R-T-X 「6・戦士と青年(下)」
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突然途切れた三条との回線に、ギルはゆっくりと腕を組んだ。
「ほぉ……予想より早かったな」
木伏は床から、そっと体を起こした。
先に殴られた時の恐怖が体の芯をガチガチに凍らせている。膝が笑ってうまく立ちあがれない。ギルの机に手をついて立ちあがる。そこには大きな手の形にくぼんでいた。先刻、弥彦が机を叩いた時にできたくぼみだが、もちろん木伏はそんな事を知らない。その不自然な凹み方に妙な不安を抱いただけだ。
「一体―― 一体、何が起こってるんですか?」
ギルは木伏の問いに答えずしばらく考えた後、再びゆっくりとした動作で腕を解いた。端末の上に素早く指を走らせる。次々と開かれてゆく画面の様子から見るに、なんらかのハッキング行為を行っているのは確かだ。
木伏は考えるよりも早く言葉を口にする。彼への恐怖が自分の口を封じるより早く言ってしまおうとした、一種の本能だったのかもしれない。
「こんな、のんびりしてる場合じゃないでしょう? 〈特務〉の無線が壊されるなんて異常です、早く現状の確認をしましょう」
「怖くないのか?」
――え?
「私が怖くないのか? たった今お前を殺そうとした男だぞ? それに言ったはずだ。お前達の意見は聞かん」
木伏はキーを叩き続けるギルの横顔を見つめる。皮肉げに歪められたその横顔からは、彼が一体何を言いたいのか量りかねた。
「……貴方は――」
木伏は口を開いたものの、何を言えばいいのかわからなくなる。
「――弥彦くんが言ってました。三条さんを見ていると、そんなに悪い人ではないかもしれないって。……弥彦くんに何を吹き込んだか知りませんが、貴方に心酔してるようでした。私は、貴方を信じたりはしませんけど、貴方を信じようとする弥彦くんを信じてみようかと思います。だから……怖くない、と――そう思いたいです」
――嘘ばかりだ。
本当は怖い。早くこんな所から逃げ出してしまいたい。
自分の中から恐怖を引きずり出してのけた彼の目を、もう二度と見たくない気持ちで一杯だ。
――でもなぜだ?
なぜここにいるのだろう?
木伏はギルに殴られたばかりの頬を押さえながら考える。
白衣の男の正体は、知れば知るほど不透明になってゆく。
――たった数十分の間に、自分は何を知ったのだろう?
今日一日だけで、この男の何を知ったのだろう?
どうして自分は、この男について知りたいと思っているのだろう?
〈赤目のフリーク〉、〈西方協会〉、〈マスター・フリーク〉、ディメンションダウン……自分の知らなかった言葉に取り囲まれて生きているこの変人に、何をしようとしているのだろう?
――彼の正体を知りたいだけ。
なぜ?
ギルは「それを知る時はお前が死ぬ時だ」と、ついさっき宣言した。
逃げ出したいほど怖かった。本当に殺す気だとわかっていた。それでもなぜ、自分は今、彼の側にいるのだろう?
――わからない。
わかっていたら、とっくにこんな場所にはいないんじゃないだろうか?
こんな地中深くにある棺桶のような部屋。
「私が?」
横向きの顔の眉が、嘲りに跳ねあがる。
「私が悪い人じゃないと? おいおい、人体実験に使われているというのがまだわからんのか、アレは。アイツは本当に、天然記念物モノの男だな。ククク……絶滅寸前のイキモノは嫌いじゃない。どこかの気の強い行き遅れ女よりよっぽど安全だしな」
「……」
「尚起の無線は壊されたが、弥彦のは無事らしいな。なら大丈夫だろう。あいつらは私の知る限り、良くも悪くも最高級の戦士だ。少なくとも気持ちだけはな。心配するなら……今は弥彦だけだろう」
ギルは突然立ちあがり、白衣の襟を正した。
「ついて来い。ヤツらの援護に行く。標的は弥彦・エンヤのドッペルゲンガー、我々は〈フィストドライブ〉を本体である弥彦に届ける。後はヤツの自由だ。殲滅しようが〈フリーク〉化しようが自由にやらせる」
「え? ヤヒコって――あの弥彦くん、ですか?」
「他に〈フィストドライブ〉を付けられる弥彦はいないはずだぞ?」
――弥彦くんが? どうして?
