R-T-X 「4・少女と青年」
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――どうしよう。
 心の中で呟きながら、佐々木柚実はベッドの上に転がる。着なれた高校の制服が皺にならないかという懸念が一瞬だけ浮かび、あっという間に通りすぎていった。今日は走り疲れて今すぐ着替える気にはならない。
 普段からの習慣でテレビをつけてみると、近頃はやりの連続通り魔事件の続報が報じられていた。また犠牲者が出たらしい。けたたましく話しだすリポーターをしりめに、柚実は自分の思考に目を向ける。
――どうしよう、これ。
 ぼんやりとしたまま、ポケットをさぐる。取り出すのはまぶしく光を反射する銀のカード。まるで長方形の鏡のよう。
――帰り道、何もなかったのはこれのお陰かもしれないけど……
 腕を伸ばして、柚実は自分の顔を写してみようとする。無意識に、この銀色のカードを受け取った情景を思い出す。



 〈軍部〉第七支局の窓口。職員と口論していた柚実に向かって声をかけてきたのは猫背気味の一人の男だった。
 広いエントランスの、夕刻特有のざわめく中――逆光を背に現れた男。
「お前にやるよ」
 三十代半ばの白衣の男。彼はぞっとするようなニヤニヤ笑いのまま、カードを突き出した。平凡な顔立ちに人のよさそうな眉。それがこの男のものになると、途端に凶悪さを強調するパーツになってしまう。
「これは……フフフ、いうなればお守りみたいなものだ」
 柚実が不信げに輝くカードを見ていると、男はじれったそうに柚実の手を取って握らせた。
「何ですか、突然」
 振り払おうとするが、男は見かけよりもずっと強い握力で柚実の腕を締め付ける。何が何でも渡すつもりだというのが垣間見え、柚実は正体の知れない恐怖に声をあげた。
「やめてくださいっ!」
「持っておけっていってるだろ? このままだと死ぬぞ?」
 秘密を打ち明けたように囁くと、何がおかしいのか柚実を見つめてクスクスと笑った。物騒な物言いに動きを止めた柚実を見てもう一度ふくみ笑い。
「……困ります、こんなのもらっても――」
 「もらっておきなよ、おねぇちゃん」窓口の中年職員が小声で忠告するのに気づいた白衣男は、眉をゆっくりとつりあげて見せる。
「受け取っておけ。全身を引き裂かれる死にかたが好みなら止めはしないがな」

 柚実はカードをベッドの横に放り投げ、寝返りをうつ。
「なんで、〈軍部〉になんて行っちゃったんだろう?」思わずひとり言。
 気味の悪い男に、気味の悪いカードを渡され、「死ぬぞ」なんて脅されて。
――全部、お兄ちゃんが悪い。
 柚実は銀のカードに自分の身をうつしながら、ぼんやりと――見た事の無い今の兄を想った。
 柚実の兄は幼い頃に別れたきり、会った事がない。両親を事故で無くした柚実達は、叔父の家に引き取られたのだが、本人の強い希望があって、当時十歳の兄は〈軍部〉の幼年学校の寄宿舎に入った。
 〈軍部〉の学校は全面的に教育費が免除される。家計を気にしたのではないかというが、真意はわからない。それ以来、兄はこちらから何度手紙をだしてもなんの音沙汰も無いのだ。
――相談したい事があるっていうのに……。



 問題の始まりは、つい最近――三日前の事だ。
 柚実は女にしては背が高く、百七十センチ近くある。運動神経が良い事もあって、部活ではバレーボール部に所属している。その部活動の帰りだった。
 夜道を急いでいた柚実は路地裏で蠢く影に気付き、なんの気も無くそちらに目を向けた。
 赤い二つの光が見えた。
 そして、その二つの光の下で、何かがビチャビチャと音を立てているのが聞こえた。
――え?
 おもわず足を止めた柚実は、その「音を立てているモノ」が地面を這い、ゆっくりとこちらに流れてくるのを見た。
 それは、上空で輝く赤の光よりもずっと現実味のある赤の色をした液体だった。
――血? まさか。
 液体を踏みつけて、赤の光が前に出た。
 赤銅色の肌が、街灯に煌いた。腕や肘から飛び出した曇りガラスのような爪の先から、絶え間無く血が滴っていた。
 そして、その大きな手にぶら下げられた人の身体。その顔面からボタボタとこぼれる血潮。
 片方の手に握られた肉片と二つの人間の眼球。
 やばい!
 本能と理性が逃げろと命じていた。それなのに身体は動かない。こちらも、本能の命じるまま、圧倒的な恐怖に立ちすくんでいたのだ。
「見たな?」
 低い声が、嘲笑う。顔はよく見えなかったが、ゴツゴツとした皮膚と異様な風体が見えたような気がした。
「次はお前だ」
 そして、人影は瞬時に背後の闇に飛び下がり消えうせた。
 慌てて逃げ出した柚実は、家に帰ると部屋に閉じこもり、震えていた。柚実は勝気だと同級生によく言われていたし、その時までは自分でもそんな評価はあながち外れてはいないと思っていた。だがさすがに彼女が想定しなかった現実には神経が耐えられなかったのだ。勝気なだけでは打ち勝てない精神的ダメージと現実的な恐怖に彼女は震えていた。
 しかしその夜は何もおこらなかった。
 夢ではないかとすら思った。翌朝は何もおこらなかった馬鹿馬鹿しさに腹が立ったぐらいだ。



