R-T-X 「11・涙と青年(中)」
←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1 | 13-2


 空気が変わった。
 はじまりは、静かなものだったはずだ。
 だが、気づいた時には既に、重々しい鋼がアスファルトを叩く轟音と、作動するギュルギュルという機械音が、何体もの〈フリーク〉の体を千切っては投げ、振りほどいては吹き飛ばし、叩いては押しつぶしていた。
 散らばった〈フリーク〉の体の数に比例して、〈フィストドライブ〉は鏡のような表面を紅に曇らせ、そして磨き上げられていた指先は体脂で白く濁って行く。
 弥彦は無言で、眉間に皺を寄せ、ただし口元を笑顔に歪めて淡々と歩みを進める。
 彼の姿と、新たな武器を目にした者たちは、〈西方協会〉も〈E.A.S.T.s〉も問わず、一度は疑問を頭に上らせた。
 あれは兵器なのか、と。右手のみの不完全な武器が、と。
 余裕のない戦いの中での疑問だったが、それはすぐに、冷たい熱気へと変わる。
 弥彦が、当然のように繰り出す巨大な拳。大きな負担がかかるであろう腰の捻りをしっかりと支える体躯。弱点であろう左側を、まるで誘いのようにつかって〈フリーク〉を呼び寄せ、始末する指先。
 危なげなく、歩むたびに確実に〈フリーク〉を始末する弥彦の姿に、一同は驚きと安堵を抑えきれず、感嘆の声をあげる。
「お前ら、ボーっとしてんなっ!」
 ルカが手にしたナイフを自分の掌に突き立てる。
 彼の能力者としての能力が発動、己の手を貫通するはずだったナイフは、二十メートルほど離れた場所、つまり弥彦の後方へ近づきつつあった〈フリーク〉の延髄をかすめるように出現し、倒すまではいかなくとも、弥彦が止めを刺すまでの時間稼ぎとなった。
「アキオ様の客人のお帰りだ、護衛しろ!」
 弥彦も心得たもので、〈西方協会〉の戦闘に割ってはいる。どちらが護衛かわかったものじゃないが、ルカのように、〈西方協会〉や〈E.A.S.T.s〉が牽制や予備的な攻撃を仕掛け、動きの止まったところを弥彦が頭部を破壊する形となる。
 弥彦が拳を振るうたびに、血潮が跳ね、地面に鉤爪の食い込む嫌な音が響き渡り、そして戦場を土埃と共に突風が吹きぬける。
 弥彦の目は、正面を見据えたまま、まるでその拳に意識を吸い取られているかのように、底知れぬ落ち着きで煌いている。
「ありゃ、なんだ? あれがあの若造の言ってた、〈赤目のフリーク〉か?」
 クニミが一裕=和政に近づき、囁く。
 親子ほども歳が離れていると思われる和政とクニミだったが、和政はそっけなく即答。
「違うと思うが、俺も確かには知らん。すまない」
 あくまで、知らぬ存ぜぬを決め込む。
 クニミが〈E.A.S.T.s〉である以上、今後の戦局がどう転ぶのかわからない以上、自分が一般兵であり、特殊な武器についてなど知らされていないとするのが、己の身の為には安全であると思われるからだ。相手の欲しそうな重要なデータを持っているからといって、捕虜の後にも生かされるとは限らないのが、戦争であろう。
 その間にも弥彦は一裕=和政たちに向かって歩いてくる。
「救護班」
 和政の声に振り返った三人の治療要員は、既に疲労困憊だ。〈西方協会〉のアキオがいつ倒れるかわからない以上、気も抜けないに違いない。
「弥彦の疲労をチェックしてくれ。あのバカデカイものを振り回して、何分持つか、だ。それによって作戦を変更する」
「無茶言わないでください」
 先にルカと一緒にアキオを受け止めた女性が、泣き出しそうな顔で汗をぬぐった。
「あんな無茶苦茶なものを振り回せる方がどうかしてます! 普通の人なら、持ち上げられるかどうかすら不明なんですよ?」
 確かにそうだと、和政は頷いて見せたが、他の計測方法だってあるはずだ。
 だが、それを思いつく時間はない。ならば、代替物で補うだけだ。
 和政は腕の軍用時計の分針と秒針を確認。
「ルカ、それにクニミ」
 予想外の名前に驚いたのか、ルカが和政の元へ跳ねるように駆け寄る。クニミは〈フィストドライブ〉の確認のために和政へ近寄ったまま、彼の一連の動きを――指示を出している間にも、発砲と警戒は続けているのだ――品定めするように眺めていた。
「弥彦はこの戦闘状態の初期から参加している。それ以前は事故により病院生活だった。完全に復帰してるとは言いがたいし、俺が見ても限界だ」
 「病人? あれで?」クニミが呆れる。
 確かに、一見、弥彦の動きは病人のそれではない。だが全力で戦う弥彦を、肌で知っている和政としては、ガタついていると判断せざるを得ないのだ。
「あの兵器の威力は見たな? あれを先頭に立てて、戦闘区域内の移動を開始したい。目的地は、私が保護した民間人の座標だ。我々の小隊のメンバーが一人、護衛についている。両者を保護したい。座標は把握済みだ」
 老若二人の反応を伺い、理解を確認した上で、和政は続ける。