出撃前に見せる、ストイックな笑顔が脳裏をよぎる。
柚実について三条に語ったように、木伏は能力者となる事に利点を見出す事のできない者の一人である。今どき二重現身で能力者になる者も少ないというのに、そんな危険にさらされる者が身近な弥彦であったという事が信じられない上に、今後の事を思うと無償に腹ただしかった。
「さっさと準備しろ。途中で協力者と合流し、状況説明を行う。いいな?」
「はっ!」
ギルは怖い。
だがそれ以上に――安心できる何かがある。それは世界が滅んでも生き残ってそうな、そのふてぶてしさなのかもしれない。その知識量や見た事はないものの〈フィストドライブ〉を作る技術、佐々木柚実への適切な指示といった医者としての技量もある。
――彼を信じると?
信じられない。だが弥彦を助けてくれるかもしれないという希望は持てる。彼の自信に満ちた態度とその見下す笑みが、何か手を打ってくれるんじゃないかという希望になっているのは確かだ。
木伏が拝命に対して敬礼を返すのを見届ける事もなく、ギルは足早に部屋を出てゆく。木伏も急いでその背を追った。
ガラス壁にヒビがはいり、数十秒も経たないうちに砕け散った。
降り注ぐガラスの破片の中、佐々木柚実は自分の身をかばって頭を抱える。
――何? 何が起こったの?
目を覚まして、病院だと教えられて……どうしてここにいるのか、未だによくわからないというのに。
幸いな事に、壁に使われているほどに分厚いガラスだ。その重さも手伝ってか、柚実の体に降りそそいだ量は想像よりもずっと少なかった。
飛びこんできた鉄球のような黒い塊は、床をゴロゴロと転がると壁に激突して止まった。体中に突き刺さったガラスや床に散乱した破片をガシャガシャいわせながら、〈特務〉のジャケットを着た青年が立ち上がろうとする。
――と、その額からボトボトと音を立てて零れ落ちる血潮。
「……大丈夫か? 怪我は?」
柚実は頷いた。相手の方がよっぽど酷い怪我だ。いてもたってもいられなくなり、柚実はベッドから降りる。幸い、すでに自分のスニーカーが届けられており、それを履いてしまうと凶器の散らばる足元を気にせずに動く事ができた。
「俺の事はいいから、早く逃げろ。巻き込まれるぞ」
「でも――逃げるって? 一人で?」
柚実は男の二の腕をとった。
「逃げるなら一緒じゃ――!」
彼女の手の中で何かが弾けた。そして何かが彼女の顔に飛びかかる。
「……え?」
生暖かいそれは、柚実の想像した通り、赤い液体――大量の血。
「ちくしょうっ! あの変態医者、これだからヤブだってんだよ!」
青年は、肉の弾けた上腕部を抱え込むようにしてうずくまった。
「ちくしょう……ちくしょう……っ!」
次々と、青年の肉体のあちこちが内側から弾けとぶ。何が起こっているのかわからない。わからないままに彼女は傷口を自分の手で塞ごうとした。
「な、な、な――」
彼女は「なんで」といってるつもりなのに、言葉が続かない。
「傷が開いちまったか。応急処置だモンな、今まで持ってた方が奇跡だ。……ごめんな、お嬢ちゃん、いらねぇ心配をかけちまって」
血を吹き上げながら、青年は体を震わせる。痛みなのか痙攣なのかわからない。だが、真っ直ぐに自分の目を見つめてくるその瞳は、怯える彼女を気遣っているのがはっきりわかるほど優しく細められていた。
「大、丈夫、なの?」
「さあな……ちくしょう、やっぱ痛ェや」
このまんまじゃ始まっちまうなと、青年は苦笑い。
なんの事だかわからないまま取りすがっている彼女の手の中で、再び青年の体が生き物のように動き出す。青年もぎょっとしたように動きを止める。
だが体の部分部分の動きは止まらない。
「ダメだ! こんなトコロじゃダメだ、ダメだ、ダメだ!」
グッと、青年の瞳が見開かれた。眼球が零れ落ちそうなほど、大きく。
そしてその瞳が、端から徐々に染まって行く。
彼の流している赤の色に。
うめきながら、青年は目を隠そうとした。そして言葉を吐き捨てる。
「こんなんじゃ――前と同じじゃねぇか、誰も守れねぇじゃねぇかよっ!」
弥彦は目の前に転がっているガラス片を見つめる。べっとりとついた赤い血の色。
――ウソだ。
顔を上げると目の前には自分が、破壊したガラス壁から手を引き抜いているところだった。
「三条さんっ!」
応えはない。あったのかもしれないが、聞こえない。
――やられた?
