R-T-X 「6・戦士と青年(上)」
←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1 | 13-2


 〈特務〉Aクラスの仕事は、外界からの敵に備えての警備である。
 国外のある抵抗組織からの攻撃は、小競り合いに過ぎないが長年続いており、〈軍部〉はそれに対抗するべく各地に防衛線を設けている。その要となる小基地の一つ。
 ロビーには兵士達が集まり、ちょっとした盛り上がりを見せていた。今日は郵便物がまとめて届けられたのである。親しい者達からの手紙や贈り物に、兵士達は一喜一憂していた。
 佐々木和政は一通だけ届いていた手紙に目を通す。彼に手紙が届く事自体が珍しかった。完全に家族からの連絡を絶ち友人らしい友人を作らずに生活してきた和政にとって、手紙という物は指令書や連絡メモのようなものでしかない。
 〈特務〉専用医院からの手紙は、彼の双子の妹が入院した事、命に関わるかもしれない事、能力者となりうる可能性がある事などが、そっけない悔やみの言葉と共に述べられていた。
 和政は三度、それを読み返す。
 妹の姿を思い出そうとしたが果たせなかった。今の妹の姿を思い出そうとしてもできなかった。
 あいつには普通の生活をさせてやりたかったな――和政はぼんやりと、遠い昔に決意した言葉を思い出す。
 両親がテロに巻き込まれて死んだ事実も、あいつはまだ知らないんだろうか。兄が復讐の一心で〈軍部〉に来た事も知らないでいてほしい。その兄の仕事に巻き込まれない為にも連絡をとらない事は察してくれているだろうか?
 彼女が心配だといえば嘘になる。ほとんど覚えていない他人のような妹を心配しろという方が難しい。〈特務〉の一員として数多くの能力者を見てきた和政としては、見知らぬ女が能力者になるかもしれないと聞かされ「これから大変だろうな」と思う程度の話なのである。
 和政はそっと手紙を捻りつぶすと、事務員達の元へ向かった。
「すいません、これ、捨ててください」
 事務所にはシュレッダーがある。機密文書の処分の為、市販されているシュレッダーなど比べ物にならないほど、細かく裁断し焼却するシステムになっているのだ。
 事務員は不思議そうに、手紙を受け取った。差出人が病院からだと悟った事務員は
「家族からの手紙じゃないのか? いいのかい? お見舞いに行くとか、なんなら手続きを――」
 和政は食い下がろうとする事務員の言葉を遮った。
「手違いです。自分には家族などいませんから」
 和政はそのまま、ぽかんとする事務員を背に自室に向かって歩き出す。三時間後には歩哨の交代時間だ。今のうちに休んでおくつもりだった。



 〈フリーク〉――つまり三条尚起は、巨大なガラス窓の向こうに見える病室を眺める。
 隔離された部屋の中では、佐々木柚実が静かに眠っていた。分離した〈人格波動〉が本体――柚実自身の体に戻った反動が、未だに抜けきれないのだ。同じような経験をした者は、大抵回復期において茫然自失の状態が続き、筋道だった思考や記憶の再現が出来ない。柚実にもそれらの兆候が現われていた。隔離されているのは〈フリーク〉化した時に備えてであり、また、彼女を貴重な実験データとして扱うギルの方針によるものである。今この瞬間にも、ギルのいる〈軍部〉本庁地下八階に向け、彼女の身体データが転送されているはずだ。
 彼女の今後がどうなるのか。それはまだわからない。一つわかっているのは、彼女の未来は救助作戦の責任者であったギルが握っているという事実だけだ。彼女の将来は『現代の錬金術師』の手にある。
 木伏はそんな彼女に自分の姿を重ねているのか、随分と心配していたが……今の三条尚起にできる事は何一つとしてない。
 三条はため息をついて、ガラス窓にぼんやりとうつる自分の姿に目をとめる。
 自分の時はどうだったのだろう?
