦はふと、自分の血まみれで泥まみれの体の体を思い出し、ほんの少しだけ気にする。
 小隊長は、年齢的には〈E.A.S.T.s〉のクニミに近しいのだろう。しかし屈託のないクニミと違い、ケネスには滑稽なまでの拒絶の意思が見られた。それも不愉快な類ではなく、見ているこちらが首を捻りたくなるような、被害者意識にも似た拒絶だ。命令を受けた為に出向いただけであり、それ以上は関わらないという意思表示にも見える。そしてそれは、彼の小隊――〈特務〉である事を考えれば、流動し続ける小隊メンバーの中にも、同じように漂っている意思でもあった。よくも同じような人間がこの小隊に集まったものだと感心する。いや、集められたのかもしれないが。
 ケネスは軽く物思いにふける弥彦に気づいているのかいないのか、顔色一つ変えず、自分を見下ろす若者の顔を覗き込むように告げた。
「〈フィストドライブ〉を運搬しました、お確かめください。……ブレジン、アーガイル、コージ、出してこい」
 小隊長の丁寧な物腰には、逆に言葉にはないプレッシャーがあり、弥彦は身が引き締まる思いで彼の一挙一動に注目する。
 ケネスの指示で、戦闘を中断した三人がケースが運び出してくる。小隊のメンバーは当然ながら、弥彦も手持ちの大型拳銃で〈フリーク〉を牽制。
 重そうな三人の、もどかしいほどゆっくりとした動きは、ケースの外観を目にして合点がいった。射出用ケースに包まれていた為、通常よりも重量が増していたのだ。以前のように戦闘状態の外側から射出する必要性を考えての梱包であったのかもしれないが、もしかしたら〈特務〉の試作兵器の運搬とあって、完全に公開されるまでは秘匿するよう、簡単に開けられないようにする為の苦肉の策かもしれない。
 弥彦が波動認識錠に手をかざして点灯、解除させると、展開されたケースとその中身に、運搬してきた三人がうめいた。ケネスだけが冷めた調子で、日差しを受けて輝くその鈍色と、エメラルドグリーンの部品からなる巨大な手甲を眺めていた。
 弥彦は装着する前に一度だけ、自分の両腕とその指がきちんと動くかを確認。疲れや軽い痺れは残っていたが、全く動かないわけではない。少なくとも、弾丸を補充できなかった時のような強張りは解けている。
 同じくケースに収まっていたアイゼンをブーツの底に取り付け、作動状況を確認。弥彦のイメージに合わせて〈人格波動〉が変化するのを察知、アスファルトに爪を食い込ませる。二度、三度と確認。
「何度も使ったことがあるんだな?」
 ケネスの脇に控えていたもう一人の初老の男――弥彦は後に、ブレジンという名前であることを知った――が、腕組みしながら興味深々といった様子で〈フィストドライブ〉と弥彦を見比べている。
「テストも含めて、今回が八度目、ぐらいかな? 実戦でも使ったことはあります」
「あんたぐらいのガタイじゃなきゃ、使えん代物だな」
「私ぐらいの体格なら、〈特務〉だけじゃなく、〈軍部〉全体を見ればたくさんいますから」
「それでも、こいつはアンタの専用だと思うね」
「え?」
「戦闘でこんなバカデカイもの振り回す気を起こせるのは、〈特務〉の人間ぐらいだって事さ。そして〈特務〉じゃ、あんたみたいなガタイのヤロウはそんなにいないってこった」
 もちろん、会話の合間にも〈フリーク〉の襲来は続いている。ケースを運んだ二人の若い男たちは、応戦している仲間の能力者に協力して、〈特務〉の大型拳銃を構えていた。ブレジンもケネスをかばうように銃を構えていたが、自分の言葉に自分自身で満足したのか、一人で笑いを噴出した。それが呼び水となったのか、若い二人も笑い出す。
 そこでようやく、弥彦自身もからかわれたと察することができた。
 〈フィストドライブ〉が戦闘向きではなく、それを使う気になれるほど自信過剰だったり夢見がちなのが弥彦ぐらいなのだと言いたいのだろう。