三条が――柚実のドッペルゲンガーを素手で撃退した三条がやられた?
弥彦の中で何かが切り替わる。浮き足立っていた心の中の何かが、さっと引いて行くのがわかった。顔が引き締まる。奥歯を噛み締めて、弥彦は偽者に対峙する。脳裏を様々な情報が駆け巡った。
これは自分のドッペルゲンガーだ。〈特務〉のマニュアルどおりであれば、コイツは本体である自分をどこまでも追って捕食し、自分の身を補完しようとする動く〈人格波動〉の塊。
普段、二重現身は見る事のできない存在だ。佐々木柚実の二重現身が学内において誰にも認識されなかったのは、それが〈人格波動〉の塊であり、〈人格波動〉を操る事ができる者や〈人格波動〉を見る事ができるよう何らかのサポートを受けている人間でなければ見る事ができないからである。
救出に入った際、弥彦が柚実の〈人格波動〉を見る事が出来たのは、〈特務〉内で能力者以外に配給される薬物の効果でしかない。そして今、不幸中の幸いなのは、ここが〈特務〉専用病院である為、弥彦の〈人格波動〉を見る事が出来る者が多数いるという事実。主な避難は病院関係者達に任せておけるだろう。
相手の標的である自分は、自分の成すべき事だけを考えればいいはずだ。
ドッペルゲンガーから逃れる方法は二つ。物理攻撃または〈人格波動〉攻撃による余剰人格波動《二重現身体》の拡散によって波動数値そのものを弱め、自分の中に取り込みなおし――場合によっては能力者となるか。同様の手段によって完全に波動を拡散、殲滅させる事によって、「普通の人間」を保つのか。
どちらにしても、現時点において「もう一人の自分」との対決は避けられない。
手持ちの武器はスタンロッドと標準装備の大型拳銃、両者とも対人用でしかない。ドッペルゲンガーや〈フリーク〉を相手にするには心もとない兵器だ。
ゆらゆらと歩み寄ってきた弥彦の偽者が、彼の間合いに足を踏み入れる。
ドッペルゲンガーが拳を振り上げた。三条によって折られ、ガラス壁に叩きこまれた後である右の腕は、砕けた骨の並びにそって歪んでいた。だが元が弥彦の巨体な分だけ、その一撃には大きさだけで気迫と勢いを帯びている。
弥彦はぼんやりと、自分の攻撃もこんな風に見えるのかなと考える。こんな風に迫られては、なんの心得もない人間にとっては戦車なみに恐ろしく見えるのかもしれない。
相手が自分より筋力のあるドッペルゲンガーだとわかっている弥彦は、初めて自分が一般人にとってどう見えるかという事を理解できたような気がした。
ただし、その想いも一瞬にして霧散する。
――そのパンチ、隙だらけだぞ?