 しかしそう簡単に悪夢は終わってくれなかった。
 翌日、あの場所で発見された連続通り魔事件の報道を見、あそこで見たものが本当にあった出来事だったと知った。
 自分だけが知る犯人の姿――それも、御伽噺のような化け物の姿――を、誰に話せばいいのだろう?
 誰に話しても馬鹿にされるに違いない。
 あの姿はまるで……〈赤目のフリーク〉のようじゃないか。
 そして、誰にも言えずに悩み続けていた柚実の前に、新しい問題が現われたのは――今日の昼間の事。



 そいつがはじめて現われたのは、学校だった。
 柚実の通う高校の校庭。窓際の席である柚実は、校庭を横切る人影に気付いた。
 それは背の高い、同じ高校の制服を着た少女だった。そのまま視界の端まで歩いていった少女は、自分達のいる校舎に入っていったようだった。その時は気付かなかったのだ。遅れて登校した生徒だと思っていた。
 ただ、自分と同じヘアバンドをつけていることだけが印象に残った。彼女が肌身はなさず着けているヘアバンドは、尊敬していた部活の先輩からもらった品だったからだ。
 次に見たのは、教室。
 そいつは、授業中の教室に突然入ってきた。
 その無礼な振る舞いに唖然とした柚実は、次いで相手の顔を見、愕然とした。
 それは、柚実の顔だった。
 柚実と全く同じ人間。
 柚実と全く同じ姿。
 つかつかと歩く姿さえも、いつかビデオで見た自分とうり二つ。
 もう一人の柚実は、教室中を歩き回る。
 だが誰も、その姿に気付いているそぶりは無い。そして、もう一人の柚実も、教室の様子を気にする風でもない。
 何か――落し物を探してるように、やや下を向いて歩いている。
――私だ。
 柚実は直感した。彼女は、私を探してる。自分を見る事のできる私を、もう一人の私を探してるのだ。
 徐々に自分の方へやってくるもう一人の自分。
――見つかったら……。
 見つかったら。
 どうなる?
――殺される。
 柚実の脳裏に、先日の化け物の姿が浮かんだ。そして「次はお前だ」という言葉。血を垂れ流しながら動かない見知らぬ体と、手の中の眼球が、自分をキョロリと見つめていた事を。
 耐えられなかった。何もせずに惨殺される――それも、誰も知らない化け物に――そんな事には耐えられなかった。
 まだ何もしていない。生きていたい。
 その想いに突き動かされて、柚実は席を蹴って走り出した。教室から飛び出す柚実の背後から、教師と生徒たちの声が響き渡ったが、それに構っている暇は無い。
 走った。何度か後ろを振り向いたが、あの「もう一人の柚実」は見当たらなかった。
 それでも柚実は感じていた。彼女が自分を殺しに来たと察した感覚と全く同じ直感の確かさに従って、彼女がまだ自分を追いかけている事をヒシヒシと感じていた。
 走り続けた。どこに向かえば良いのか、最初はわからなかったが、次第に――疲労に重くなって行く身体とは対照的に、霞みがかって行く思考から浮き出るように、一つの目標が脳裏にこびりついた。
 〈軍部〉だ。〈軍部〉本庁で、お兄ちゃんに会おう。
 最年少で〈特務〉に入隊したお兄ちゃんだ、きっと助けてくれる。
 〈特務〉の人間に、一般人がアクセスする事が出来ないと知ったのは、窓口にたどり着いてからだった。



