R-T-X 「12・秘密と青年(上)」
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 佐々木柚実は、昨夜、〈特務〉の寮にある自室には戻らなかった。
 弥彦たちについて〈特務〉専用病院へ赴き、ただ呆然と、関係者用のソファに腰掛けていたのだ。
 一人で自室に戻りたくなかった以上、どこに行こうかと迷っていた。
 元の家――養父母の家も思い浮かんだが、美雪の時のように、自分のせいで巻き込まれてしまうかもしれないと思うと、どうしても帰りたいという気持ちにはならなかった。
 ギルの部屋も思い浮かんだ。ギルも、そしてアキオも居るのなら、たとえ罵倒されようとも、一人でいるよりはマシだと思えたのだ。
 特に、今までずっと、初心者の柚実に手取り足取り教えてくれたアキオの顔が恋しかった。なんでも良いから話して、彼のどこか投げやりでも思いやりのあるふざけた声を耳にしたかった。
 だが、アキオは過労で倒れたと聞かされていた。足腰の立たない姿も目にしていたし、彼が同じスーツを纏った〈教皇〉とやらに連れて行かれた姿も目にしている。彼が夜までにあの部屋に戻ってくるはずがないとはわかっていた。
 今までだって、柚実が寮に帰る時にはアキオもギルに挨拶し、さっさと姿を消していたのだ。ギルはいつだってロクな返事もしなかったが。
 アキオに期待してはいけないとは、わかっていた。
 それでも、自分の部屋には戻りたくなかった。一人で美雪の事を考えるくらいなら、少しでも誰かの役に立って、罪滅ぼしをしたかった。
 ギルの部屋に行って、アキオが帰ってくるまで待たせてもらおうとも思ったのだが、ギルが許可するとは思えずに断念した。
 ギルの秘密主義的な部分は、隣室でアキオと一緒に訓練していた時からよく知っている。
 アキオに言わせると「どうせ見てもわかんねぇ事ばっかりだけどな、錬金術師の術式は」となるのだが、それ以上に、〈軍部〉や〈特務〉との繋がりを、極力知られないようにしているのだろうとも推測できた。
 用もないのに部屋においておくほど、ギルは優しくない。そして甘えてはならない――柚実にもそれぐらいはわかっていた。
 そもそも、ギルは柚実の気持ちなど理解しないに違いない。
 「もっと酷いものを見るようになる」と、何度も言っていたのだ。その時が来ただけなのだ。
 彼は先に予告していた。それが彼の優しさだ。
 今、打ちのめされた柚実の話を、彼がどんな顔で聞いてくれるのか――全く、想像できない。
 だが、柚実が期待するような答えでないことだけは、薄々気づいていた。
――期待する答え?
 柚実はぼんやりと自問自答したものだ。
 その疑問も、すぐに疲労の中にかき消されてしまったのだが。

 そんな風に柚実が迷っている間。
 三条は、弥彦と一緒に診察を受けていた。
 元々は、弥彦の身体について――つまり、新しく表出した能力についての確認と再検査の、付き添いである三条と柚実だ。
 三条自身も、あの変身によって身体に負担がかかったはずだ。彼の治療を行えるのはギルだけだという話だったが、別の角度から調べたい事柄でもあったのだろうか。
 もしかしたら、ギルと面会するまでに時間をおこうとしたんじゃないか――そんな風に柚実は考え、すぐにそれが――先に自問自答した自分の希望している未来だと気づいて憂鬱になった。
 三条はギルに変身した事を咎められる。それは当然として。
 彼が、犠牲者を救えなかった事実。
 ギルならば、冗談のつもりでその犠牲者の数を数え上げてくるだろう。
 柚実に向かってではない。三条に向かってだ。
 それでも耐えられない。
 その事実を確認してくる声を耳にする勇気も無い。
 少なくとも、今の柚実には、自分が助け出せなかった人間が一人でもいるという事実が、耐えられない。
 結局、一人で二人の診察が終了するのを待つしかなかった柚実だった。

 〈特務〉専用病棟には、次々と怪我人が運び込まれていた。自分たちとは別の場所で戦闘し、傷ついた〈特務〉の人々だ。その凄惨な傷や叫び声、汚れた軍服を、柚実はいくつも目にし、その度に、彼らが視界から消えてしまうまで、じっと見送った。
 見ている間は、何も思い出せずにすんだからだ。
 どんな人が、どんな、傷を負っていて、医者や看護士がどんな会話を交わしているのか。それを追って頭の中を一杯にしていれば、自分のことは考えずに済んだ。
 どれぐらい待っただろうか。
 看護婦の一人に、三条と弥彦の付き添いかと問われた柚実は、伝言の行き違いで、彼らがすでに別の病棟に案内されていると聞かされて頷いた。
 その反応を怪訝に思ったのだろう。
 看護婦は柚実の名前と階級を尋ねると、手元の端末を繰り、柚実のカルテを引き出したようだった。
 何か納得したらしく、近くを通りかかった医者を呼び止め、カルテを見せながら何か話している。
 医者と看護婦の視線を交互に受けたが、柚実にはそれが自分に向けられたものだとは、どうしても、思えなかった。
 医者はいくつか質問したが、なんだかよくわからず、よくわからないと正直に答えたはずだ。
 そのうち、看護婦は医者の許可を得て、近くの部屋に駆け込んで戻ってきた。
 三条たちのところに合流したら、関係者用のソファがあるから、そこで休みなさいとの事だった。
 これだけがはっきり理解できたのは――休めるという言葉の、その魔法のような響きに尽きるだろう。
 看護婦に案内され、点滴を受ける三条の顔を見て安堵し、弥彦はまだ別の検査から戻ってないと聞かされ。
 看護婦に促されるまま、渡された薬を飲んだ。
 それは睡眠薬だったのか。
 気がついた時には、朝だった。



 三条と弥彦は、新兵器の説明を受けに行くと端末に伝言を残して消えていた。
 午後からの命令書が届いていて、柚実はフラフラする頭を不思議に思いながら、慣れぬ病室で身支度を整えた。
 備え付けの洗面所やタオル、歯ブラシなどは、能力者になったばかりの頃、入院していた病室にも支給してあったので躊躇なく使えた。だが、着替えだけはどうしようもない。しかも血や泥に汚れたままだ。
 午後からの命令前に、急いで寮に戻って着替えた。汚れた制服は、とりあえず汚れを拭うだけ拭ったが、クリーニングすら開店している可能性が低いと思い当たって、そのまま自室に干しておいた。
 曲がりなりにも、日常の生活。
 柚実は淡々とそれらをこなしながら、時折脳裏を横切る美雪の死に様をため息でやり過ごし。
 そして、命令書で指定された〈本庁〉地下の配給車両へと向かった。