「僕だって、命令だから使ってるだけですよ」
 轟音と怒鳴り声の響く中――もっとも、弥彦は先からそんな騒音ばかり耳にしていたから、ケネス小隊が交わす会話や戦闘音など、雑音とは思わなかったのだが――思わず素に戻って呟くと、ケネスがスッと手を伸ばして、弥彦に武器の装着を促した。
 ケネスだけは、小隊長として戦闘を傍観していたのだ。彼の能力がどんなものなのかわからないが、直前まで武器を手にとる必要がない能力なのだろうか? それとも、部下の護衛能力を信頼しきっているのだろうか。
 何はともあれ、彼の落ち着き払った言動は、ある意味、異常だった。
「部下の言葉は気にしないでいい。私は君が、〈特務〉がこんな武器を作ってまで、そして我々を護衛に付けるほど目をかけるに値する男なのか、そしてそれに値する兵器なのか、見てみたい」
 弥彦もその言葉に異存はない。馬鹿にされたと感じた怒りが、今の自分の外観や疲労を押し戻す。
 再び、あの女教官の言葉が脳裏に蘇る。
 笑え。笑え、笑え。笑われた分、笑い返してやれ。
 〈フィストドライブ〉に右腕を突っ込む。
 〈人格波動〉を読み取り、波動錠が解除される赤色ランプが点灯、オートフィット機能が作動し、読み取られた弥彦の〈人格波動〉、そしてその顔に浮かんだ笑みの根源を読み取り、金属的な雄たけびをあげて覚醒を告げる。
 ようやく手に入れた、取り戻した自らの武器に、弥彦は根拠がないといっても良い自信と、経験からくる安堵に包まれる。その快感が痺れとなって全身を駆け巡る。
 鋼鉄の拳を作って見せると、ケネス隊から驚嘆のため息が漏れた。
「右手、だけ? なんで? 他は?」
 すっとんきょうな若い男の声を背に、弥彦は黙ってその腕を伸ばす。二メートル強はある拳の先端に、出現した〈フリーク〉の後頭部をかすらせる。
 巨大な拳骨に削り取られた後頭部の傷も露わに、その老人の〈フリーク〉は地面に倒れ伏した。
「コージ?」
 ケネスの声に振り返ると、呼びかけに応じ一番幼い顔立ちの青年が――和政ぐらいの年齢だろうか?――引きつった顔で首を振った。
「〈人格波動〉は感じられます。けど、攻撃そのものは重さだけです」
 即座に〈フィストドライブ〉の攻撃力を分析したのだろう。
「ウソだろ、おい?」
 先に驚いていた男の声が、怒りさえ帯びて発せられる。振り返ると、この戦闘時にもかかわらず、上半身を支給されている黒いタンクトップだけですませている。そしてその両肩や首にいれられたタトゥー。
「あんな重いモン、一人で振り回せるわけねぇーだろっ!」
「やめろよ、アーガイル」
 分析した若い青年が制止したが、タトゥー男はこちらに向かって唾を吐いた。
「オレは信じないね。こんなイカサマ野郎と戦えるかってんだ」
 弥彦は一瞬、頭の中身が真っ白になった。
 一度だけ、その首を傾げてみる。
 何か、自分が酷く大きな聞き漏らしをしたんじゃないかという気分になったのだ。それとも、自分はここまで敵意を抱かせるようなことをやっただろうか、と。
 そして、そのまま、ため息。
 思い当たらない以上、そして周りの反応を見るに、どうも自分は何もしていないし、このアーガイルとかいう刺青男の方が突飛な話をしているようだ。分析男だけが顔をしかめている。ケネスたちに至っては、完全に無視している状態だ。
 どうやら、この刺青男は、この静かな小隊の中でも煙たがられている、三流の騒動屋であるようだ。
 となれば、答える方向性もおのずと定まってくる。
「……信じる信じないは貴方の勝手です。でも、これが〈特務〉におけるオレの能力でもあるんだ。変な言いがかりは止してください」
 怒りが〈フィストドライブ〉の稼働率を上げてしまったのだろうか? 一際大きく唸る手甲に気づき、自分の中の感情に気づく。
――笑え。こんな奴に怒っても仕方がないだろ?