「ここらで、組織的行動をとりたい。弥彦を五分間、最前衛にて戦闘させ、その後、後衛で十分の休息。奴が五分間でどれだけ〈フリーク〉を駆逐できるかは、既に見たとおりだ。あの戦闘力を維持させるために、倍の休息をとらせる。あの重さに潰されるよりはマシだ。協力を願う。同様に、そちらの組織もローテーションを組んで、休息をとりつつ移動してくれ。戦闘が終結しつつあるからこそ、これ以上の犠牲を出さないように、組織的に休息を取らせたい」
 二人は数秒間、思考の為に黙り込んだ。和政の提案に乗るのか、乗るにしてもどのように班分けをし、休息を取らせるのか――呆けて見えなくもないが、両者、急いで情報を整理しているに違いない。
「人数の配分を検討してくれ」
 クニミが〈E.A.S.T.s〉の面々を確認しつつ、ぼやく。
「こちらは民間の義勇軍だ。顔も知らなかった者同士、どうすればわからなくてブラブラしているうちに合流した、たった六人だ。医療に一人出てるから、五人しか居ない。〈西方協会〉の約三分の一だ。分けるなら、〈西方協会〉を六分割させて、そこに一人ずつってのが理想じゃないか?」
 一見合意できそうな提案だったが、ルカは首を振る。
「急な協力体制で、あんた達も困ってるだろうが、こちらだって迷惑してるんだ。今まで敵だった同士、いきなり背中をあずけられると思うか? そちらはそちらで組んでくれ」
 和政は一瞬、言いよどみ――すぐに踵を返すと、魔術を維持しようと全身を震わせながら立つアキオに駆け寄った。
「協力してくれ、アキオさん。柚実を助けに行く。ここの陣形を移動させたいが、〈フリーク〉に備えて円陣を組むには不安定な要素があり過ぎる」
 円陣というのは、今現在の人員配置のことだ。アキオを中心に、全方位から突然降って湧く〈フリーク〉に対抗できるよう、ぐるりと取り囲む形をとっている。この形のまま移動するとなると、進行方向側に立つものが先頭となり、危険度が増す。また、それらの先頭が突破された場合、すぐに中心部にあたるアキオや休憩人員の身も危なくなるだろう。
 和政はそれを避けるべく、案を模索しているのだ。
 そして和政は気づいている。アキオはなぜか、柚実に御執心だ。
 柚実を助けに行くといえば――それを和政が望んでいるとなれば、暗に殺すなと釘をさしてきたほど、二人の仲をとりもとうとしているならば尚更――体の無理を押して協力してくるだろう。
 それも、和政の計算のうちだ。
 アキオは声をあげる余裕もないのだろう。俯いたまま、小さく頷いて内容を把握していると伝えてくる。
 それを確認し、和政は続けた。
「周辺の〈フリーク〉の出現場所を貴方がコントロールできてるなら、把握してるなら、我々と柚実の間に〈フリーク〉を配置してください。陣形を突撃陣形にして、後方からの不安がないようにしたいんです。そうすれば、楔陣形で前方突破させる。
 楔の先端は、自分と弥彦、〈西方協会〉から一人借りて三人で回します。右翼を〈E.A.S.T.s〉、左翼を〈西方協会〉、一部を後方支援として分けてもらいます。それと、〈E.A.S.T.s〉に一人だけ援護を。そして貴方たちと医療班は、後方中央部。
 この陣形で突破中、貴方たちを含めて全員に危険が及ばないよう、〈フリーク〉が後ろから現れないという保障が欲しいんです」
 皮肉にも、和政の立てた案の骨子は、アキオが〈赤目のフリーク〉に提示した作戦――柚実のところまで八十体の〈フリーク〉を配置する――と同じものだった。
 もちろん、この時の和政=一裕はアキオが〈赤目〉にそのような作戦を遂行するよう依頼したことなど知らなかったし、〈赤目〉=三条も、自分に回されるはずだった〈フリーク〉の一部が、途中から道を一つにして合流することになるこの混成部隊に振り分けられた事情は知らなかった。
 アキオは空中の光へしがみつくように、指を立てた。何度か頷くが、その表情は一裕=和政からは見えない。振りまかれる汗の雫だけでは、どんな返答なのかを察することもできない。
 やがて呼吸が整ったのか、アキオは枯れた声で囁いた。
「任せておけ……〈西方協会〉の魔術師を、なめんなよ」
 突然、横に控えていた、黒服の屈強な大男が腕を差し入れた。片方の光盤が消え失せ、アキオの左手が投げ出されたからだ。
 弥彦よりも丸い体格の大男の腕に、アキオはしがみ付いた。遭難した男が流木に捕まっているかのようだ。
 だが、右手の光輪から手を離そうとはしない。むしろ、それを支点に体を起こそうとする。
「アキオ様」
 医療班の一人だった女が、アキオの足にしがみ付き、祈るように呟き始めた。
「アキオ様、お願いです、アキオ様……アキオ様……誰か、お願いします!」
 やめろといっているのか、助けてくれといっているのか。
 一裕=和政にはわからないが、興味もない。やるべき事は、考えるべき事はたくさんある。
 和政は、ビルの手前に着地した〈フリーク〉を、横目で確認した瞬間右手がトリガーを引き、左手でポーチを探る。
 取り出した携帯軍用モニターをチェック。柚実の場所までの距離は、およそ七百メートル。一キロにも満たないが、行軍としてのスピードで、彼女を助けられるか?