 そして、あの白衣の男に会ったのだ。



 玄関のチャイムが鳴る。急に、家の中が騒がしくなった。
 一階の物音が、二階にある柚実の部屋まで響き渡る。
――学校の人かな?
 〈軍部〉から直接家に帰ってきたから、持ち物は全て学校に置きっぱなしだ。誰かとどけに来たのかもしれない。
 おそらく、これから学校で何があったのか聞かされるに違いない。帰宅した時にはなんの咎めもなかったから、養父母達は、これから、柚実の奇妙な行動を知るのだ。
 人の良い彼らの顔が、悲しそうに――そして怒りに歪むのを想像するだけで、柚実はいても立ってもいられなくなった。
――お兄ちゃんがいれば……。
 兄なら、〈特務〉の兄なら、あんな化け物――〈赤目のフリーク〉なんて、簡単に退治してくれるのに。
 もう一人の柚実さえも、恐れることなど無いのに。
 階下のざわめきが酷くなった。どうやら来客は一人二人ではないらしい。
「柚実〜? お客さんが見えてるわよ〜?」
 階下から養母の声。問題行動をとった生徒を、養母の前で叱りつけるつもりだろう。
――それどころじゃないのに
 いつまた、もう一人の自分が現われ、殺しに来るかもしれないのに。
 養母には悪いが、呼びかけを無視し、再び銀のカードにうつる自分を見つめる。
――自分は、頭がおかしくなってしまったんだろうか?
 誰にも見えない人影に怯えてるなんて。化け物の人殺しなんていう妄想に怯えてるなんて。
 ベッドの上で寝返りをうった柚実は、息をのんだ。



 銀のカードの奥。映し出された風景の中に――
 自分がいた。
 もう一人の自分が、ベランダに立っている!



 ベッドから飛び起きた柚実は悲鳴をあげた。
 自分でも驚くほどの声量で、部屋がビリビリと振るえる錯覚さえ覚えた。息が切れるまで叫び続け、悲鳴をあげることに集中すると、ほんの少しだけでも死の恐怖がまぎれるような気がした。
 もう一人の柚実がベランダのガラスに拳を振り上げた。薄氷のようにあっけなく粉々になる。
 機械じみた動きで部屋に侵入した偽者は、まっすぐ柚実に向かって歩き出す。
 柚実も急いで部屋から逃げ出そうと立ちあがる。
 だが、声にならない叫びと共に、柚実はその場に座り込んだ。恐怖にガタガタとふるえる膝が、柚実の身体を支えきれなくなったのだ。
 偽者が、グイッと柚実の襟首を掴んだ。信じられない力で、柚実の身体を掴みあげる。
 そして、ガラスを割った時と同じ、単調な動きで拳を振り上げた。
――お兄ちゃん!
 転瞬、柚実の視界が真っ暗になった。
 拳を突き出しかけた偽者の動きが止まっている。
「……え?」
 良く見ると、柚実の視界を遮っている物が、微光を放っている。
 白衣の男がくれた、銀色のカードだ。
 何もないのに中空に浮かび、偽者の拳を受け止めている。
 偽者が再び腕を振り上げた。めくらめっぽう打ちつけてくる拳を、銀のカードは的確に移動しては受け止める。
『このままだと死ぬぞ?』
 白衣の男の不気味な笑みと声が、柚実の脳裏をよぎった。