 それよりも、やらなきゃいけないことは沢山あるはずだ。
 地面に差し下ろし、弥彦はアスファルトを掴む指の力だけで跳躍。小隊の装甲車を飛び越え、ケネス小隊の能力者二人の加勢に入る。
 〈フリーク〉の素早さに翻弄されていた二人に、弥彦が〈フィストドライブ〉の手刀で割って入り、〈フリーク〉のがむしゃらな攻撃を巨大な掌でガード。
 硬く分厚い手甲に攻撃を弾かれ、たたらを踏む〈フリーク〉。その姿を追うように〈フィストドライブ〉を振り回して牽制。三体の〈フリーク〉が避けた拍子にビル壁にぶつかった隙をついて、ケネス部隊の二人が頭部を吹っ飛ばす。それがどのような種類の能力によって行われたかまでを確認する暇はない。残った〈フリーク〉も、〈フィストドライブ〉の巨大な拳を突き出し、時には広げた指先で腕や体を吹き飛ばしながら、弥彦はケネス部隊の周りに群がりつつあった〈フリーク〉を、一時的にせよ駆逐することに成功した。
 そして、自分の中の疲労を押して湧き上がる自信と陶酔感に、暗示ではなく本物の笑みが浮かぶことを自覚する。
 ギルから与えられた力が、ケネス小隊を救う力となっている事実に、安堵と希望を見出す。
 そんな弥彦の歓喜をさえぎるように、助けられたはずのケネスが淡々と呟いた。
「呆れた」
 彼がどういう意味でその言葉を選んだのかはわからなかったが、顔色一つ変えずに呟くその姿は、冗談ではなく本気で呆れているのだろうと信じるに足りる姿でもある。
 一度考えるように頷き、そしてケネスは弥彦に再度頷いた。
「では予定通り、我々は孤立した貴公の部隊員救出に向かいます。貴方の護衛にはこのアーガイルがつきます」
「え、オレかよ?」
 アーガイルの抗議の声に、誰も耳を貸そうとしなかった。ゴーグルをつけた髭面がニヤリとし、もう一人のゴーグルをつけた細眉の男の肩を小突いたぐらいだ。小声での会話だったが、聞くつもりのなかった弥彦の耳まで届いてしまう。
「アーガイルがこのバカデカイ拳の護衛だなんて、ぴったりじゃねぇか? だろ?」
「バルドゥ」
 細眉の男はため息をついて諭す。
「思っていても言わないもんだぜ?」
「男バルドゥ、いつだって後ろめたい事は無しで生きてんだよ。アトウは後ろめたいことばっかりだから、眉毛が生えねぇんだよ」
「前半は否定しない。だが後半は思い過ごしだ」
 アーガイルはそれどころではない。ケネスの前に仁王立ちで、不機嫌を露わにしてみせる。
「なんでオレなんですか?」
 ケネスはジロリと、自分を見下ろして威嚇するタトゥー男を、逆に睨み返す。
「出世したいんだろ?」
「そりゃ、そうですよ。誰だって、組織に入れば出世したいじゃないですか」
「じゃあ、ギル・ウィンドライダーと仲良くなっておくことだな」
「ギル? あの『本庁の妖怪』?」
「そうだ。弥彦警備補佐官は、ギルの部隊直属の〈特務〉だ」
 アーガイルはしばらくの間、弥彦と〈フィストドライブ〉を何度も見比べて――そしてニヤリとした。
「……なるほど。ようやく、思い出した。ギルね。ああ……なるほど」
 何か良からぬことを考えたのだろうか? それともギルに何か思い当たる事柄でもあるのか?