 覚えていない。
 能力者としての目覚めは『第二の生』に例えられるほど、それまでの人生との隔絶を余儀なくされる。このたとえの言葉は、この時のぼんやりとした記憶の時間が、赤ん坊として生をうけた状態に似ているからかもしれない。
 〈フリーク〉としての最初の記憶は、暗く低い野戦病院の中だ。


 見上げた天井と、澱んだ空気に充満する沢山のうめき声。動かない体を無理に起こして周りを見まわすと、沢山の負傷兵の姿があった。『一般市民であった自分がどうしてこんな所に?』――そんな事を考えた矢先に、自分に襲いかかってきたもう一人の自分、ドッペルゲンガーの事を思い出した。二重現身に喉を締め上げられた後の記憶はない。だからどうして動けなくなったのか想像もつかなかった。
 呆然と、うめいている兵士達を見まわしていた〈フリーク〉に、二人の男が近づいてきた。一人は不快な笑みをうかべる眼鏡の軍医。その隣りで腕を包帯でぐるぐる巻きにされた、どこかぼんやりとした顔立ちの男。
「ほお、もう起きたか。フン、運の良い男だな」
 軍医の言いようもない嫌悪を引き出す視線から逃げるように無理矢理視線を外すと、連れ立ってやってきていた包帯男と目が合った。軍医はそれに気がつくと、クククと押し殺した――その後、何度も耳にする事になる不愉快な笑い声をあげた。
「礼を言ったほうが良いぞ、小僧。お前は覚えていないかもしれないが、この男、自分がただの人間だって事をすっかり忘れてたあげく、運良く助かった貴様を〈フリーク〉の群れの中から拾ってきたんだからな。こういうのが本物の馬鹿っていうんだ、覚えておくといい。数百年に一度の災害に見まわれたこの時代を生き延びたいならな」
 包帯男はフッと相好を崩した。ギルの言い様を軽く受け流す、大人の笑みだった。
「よぉ、俺の事、覚えてるか? まあ、多分覚えてないだろけどな。もうダメかと思ったんだが随分元気そうじゃないか。ん、よかったよかった。俺も腕一本折った甲斐があったな。もっとも死にかけた割りには軽くすんだワケだけど……そうだ、腹は減ってないか? 余り物でよかったらあるんだけど」
 慣れない片腕だけの作業でコートのポケットから取り出したのは、小さなサンドイッチ。
「家内がつくった物だけどさ、よかったら食べてくれよ」


――尚起。
 〈フリーク〉は窓にうつる自分を睨みつける。あの時の包帯男――本物の『三条尚起』はとっくにいない。百五十年前に自分とは別の〈フリーク〉に襲われ命を落としてしまった。
 自分が見殺しにしてしまったのだ。自分を、〈フリーク〉となった自分を助けてくれた恩人を見殺しにしてしまったのだ。大きすぎる借りを返す事も出来ずに。
――どうしてあの時、俺は何も出来なかったんだろう?
 尚起がぼろ布のように〈フリーク〉に引き千切られる様を、ただ見てる事しか出来なかった。
 いい訳なんていくらでも出来る。だからこそ、動けなかった本当の理由を知っている自分を許せなくなる。
 唐突に〈特務〉のジャケットに取りつけられていた小型無線機がコール音を響かせた。ギルからだと察した〈フリーク〉は、ガラス窓から後ずさりながら応対に出る。
「なんだ、ヤブ医者?」
『弥彦・エンヤの診断結果が出た。思ったとおり、陽性だ』
 ギルの嬉しそうな様子が声からも伝わってくる。〈フリーク〉は我知らず唇を噛んだ。
「弥彦にはなんて伝えたんだ?」
『何もいっていない。今、そっちで木伏アヤメと交代および引継ぎ作業を行っているはずだ。アヤメにはこちらで佐々木柚実と弥彦・エンヤのデータを解析してもらう。お前と弥彦は続けて柚実の監視および指導にあたってもらうぞ』
「……なんで弥彦に言っていないんだ?」
 含み笑い。百五十年前から変わらぬ声。
『今から怯えさせても仕方がないだろうが。あいつの事は心配するな、大丈夫だ。なんせ……お前がついてるんだからな。ククク……そうだろ、尚起? 早く私に弥彦の死体を届けてくれよ、『三条尚起』の時みたいにな。少しでも早く〈フィストドライブ〉の人体に対する影響を見たいんだよ、私は』
「黙れ、あいつは俺が殺したんじゃない、弥彦も殺させるつもりはない」
 いや、本当はわかっている。
 『三条尚起』は自分が殺したのだ。何もしないという行動を選択していた自分の、その選択が彼を殺す暴力となったのだ。
『黙れといわれて黙るようなら、私もそろそろお迎えのくる時期なのかもしれないな。だがいいか、尚起。今のお前の力ではあいつの死体を拾ってくる係りでしかない。それが嫌なら精々もがいてみせろ。犬掻きでも川は渡れる』
「偉そうにいうなといっただろ」
 最後の一言は通信の切れる音に重なった。舌打ちをした尚起は、あらためてガラスの向こうに目をやった。
「やっぱり、こんな場所に戻って来るんじゃなかったな」



 木伏アヤメはそっとドアをあけた。
「……」
 モニターの前の椅子に、ぐったりともたれた白衣の男。いつもかけている眼鏡をはずして全身の力を抜いてしまったその姿は、完全に意識を失っているようにも見えた。不眠症だといわれていた男だが、最近のゴタゴタに疲れてしまったのだろうか?