武技教官が見たら怒鳴り散らされるだろうなと、こんな事態にもかかわらず弥彦は苦笑する。本能的に戦うドッペルゲンガーは、白兵戦を専門的に訓練された弥彦にとって、ある意味において敵ではないのだ。
突き出された腕をかいくぐり組みつく。微妙に崩れたバランスにあわせて足払いをかけると、二重現身は面白いように床に転がった。スタンロッドでこめかみを殴りつける。痙攣する自分と同じ体に向かって、弥彦はスタンロッドを振り下ろした。何度も何度も。
それはほとんど作業だった。スタンロッドそのものを二重現身の体に叩きつける事で壊そうとしているような錯覚が弥彦を襲う。
――相手は化け物だ。
数日前に見た〈赤目のフリーク〉の姿が脳裏に蘇った。あの時の、見るはずのない物を見た恐怖が、不意に弥彦を絞めつけた。
見るはずのないもの?
見るはずのない自分の姿がここにあるというのに、見るはずのないものなんてあるんだろうか?
ボコボコに折れ曲がったスタンロッドが放電を止めた。勢いで振り下ろした弥彦の手の中に、スタンロッドがうずくまったドッペルゲンガーの体に当たって砕ける衝撃が伝わってくる。
動きを止めた〈フリーク〉から顔を上げ、弥彦は急いで辺りを見まわす。
相手はまだ原形を保っている。弱体化したとは思えない。動かないでいるのはこちらの様子を見ているだけだ。避難なり移動なり判断するには、今しかない。しかし入院患者の数名は避難や他者の非難誘導などを行っているが、現状が認識できてない看護婦や重症患者たちの避難までは手が回らないでいる。
弥彦はここで戦闘を行うのは得策ではないと判断、この周辺地域で戦闘に適切な場所はないかと記憶をさらいながら、手元にある無線で木伏に連絡をとろうと試みる。現在の直接の上司は木伏なので、彼女とはボタン一つでホットラインがつながるようになっているのだ。彼女の『無意識の目』に探してもらおう。とりあえず、この狭い廊下で武器もなく戦うのは無謀過ぎる。
ホットラインが繋がったブザー音に、弥彦は叫ぶ。
「木伏さん、俺です。 今、俺のドッペルゲンガーが出現しました!」
『弥彦くん?』
木伏の声が引きつっていたのが気になったが、弥彦は続けてまくしたてた。
「病院にいるんです、どこで戦えばいいのか誘導してください。早くっ!」
『ちょっと待って……』
足元に転がっている二重現身が動いたような気がして、弥彦は〈特務〉用大型拳銃を抜いた。弥彦の〈人格波動〉に反応した波動認識錠が点滅、セーフティーが解除される。
その瞬間、弥彦の両の足首に激痛が走った。
足首を掴んだドッペルゲンガーが、弥彦の体を引き裂こうと腕を広げようと筋肉を膨らませるのが見えた。
「この……っ!」
弥彦は手にしていた拳銃を偽者の手首に向けた。ポイントを合わせる余裕はなかったが、四発目そして五発目の弾丸が偽者の左手首を砕き、手首が千切れ飛ぶ瞬間が目に入った。そして外れた弾が穴だらけにした跡の残る床を認識した途端、弥彦の体は三条に投げられた時のように再び宙を舞った。真っ二つに引き割こうと左右に引かれた腕の一本がなくなった為、弥彦の体が腕一本で振りまわされたのだ。
「!」
弥彦は三条が叩きこまれた――そして佐々木柚実のいた病室に投げ込まれる。壁のガラスは三条が叩きこまれた時に粉砕されており、弥彦は真っ直ぐに、病室の中に転がり込む。
――まったく、今日は投げられてばかりだ。
まるで古柔術を習い始めた初日みたいじゃないか。
無意識に受身を取っていた弥彦は、その勢いのまま体を起き上がらせる。病室の中には体を起こそうと震えている血まみれの三条と、その体に取りすがってガタガタと振るえている柚実がいた。
「だい――」
大丈夫かと言いかけて、弥彦は言葉をつまらせた。
三条の目が、真っ赤に染まっていたからだ。
真っ赤な宝石のようにギラギラと輝く瞳。
彼の体に取りすがっている柚実は、振るえつつも、恐怖に動けないでいるようだった。そして、弥彦も動けなくなる。
「赤目の……フリーク……」
弥彦は思わず口をついて出た自分の言葉に戦慄した。
三条が〈赤目のフリーク〉?