 弥彦を見る目がなぜか小馬鹿にしたような視線へと変わり、弥彦はますます、彼の品格を疑った。ここまで、清々しいまでに〈特務〉の一員であることを疑われる人物もいないんじゃないかと思う。若いのに、老兵のような強かさと恥じらいのなさが、その原因ではないかと考える。
「了解した。そんじゃ、一緒に行ってやるよ」
 馴れ馴れしく〈フィストドライブ〉を叩き、さっさと弥彦を置いて和政=一裕の部隊が待つ方向へと、浮かれた足取りで歩き去ってゆく。
 弥彦の、返り血と汗と泥とで汚れきった制服を見ても、何も感じないのか。考えられないのか。
「弥彦・エンヤ警備補佐官」
 ケネスは硬い表情のまま、振り返る弥彦の目を受け止める。
 アーガイルが立ち去ったタイミングを考えると、ケネスが余計な聴衆の存在を意識した上で発言したいという意思ははっきりしている。
 弥彦は、先刻の初めて顔を合わせた瞬間の緊張を思い出し、もう一度、背筋を伸ばした。
「ギルとは、どんな人物ですか? ……どうも貴方は、私が想像していたような人物ではないとお見受けした。ギルの部下だというから、どんな男かと思っていたんだが――」
 口ごもるケネスだ。それは、ただの戸惑いとは思えなかった。間違いなく、その先を語るか語るまいかを迷った上での言葉の先送りであり、そしてそれは怒りを原因とする迷いであることも感じられた。
 それだけに、弥彦の方こそ――アーガイルの勝手な行動への狼狽も含めて――焦りを覚える。
「――と、おっしゃりますと?」
「彼のように独善的で、手段を選ばぬ血に飢えた男かと思ってたということだ。しかし、どうも……貴方の、その武器の使い方には、彼らしからぬ別の意思を感じる。先だって、真っ先に部下を助けてくれた。おそらく、ギルやアカデミーの連中は、そんな事を考えてそれを作ったはずがないからな」
「助けるって、そりゃ……当然じゃないですか? 同じ〈特務〉の人間を助けるなんて、当たり前過ぎて、意味がよくわかりませんが」
「だからこそ、あの男が貴方にその武器を託した意味がわからない。あの男の気に入る奴に、そんな類の人間はいないと思っていたからね」
 弥彦は、ケネスの頑固なまでの静かな怒りに、自分の中にも炎が灯るのを感じた。それを苛立ちと呼んでも良かったが、その言葉もしっくりくるものではなかった。ケネスの押し殺すような感情を尊重するからこそ、自分も冷静に、ケネスのイメージするギルの姿を断固、否定するべきだと思い直したのだ。
「ギルさんは、皆さんが思っているような人物ではないと思います。信念を持ってはいると思います。けど、それが私たちへの敵意になっているとは思えません。そう感じるのは、あの目のせいなんじゃないでしょうか?」
 あの、全身が震えだす目を思い出す。言いようのない恐怖が腹の底から湧き上がってきたあの瞬間。吸い込まれそうな、頭から飲み込まれそうな錯覚がありながらも、あの視線で脳みそを貫かれ続けているような圧迫感も覚えるあの瞳。何もかも笑って拒絶する目だ。
 それでもと、弥彦は思う。
「でもあの目は……あの人なりの、処世術だと思います。あの目の通りの人物なんだとみんな言いますけど、それでも、自分にはそう思えません。自分には――」
 ケネスは黙って手を挙げた。その制止の合図に、年配の男の確固たる否定が全て現れていた。
「行きたまえ。私の部下が、待ってる」
 先に進んでいたアーガイルを振り返ると、背後からケネスの呟きが耳を撃った。
「私の家族はみんな、ギルに殺されたんだ」
 視界ではアーガイルが呆れた様に、動かない弥彦を睨んで唾を吐いていた。だが、それどころではない。
 見ている景色を解析する余裕もなく、脳裏では今まで見てきた悲惨な〈フリーク〉の死体がフラッシュバックする。
 この事件の発端となった、壁に張り付いた人型の皮も思い出す。もちろん、それがケネスの家族でありようもなく、ましてやギルが始末した死体でないことはわかっている。