 現場に着くと、思いがけない面々がそこに居た。
 ケネス小隊だ。
 相田一裕がいつも通りの、どこか怒っているかのような顔で立っていたのはともかく、初老の小隊長や、昨日自分を助けようとしてくれた若い男、そして頸に龍のタトゥーを入れた空気の読めない男まで、昨日の延長とも呼べる組み合わせ。
 慌てて命令書を確認。どうやら、柚実が同行者リストを見落としていただけらしい。それとも、目にしていても無意識に無視していたのか。
 柚実は少しでも元気を出そうとしていた気持ちが、急速にしぼみ、真っ暗な絶望に引き戻されるのを感じた。
 これでは、忘れようとしていても、忘れられるわけがない。
 皆は互いに自己紹介を交わし――〈特務〉お約束の、自分の能力の紹介も行った上で、今回の命令について再確認。
 今回は、ケネス小隊とギル小隊の合同によるシェルターへの食料配給車両の護衛である。
 この合同部隊の隊長は、作戦中のみケネスとなる。
 食料の分配等は車両の管理担当である〈軍部〉が行うため、〈特務〉は混乱を避ける為にも、護衛以上の行動は慎むよう厳命されていた。
「食料を強奪しようと暴徒が現れた時のみ、逮捕監禁を許可する。わかっているだろうが、行動に迷った時には、まず私に連絡するように。特にアーガイル、わかってるな?」
 ケネスは落ち着いた口調で皆を見回した。
「昨日今日で疲れもあるだろうし、精神的にもまいっているだろうが、気楽にこなしてくれ。昨日のギル小隊の活躍で、今日明日に〈フリーク〉が出現する確率は極めて低くなっている。気を抜くなとは言えないが、気を張りすぎる事はない」
 立派な隊長だと、柚実は心中で頷く。
 自分が長だとわかっていて、部下の気遣いができて、自分だってその部下たちが目の前で死んでいったところを見ていたというのに、焦り一つ見せずに職務をこなしている。
 これが、〈軍部〉であるということ――〈特務〉であるということなのか?
 柚実は深く理解できると共に、どこか納得できずに俯く。
 彼は立派な大人なのだ。感情のコントロールもできるだろう。経験も豊富だろうし、そもそも、柚実のように繊細ではないのかもしれない。
 だが、自分には、まだまだ時間が必要なのだ。
 それでいて、時間がない。
 自分の無力さに、絶望に押しつぶされる前に、逃げなければならない。何かの償いをしないと、美雪の事ばかりが頭に浮かんでしまう。
 一行は三つの車両に分担して乗り込む事になった。
 先頭にはアーガイルと一裕。
 中にはケネスが一人。
 後部にはコージと柚実だ。
「一裕、だったよな? 俺と一緒だなんて幸運だな!」
 逆だろうとコージが小さくツッコミを入れたが、柚実はそれ以上に、一裕が挨拶以来、ほとんど口をきいてくれない事の方が気になった。
 元々、最低限の事しか語らない人物だとは思っているが、今の柚実には、この沈黙すら柚実のふがいなさを責める所作に感じられてしまう。
 なんやかんやと騒ぐアーガイルを、徹底的に無視する一裕の姿が、柚実には化け物のようにすら見えた。
 彼がアーガイルと共に前方の車両へ乗り込んで行く姿を見送り。
 ふと、自分が何をしていたのかわからなくなる。
 すると、美雪の絶叫が耳に蘇り――。


「先輩、助けて!」
「せんぱ――」

 どうして助けられなかったのかな?
 どうして?


「昨日のこと、結構話題になってるね」
 急に話しかけられ、柚実はどきりとしながら顔をあげた。
 相手の方が、その所作に驚いたようだ。
「ご、ごめん……びっくりさせちゃって……」
 恐縮するコージに、柚実は首を振る。
 作戦行動中となった今、ぼんやりしている方が悪いのだ。それぐらい、素人同然の柚実でもわかる。
 柚実が怒ってないと察したコージは、自分たちの担当となった車両に乗るよう促しながら、柚実に笑う。
「君たちのところの、あの〈フィストドライブ〉の人。すっかり有名人だよ。世界中で賛否両論だって」
「そう、なんだ?」
 コージがどこでそんな情報を仕入れたのかわからないが、この男は昨日の戦闘で、何も思わなかったのだろうかとぼんやり考える。
 だがコージは、むしろ嬉しそうに顔をほころばせる。
「あんな人と一緒に仕事してるんだ。君、凄いんだね」
「え?」
「君も、凄い能力者なんだろうなって」
 首を否定に振るだけで精一杯だった。
「臨時で……とりあえず、一緒の部隊に入ってるだけ」
「え?」
「弥彦さんや三条さんみたいに凄かったら、私、あの子を見殺しになんかしない」
 言ってしまった。
 自分が殺したと言ってしまった。
 ついに、認めてしまった。自分だけでなく、他人に向かって認めてしまった。
 コージは一瞬黙り込み――自分の会話のミスリードに気づいたのだろう。ごめんと小さく呟いた。
 しばらく、車両は走り続けた。
 柚実たちが乗り込んだのは、運搬車両の貨物室だ。運転する〈軍部〉の人間たちに、二人の会話が聞こえたりはしない。いや、十代の男女が二人、自分たちとは違った力を持ってると言うだけで特別視されているのだ。苦々しく思っていたり、盗聴しているかもしれない。
 柚実はこの沈黙をかき消すためだけに、そんな事を考える。
「でもさ――」
 コージは揺れる車内のコンテナに手を伸ばして自分の身体を支えながら、騒音に負けないように声を張り上げた。
「でも君だって、がんばったじゃないか。昨日も言ったけど、俺たち、ちゃんと知ってるよ。君たち二人が乗ってた車両の周り、〈フリーク〉の死体が一杯転がってたじゃないか。俺たち、到着した時びっくりしてたんだぜ? よく守りきれたなって。さすがギルに選ばれた能力者だって」
「……ギルに?」
「ケネス隊長は、ギル隊長を個人的によく知ってるんだってさ。隊長はギルさんを嫌いみたいだけど、能力者を見る目は確かだって言ってた。軍医だし、〈人格波動〉の研究者なんだって? そのギルさんに選ばれたんだから、俺たちとは違うよ」
 そこはかとない違和感に、柚実はコージの言葉を振り返る。
「ギルさん?」
 思わず笑ってしまった。
 コージに向かって「ギルと呼べ」と命令するギルの姿も容易に想像できたし、それに対して怯えて小さくなり震え出すコージも脳裏に見えた。
 柚実の笑みに、コージは先と同じ顔で、驚きと困惑を表現する。
「え? 俺、なんか変な事、言った?」
「ううん、大丈夫」
「でも君、笑ってるだろ?」
「大丈夫、全然、変じゃない」
「ウソだ」
「ウソじゃないって」
 ほっとした。
 ここに、軍であることも能力者であることも忘れて、気軽に話せる相手がいる。
 それだけで柚実は、ようやく、ほんの少しだけでも身が軽くなるような錯覚を覚えた。