 次に、自分たちを監視してるであろうモニターの、カメラ位置をチェック。
 柚実の元までに、およそ六台。いくつかはビルの角にあり、自分たちの部隊を映像として捉えられるのか、わからない。
 和政は、ギルのことを考える。
 ギルが〈フィストドライブ〉を作ったには、理由があるはずだ。
 こんな、馬鹿馬鹿しく、玩具のような兵器。
 弥彦がいなければ、誰が使えたであろう?
 〈赤目のフリーク〉? いや、彼はこんなものを必要とする存在ではない。
 人の為。だが、扱えなければ無用の鉄塊だろう。
 とはいえ、相手は〈本庁の妖怪〉、〈現代の錬金術師〉。居なければ創り出したはずだ。薬物投与でも遺伝子操作でも、人体改造でも機械化でも、何でもやったであろう。そしてその事に罪悪感を感じたりするような男ではない。
 〈赤目のフリーク〉が戻らなくても、この兵器を用意していた――人の為に、己の為に、ギルが作り続けていた〈フィストドライブ〉。
 和政がギルを考えた時、この兵器の目的は一つしかない。
 つまりそれは、『人が、ただの人ではなくなる為の道具』だ。
 身体的にも、精神的にも、そして社会的にも、だ。
 そのお膳立てをする為にも、和政は周辺をチェックする。命令にはない行動だが、ギルの意図通りに進めば、今後の自分の仕事もやりやすくなるのは確実と踏んでのことだ。
 自分の「特命」を遂行するに必要な「闇」の為に、ギルの作り出そうとする「光」が役立つなら、作り出す手助けをするのも任務の一環だ。
 それに、もしギルの目的が和政の思うとおりならば、上層部はギルの活動を咎めはしないだろう。むしろ、歓迎するかもしれない。
 その為の舞台づくりだ。アキオにも協力してもらう。
 アキオの魔術的な障壁が、柚実の下まで最短距離で配置されているとして。
 それは両脇に〈フリーク〉のいない、空白地帯が出現するという意味でもある。
 この小隊の見えない所でも戦っている幾人もの人達、部隊は、〈フリーク〉の姿を求めて、そして戦闘終結の確認のために、この通りへと集まるだろう。そして、魔術の障壁の向こう側で行われる、自分たち混成部隊を見るだろう。
 安全な障壁の向こうから。自分たちは動物園のサルよろしく、見学される。
 そんな自分たちの姿は、先頭に立つ巨大な鉄の拳は、〈軍部〉のモニターを通して一部のプロパガンダにも使用されるだろう。
 そして、人は知る。この都市を守るものが、どんなモノなのか。
 和政は自分の手持ちの道具の中から、呼子を探した。見回り時の連絡用として、未だに携帯を義務付けられている原始的な笛は、原始的な戦闘であるからこそ、生きてくる。
 弥彦が連れてきたケネス小隊の若者に目をとめる。先から、〈フリーク〉の死体を蹴飛ばすことしか頭にないような、タトゥーだらけの男だ。自分より年上であるかもしれないが、知能も精神年齢も下であることは否めなかった。
「ケネス小隊の人」
 名前も知らなかったし、知るつもりはなかった和政は、そう呼びかけるしかなかった。
 タンクトップ一枚の男は、疲労困憊のアキオの姿に驚いたものの、どちらかといえば安全そうな医療班の元へ、喜んで駆け寄ってきた。
「ギル特小隊の、今現在の指揮を取っている相田一裕です」
「アーガイル。エル・アーガイル」
 一裕=和政は、直感的に、その名を偽名だろうと感じた。おそらく、〈特務〉の戸籍抹消制度を利用して、新しく名乗った名前だろう。
 〈特務〉は決して、一枚岩ではない。〈人格波動〉能力者を保護・監視する目的をもって〈特務〉がある。この男は確かに能力者であるか、自分と同じようにそれに匹敵するような技術を有しているのだろうが、それ以上に、軍にいてはいけない男だ。理由はわからないが、この男には下劣さしか感じられない――和政は表面に出さず、嫌悪感を胃の中に押し込める。
 この騒ぎが収まったら、調べておかなければならないことが、一つ増えた。厄介な事だ。
「これから作戦行動として、交代でことにあたることにします。あなたにやってもらいたいのは、五分ごとにこの笛を吹いて、交代を促すこと。時計は持ってますね?」
 扱いを間違えると面倒そうだと思い、下手に出る。刺青男はにやりと下品に笑って、左手に食い込む腕時計を叩いた。
「それじゃ、私が合図するまで、医療班の護衛をお願いします」
 作戦開始のタイミングを図る。ルカやクニミに陣形を説明する前に、魔術師の準備や疲労の具合を確かめようとする。
 観察を開始した途端、周囲から歓声とどよめきが起こった。
 それまで周辺をウロウロし、飛び掛るタイミングを見、そして戦っていた〈フリーク〉が、一斉に姿を消した為だ。
 こんな事ができるのは、もちろん、一人しかいない。
 皆の視線を再び集め、黒服の男は、かろうじて和政に聞こえるような小声で、命じた。
「三分、時間をやる。その間に、オレも引継ぎ……する。移動のための、陣を整えろ」



 『銀色の壁』は出現するたびに、掌へ染み込むかのようになじみ、実感を与えるようになってきた。
 以前はただの、ぼんやりとした空中のシミでしかなかったのに、少しずつ、そのシミには冷たさを覚え、硬さを感じ、そしてそのシミに与えられるダメージがどれだけ耐えられるものなのか、まるでつながった肌で感じるようになっていった。
 複数に渡って広がったいくつもの『銀色の壁』とギルの銀のカードは、両手の指のように――もちろん、それ以上にたくさんのカードや『壁』が飛び交っていたが――どれがどこにあるのか、自然に理解できた。最初こそもつれたり、思いがけない場所のカードが移動したりしたものだったが、それもすぐに修正できるようになった。
 音楽についてそれほど思い入れのない柚実だったが、脳裏に浮かんだのはたくさんの音符と、それらによって表現される音楽だった。
 小さな点にも似た自分の能力が自分の思考一つでいかようにも変化する様。
 柚実の脳は、その高校までの経験の中から一番近しいものとして――さほど身近なものでもなかったが――音楽を思い出させたのだ。
 無音で奏でられる柚実の音楽が、硬く、鋭く、亀のように小さく固まった車内を更に強固に守り続ける。
 美雪は背を向けて膝を抱え、丸まったまま動かない。
 その心情を心配しつつも、柚実は〈フリーク〉の出現と動きを恐れて、まともに相手することなどできなかった。
 何よりも、彼女に拒否された自分の心が整理しきれておらず、美雪から目をそらすように車外を警戒することしかできなかったのだ。
 どれほどの攻撃をしのぎ、〈フリーク〉を停止させただろ。
 そんなにたくさんはなかったような。五体ほどだろうか?