 木伏はドアの前で『無意識の目』を使ったのだが、その時に見る事のできた映像と全く変わらない光景。
――あれは気のせいだったのか?
 三条尚起が「ギルは産まれつきの能力者だ」と言っていたが、初めて彼を見た時――駅前で〈フリーク〉化した少年を殲滅した時だ――に『無意識の目』を看破して見せた。だが三条の言いようから察するに、ギルの能力は木伏のような探知系の能力ではないようだし、能力者が複数の能力をもつというのは基本的にありえない。
 木伏はついさっき、引継ぎをして別れて来た弥彦の顔を思い出す。
 彼は興奮冷めやらぬのか、普段よりずっと早口で、昨日のギルとの会話をまくしたてていた。
『僕、忘れてました。僕のやりたかった事は、〈フリーク〉やテロリストの殲滅なんかじゃなくて、あの女子高生みたいな、普通の人を守るためだったんだって。それを僕、いつの間にか自分の出世とか嫉妬とか、そういうものにすり替えていたんです、それをギルに教えてもらったんですよ!』
『木伏さん、やっぱりあの人、見かけより良い人なんです。三条さんだってなんだかんだいってあの人の指示に従ってるじゃないですか。人徳って奴なんですよ。僕、当分あの人の仕事ぶりを見てみたいです。今回の連続殺人事件だって、あっという間に〈フリーク〉の仕業だって見抜いたし、あの女子高生の事だって感づいたのはあの人だけでしたし。この事件の後もしばらく、あの人の指揮下で働いてみたいんです。人事部に申請しちゃまずいですかね? あ、そうそう、人事部と言えば、僕、ずっとBクラスの警備部に残りたいんですけど、受理してもらえますかね?』
 ふざけるな。
 木伏は心中で毒づく。
 ちょっと考えればわかる話だ。〈フィストドライブ〉が『攻撃の為だけの兵器』? 『一撃必殺』の? 冗談じゃない! どういう意味だ? 私達下士官は使い捨てって事? 鉄砲玉? 弥彦くんはあの器械をつけてる人形代わりなわけ?
 お人よしも大概にしなさいよ、弥彦・エンヤ!
 ほとんど同じ言葉を弥彦に怒鳴ってやったのだが、彼はきょとんとしていた。木伏がどうして怒っているのかわからないようだ。
 脳みそまで筋肉なのか、ただ素直なだけなのか、判断に苦しむ。
――目が覚めたら文句言ってやる!
 弥彦にこれ以上、妙な事を吹き込まれてはかなわない。
 木伏はそっと、ギルの背後に忍び寄った。机の片隅に丸められ置かれていた設計図が〈フィストドライブ〉のものなのか確認しようとしたのだ。
 弥彦の言うように、本当にこの男があの器械をハンドメイドしているなら、なぜ彼がアカデミーではなく〈軍部〉にいるのか知りたかった。そもそも、軍医がなぜ器械など製作しているのかわからない。
――よく考えれば考えるほど、私達はこの男の事を何も知らないのか。
 『本庁の妖怪』『現代の錬金術師』……二つ名はそれだけで、相手が何者かを知ったような気分にさせてくれる。ギルのニックネームは、少なくとも彼が変人だとは教えてくれた。でもそれだけだ。
 この男の過ごしてきた時間やその日々を、木伏は何も知らない。彼はどんな事ができて何ができないのか、何が好きで何が嫌いか、そんな簡単な事すら知らない。
 〈フィストドライブ〉の設計図は、彼を知る手がかりとなってくれるかもしれない。
「!」
 木伏の、伸ばしていた腕が止まった。何が起こったのか最初はわからなかった。
 白い物体が彼女のあごの下で動いていた。呼吸が出来ない。
「……お嬢ちゃん、何をしている?」
 背中に張りついた男の体温を感じて、木伏はもがいた。背後から彼女の頭部をロックしているギルの腕は、気道を容赦なく絞めつけ続ける。
――どうやって!?