 〈アカデミー〉の酒上ゼミを訪れた弥彦と木伏、そして三条を案内したのは、大柄な黒人男性だった。
 弥彦ほど巨体というわけではないが、三条を見下ろすだけの背丈があり、彼が白衣を着ている姿はどこか場違いですらある。
 だが、そんな外見とは裏腹に、彼はどこか躊躇いがちの、弱気な気配をまとって三人を案内する。
 木伏と三条はともかく、弥彦の顔に現れた疲労の色は濃い。
 それもそうだと、木伏は重い足取りで廊下を進む後輩を気遣った。
 復帰のウォーミングアップで出かけた巡回から、一人でアキオを護衛しなければならなかった事、一集団を率いての進軍、そして初めての能力行使。
 疲れていないほうがおかしい。
 〈フィストドライブ〉の使用者として、薬物による覚醒は最低限の品だけが支給されている。ギルの作った品が、彼にどのような影響を与えるかもまた、試作品を使用する上での大事な収集データなのだ。
 おそらく、ギルも含めて医療スタッフの誰もが、少しでも弥彦の疲労感を取り除いてやりたいと思っているのだろうが、簡単にできないのはそういった事情による。
 だが、この〈シェルドライブ〉に関しては、少しでも早く知っておくべき事柄でもあるのだ。
 特に、実行部隊として、戦闘力としての弥彦と三条には。


 今朝、三人を送り出す際、ギルは――昨夜の異常事態が嘘であったかのように、いつも通り――紫煙をくゆらせながらあざ笑ったものだ。
「明日以降、〈シェルドライブ〉を装着した兵がうろちょろしはじめる。我々は奴らをこき使う権限を持ってはいるが、性能がわからなければお前たちも不安だろう? 〈西方協会〉と〈E.A.S.T.s〉がチェックする前に見ておけ」
 だがと彼は続けた。
「〈シェルドライブ〉の設計理念は、〈フィストドライブ〉の真逆だ。そして、錬金術的な作用も真逆になる。間違っても、あれを着けて戦うことなんて考えるなよ」
 弥彦は目を白黒させながら「了解」とだけ答えた。
「そりゃ、どういう意味だ? 逆って?」
 苦い顔の三条がギルに問いかける。
 三条はギルに対するくだけた口調を隠さなくなっていた。〈赤目のフリーク〉であることを隠す必要がなくなったからだろう。
 同時に、軍医に対するあからさまな不信も目に付くようになったが。
 それらの全てを、ギルは鼻で笑う。
「〈シェルドライブ〉は人を消す事を目的にする。〈フィストドライブ〉は人を拡大させる事を目的にする。〈人格波動〉の増減が真逆という意味だ。つまり、変化させる方向が違う」
「人を消す?」
「人を呑み込むといった方が近いかもしれないな」
「どういう意味だ?」
「説明を聞いてくればわかるさ」
 とにかくと、更にギルは続けた。
「〈シェルドライブ〉部隊を過信するな。酒上誓子は、人の命や救済の為に研究をするようなタマじゃない」
 ギルはそれ以上語らず、三条の問いかけすら無視して端末を繰り出した。
 そこで諦めて〈アカデミー〉の研究室へとやってきたのだが。