 緊張が続きっぱなしで、長かったような短かったような。うまく思い出せない。〈フリーク〉の顔も、攻撃も、どんな風に防いでどんな風に倒したのか、ぼんやりとしていて思い出せない。
 しかし、それが現実であったという証拠はある。曇る強化ガラスの向こう側には、肉片がそこかしこにばら撒かれ、黒なのか赤なのかわからない路上が広がる。
 その中で、不意に景色から緊張感が失せた。
 柚実は目の前の風景の中から、次の衝撃を探して身構える。緊張感の途切れ――その正体が掴めず、怯えだけが柚実の体を弾くように動かし続ける。
 車内の窓を隈なく注視し、二度三度と周囲を確認し、そしてやっと、その緊張感の消滅が先にもわずかな時間ながら訪れた沈黙――〈フリーク〉が停止または消滅した空間によるものだと気づいて、大きく息を吐く。
 もちろん、それがアキオによってもたらされた静寂であることなど、柚実にはわかるはずがない。
 柚実の吐息が安堵によるものと察したのか、美雪がわずかに顔をあげた。
 たったそれだけの動作だったが、柚実には救いでもあった。
 後輩がわずかながらも外への興味を示したことは、彼女の心が壊れたわけではないと柚実に告げていることでもある。自分に関わったばっかりに、後輩との関係のみならず、後輩自身の精神までもが壊れてしまうかもしれないという危機感が柚実の中に育ち始めていたからだ。
 後輩を刺激しないよう、柚実はゆっくりと、車内の床の上に放り投げていたマニュアルを拾い上げる。
 現在の装甲レベル伍の起動スイッチは教えられていたから大丈夫だったとして、今後の動きを考えると、他に有効な機能がないかを確認しておきたかったのだ。
 見習いの上に無線の免許を持たない柚実には、車内の無線を扱う方法もわからなければ、ホットラインも支給されていない。ショックアンカーの働いていた三分間はとっくに終わっているし、密閉されている車内に供給される酸素が無くなる可能性も――酸素が無くなれば、窒息死するであろう事ぐらい、柚実にもわかっていた。そして、その時間が迫っているだろう焦りもあった。脱出方法なり助けを呼ぶ方法なり、確実な手段を一つでも手に入れておかなければ、死を招いてしまうだろうと。
 実際には酸素濃度が限界まで低下していると感知したと同時に、装甲変更も解除され、否応なしに外へ出ることになったのだが、そこまでの知識は当然、無かったのだ。
 装甲変更解除の方法を探してページをめくる。
 〈フリーク〉が視界から消えた今、戦闘の終了を確認する為にも、車外へ出る方法を調べておく事は悪い事とは思えなかった。
「い……」
 悲鳴にも似た声が聞こえたような気がして、柚実は振り返った。
 美雪の視線の先、分厚い防弾ガラスの向こうで、大きな黒い車両が横付けになって止まったところだった。
 急ブレーキの反動でわずかに揺れている車から、更に大きな反動を引き起こして次々と降りてくる〈特務〉の制服姿。
 わずか七人のケネス小隊の面々だったが――自覚は無かったものの、心から助けを求めていた柚実には大人数に見えた。
 ゴーグルをつけた二人の男が、防弾ガラスに顔を近づけ、コツコツと指で叩く。柚実は理解しているという印に、内側からノックを返す。
 拳を突き合わせて喜ぶ二人の男たちは、自分たちの乗ってきた車両の傍で待つ、見るからに指揮官と思しき年配の男性にも拳を突き出して柚実の生存を態度で示して見せた。
 柚実は急いで、ページをめくる。
 早く外に出て、早く美雪を引き渡したかった。自分より、よっぽど確かに彼女を守れるだろう「本物の〈特務〉」にこそ、美雪の安全を保障するべき力があるのだと信じていたのだ。
 ようやく解除コードを見つけ出し、運転席に移動する。前面パネルのキーを確認し、自分の車両番号と解除コードの暗号を照らし合わせ、入力する。
 たったそれだけの動作が、もどかしい。
 入力を終え、解除スタートのブザー音。
 装甲変更が行われた時同様、重々しい音が、今度は逆の動きとなって二人の周囲に撒き散らされる。始まりの時とは逆に、ゆっくりと揺れながら展開されていた装甲が折りたたまれ、下ろされていた防弾ガラスが引き上げられていく。
 相田は、レベル伍の時に電気系統に傷害が出る可能性があると言っていたが、今回は無事に乗り切ったようだ。
 息苦しく感じていた空気も、酸素供給が外部の通気に切り替わったせいか、少し涼やかに感じられる。
 ただし、その空気には、外部で起こっていること――血に彩られたアスファルトから立ち上る鉄の匂いも過分に含まれていた。
 しかし、当然のように、柚実にその匂いの正体を察することなどできなかったのだ。鉄の匂いに気づいてはいたものの、音を立て続ける装甲の擦れる匂いだと、勝手に思い込んでいた。
 視界の中でハッチがゆっくりとあがって行き、外界が直接、目に飛び込んでくる。
 その外界の刺激と同時に、生臭い血の匂いが――おそらく、風に乗って他所の匂いも混じっていたのだろうが――見えぬ塊のように柚実の顔を叩いた。
 一瞬、息がつけなくなる。
 その一瞬。
 柚実には聞こえぬ轟音が、その場に広がったのだ。