「お前は――」
三条が連続殺人犯? 自分が見た逃亡する者が三条?
脳裏に死体の映像が浮かんだ。皮ばかりになった被害者と、飛び散った血の壁。
被害者がどんな思いで死んでいったか――何を思う事も無く、一瞬に死んでいっただろう、その無念を思うと――日常的に危険に身を置いている弥彦にはたまらなかった。
死ぬ時ぐらい、自分の人生を振り返りたい。その時ぐらい、自分の人生をよかったと思ってやりたい――そんな風に思っている弥彦は、少しおかしいのだろうか?
その機会すら、あの被害者の女性には与えられなかったのだ。
そして、目の前にはそのチャンスを与えなかった者がいる。あの被害者の人生を踏みにじった者が。
そしてその相手は……たった今まで、自分達の味方のようなフリをして生活していたのだ。自分達と共に行動し、自分の犯した犯罪をなにくわぬ顔で調査し、その罪を忘れたかのように被害者の死に様に心を痛めたフリをして。
一瞬だが、弥彦は自分を放り投げた敵であるドッペルゲンガーの事を忘れた。騙されていたという怒りが脳裏を焼き尽くす。
「良くもぬけぬけと、俺の前にっ!」
駆け寄った弥彦は、柚実の体を引き剥がした。超のつく至近距離で、手に残っていた大型拳銃を三条にポイントする。未だに体を起こそうともがいている三条の背に向かって。
はずしようのない距離。
「――っ!」
柚実が何か、金切り声で叫んだ。やめてといったようにも聞こえたが、弥彦はあえて無視した。
「やめてよ、違うの、この人違う! やめて、やめてぇ――ッ!」
弥彦は拳銃の引き金を引き絞った。反動の重い衝撃が立て続けに弥彦の手首を襲う。
だが弥彦は目を見張った。
「そんな、バカな!」
三条の背中の直前で、ひしゃげた弾丸が宙に浮かんでいた。空中で銀色に輝く光の塊が、金色にコーティングされた鉛弾を受け止めているのだ。
弥彦の記憶がめまぐるしく引き出されていくが、〈フリーク〉にこんな能力があるとは〈特務〉のマニュアルにも載っていない。
肩で息をしている三条に、引き剥がされていた柚実が再びしがみついた。
「やめてって言ってるでしょっ!? どうして撃つの!?」
『ただの女子高生?』クククとギルは喉の奥で笑う。
『思い出せ、弥彦・エンヤ。お前が駆けつけた時、あの女が何をしていたのか、な』
佐々木柚実は――もう一人の佐々木柚実に殴られていたのだ。弥彦を片腕一本で投げ飛ばす化け物に。
『お前は気がつかなかったか? 銀のカードに』
『……見ました。薄い銀のカードが、ドッペルゲンガーの拳を受け止めていました』
そう。彼女が助かったのは、銀のカードが宙に浮かび、化け物の拳を的確に受け止め続けたからだ。
『あれは、あのお嬢ちゃんがやった事だ』
『え?』
『あれをやったのは、あの嬢ちゃんだ』
弥彦は信じられない思いで、目の前の少女を見下ろした。
「まさか……君が、やったのか! どうして!?」
前回はギルが渡しておいた謎のカードのサポートがあったからこそ、〈フリーク〉の拳を止められたと思っていた。
だが今、彼女は何も持っていない。そして、まだ能力者として目を覚ましたばかりの不安定な精神状態なのだ。能力の発動事態、難しい状況のはずなのである。
それなのに、彼女は弾丸を止めてみせた。
何のサポートも無しでこれだけの至近距離から放たれた大口径用の弾丸を受け止めるだけの能力を有している能力者など、数も限られてくるという事を――この少女は知らないだろう。
――佐々木和政の、双子の妹……。
弥彦の中に、戦友と呼びたくも無い男の姿が浮かぶ。
淡々と、苦痛にわめく戦友や命乞いをする敵兵を無視して作戦を進めて行く彼女の兄の姿。
――どうして?