 ミタララと名乗った黒人研究者は、半地下となった広い実験棟へと三人を誘った。戦艦を修理するドックのようだと木伏は思う。眼下に広がる光景には、様々な鉄のアームが突き出しており、衝突実験や破壊力を計測する為であろう様々な素材の壁が、移動させられたり設置されたりとせわしない。
 その壁の前に、白くずんぐりとした楕円の固まりが佇んでいた。手足も白く丸い筒で覆われ、まるで卵から手足が生えたロボットのようですらある。
 右手には一回り分厚い手甲、そして左手には楯であろう大きめの円盤を模した手甲。それらがかろうじて、この存在の突起物として主張している。
 全面的につるりと輝く白いそれは、どのように触れてもつかめないかのように滑らかに見えた。
 関節部分の隙間からは〈特務〉戦闘服がのぞいていたが、それ以上のスーツの異形に、三人とも黙り込んだ。
 木伏は、初期型をギルが笑ったと言ったミツヤの言葉を思い出す。性能はともかく、外見は笑ってしまいたくなる気持ちはわからないでもない。
「歌に出てくる卵の怪人みたいだな」
 ようやく出てきた三条の呟きに、ミタララがうなずく。
「そうおっしゃられた方は沢山いらっしゃいます。もちろん、歌のように簡単には割れやしませんけど」
 ミタララは手元の携帯プロジェクターで、三人が見守る見学ブースの壁に内部映像を映し出す。
「〈シェルドライブ〉の頸部付近に銀の輪がはまっているのがわかりますか? あれが外部カメラとなってます。全方向を監視し、〈シェルドライブ〉内の装着者の全面にスクリーンとなって映し出される他、装着者の意識に直接映像を送り込みます。装着者は感覚の拡大を感じるはずです」
 弥彦が首を捻る。
「どういう意味ですか? 見ているだけでなく、感じることもできる?」
「そのとおりです。装着者は、戦闘経験を重ねたものが感じ取れるようになる殺意や気配を、同じように察知することができるようになります。〈シェルドライブ〉の持つ〈人格波動〉計測機によって、全方向五十メートル以内の〈人格波動〉値を常に把握し、その変化を察知できるようにしてあるわけです。そして、察知した数値や情報を直接、装着者の〈人格波動〉にフィードバックさせる」
「〈人格波動〉に直接?」
「そうです。もちろん、個人の〈人格波動〉が変化しない程度の刺激ですが、身体を通すタイムラグが無くなる。そもそも、それが殺意や危険であると察知する経験がない兵士たちにとっては、明確に危険を示す信号が与えられる事の方が安心できます。感覚を見逃したり無視したり、判断を誤る事も無くなります。自己防衛の観点からはおかしなことではありません」
「敵味方の、誤認や誤射の可能性は?」
「〈シェルドライブ〉の識別信号と、装着者の〈人格波動〉を互いに発信しあって行動します。仮に装着者が敵にすり替わっていたり〈フリーク〉化した場合、〈シェルドライブ〉の機能にロックがかかり動けなくなります」
 眼下で実験が始まった。
 右腕の筒状のアームカバーがスライドし、手甲の上から覆い被さる。閉じた筒の底には、丸い孔が穿たれていた。
 そこから、青白い球体と閃光が弾け飛ぶ。
 目の前の壁――五センチはありそうな分厚い鋼の壁が、大きくひしゃげていた。
「あれは最大出力ですね。〈フィストドライブ〉の物理的攻撃力には及びませんが、〈シェルドライブ〉が装着者の保護と、危険地帯からの脱出を目的にしている以上、十分すぎる装備です」
 ミタララの解説の合間に、〈シェルドライブ〉の腰が開き、内部に納められた各種武器類を目にすることができた。通常の大型拳銃はもちろんだが、何よりも似たような手甲が転がっている事が目に付く。腰の部分にはこれらが納められているとして、背面や腹部には、また違った備品が積められているのだろうと木伏は直感した。少なくとも、この鎧にバックパックやライフルを担がせる余裕はない。〈フィストドライブ〉同様、それ以上それ以下ではない武器、いや、鎧なのだ。市街地戦を念頭に置かれた、この都市を守る為だけの。
 アームカバーを換装する。先のカバーを腰に放り込むと、自動で素早く閉じた。
 今度のカバーは、三つの鉤爪のついた手甲だった。やはり手のひら部分となる中央に、丸い孔があいている。
 三方向から、外部操作の鉄のアームが接近した。これまた筒状の射出孔を備えている。
 頭上、背後そして地面スレスレから接近する。どれも人間で言えば死角となる位置と角度だ。
 突然、それらが同時に何かを吐き出した。大きな物体が〈シェルドライブ〉に覆い被さると木伏が感じた瞬間、それらが次々と破裂して地面にフワリと落下。
「ダミーによるデモンストレーションです。お見えになりましたか?」
 ミタララの問いかけに、三条と弥彦は顔を見合わせた。三条は眉を上げ、弥彦に促す。
 確かに、三条の〈フリーク〉としての能力なら、木伏には何事かはっきりとらえられなかった状況も――もちろん、実験時に『無意識の目』を使えば見えなくもなかっただろうが、過去を見ることなど当然、できやしない――楽に視認できるのだろう。
 弥彦は言葉をおいていくように返答。
「射出されたダミーは、頭部のみ砂が詰められていたんですね? 同時に射出されたけれど、砂の重さと角度によって、飛びかかるタイミングがずれる。そして……〈シェルドライブ〉はどれが優先して倒す相手か判断し、あの爪で頭部をロック、攻撃で破壊。それを順番にやってのけた。右手の操作だけではなく、全身を駆動させて、ターンの順番まで制御している」
「さすが……〈フィストドライブ〉の装着者さんですね」
 ミタララの呆れにもにた賞賛に、弥彦はわずかに顔を赤らめた。
「弥彦さんのおっしゃるとおりです。〈シェルドライブ〉の最大の利点は、とにかく、装着者の生命を守る事。その為、装着者の意図しない状況にも的確に対応します。このオート機能は反応速度を制限する事はできても、切断できません。仮に〈シェルドライブ〉が半壊したとしても、装着者の死亡が確認されるまでは動き続けます」
 木伏は二人の若者が聞き流したその言葉に手を挙げる。
「待ってください。装着者が死ぬまでという事は、気を失っても動き続けるという事ですか?」
「気を失うという事は、〈人格波動〉値の低下を意味します。その場合、〈シェルドライブ〉は指定された区域に避難するまでオートで動き続けるという事です」
「ならば、それまで敵を攻撃し続けるという意味ですね?」
「明確な攻撃はできなくなります。〈シェルドライブ〉は、〈特務〉が装着する事を前提に作られている為、能力者の能力を、つまり余剰分の〈人格波動〉を攻撃能力に変換して攻撃しているからです」
 ミタララは、眼下の実験を指さした。
「あの装着者は、本来の能力は物質変化です。木を石に、石を木に変換できる。〈特務〉では工作部隊として活動しています。だが、戦闘能力としてはどうしても欠けてしまう。一騎当千を詠う〈特務〉としては尚更です」
 しかしとミタララは、胸を張って続ける。
「〈シェルドライブ〉は、そんな彼にも攻撃能力を与えます。余剰分の〈人格波動〉の性質を変化させ、電撃に変えている。もちろん、他の攻撃方法も選べます。性質を変化させれば、炎でも切断でも、〈アカデミー〉で収集してある平均的な能力者の攻撃なら、何でも。もちろん、攻撃力そのものは期待できませんが、工作部隊の能力者以上のものである事はわかるでしょう? それに〈シェルドライブ〉は部隊として運用する事を前提に行っている為、〈特務〉としての攻撃力としては、十分にクリアできます」
 だからとミタララは続けた。
「その余剰分の〈人格波動〉が無くなる、つまり気絶した場合、攻撃力はゼロに等しくなります。これは通常の能力者が、意思を持たなくなったと同時に能力を発揮できないことと同じです。しかし〈シェルドライブ〉は、その無力にも等しい能力者を、安全に陣地へと送り届け、回収する事が可能なのです」
「なるほど」
 一応、納得して見せた木伏だが、疑惑は消えない。
 何もかも良いことづくめだが、だったらギルがあんな事をいうわけがないのだ。
『人を消す』
『人を呑み込む』
 機械が全て制御しているという事を言っているのだろうか?
 いや、ギルはそんな事を、あんな表現で伝える人間ではない。もっと直接的だ。そう、彼の口癖のように『殺すぞ』と。
 ミタララは次のデモンストレーションの準備に追われている実験場から顔をあげ、木伏や弥彦の反応を伺う。
「明日以降、民間人の避難しているシェルターを防衛する部隊はこの〈シェルドライブ〉の装備部隊が中心となります。すでに三十の小隊が着脱実験を行っていますので、大規模シェルターから順番に配置し、小規模シェルターには〈特務〉の精鋭を送り込む事でバランスをとります。今回支援による参加を表明した〈西方協会〉や〈E.A.S.T.s〉は、彼らの補助です」
 大規模シェルターに〈シェルドライブ〉を配置する事は、一般人に対するアピールも兼ねているのだろう。
 酒上博士は、この作品によほどの自信があるに違いない。
 確かに、木伏のように補助的な能力を有する能力者が、汎用的に運用できるようになることは、〈軍部〉としても魅力的に違いない。今までのように、自己申告制による作戦や、特殊事例にしか運用できないような少数精鋭の部隊など、〈特務〉はともかく、〈軍部〉としては使い勝手の悪い大砲や大刀の類だったに違いないのだから。
 汎用兵器であるならば、それらの能力者の能力に頼らず、どのような作戦にでも適応できる。〈特務〉だからと、過度の特別扱いをせずにすむのだ。
 ならば、その運用について世論を味方につけるべく、その姿を先に見せ、その実力を目の当たりにさせ、そして装備についての賛同を得る事が――遠回りに見えて、一番近道である。
 政治とは、結局、世論を納得させる為の証拠をどれだけ認知させられるかという、プロパガンダの最頂点でしかないのではと思いたくなる木伏だ。
 仮にギルが笑い、反対しようとも、彼だって世論には勝てやしないのだ。世論を小馬鹿にして笑い、それ以上の兵器を作ったとしても――それは世論の隅に小さな風穴をあけるだけに止まってしまうだろう。
 ギルがどれだけ上層部に大きな力を行使できるのかわからないが、酒上誓子が、酒上生が、これだけの準備をし、配置させることを納得させているということは、残念ながらギルの準備不足であったことは否めない。
 それとも、これもギルの作戦か何かなんだろうか?
 彼がこうも易々と下手にでるとは、想像できないのだが……。
「木伏さん」
 三条の声に我に返ると同時に、両肩を彼に捕まれていた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが?」
 三条の言葉に、弥彦がぎょっとする。不思議そうに
「え? そうで――」
 弥彦の言葉を、三条が片手で押さえた。
「もちろん、あんたの方が顔色悪いけど。木伏さんは化粧で隠してるんだよ」
 そんな事はないと言う前に、弥彦は渋々頷き――三条は木伏の耳元で囁く。
「『無意識の目』を用意してください」
 のっぴきならない声色に、三条を見返すことしかできない。
 三条は、木伏の顔色を伺うフリをして顔を近づけ、彼女にしか聞こえぬように続ける。
「我々の他に、実験を見てる奴がいます。研究者じゃありません、見学者です。誰なのか確認してください」
「え?」
「後で話します」
 頷くと、三条はそのまま離れた。弥彦が心配そうな目でこちらを見ている。
「大丈夫。弥彦くんの方が、よっぽど酷い顔してるって」
「そうなら良いんですけど……ほら、僕が寝てて知らないうちに、木伏さんも苦労されてたんじゃないかって」
「苦労してるっていうか、いつもどおりの苦労。心配ないって」
 それでもチラチラとこちらを伺う弥彦に苦笑しながら、左腕の簡易モニターをこっそり準備する。
 『無意識の目』を発動。
 目の前のデモンストレーションは、いつの間にか複数の〈シェルドライブ〉による集団戦闘へと移行していた。
 先と同じように、次々とダミーの人形が射出される。
 三方から〈シェルドライブ〉がタックルし、身動きを封じたところで残りの〈シェルドライブ〉が頭部を鉤で掴み、破壊。筒にしか見えなかった脚部も、跳躍力を高める装置が組み込まれているのか、空中にいるダミーにも同じように三方を取り囲んで飛びかかり、一体が頭部を破壊して飛び降りる。
 それらの合間に、木伏は『無意識の目』を確認。
 自分たちを俯瞰で眺め、そしてそれを更に俯瞰する。
 どんどんと広がる視界。これと似たような感覚を〈シェルドライブ〉の中の人間は実感として味わうのだろうかと想像しながら、更にその能力の視界をぐるりと回してみる。
 あるべき壁を通り抜け、更にその奥の人々の姿と立ち位置、表情を眺め。
 そして、研究者たちのブースへ。
 研究者たちが、このデモンストレーションを行うべく、指示を出すブースだ。操作パネルが一面に広がる中、マイクで指示を出すもの、アームを操作するもの、計測値を監視する者、様々な人々が詰め込まれている。
 三条は研究者ではないと言っていた。見学者だと。
 そして木伏は見つけた。
 軍服を身にまとった三人の男女。
 一人は女性だ。木伏と同じぐらいの年齢だろうか。凛とした面もちの女性。肌は白いが乾いた白木のようだ。
 だが、ふと見せた笑みに木伏はどきりとする。まるであどけない童女のように、心の底から楽しげな顔をするのだ。それはギルの冷笑とは真逆の、見ているこちらも微笑んでしまいそうになる笑みだった。
 そしてもう一人も、やはり同じ歳格好の男性。ただしこちらは、筋肉質のしっかりとした肉体を保っている。
 傍らに立つ女性の、童女のような笑みに苦笑で答える様子は、互いに良く知った仲である事を容易に想像させた。
 木伏と弥彦が退職間際まで一緒に行動していたら、あんな風に見えるんじゃないかと――自分たちの将来の姿を見せられているようで、木伏は思わず苦笑い。
 彼らの階級章が、Bクラス警備部長である事も想像に拍車をかけた。現場主義で、出世など考えなかった人たちなのだろう。あの年齢ならば、武技や作戦の指導官である可能性も高い。
 だが、その木伏の苦笑もすぐに消えた。
 もう一人の人物。
 酒上生参謀――酒上誓子の夫が、昨日も目にした穏やかな笑みで〈シェルドライブ〉の動きを見守っていた。
 そしてゆっくりと頭を巡らす。
 ギルと同じように――見えるはずのない木伏に向かって、困ったように微笑んだ。