 さっきまですぐ目の前にいたというのに。なんという素早さか。
 軍医は絞める手を緩めることなく、木伏を抱えたまま体を反転させた。
「しかも、余計なモノまで連れてきているようだな。姿をみせろ。今すぐ出てこなければ、一週間以上切り刻んで殺してやるぞ。この私のメスさばきをじっくり観察させてやる」
「!」
 たった今、彼女が入ってきた扉の前に黒いスーツの男がたたずんでいた。よくみると、その足元がごくわずかだが浮いている。能力者であるのは間違いないだろう。
 長身のその男は、東方風に整ったその顔を、困ったように歪めて見せた。
「彼女を放してあげてください、ギル・ウインドライダー。彼女と私達は関係ありません。確かに、ここに来る際には彼女の〈人格波動〉のパターンを利用させていただきましたけど、それだけです。私は貴方に危害を加えるつもりはありません」
「誰かと思えば〈西方協会〉のミツヤか。いいのか、こんなトコロに来ても? ここがどこだかわからないわけでもあるまい?」
 木伏は目を見張る。
 〈西方協会〉は民間能力者の相互支援組織だ。能力者への迫害が強いこのご時世、自分が能力者だという事を隠して生きている者達は少なくない。それらの人々の保護や各種相談にのっている事で知られている組織だ。だが、その性質上、メンバーの数や規模については一切不明である。その活動の実態さえも定かではない。
 〈特務〉では、そんな〈西方協会〉の運営をしていると思われる者達を総称して〈西方協会〉と呼んだりもしているのだが……ギルの言いようでは、このミツヤという男、首脳陣の意味で呼ばれる〈西方協会〉のメンバーであるようだ。
 〈特務〉が〈西方協会〉自体に接触する事も稀だというのに、その幹部メンバーをこの目で見る事になるとは……しかも〈軍部〉本庁で!
「ご挨拶が遅れましたね。お久しぶりです、錬金術師殿。〈カタストロフィ〉以来だと記憶していますが、お元気そうで何よりです」
 礼儀正しく頭を下げたミツヤは、木伏から手を離すギルを見てニッコリとした。一気に流れ込む空気と圧迫されていた痛みに激しく咳き込むアヤメ。ギルは冷ややかな目つきで彼女の襟首を掴みあげると、自分の座っていた椅子に投げるように座らせた。
「アヤメ、そこから動くな。余計な動きをしたらコイツの仲間と見なして処理する、わかったな」
 軍医の言葉に気おされて頷く木伏。その言葉にミツヤは自分の両の手を広げてみせた。
「本当に何もするつもりはないんです、ギル。〈西方協会〉は一度たりとも貴方の行動を妨げたりはしていない。確かに貴方が研究者として他の能力者にしてきた事は誉められた事ではありません。会員達の中にも貴方を恨みに思っている者は沢山いる、それは事実です。ですが少なくともこの私は、貴方に危害を加える意思は全くないんです。わかってください」
「口ではいくらでも言えるな……まあいい、用件はなんだ? とりあえず言ってみろ」
「〈赤目のフリーク〉が貴方の元に戻ったと聞きました」
 〈赤目のフリーク〉?