「そこまでだ!」
 突然響き渡る、若い男の声。
 偽者と柚実の間に割って入ったガッシリした体格の男は、力任せに柚実の身体を偽者から引き剥がした。偽者の掴んでいた制服が引き千切られる。身体の前面を覆う布が無くなり、柚実は反射的に身を守ろうとうずくまる。
「大丈夫かい?」
 もう一人、新しく入ってきた男が柚実の身体をかばうように抱えあげた。そのまま部屋の外に連れ出す。
――〈特務〉!
 街中では滅多に見ない〈特務〉の制服。兄が着ているはずの〈特務〉の制服だ。見間違えるはずがない。
 偽者は乱入者に目もくれず、柚実を追って足を踏み出した。それを追って、先に割って入った男が偽者に掴みかかる。
「お前の相手は、僕だ!」
 偽者の細い腕が、その二倍は太い男の腕を掴み返す。
 そして、そのまま無造作に腕を振る。
「弥彦!」
 柚実を外に連れ出した男が、獣のような素早さで部屋に駆け戻った。
 先の男――弥彦の大きな身体が、紙のように振り飛ばされる。その身体を、後から駆けこんだ男が受け止める。
 だが。
 柚実の目の前で、信じられない事に男二人の体は一緒に吹き飛んだ。
 叩きつけられた壁が、大きく陥没し部屋中がひび割れる。
「だ、大丈夫ですか、三条さんっ?」
 弥彦の大きな体にすっぽり隠れてしまう三条の体。しかし、弥彦が慌てて立ちあがった時には、すでにその姿はない。
「やめろっ!」
 柚実に近づきつつあった偽者を、後ろから羽交い締めにする。
 弥彦の巨体でも抑えきれなかった偽者が、細身の三条の腕の中でもがき出す。
「弥彦、彼女を頼む!」
 三条の体がぐるりと捻られた。ベランダに向けて――柚実から遠ざけるように、偽者の体を放りなげる。
「ギル、こいつは始末して良いのか?」
 振り向いた三条の視線の先。弥彦と柚実も思わずその先を追って目を向ける。
「構わない。サンプルはいくらでもある」
 階下からゆっくりとした足取りでやってくる人影。煙草をくわえた白衣の男。
 柚実に銀のカードを渡した、あの気味の悪い男だ。
「ただし、とどめはさすな。いいな?」
 その答えに、無言で顔を歪める三条。
 床に叩きつけられていた偽者が、再び柚実に向かって歩き出した。
 三条がすっと構えを取る。腰を落とした、かっちりとした構えだった。
 偽者が、攻撃の気配を察したのか、三条に飛びかかる。それも、今までの機械じみた動きではない。三条が弥彦の助けに入ったときのような、獣じみた素早さだ。
 そして、三条もフッと気配を凍らせた。
 柚実の目には、彼の体が、その腕が、ほんの少しだけぶれたように見えた。



 バン!



 目に見えぬスピードで突き出された三条の生身の拳が、偽者の顔面に食い込んでいた。勢いを殺しきれず、後頭部がバックリとはぜ割れる。だが血は一滴もこぼれない。そもそも、血が通っていたのだろうか?
 偽者の動きが止まった。
「……これでいいのか?」
 振りかえった三条に、ギルが頷く。白衣のポケットから取り出した小型無線に向かって
「アヤメ、データを報告しろ」
 やや遅れて、女性の声が答え始めた。柚実には聞いたこともない数字と言葉の羅列。経文のように続くそれを、ギルはニヤニヤしながら聞き、頷いた。
「思ったとおりだ。なかなかの逸材だぞ、このお嬢ちゃんは」
「ギル、二重現身《ドッペルゲンガー》が活動を再開しました!」
 弥彦が引きつった声で叫び、柚実の体をかばう。
「やめろ、弥彦。そこをどけ。乱れた〈人格波動〉が本体に戻ろうとしてるだけだ」
 ギルの言葉に慌てて柚実から離れる弥彦。
 皆の見守る中、偽者はバランスを乱したフラフラという動きで柚実に近づいてくる。
「いいか、お嬢ちゃん」
 ギルが短くなった煙草をつまみながら
「少し苦しいかもしれないが、我慢するんだ。生きたいならな」
「……なんの、事、ですか……?」
「心配するな。お前を死なせるつもりはない。和政の妹だと知った以上、そう簡単に死なせてもつまらんからな」
「お兄ちゃんを知ってるんですか!?」
「知ってるも何も。アイツを〈特務〉に推薦したのはこの私だからな。さて……そろそろ始まるぞ。覚悟は良いのか?」
 偽者が柚実に手を伸ばした。
 それは、さっきのように柚実を掴んだりはしなかった。柚実の腕に潜りこむように、柚実の体に触れたところから消えて行く。
 同時に、柚実の体の端々から、いいようのない痛みが全身を締め付け始める。
 文字通り、激痛としか表現できない。
 痛みに声も出ない、息も出来ない。
 気付かぬうちに、柚実は床を転げまわっていた。その体を、〈特務〉の二人の男が抑えつける。
「大丈夫だ、しっかりしろ! すぐに終わる!」
 三条が後ろから抱きしめるように受け止める。痛みに混乱したまま、悲鳴をあげつづける柚実は、いつのまにか弥彦の腕を噛み千切らんばかりに咥えていたことに気付いた。舌を噛み切る恐れがあったのだろう。弥彦はとっさに、右腕を柚実の口に差し出したのだ。
 その時の苦痛が、いつ終わったのかわからない。
 柚実の意識が最後に記憶しているのは、誰かが自分の顔を覗きこんでいる風景だ。
 〈特務〉の制服のその人は、三条か弥彦のどちらかだったに違いない。
 だが、それまでの柚実にとって、〈特務〉とはそのまま兄の事だった。
「お兄ちゃん……」
 思わずそんな言葉を呟いた柚実は、そのまま意識を失った。




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