 柚実たちがシェルターに着くと、運搬の見張りをしているだけで、特に何もすることはなかった。
 ケネスに命じられたコージが、その能力で周囲の〈人格波動〉を監視していた事ぐらいだ。
「こんな時ぐらいしか、俺の力って役に立たないからさ」
 どこか悲しそうに言ったコージは、能力を使っている間、集中しているのだろう、地面を眺めて動きを止めてしまった。
 邪魔をしてはいけないと、柚実は彼の護衛も兼ねて側に立つ。ケネスも彼を気遣って、何度か様子を見に来ていたが、柚実が簡易敬礼を返す度に、黙って引き返していった。
 荷物を運搬するシェルターの人たちが、その重さに対して毒づきながら入れ替わり立ち替わりし、柚実はその顔ぶれに見覚えがない人物はいないかと眺める。
 単純な監視作業でぼーっと霞んでくる脳裏に、時折思いがけない言葉が飛び込んでくる。

「三百はやっつけたって噂だぜ?」
「そりゃさすがにウソだろ! せいぜい、戦闘に突入してから二時間だぞ?」
「いや、あのバカデカいのが現場に到着する前に、素手で随分やってるらしい」
「それはあの、〈特務〉の赤い目の奴と間違えてるんじゃねぇのか?」

 柚実は三条の異形を思い出した。
 彼は〈赤目のフリーク〉ではなく、身体能力の高い怪物化する能力者だと思われているようだ。
 無理もない。〈特務〉のジャケットを着ている都市伝説の化け物の方が、存在としては不思議この上ない。