 アヤメは軍医を椅子から見上げる。軍医はニヤリといつもの背筋が凍るような笑みを見せた。いつもの眼鏡がない分だけ、そこにはむき出しの嘲りが漂っていた。
「アレは渡さんぞ。私の貴重なモルモットだ。あいつはこの私が標本にしてやるまで逃がしはせん」
「それは本人が決める事です。そして私達は私達の元に来た者を拒みはしません。出来れば説得したかったんですが、どうやらここにはいないようですね」
「ここにいられてはこのお嬢ちゃんが怯えるんでな」
 ギルは煙草を取り出す。眼鏡をはずした見なれぬその顔には、目の前の男に対する警戒と状況を楽しむ笑み。口にした煙草は、アヤメの見ている前でなんの予備動作もなく勝手に火をつけた。
「それだけか、ミツヤ? ここは動物園じゃないぞ、あいつに会いたいなら別の場所で鑑賞してくれ」
「〈赤目のフリーク〉が戻ってきたのは例の連続殺人事件のせいだとか?」
「それには答えられんな」
「ええ、貴方から答えを得るつもりはありません。私達は事件を解決しようとしてるんじゃありませんから。私達は私達で、自衛の為に動こうと思っています」
 ミツヤは一度言葉を切り、何かを噛み締めるように目を閉じた。そして見開く。その目には、木伏がはっとする程の強い意思が垣間見えた。
「釈迦に説法とは思いますが……〈西方協会〉は例の連続殺人事件の犯人が〈マスター・フリーク〉化したと推論しました。相手は能力者となりうる可能性のある人物、または能力者を集中的に狙っている。〈西方協会〉の中にも数名死者がでましたし、メンバーの親族も殺害されました。これ以上放っておく事は何の得にもならない。それにこのまま〈マスター・フリーク〉が〈フリーク〉や能力者を短期間で増やしつづけ殺しつづけると、レイレン反応の過剰生成によってこの都市が空間崩壊《ディメンションダウン》してしまいます。百五十年前のカタストロフィが再び訪れる事は、なんとしても防がなければなりません」
 〈マスター・フリーク〉? レイレン反応? ディメンションダウン?
 どちらも初めて聞く言葉だ。だがギルは事も無げに応じた。
「奇遇だな。私もそう思っている」
「さすが〈人格波動〉説提唱者、すでに見抜いていられましたか。〈マスター・フリーク〉はすでに数十人単位の人間に対して波動剥離因子を植え付けています。我々が確認できる範囲でしかありませんので被害の実態は更に大きいでしょう。早急に対処しなければなりません、ギル」
「で? お前はどうしたいんだ、ミツヤ。〈西方協会〉がこの事件を重く見ているのはわかったが、貴様らに協力するつもりはないぞ? 私は今、ただの軍医でしかないんだからな。カタストロフィ? 大いに結構! 非常事態が研究をどれだけ促進するか、見てきただろ? なぁ、ミツヤ? お前達魔術師どもが認知されるのにカタストロフィは随分役に立ったぞ? それにもう一度あの危機が訪れれば、能力者が政権を取る事も可能かもしれん。とっくに潜り込ませてあるんだろ、上層部にも? ならうまくやればお前達〈西方協会〉が政権をとる日がくる。そうすればコソコソせずに、もっと多くの能力者を助けられるかもしれん」
 ミツヤの力強い視線は少しも揺るがず、白衣の悪魔が囁く言葉を受け流した。
「権力が欲しくて〈西方協会〉を運営しているわけじゃありませんから。今、我々は目の前にある危機だけを考えてます。目の前の人間を助けられない人間にもっと多くの人間が助けられるとは思えない」
 ギルはミツヤの拒否に向かって楽しそうに笑った。フッとはいて見せた紫煙がゆらりと崩れ、彼の嘲りをぼやけた景色に変えて見せる。
「では私を助けてみろ。多くの能力者を救う前にこの私をな」
「貴方は助けられたいとは思っていない。少なくとも我々に助けてもらいたいとは思っていない。そんな人を助けられると思うほど我々は自信家ではありません。それに我々にできるのは不当な暴力からの保護だけです、貴方はまだそのような迫害を受けていないでしょう。仮にそのような事態になっても、貴方ほどの能力者ならどんな形でも対処できるでしょう。違いますか?」
――貴方ほどの能力者……。
 やはりギルは能力者のようだ。それもなかなか強力な能力を有しているようだ。
 ミツヤはギルが答える前に続けた。