 少なくとも、柚実にはそう思えた。
 まるで押さえつけていた子犬が走り出したかのように、美雪が弾丸のようにハッチの隙間を潜り抜けていったのだ。
 どこかからスタートの合図があったかのように。
 柚実は追いつけるはずがないと半ば諦めながら、外界に足をつく。
 自分たちを助けに来てくれた、〈特務〉の面々が右手方向に見え、美雪はそちらへ向かって一直線に駆けて行く。
 ――と。
 その足が引きつるようにとまった。
 〈特務〉の男性が――ゴーグルをつけていたので、どんな表情をしていたのかわからなかった――美雪の腕に手を伸ばし、掴んだ時だった。
 理解できなかった。
 少なくとも、その時、その光景を見ていた柚実には、何が起こったのかを認識できなかった。
 自分が瞬きをしたのかとさえ思った。その感覚は、後々まで柚実の記憶と感情を混乱に陥れた。
 美雪と、彼女の腕を掴んだ〈特務〉の、そのすぐ隣りの路上に、人影があった。
 一瞬にして現れた人影。
 それは緑色の制服を着ていた。
 見慣れた、〈特務〉の制服よりもずっと見慣れた、高校生の制服。
 緑色の右腕が伸びて、〈特務〉のゴーグルを押しやったように見えた。
 どいてくれと、優しく押したようなその動き。しかし、優しく見えたその腕には、もっと強力な力が秘められていたのか。それとも、柚実の目が、脳が、混乱の中で捉えた偽りの動きなのか。
 ゴーグルごと、〈特務〉の男の頭は下顎の部分を残してひしゃげ、膝が折れるより早く自重で千切れて地面に落ちた。
 柚実の耳には、それらの全てが無音の中で起こっているように見えた。
 美雪が死体となった〈特務〉の腕を振り払って逃げ出そうとした。
 しかし、まるで申し合わせたかのように、彼女の逃げる先には、次々と人が現れる。
 それらは普通の格好をした、普通の人―――否、〈人格波動〉の異常数値により、人とは違う生き物へと変化した人間の姿。
 〈フリーク〉たちだ。
 アキオの告げた三分のタイムリミットなど当然、柚実は知らなかった。
 無数の人外の生き物に囲まれ退路を断たれた美雪は、顔をこわばらせ、ビルの外壁にぶつかった背から、ずるずると地面に座り込んだ。
 柚実の手の中から、ギルのカードが勝手に動き出す。まるでマジシャンが放ったかのように、さーっと空気を裂き、震えて動けない美雪を目指して滑空する。原理のわからぬこのカードは、誰か特定の人物のものではなく、誰かの危機に反応するようにできているのかもしれない。ギルは、カードを動かしているのは柚実だといっていたが、この場に及んでも――それでも柚実の意識はまだ、目の前で起こっていることに気づいていなかったのだから。
 しかしそれは〈特務〉の面々も同じだったに違いない。
 〈特務〉の小隊が美雪に駆け寄るより早く、緑色の制服で座り込んだ美雪の前に、ゴーグル男を一振りで即死させた緑色の制服の少女が立つ。
 それは、同じ背丈、同じ年恰好、同じ顔の存在だ。
 表情を無くした怪力の少女は――泣きじゃくって引きつった笑みにも見える表情を浮かべて座り込んだ、同じ顔の少女の――胸倉を、左手一本で掴んだ。
 そのまま、ゆっくりと空中に吊り下げる。
 装甲車のハッチが開くスピードに似ていると、柚実はぼんやり感じていた。
 夢の中のような光景。
 その中で、美雪のドッペルゲンガーが、右腕を引いた。


「先輩、助けて!」



 不意にその言葉が全身を走り抜け、柚実は銀のカードが二人の美雪の間に滑り込むのを見た。
 その刹那、柚実の無意識が命令を下す。
 壁が必要だ。
 壁。たくさんのブロック塀。厚み。
 無数の銀色のモザイクの向こう側に、美雪の顔が隠れて行く。
 そして、ドッペルゲンガーの拳を、待ち受ける。
 その一瞬、全力で、腕を突き出すイメージで、待ち受ける。

「せんぱ――」
 言葉が、砕け散った。

 粉砕された銀の輝きが空をギラギラと照らし、血が跳ね跳び、二重現身の指先が在らぬ方向へ曲がり、千切れて行き。
 それでも突き出された拳とはいえぬ腕が、その骨が、美雪の涙だらけの表情の中心へ突き刺さっていた。
 無表情の美雪が、頭を無くした美雪を片手で掴んだまま立ち尽くしていた。
 柚実の視界がぐらりと揺れた。
 能力を破壊された痛みが全身を走り抜け砕き続けているような気がしたが、それ以上に、心がすべてを拒否していた。
 頭の中でガンガンと音が鳴っているような気がしたが、気がつくと装甲車両のドアに頭を付けて座り込んでいた。
 突進女の血液がべっとりと付着していたドアだったが、柚実はそのドアが吸収した陽の熱さだけを、痛みの一部として理解していた。
「美雪?」
 かろうじて、それだけ音にすることが出来た。
 柚実の斜めになった視界の中――美雪と同じ顔をした〈人格波動〉の塊は、子供が人形と戯れるように、同じ制服を着ている死体の頭に噛り付いた。
 可笑しいほどに礼儀よく、りんごを齧るように丁寧に。
 柚実はぼんやりと、痛みもしびれも残る朦朧とした頭で、考える。
 髪の毛も食べるんだろうか? 髪の毛っておいしいのかな? 目玉は? つぶれちゃった目玉は、再生するのかな?