「どっちでも良いけどさ、一人でも来てくれりゃ楽なのにな」
「あの手甲、このコンテナぐらいの重さあるんじゃねぇのか?」
「いや、〈特務〉だから何か細工してんだろ?」
「違うって聞いたぜ? 知り合いの知り合いに、〈特務〉の事務をやってる奴がいて」
「あんなの振り回せる人間がいるかってんだ」
「そもそも、どうして〈フリーク〉なんて出てきたんだ? 伝染病だろ?」
「いや、伝染病って説もあるだけで、正確にはわからねぇって話だ」
「〈特務〉が多すぎるから、〈フリーク〉も増えるんじゃねぇの? 〈特務〉って、〈フリーク〉の亜種なんだろ?」
「え? マジで?」
「そういう説もあるって話」
「じゃあ、〈特務〉が悪ぃんじゃねぇか」
「待て待て待て。だったら自分たちの蒔いた種なんだから、〈特務〉が片づけるのは当たり前じゃん」
「そりゃそうだ」
「ということは、あの赤目の化け物の〈特務〉と、手甲の兄ちゃんに頑張ってもらって、俺たちは感染らないように引っ込んでろってことだ」
「それにしても、えらい迷惑だよなぁ。街中、死人だらけだし、道路はボコボコだし、テロリスト連中がウジャウジャ出てくるしで、何を信用したらいいのかわからねぇ」
「大声で言うなよ。奥でボランティアしてる奴、〈E.A.S.T.s〉だぜ?」
「マジかよ!」
「テロリストっていうから、ゴツいオッサンばっかりだと思ってたんだけどな、ここの炊き出ししてるおばちゃん達もそうだってさ。気をつけろよ、優しくても、いきなりドカンとやらかすかもしれねぇから」
「うわ……勘弁してくれ。ここにも奴らがいるなら、もう、どこも誰も信用できねぇよ」
「一つだけわかってんのは、あの手甲の兄ちゃんは俺たちの味方だってことだな。あの兄ちゃんが〈フリーク〉を全滅させれば、テロリストも引っ込むだろうし、家に帰れるってもんだ」
「そいうことか。それもそうだな」

 柚実は一度、天井を仰いだ。
 コージの言ってるように、弥彦や三条は有名になってしまったらしい。
 端末をチェックした時、テロリストとされる〈E.A.S.T.s〉が共闘を申し出たとは聞いていたが、それを受け入れる声明はまだ発表されていないはずだ。
 だが、市井ではすでに、彼らによる活動がはじまっているのだろう。
 置いていかれるという感覚に、柚実は今更ながらに気づいた。
 弥彦や三条が、この騒ぎを収束させるキーマンだとわかっていた。
 その弥彦と三条と、自分は同じ部隊に所属している――つまり、この騒動の最先端に柚実はいるはずだ。
 なのに、全く状況が掴めていない。
 一裕の顔が浮かんだ。冷徹な、何も知らない柚実を見下す顔。
 そうされても仕方がない――昨日は存在した反発も、今は全くといって良いほど見あたらなかった。
 普通の人ですら知っていることを、自分は全く掴んでいない。渦中の人間だというのに、把握しようともしていなかった。
 柚実は動かないコージを横目で確認する。
 おそらく、柚実は焦りすぎてるのだ。
 ギルの集めた人材は、確かに凄い人物ばかりがそろっているのかもしれない。ギル自身も凄い研究者なのだろう。
 だが、ケネスのように尊敬できるリーダーとは言いがたく、小隊としての行動力には欠けるところがある。
 個人の能力が突出し過ぎている為、初心者の柚実には、その凄さも、どこから近づけば良いのかもわからなかったのだ。
 迷っているうちに、普通の〈特務〉が普通にこなすべき事柄まで、わからなくなってる――それに、ようやく気がついた柚実だ。
 最初から何もかもできるわけがないとわかっていたが、だからといってできることすらやっていなかったのは、柚実の失敗であるし、それを一裕は見抜いていたのだ。
 普通をこなした上で特別な〈特務〉となった一裕だからこそ、柚実を見下せるのだ。
 だが、コージは違う。
 彼の年齢や口調から察するに、彼も〈特務〉に入ってそう月日を重ねたわけではなさそうだ。
 だが柚実よりは〈特務〉に詳しく、柚実よりも感情のコントロールができているように見える。
 彼だって、自分の部隊の人間が何人も目の前で死んだのだ。柚実のようにショックを受けていても不思議じゃない。
 それでも彼は、既にショックを乗り越えてる。
 自分と近しい人間が、同じような経験から立ち直っているのだ。
 つまり、三条や弥彦、一裕たちのように、手の届かぬ方法ではない。
 柚実は心の中で決意した。
 彼に学ぼう。
 彼と一緒に行動して、彼と一緒に弥彦や三条を助けよう。
 一人ではわからなかったり、戸惑うだけだったり、孤独に感じていた事も……この実直な同世代の少年となら、彼と一緒に試行錯誤するところからはじめれば、なんとかやっていけそうな気がする。
 そして、〈軍部〉しか知らない一裕を見返してやる。
 弥彦のように、どんな時でも戦えるような〈特務〉になってやる。
 木伏のように、身の回りの細々した手続きをこなしたり、誰かの気遣いができるようにしてやる。
 ギルのように、危険の芽を察知して対処できるような観察力を身につけてやる。
 そして――。
 三条がしてくれたように、せめて自分の大事な人々だけでも助けだしてやる。
 いや、絶対に守り抜いてやる。


 ケネスが休憩を取れとやってきて、コージが顔をあげた。
 走り終えた時のように顔を赤くし、何度も深呼吸している。息を乱しているわけではないのだが、息が詰まるほど集中していたようだ。
 自分を見ている柚実の視線に気づき、今日三度目になる驚きの顔。
「え? なんか、あった?」
「え?」
「少し柔らかくなった」
「どういう意味?」
「えっと……怖くなくなった、みたいな? なんか、いい感じだよ。急にどうしたの?」
「そうかな? 自分じゃわかんないよ」
 柚実は――脳裏に浮かんだ美雪の死体を、その叫び声を、そのまま放置する。
 美雪の死体は、きっと、ずっと忘れない。忘れられない。忘れてはいけない。
 こうやって、今後も、何度も、記憶から這いだして来るだろう。
 這いだして来るのに任せればいい。
 忘れないように、もう二度と彼女のような犠牲者を出さないように、〈特務〉として生きる――そう決意した以上、美雪は柚実の監視者だ。
 美雪の姿を思い浮かべる度に、自分が努力しているかを見極めればいい。
 それが、今の柚実にできる数少ない事柄の一つだ。
 そして、その努力を、同じ高さから見てくれるだろう人が目の前にいる。
 柚実は、やっと、自分の能力者としての生き方が見えたような気がした。