「それに今は〈西方協会〉の方針について話し合いに来たのではありません。〈マスター・フリーク〉への対策に来たのです」
「わかったわかった。で、お前達はどうする気だ?」
「先にお伝えしたように、我々は波動剥離因子を植え付けられた者を確認してます。そんな〈波動剥離現象〉が起こる者を今後監視し続け、対象が万が一〈フリーク〉化した場合は……残念ですが、殲滅させていただきます。その分〈軍部〉や〈特務〉の仕事は減るでしょう」
「まあな」
「我々は殲滅戦を行うにあたって、〈特務〉に情報の提供や協力する体制を整えている最中です。それに協力していただきたい。我々の働きで手の空いた分、我々の予測外で起こった事件に対処していただきたいのです」
「おいおい、ミツヤ。それでは私になんの見返りもないぞ?」
 ニヤニヤしながら煙草を灰皿に押しつける軍医に、ミツヤは変わらぬ視線を投げかけた。
「貴方と〈赤目のフリーク〉には〈マスター・フリーク〉を処分していただきたいのです。〈フリーク〉をレイレン反応の放出無しに殲滅できるのは〈フリーク〉だけです。今回の事態がどれだけの規模になるかわからない以上、空間崩壊につながるような危険は犯したくありませんし、貴方はそれによって貴重な〈マスター・フリーク〉のデータを確実に手に入れる事が出来る。報酬はそれでいかがでしょう? 我々は〈マスター・フリーク〉を貴方の張る網に追い込む係りを引き受けると申し出ているのです、その後どう捕らえるか、どう処分するかは貴方の自由です」
「ククク……なるほどな。確かになかなか魅力的な申し出だ。だが〈赤目のフリーク〉ではあいつに勝てないぞ? 現に〈赤目のフリーク〉が私の元に来たのは、〈マスター・フリーク〉から逃げてきたからなんだからな」
 ミツヤは意外だと言いたげに、その目を細めた。
「あの〈赤目のフリーク〉が、ですか?」
「そうだ。あいつに頼ると失敗するかもしれないぞ?」
「……ですが、貴方は『現代の錬金術師』ギル・ウインドライダーだ。我々は貴方の、不可能を可能にするその知恵と技術を信頼します。貴方だって世界の崩壊は望んでいないはずだ」
 ギルは鼻で笑うと、ミツヤに向かって追い払うよう手を振った。
「お前達の言いたいことはよくわかった。〈軍部〉がどう動くつもりかわからないが、その方向で進めるよう進言しよう。今日のところはもう帰れ。私にはお前達の作戦以外にも準備する事が山ほどあるんだ。それにこんなトコロで密会していたと上層《うえ》に知られたら面倒な事になる」
 あいつらを口封じに殺さなきゃならんだろというギルの言葉に、ミツヤは肩をすくめてみせる。
「変わりませんね。ある意味安心しましたよ。……では、また後ほど連絡します。そうそう、我々を罠にかけようとするのは無駄ですからね。〈西方協会〉の情報網を甘く見ないでください。それでは、失礼します」
 来た時と同じように、ミツヤは礼儀正しく一礼する。最後に木伏に向かってニッコリ笑い手を振って見せた。その姿がするりと、まるでドアをくぐるように空間に飲みこまれると何事もなかったように消えた。
 ギルはそれを見届けると、無言で木伏に向きなおる。
 次の瞬間、木伏は座らせられていたギルの椅子から転げ落ちた。頬の鈍痛が殴られたという事実を伝えるまで、数秒の間が必要だった。
 ギルは木伏の側にしゃがみこむと、彼女の髪を掴んで顔を上げさせた。
「……二度と、寝ている私に近づくんじゃない。次にやったら殺すぞ」
 ギルの顔からは笑みが消えていた。その代わり、息苦しいほどの殺気が木伏の感覚を襲う。全身が知らぬ間に震えだし、喉が勝手に小さな悲鳴をあげた。ギルはその悲鳴を耳にすると、黙って髪から手を離した。床に転がったまま後ずさる木伏を、立ち上がったギルは椅子に座りなおして見下ろす。
「お前が今、考えている事を当ててみようか?」
「……」
「『この男は、一体何者なんだろう?』。違うか?」
「そう、です」
 隠しても仕方がない。実際、今の〈西方協会〉との関係を聞いている限り、この男のしている事や位置がよくわからないのだ。
 ギルはその言葉に頷くと、いつもの笑みで答えた。有無をいわせぬ嫌悪感を引き出す笑み。
「それを知る時は、貴様が死ぬ時だと思え」
 そして彼は、自分のデスクの上にあった無線に手を伸ばした。