 美雪は、どうすれば元に戻れるのかな?
 どうすれば、元に――。
 不意に腕を引かれ、柚実は何事かと顔を上げた。
 がっしりとした体型の初老の男が、必死の形相で柚実を引きずっている。
「やめて……」
 掴まれていた腕が痛かったから言っただけだったが、その言葉は、初老の男の中では怒りの火種と化したようだ。
「ふざけんな! こっちに来い!」
 男はズルズルと柚実を引きずり、数人の〈特務〉が砦のように使っている、自分たちの特殊車両へ乗せようとしていた。
 途中で三人の〈フリーク〉が現れたが、初老の男がハエでも追うように手を振ると、途端に数メートルほど吹っ飛んでいった。触れてもいない手と崩れる集団の動きは、何かのコントのように見えなくもない。現実離れした光景だった。
 血溜まりを横切って歩く彼の足元を引きずられ、柚実の制服はあっという間に湿ってしまった。黒い制服に血の色は目立たなかったが、それでもその重苦しく鼻につく鉄の匂いは、柚実の気持ちに蓋をするかのようでもあった。
「無茶をするな、ブレジン!」
 ハンドガンを構えた、同じく初老の男性が怒鳴った。彼の足元には、先に頭部を吹き飛ばされた〈特務〉の死体がある。
「テレスッ!」
 誰かの悲鳴になってない途切れた声と、やっぱり誰だかわからない男の声と。
 柚実はその二つの音で、また誰かが死んだことを悟った。
「ライツムッ! もういい、下がれ!」
「ムリです、隊長! 足がッ! あ――」
 足音と破壊音、そして水音の喧騒の中、誰かの舌打ちが、かろうじて聞こえた。
「アトゥはどうした! コージ!」
「アトゥさんの〈波動〉は見当たりません! もうダメです!」
「ブレジン、ライツムの死体を囮に、敵を集めろ! コージ、彼女を乗せてエンジンをかけとけ!」
 柚実を引きずってきたがっしり型の初老男性は、無言で走り出していった。
 かわりに若い――柚実と同じぐらいに見える少年が、無言で彼女の腕をとって車中に押し込もうとする。
 少年の荒っぽい力は、この戦闘に言いようのない恐怖を覚えていることを告げていた。慌しくドアを閉め、柚実の視界に陰がさす。一拍おいて、運転席に少年が乗り込んでくる。
「あんたは、あの馬鹿デカイ手甲の人と、同じ小隊の人なんだろ?」
 突き放すような怒鳴り声は、周囲の恐怖から発せられたものだとわかるだけに、不快は感じなかった。
 感じなかったが――その返事に応えるような余裕も無かった。
 心の中で、何かが凝縮し、真っ黒な板となって直立しているような気分だったのだ。
 その板に何を投げつけても、反応も反響もない。そのことを柚実自身が不思議に思った。
 〈特務〉の制服を身に着けた少年は、柚実の同い年である相田一裕とは全く違う、浮き足立った怯え方で自分の銃を何度も周囲へ向けた。柚実の無言は、肯定だと受け止められたようだ。
「あちらに戻る! 隊長もそう思ってると思う!」
 次の瞬間。
 柚実はいきなり飛び込んできた陽の光に目を射抜かれ、痛みを感じると共に外界に吹き飛ばされた。
 地面に叩きつけられ、息ができない。眩しさに、まともに目を見開くことができない。
 ドアを破壊され、車の中から引きずり出され、放り投げられたのだ――それがわかるまで、柚実は叩きつけられた痛みにもだえながら地面を転がった。
 だが、どうして? 誰が? 〈フリーク〉?