 夕刻になり、〈本庁〉の前で次の交代要員である部隊を目にし。
 さすがのケネスも驚きに顔をしかめた。
 夕闇の中でも白く浮かび上がる異様の丸いスーツには、悪夢にも似た笑いしか浮かばない。
「通称〈シェルドライブ〉ですね」
 一裕がケネスに告げると、初老の隊長も頷いた。
「話には聞いていたが、想像以上の……なんというか、ふざけた姿だな」
「しかし、想像以上にエグい兵器でもあります」
「それも聞いている」
 ケネスは、この寄せ集めの部隊で唯一頼れる人間が、若干十六歳である一裕だと、しっかり見抜いていた。
 むしろ、子守のようなこの部隊とも呼べそうにない部隊を、形だけでも維持できているのはケネスと一裕の、知識と攻撃力に特化した二人が固めているだけに過ぎない。
 まるで潜水服のように頭部のカバーを捻ってはずした相手の部隊長は、急に外界に出た眩しさにぼんやりしながら、ケネスからの引継命令書を交換しあった。
「夜明けと共に、三軍共闘宣言と警戒指令が発令されるとの噂がありますね」
 ケネスの言葉に、相手はゴツゴツと、つるりと膨らんだ胸元を叩いて見せた。
「こんな物が支給されてるんですからね、もう始まってるようなもんですよ」
「着心地はどうですか?」
「外見さえ気にしなければ、上々です」
 むしろと、彼は続けた。
「こんなに素晴らしい物だとは思いませんでした」
「ほう?」
「能力を使っている時以上に、自分が世界の一部だとわかりますよ。同時に、何もかも手に取るようにわかる。この鎧の強度もありますが、何をされるかわかるから、何をすれば避けられるかもわかるんです。今まで他人をどうこうできる能力じゃなくても、そこの電柱の一本ぐらい簡単にへし折れるようになったんです。凄いですよ、〈特務〉全員に行き渡ったら、大陸を征することもできますね!」
「なるほど」
 ケネスが不信を露わにしているにもかかわらず、興奮気味に頭部カバーをかぶりなおしながら続ける。
「もう、この騒ぎが終わらなければ良いと思うぐらいです。ずっと、これを着ていてもいいぐらいだ。〈フリーク〉だろうが〈E.A.S.T.s〉だろうが、いつでもかかってこいってね!」
 笑いながら立ち去る彼らを見送ってから、ケネスは皆に振り返った。
「元エンジニアとして、忠告する」
 一人一人をじっくり見回した後、特にアーガイルを見据えて言った。
「全能になれる兵器などあり得ない。もし、あれを支給されたら、運用には気をつけるんだな」
「待ってくださいよ、隊長。技術の進歩って奴でしょ? そんなにビクビクするこたぁないんじゃ? 俺、アレみた瞬間、コーラ吹きましたよ」
「外見じゃないんだ、アーガイル。アレは人間を人間じゃなくす兵器かもしれないって言ってるんだ」
「わかりません。人間じゃなくたって、〈フリーク〉ぶっつぶせば良いんでしょ? だったらアレでいいじゃないですか」
 ケネスはアーガイルの言葉を無視。
「では、本日は解散」


 柚実はコージを顔を見合わせた。
 丸一日、まともな食事をしていなかった柚実の夕食に、コージがつき合うと約束したからだ。
「俺もクタクタだから、食べるだけね」
 コージは半日間、ずっと能力を使っていた。クタクタという言葉が嘘ではないとわかっている。
「少しでもおしゃれなところに行きたいけど、こんな事態だしね。〈本庁〉の食堂しかないって言うのも残念だけど」
 二人がケネスの背中を追うように歩きだした時だ。
 いきなり背中にのしかかった重みに、柚実は転びそうになった。
「どこ行くんだい?」
 背中から抱きついてきたアーガイルが耳元で囁き、柚実は悲鳴をあげそうになった。
 何よりも嫌悪感が背筋を走った。
「コージみたいな情けない奴はほっといて、俺と食事に行こうぜ? なんなら、手料理でもいいぜ? うちに来いよ」
「……結構です」
 なんとか突き飛ばしたい気持ちを押し返し、それだけ告げる。
 アーガイルの騒がしさと無神経な言動には、昨日以上に苛立っていた。彼のアピールをことごとく無視する一裕に、初めて尊敬じみた感情を覚えたぐらいだ。
 薄々感じてはいたが、そのアーガイルが、コージと仲良くなった柚実を目につけていること、そしてそんなコージを生意気だと感じているらしいこと――そしてそれだけに、解散後に何か話しかけてくるだろうとは思っていたが、こんなに直接的に迫ってくるとは思わなかった。
 馬鹿なんだと、柚実は脳裏に浮かべた。
 自分がどう思われているのか察することのできない馬鹿。
 自分も鈍感な部類だと思っている柚実だが、比べたくもないぐらい酷い鈍感さだ。
 唖然としている間に、コージを小突き、彼がよろめいたところを蹴り飛ばす。
 思いがけない事に受け身も取れず地面に叩きつけられたコージを目にした時――柚実はほんの少しだけ、アーガイルに感謝した。
 怒りが沸き上がったからだ。
 自分の周りの人間を守ろうと誓ったそばから、理不尽にも叩きつけられた同僚の姿に――久しく忘れていた怒りが瞬時に吹き出した。
 アーガイルの手と自分の体の間に、『銀色の壁』が出現する。
 能力の『壁』はアーガイルの腕を体から引きはがし、対面へ回り込む。驚くアーガイル、その顔面に立ちふさがる『壁』。
「コージさんに何するんですか!」
「お? 怒った?」
「怒ってますよ、当たり前じゃないですか! コージさん、私に気をつかって食事に誘ってくれたのに、アーガイルさんに蹴られるような事は何もしてないでしょ?」
「俺の邪魔をするからだよ、コージのクセに」
「アーガイルさんこそ、邪魔です!」
 アーガイルは、入れ墨の竜をあやすように顎をかいた。
「なんだよ〜、せっかく優しくしてやろうと思ったのに。コージなんてな、昨日の夜、ずっと泣きっぱなしだったんだぜ? やっと寝たと思ったら夜中に飛び起きて、また泣いてやんの。そんなのと一緒にいたら死んじまうぜ? うちの部隊にいた女も、こいつの隣りで胸えぐられて死んだってのに。そんな死に方で良いわけ? そんな情けねぇ奴より、俺と一緒の方がずっと安全だぞ〜?」
 コージは起き上がりかけた姿勢のまま、アーガイルに暴露された昨夜の事を、そして自分が助け出せなかった同僚の事を思い出したのか、真っ青な顔で硬直。
 柚実の我慢の限界だった。
 『銀色の壁』を再度発現、アーガイルの体に押しつける。
 そのまま、ずっと押し続けた。
 勢いに押されたアーガイルが、小さな悲鳴を上げながら後ずさり続け、逃げようと体を捻る度にそれを追いかけて押し続ける。
 〈本庁〉の前にある、門柱に彼の体を押しつける。
 それでも、尚も、押し続ける。ぐえぇとアーガイルが呻いたが、それでも更に押し続ける。
 アーガイルの顔が苦痛に歪むのを、柚実はざまーみろと笑った。
 もっともっと、アーガイルがもう二度と柚実やコージを笑い者にできないように痛めつけてしまいたい。
 もう、何も言えないぐらいに痛めつけてしまいたい!
 そのアーガイルの顔が消えた。
 正確には、柚実の視界が遮られた。
「もういいだろ」
 一裕だった。
 いつの間にか柚実の横に立ち、煙草をくわえ、右手を突き出して柚実の視界を遮っていた。
「あんな奴の為に、人殺しになる必要はない」
「……どうせ――」
「あの女の事か? あれは守れなかっただけだ。おまえが殺そうとしたわけじゃない」
「今だって殺そうとなんてしてません!」
「嘘をつくな」
 断言され、柚実は彼を睨む。この男の言葉が、どれだけ柚実を追いつめてきたのか、わかっているのだろうか?
 そして、どうして邪魔ばかりするのだろうか?
「……私と同い年なら、未成年でしょ? 煙草なんて吸って良いんですか?」
「俺は特例許可をもらってる。〈特務〉Aクラスのストレス解消法の一環だ。なんなら、許可証を出そうか?」
「それで、いつも大人ぶってるってわけですね?」
「大人と同じだけ仕事をしてるんだ。見返りを求めるのは当然だ。むしろ、何もしないでイライラした挙げ句、無差別乱射されるより良いだろ?」
 柚実は能力を閉じた。
 解放されたアーガイルが地面に膝をつき、毒づきながらせき込んでる。
 一裕は呆然と立ち上がったコージに顔を向け、無表情に告げる。
「おまえも大変だな。馬鹿二人を相手にしてるんだから」
「……柚実さんは、馬鹿じゃないですよ」
「そうか。お前も馬鹿の一人だったのか」
 一裕は柚実の前から腕をおろした。
「さっさとメシを食ってこい。いつ召集かけられるかわからないんだぞ、素人ども」
 言いおいて、毒づいてるアーガイルに向かって歩きだす。
 何をするのかと見ていた柚実の袖を、コージが引く。
「行こう」
「でも――」
「一裕さん、俺たちが行けるように、あいつを足止めしてくれるつもりだよ。早く行こう」
「……そう、かな?」
「怖いけど良い人だよ。ウチの副隊長みたいに」
「でも、ムカつく奴だって」
「今は良い人なんだから、ありがたくご飯食べよう。次にちゃんと食べれるようになるのがいつになるかわからないって、一裕さんも言ってたじゃん」
 同じ事を言ってるはずなのに、どうして一裕とコージではこんなにも印象が違うのだろう。
 一裕がアーガイルと何を話すのだろうと思いながらも、柚実は袖を引かれるまま、〈本庁〉の中へと急いだ。