どうして彼らは自分の邪魔ばかりするのだろう? 守りたい時には殺し、殺そうとする時には防いでみせる。兄が殺す腕なら、妹は守る腕なのだ。
弥彦は運命というものを垣間見たような気がした。自分は永遠にこの兄妹に振り回され続けるのかという恐怖。理由も無く生じた直感には、大きな説得力が秘められていた。そう、この目の前で起こっている事実がその裏づけになる。
混乱する彼を睨みつけながら、柚実は怒鳴った。
「どうしてかなんてわからないよ。でもやめてって言ったじゃない! そっちこそ、どうして撃つの!?」
どうして?
どうして撃つの?
――それはお前のアニキに言いたかったよ!
どうして敵だからといって、平気な顔をして人を撃てるのだろう? 必死で生きようとしている姿を、どうしてあんな風に打ち砕く事ができるのだろう?
自分は違う。
――本当に?
今、撃とうとしているのは何だったっけ?
「コイツは敵だ、バケモノだ! だから撃つ、それだけだ!」
言い捨てておいて、弥彦は廊下で立ち上がったドッペルゲンガーに目を向ける。同時に銃口を向けて引き金を引く。弾が切れるまで撃ち続けたが、弥彦の偽者はただよろめくだけだった。破壊された体は激しく損傷しているが、動きを止める気配は無い。
ドッペルゲンガーと三条尚起という〈フリーク〉――二つの敵を前に、武器を無くした弥彦は舌打ち。
こうなったら、少しでも距離をかせぎ、木伏達の応援を待つしかない。
逃げるのだ。ドッペルゲンガーは自分しか追いかけてはこない。柚実の身は安全だ。〈赤目のフリーク〉が柚実をどうするかはわからないが、現時点では動く事すらままならないヤツだ、戦闘不能だと判断しても良いだろう。捕獲したっていいかもしれない。あの伝説の妖怪だ。アカデミーがいろんな形で処分してくれるに違いない。
弥彦が逃走経路を確保しようと振りかえった時だった。
「おおっと、そこまでだ」
響き渡った男の声に、その場が凍りついた。
いつの間に?
その場にいた全員が思ったに違いない。
部屋の片隅に、体をわずかに浮遊させながら一人の男が立っていた。ロイド眼鏡に黒いスーツ姿。木伏がこの場にいたら、ミツヤの着ていたスーツと同じ型だと証言できたかもしれないし、その眼鏡が伊達眼鏡なのだと看破できたかもしれない。どこか現状を楽しんでいるような笑みで一堂を見まわすロイド眼鏡は、血まみれの三条に目をとめた。
「あんたが〈赤目のフリーク〉か? おいおい、酷い有り様だな。ギルの薬が切れたのか?」
「……〈西方協会〉……っ!」軋るような声で呟く三条。
その反応に肩をすくめる〈西方協会〉の男。
「そう警戒するなよ。俺は〈西方協会〉のアキオだ。ギルの要請で、あんた達を戦いやすい場所に移動させる為に来ただけさ。そこで生き残れたら、それから話をしようぜ、〈赤目〉さんよ。生き残れなきゃ話になんねぇだろ? な?」
ロイド眼鏡の男は、パチンと指を鳴らした。
「さ、リングにあがりな。第一ラウンド開始、みんなゲームを楽しもうぜ」
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