 ワケがわからぬまま、体が次なる浮遊感を訴えた。
 息苦しさを感じるまもなく、空中に吊るしあげられ、自分の首を支えるもう一つものが人の腕であると認識する。
 緑色の制服の袖。
 音が耳から消える。変わりに、自分の心臓の音が大きくなる。耳の中が重くなる。音が熱を帯びる。
 そして、それに反して、砂袋がひっくり返されたようにざーっと落ちていく足元の熱。
 その中心たる柚実の腹の底では、あいかわらず黒い板が直立している。
 柚実は自分の身体の状況を、一枚の黒い板として、上部に熱と音を発する球体と、下部に流れる二股の滝を持つ、一個の無生物であると認識した。
 その上部の球体は、自分の意識が、斜め下に見える見開いた眼と、よく見知った少女の顔立ちに、既に遠い記憶となりつつある過去を見た。
 そして、その顔に殺されるのは当然であると、納得した。
 自分が殺した少女。だから、彼女には自分を殺す権利がある――そう、言語ではなく本能、いや、肌で悟った。
 肌で悟ったが故に、中心に居座る黒い板は何も思わず、何もせず。
 やはりどこかで見た光景と同じく、目の前の少女は右腕を突き出すべく肘を引く。
 そして、止まった。

 〈フリーク〉の少女――美雪と呼ばれていた少女の頭部を、後ろから鷲掴みにする手。

 大きなその手の指は、本体の外見から想像できる以上に大きく膨れ上がり、血に濡れ、脂にぬめり、トマトに指を立てた時の様に爪を食い込ませていた。
 柚実の中の、想像の生み出した黒い板がしなった。
 まるで、その手の主の、赤く濡れた大き過ぎる眼球から放たれた、視線という名の熱に焦がれたかのように。
 柚実の中で、想像の黒い板がひび割れ、砕け散った。
 同時に、現実である美雪の〈フリーク〉体は、自身が壊した〈特務〉の男の頭部と同じように、下顎だけを残して砕け散っていた。


 力を失った〈フリーク〉の手から転げ落ちた柚実は、傍らに立つ異形の男を見上げた。
 顔面の半分を占めるほど巨大化した二つの眼と、末端が肥大化した両手足。何体もの敵を屠ってきたのだろう、〈特務〉のジャケットは、鉤裂きだらけな上にべっとりとした液体でテカテカと輝き、立ち尽くす間にも幾度と無く雫を落とし、アスファルトを斑に彩っていた。
 動き出した柚実の意識と体は、死を覚悟した物体から生物としての活動を開始する。生きている実感の代わりに、その名を口にのぼらせる。
「さ……三条さん……」
 返事は無かったが、柚実は俯く。なぜ彼から目を逸らしたのか――その姿かたちを恐れたのか、心の奥を見透かす瞳が怖かったのか、安堵の脱力だったのか、自分でもわからないまま、もう一度呟く。
「……三条さん、だ」
 運転席にいたはずの〈特務〉の少年が、いつの間にか柚実を気遣うように肩を抱いていた。その動きは、目の前の化け物を敵味方のどちらに所属する存在であるかを判断しきれず、柚実をかばいながら後ずさるばかりだった。
 その動きの最中、少年は柚実の言葉に応じて吐き捨てる。
「サンジョウサン? なんだ、これ? ……誰? 畜生、なんだかわからねぇ、この波動!?」
 少年の疑問に答える余裕や知識は、柚実の中にも三条の中にもない。
 三条は、半ば化け物と化した外観のまま周囲に群がる〈フリーク〉を屠りつつ、怒鳴った。
「なぜ、助けなかった?」
 絶望から浮上しつつあった柚実の意識が、一度、止まった。
「なぜ助けなかった! 答えろ!」
 三条の呼びかけが自分に対してのものではないと気づいた柚実は、彼の視線の先を追った。
 相田一裕が、〈特務〉の大型拳銃を構えた冷ややかな物腰で、そこにいた。



 弥彦は〈フィストドライブ〉の駆動音が上下する音色に聞き惚れていた。己の〈人格波動〉をトレースし、コンディションを表現するその音色に合わせるように、そして更なる精神の高揚を呼び込む為に、我知らず雄叫びをあげる。
 荒い息づかいも、駆動のうねりに唱和する。人機一体となった全身が、一塊の拳となって前進するたびに〈フリーク〉を粉砕していく。
 五分ごとに笛を吹いて交代を促す、例の翼のある蛇の入れ墨をした青年――アーガイルは、弥彦が休息に退くたびに、まるで弥彦の戦力が自分の笛のおかげであるかのように肩を叩いてきた。
 そのなれなれしさに辟易しながら、弥彦は顔面の汗を拭い、抱えられているアキオの容態を気遣い、先行している一裕=和政の身を案じた。
 アキオの三分間のリミットが切れて、にじるような前進を開始して、すぐの事だった。
 和政は、前方に配置されている〈フリーク〉の数が、自分の思っていた数より少ないと言い出したのだ。
 なんの根拠があるのかと弥彦は思ったもんだが、アキオが自分たちの窮地を「引継」とやらに伝えていたせいかと納得した。
 後日、それはアキオの采配ではなく、三条とこの一団の、柚実までの道のりが途中から合流したが為であり、この連合軍の獲物を三条があらかたさらってしまっていたが為と判明する。
 ちなみに、和政の〈フリーク〉数の予想は、当時活動していた〈特務〉小隊の数からの判断であったとの事だ。