 一裕=和政が、膝をついて苦しんでいるアーガイルの近くまで歩みを進めると、彼は顔をしかめたまま、こちらを見上げて更に咳込んだ。
「ふざけやがって!」
 咳がおさまりかけると、さっそく舌打ちしてみせる。
 つまらない男だと、和政は吸い殻を携帯灰皿に突っ込みながら思う。できれば、視界にすら入れたくない。
「あの女にご執心のようだな」
 アーガイルは和政の言葉に、更に舌打ち。
「別に、あんなガキなんざ気に入るも何もねぇよ。ギルのお気に入りって聞いてるから、ちょいと遊んでやろうと思っただけさ」
「ギル?」
「〈本庁〉の妖怪。そんでもって、あんたのパトロンのことだよ」
 なるほどと、和政は頷いた。
「ギルに取り入ろうって魂胆か」
「そういう言い方は良くねぇよ。あんたと同じってだけさ。チャンスが欲しいんだよ、俺は。出世する為の舞台が、俺の周りにゃ絶望的に見あたらねぇ。俺が俺自身の手でチャンスを作って、何が悪い?」
 和政はほんの少しだけ、彼を見直した。
 ただの馬鹿だと思っていたが、自分で這い上がる気力があるだけ、ただのんびりと職務をこなすその辺の〈特務〉の人間とは違うようだ。
 だがそれもつかの間の事。
 アーガイルは地面にあぐらをかいて、頬杖をついた。
 意地悪く、和政の顔を仰ぎ見る。
「あんたの事も、ちゃんと知ってるぜ。ケネスのじいさんから、ギルの部隊と組むって聞いてから、急いで調べたんだ」
「ほお?」
「あんたの本名まではわからなかった。あんた、作戦で辺境から呼び出される度に名前変えられてるらしいしな。ただ、ほとんど全て、ギルが呼び戻してる」
「それで?」
「あんた、ギルのお気に入りの御稚児さんなんだってな? 上層部の護衛に、随分派遣されてるらしいじゃないか。ギルだけじゃなく、裏にはもっとウジャウジャパトロンがついてるんじゃないかって、そこらでも評判だぜ」
 和政は黙って手元の端末を繰る。
 途中で〈人格波動認識錠〉が作動、和政は認識プレートに手を乗せ、本人であると確認させる。
 ロックが解除され、和政の手元にデータが流れ出す。
 和政はアーガイルを検索。
 それら一連の作業を、アーガイルはニヤニヤしながら見守る。
「今更焦っても無駄だぜ、御稚児さん。人の口には戸を立てられねぇってな。俺の出世の口利きしてくれりゃ、あの女なんざどうでもいいし、悪いようにはしないぜ? なんなら、俺があんたを丸ごと買ってやろうか? ギルから俺に乗り換えてもいいぜ?」
 和政は検索結果を確認。
「おまえは対象者らしいな」
 通信を切り、端末をしまい込みながら和政は呟く。
「まだ許可が出ていない。残念だ」
 新しい煙草を取り出しながら、アーガイルの笑みを再度確認。
「そうだな……とりあえず、あんたもメシを食うんだろ? 奢ってやる。来いよ」
 空気の読めないアーガイルでも、さすがに不安に思ったらしい。
「……どういう意味だ?」
「どうした? 俺のパトロンになるだの言っておいて、食事につき合う度胸もないのか? ギルの事を少しぐらい教えてやっても良いかとおもったんだがな」
「俺に度胸がないって?」
「証明したけりゃ、一緒に来いって言ってんだ。売ってやるとは言ってない、こちらにもお前がどんな奴か知る権利はあるだろ? どうする? 行かないなら置いてくぞ」
 アーガイルは拍子抜けしたように口を開け。
 そして、さっさと歩きだした和政=一裕の後を追って立ち上がった。






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