 それでも弥彦は、その記憶の中の死体から目を逸らせず、そして、つい先に思い出していたギルの瞳を思い出す。
 そして、今――もしや弥彦の見えぬ死角では、その唾棄すべきギルと同じ目をしているんじゃないかと疑いたくなるような、冷たいケネスの囁き。
「奴の道具を運んで、奴の子飼いの君を助ける事になるなんて、皮肉な事だな」
 〈フィストドライブ〉で高揚していた気分が、冷や水を浴びせられたように凍りつく。喘ぐように息をつきながら、努力して振り返る。
 ケネス隊は既に、次々と装甲車に乗り込み始めていた。ケネスは既に乗り込み終えており、窓から弥彦を眺めている。若い女性の〈特務〉が乗り込むのを待っていた青年が、心配そうにアーガイルを眺め、そして弥彦へ視線を移した。
 〈フィストドライブ〉を分析していたその青年は、一度だけ不思議そうに弥彦を眺め、そして首を捻り――車両に体を押し込める。
 弥彦は彼らの車両が走り出すまで、呆然と見送るばかりだった。



 新しくやってきたのは、黒と金の〈軍部〉士官の儀礼服を身にまとった、細長い男だった。
 木伏は酒上誓子に赤いカマキリのイメージを重ねていたが、こちらは黒いナナフシのようだ。軍人であるのだろうが、体格が細く、そのクセ背ばかりが高いので、どうしても貧弱なイメージがある。
 顔にはどこかはにかむような、気弱そうなところがあり、この点においても誓子とは正反対だった。
 だがそんな繊細そうな顔かたちには似つかわしくない、准将の階級章が胸元に光っている。
 この屋敷の本当の主であるはずの男は、まず、リビングに集まった大勢の人々に驚き、足を止めた。手に持っていた礼装用の制帽を一、二度、仰ぐように動かして、次いで、自らの伴侶の姿を探して瞳をさまよわせた。
 途中、ギルのところで目が釘付けになる。
 その顔が、先の驚きから強張り、血の気が引き、哀れなほど狼狽し、その狼狽すら恐れるように息を殺して動かなくなる。
 木伏は、初めてギルと対面した時、自分がどのような顔をしていたのかに気づかされたような気がした。
 男の、観念しきった小動物のような行動停止の状態にもかかわらず、ギルはその目を逸らしたりはしなかったのだろう。息が詰まるような数十秒が過ぎたところで、ようやく、声がかかった。
「先生、私の主人で遊ぶのは止めてください」
 酒上がゆっくりと立ち上がり、立ち尽くす黒いナナフシに近づいていった。
「しっかりして。この状況の中、私たちに何かすれば一気に国際問題になるんだから。誰も、何もできないに決まってるじゃない」
 その言葉に我に返ったのか。ナナフシ男は取り繕うように、手にしていた制帽を被ってみせた。
「だけどね、誓子……か、彼が、君の、例の先生なんだな?」
「そう。言ってたとおりの人でびっくりした?」
「すぐに、わかった」
 酒上誓子は夫の腕に自分の腕を絡ませ、更に夫の手をとって自分の手を組んだ。仲むつまじい夫婦の立ち姿で、二人はその場の皆に向かって姿を見せ付ける。
「こちらが私の夫の酒上生《さかがみしょう》。一応階級は准将だけど、参謀本部の特殊戦力運用班を取りまとめているから、みんなの思うようなタイプの軍人ではないでしょうね」
 普通の軍人ではないとなると、士官学校あがりの、エリートという意味だろう。参謀本部に所属しているということは、戦場に出たこともなく、情報戦や分析を専門としている技官ということか。
 生は、妻の紹介や手を握られて勇気づけられたのか、落ち着いた――どこかおっとりとした様子で、軽く会釈をした。
「皆さんの事は存じ上げております。お目にかかれて光栄です」
「私たちを知ってるだって? 敵って意味でだろ?」
 トレイルが鼻で笑うが、生は笑みとも呼べないほど小さく引きつった唇の先で応じた。
「家内から聞いてるだけです。私は技術士官ですので……お恥ずかしいことながら、政治のことはさっぱりでして。でも――」
 ちらりと、〈西方協会〉のミツヤに目をやった。