 再び、無線が鳴る。三条は黙ってコールに応じる。
 目の前にあるガラスの向こうでは、目を覚ました柚実が口頭による簡易検査に応じている。だいぶ回復してきているようだが、まだ自分がどうなるのかわかっていないようだ。
『弥彦とは合流したか?』
「いや、まだ着いていない」
『そうか。柚実の退院手続きを代行させているからそれで遅れているんだろう。柚実の方はどうやら目を覚ましたようだな』
 柚実のデータの一部はギルの元に直接送られている。それを見ているのだろう。
「ああ、今――」
 三条は自分の名を呼ぶ声に言葉を切る。廊下の端に、一目でわかる弥彦のがっしりとした姿が手を振っていた。
「――今、弥彦と合流した」
『そうか。ならちょうどいい。これから柚実を連れて私の部屋へ戻れ。〈西方協会〉が面白い事を言って来た、ミーティングしたい』
「〈西方協会〉が? 嘘だろ?」
 三条も能力者としてその名を聞いた事がある。ただし、実際に接触した経験は数えるほどしかない。それも〈カタストロフィ〉の真っ只中の時だ。
 非常事態でなければ彼らは進んで姿を現さない。裏を返せば、〈西方協会〉が出てくるというのは状況がかなり深刻だという事なのだ。
『嘘ならいいんだがな。あいつら魔術なんていう前時代の技術がある分、〈特務〉やアカデミーなんかよりずっと正確に今回の事件がどう発展するのか掴んでいる。すぐに帰って来い』
 三条はすぐ側までやってきた弥彦に、無線を使っている事をジェスチャーで示す。弥彦は黙って頷いた。
「わかった。だけどなぜ佐々木柚実を連れて帰らなきゃならない?」
『一仕事してもらうからだ。体調の事なら心配するな、私を誰だと思ってる?』
「だから心配なんだよ、変態医者。大体、仕事って何だよ?」
 三条は側で待つ弥彦に、窓ガラスの向こうの柚実を指し示した。彼女が体を起こしている姿を目にした弥彦は、その広い肩を安堵でなでおろす。その肩を叩き、三条はギルのいうように柚実の身支度を整えさせるよう弥彦に頼もうとした。だが――
「……ギル」
『どうした?』
「……すぐには帰れそうもない」
『なんだと?』
「……出たぞ、アレが」
『尚起?』
 三条は気づいていない弥彦の腕を掴むと、力一杯、彼の体を自分の方に引っ張った。弥彦の巨体が緩慢に浮き上がり、三条の腕が描く弧の動きに従って廊下を吹っ飛ぶ。身をかばったものの、左肩をしたたかに床へ打ちつけられた弥彦は抗議に声をあげた。
「な……なにするんですか、三条さんっ!?」
 だが弥彦の抗議はその一言以上続かなかった。
 弥彦の目の前で、隔離室と廊下を隔てていたガラスに亀裂が走っていった。三条がその壁に押しつけられている。巨体の戦士が繰り出した拳を三条がかわし、拳がその先にあったガラス壁に激突していたのだ。分厚いガラス壁に食いこんだ拳で、襲撃者の動きが止まっている。
「そんな……」と弥彦の口をつく言葉。
 三条は突き出されたままの戦士の腕に自分の腕を絡めた。関節を決め、一気にへし折る。廊下に骨の折れる音が響き渡ると同時に、騒ぎを目撃したのだろう、廊下のどこかで喚きだす女の悲鳴が、フロア一面に響き渡った。
「何をしてるんだ、弥彦!」
 襲撃者ともみ合う三条の叱責が聞こえたが、弥彦は動けなかった。何がなんだかわからない。
「看護婦達と病人を非難させろ、言われなきゃわからないのか!」
 弥彦は目をこすった。そんな馬鹿な。
「弥彦、聞いてるのか!?」
「なんで……なんで僕がいるんだ? え? なんで……?」
 偽物の弥彦は、折れた腕に取りすがっている三条を――腕が折れている事に気づかないように、もう一度ガラス壁にパンチする事でひび割れたガラス片の中に叩きこんだ。
 分厚いガラス壁が砕け落ちる。床に転がったガラス片についている血の多さに、弥彦は知らぬ間に叫んだ。
「三条さんっっっ!」
 ガラス壁から腕を引きぬいた弥彦の偽物は、折れた腕をブラブラさせながらゆっくりと弥彦に向き直った。




←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1 | 13-2


copyrights (c) 2001-2017 suzu3ne@CloudCollector'sVector(2CV) All rights reserved.