「今起こっていることは、把握しているつもりです」
 ミツヤは生の視線に気づいて肩をすくめて見せた。真顔とも呆れともつかぬ顔で。その反応に対し、生も思うところがあったのだろうか。黙って巨大モニターのリモコンを手にし、画像を切り替えた。
 様々な路地で行われている、戦闘中の〈特務〉の面々を映し出す。一つを拡大させた。
 比較的整然と行われている戦闘風景だ。円陣を組むように、〈西方協会〉と〈E.A.S.T.s〉が肩を並べ、外側からやってくる〈フリーク〉を迎撃している。その中心には医療班らしき数名の姿も見えたが、何よりも特筆するべきは、空中に張り付いた光の模様に手を伸ばす、黒服の男の姿だった。
「先程、一度、魔術を解いて倒れました。すぐに立て直しましたが、空間閉鎖魔術を維持できるのも、もうすぐ限界でしょう」
 「だらしない」と呟いたのはトレイルだ。
「大方、魔術師が〈フリーク〉を直接攻撃すると空間断層にヒビが入るからって、表層断層周辺を歪めて、中に押し込んでるんだろ? そんなの、素手で水を掬い続けているようなもんだ。そんな事をするより、〈フリーク〉のクロッフェン核をキーリング飽和で自壊させちゃえばいいんだ。じゃなきゃ、〈フリーク〉の個別認識を無視して、元型を断層封印すればいいのに。下手に〈フリーク〉の〈人格波動〉を保持してやろうとするから、魔術要素が自然解除されるんだよ。アキオなら、できないはずはないんだけどな。なんであんな無駄なことをして、体力使ってるんだか。理解に苦しむよ」
「アキオは、貴方が思っている以上に、完璧主義者なんですよ。本人も気づいてないんでしょうけど」
 ミツヤはモニターの中の同僚に目を細めながら、平板な口調で応えた。
「自分の信念を曲げてまで、楽な道を選んだりはしない。仮に自分がダメになっても。彼の事だ、〈フリーク〉でも元は人間だし、人間としての姿で死なせてやりたいんでしょう。確かに貴方のいうとおりの方法もありますが、それでは遺族に死体も残らないし、〈人格波動〉の残留物も残らなくなる。〈人格波動〉のない肉片は、波動の概念が認知された昨今、ただの物質と同意義です。遺族も納得しないし、死者も特定できない。肉片のDNAだけなら、簡単に複製が作り出せますし、一番確実な個人情報は、結局のところ、〈人格波動〉ですからね。それがわからないなんて状況を作りたくないんですよ、彼は。遺族が魔術を理解できない一般人なら、尚更です」
「相変わらず、甘いねぇ。〈西方協会〉はあんた達の代で、完全に堕落したよ」
「人間的であることを堕落と呼ぶならば、我々はいくらでも堕落して見せます。トレイル師、貴方こそ〈十二師〉として、我々と共に堕落するべきです」
 機械的にトレイルを咎めるが、表情は硬い。トレイルがミツヤの反応を伺うようにたっぷりと間をおき、そしておもむろに鼻で笑ったが、その表情が変わることはなかった。
 木伏には当然判断できない魔術の話であり、理解しがたかったが、おそらくアキオの状況は非常に切羽詰ったものなのだろう。
「政治のことはさっぱり、と言ってたな」
 ギルが目を閉じて俯き、見えないはずの自分の靴を気にするかのように、爪先を前後へ動かしながら呟いた。
「今、このタイミングでこの情報を持ってきただけで、上出来だ。変に希望的な計画を立てずにすむ」
 生は妻と手を握り合ったまま、ギルの姿すら目に入れようとせずに「ありがとうございます」と応じた。
 無礼とも取れる態度だが、まだあの眼光に怯えていると思えば仕方ないだろう。
「技術士官だと言ってたな。なら、これから面白いことが始まるはずだ」
 ギルは俯いたまま、モニターを指差した。
「FD−003〈フィストドライブ〉をしっかり見るといい。お前たち〈軍部〉の技術者やアカデミーが見落としている現実を、確認することだな」







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