 一小隊につき、五体の〈フリーク〉を退治できれば恩の字として――あくまで戦い慣れた弥彦と〈フィストドライブ〉、そして〈赤目のフリーク〉の掃討数は異常なのだ――その一部が撤退もしくは全滅したことを想定したのだと。
 その予想が覆されたのは、嬉しい誤算でもあった。
 誤算はそれだけではない。
 〈西方協会〉が設置した外界との境界線の、その内側に取り残された〈特務〉の面々だ。
 三分間の猶予中に、合流するべく連絡をしてきた彼らが次々と楔型陣形に参加し、和政と弥彦、そしてアーガイルしか残っていなかった〈特務〉の制服組は、〈西方協会〉や〈E.A.S.T.s〉にひけをとらない、八人体制にまで膨れ上がっていた。
 なにはともあれ、和政はこの連合軍が前進するにあたって、十分に安全を確保できたと考えたのだろう。
 単独先行してケネス小隊と合流し、はさみ撃つと言い出したのだ。
 混沌とした戦場での一声だったが、弥彦は、彼の真意が別のところにあるのだと判断した。
 おそらくそれは、自分たちに下された「特命」の為でもあったろうし、本来Aクラスである彼の、別のミッションの為でもあろう、と。
 一瞬、「おまえが俺を見張ればいい」といった和政の言葉が思い出されたが、弥彦は黙って行かせる事を選んだ。
 ギルが言ってたとおり、彼の立場や行動力に嫉妬するのは間違ってるし、彼と同じ事をするのも間違ってる。和政がこの集団よりも別のミッションを選ぶというのなら、自分はこの集団を守る為の拳である方が自分らしいと思う。
 今まで指揮を取っていた和政がいなくなり、指揮は当然のように、弥彦に回された。〈特務〉に年齢は関係ない上に、この場を指揮するべきなのは、階級や年齢ではなく、あくまで担当部隊の一員である弥彦なのだとの、〈特務〉ならではの見解からであった。
 それに、この状況下、一番〈フリーク〉を知っているのは、アキオをのぞけば、〈フィストドライブ〉の試験運用で何度も処理を任されてきた弥彦になる。
 皆、異存はなかった。もちろん、若造の指揮に不満や不安を抱えていたものもいたのだろうが、采配の失敗以上に、〈フィストドライブ〉が集団にもたらした高揚感は魅力的だったのだ。
 弥彦も、努めてお願いしたわけではなかったが、ルカやクニミの、己の組織を理解した指導者たちの適切な指示に助けられた部分も大きかった。
 どちらも、この戦闘で己の組織の強さと結束力を誇示しようと、一丸となって事に当たっていた。和政が当初予定していた陣は、別の意味で二つの集団を競わせ、〈特務〉がその間をとりもつ壁となって、本来の予定以上にうまく作用していたのだ。
 その一団が進む先。和政が先行していたおかげであろう。進む先には〈フリーク〉の死体がぽつりぽつりと転がっていた。それを目印にというわけではないが、自然に、死体の先を目指して進むようになる。
 しかしその現象も、ある交差点から急激にその数が増していった。
 まるで、すし詰めになっていた〈フリーク〉の中心を、暴走した車が走り抜けていったかのようだと弥彦は思う。
 足の踏み場もない通りを、クニミたちが率先して平らに均していった。もちろん、その間にはルカたちが警護を怠らない。
 〈E.A.S.T.s〉のグループが死体を地面の中に埋めてしまう頃には、全員が、この周辺には攻撃してくる〈フリーク〉の姿が見あたらないことに気づいていた。
「戦闘終了ってこと、かな?」
 アーガイルが笛をおどけてピッピ、ピッピとならしてから、肩をすくめて弥彦を見上げた。
「こっちからは、戦車がひき殺したみたいだけど」
「戦車で、あんなきれいな死体が残るか?」
 ルカが唾を吐いて、アーガイルを睨んだ。
 やはりというか、当然というか、彼もこのアーガイルというイレズミ男の軽薄さや自分勝手な言動に嫌気がさしているようだ。
 笛を吹くだけという仕事の合間に、手助けらしい手助けもせず、応援なのか嫌みなのかわからない声援を送っていたことが、反感の原因に違いない。
 ルカは、戦闘後の脱力感にゆっくりとひたりつつある部隊を見渡し、弥彦に囁く。
「このままだらけちまうと、反動が怖いぞ。進むなら進む、撤退するならするで、さっさと決めちまわないと」
 確かにそうだ。緊張の糸がほどけてしまったところへ〈フリーク〉が現れたら、警戒を無くしたこの集団は、一瞬にして己の保全のみの、烏合の衆と化すに違いない。
 今のところ、彼らを縛る法はない。自主的な行動にたよってるこの集団は、指揮権を弥彦に預けただけであり、彼の指揮に縛られるいわれはない。その気になればいつでも、自分の思うように離脱可能だ。
 それを思えば、この仮の組織を瓦解させるような弛緩は好ましくないに決まっている。
「アキオ様の呼吸も安定してきたようだし、〈E.A.S.T.s〉側も、この体制に慣れてきた。さっさと救出して、この状況の決着をつけようぜ。そんでもって、この体制のまま傭兵部隊として軍に登録できるように、最後まで一緒に移動したほうが……」
 ルカの語尾が濁った。
 弥彦はルカの提案内容を思案している最中で、彼が何に反応したのか、全く気がつけずにいた。
 途中から合流してきた〈特務〉のメンバーも、完全には把握していなかった弥彦だ。〈E.A.S.T.s〉の面々の名前や顔を、かろうじて認識できるぐらいの戦闘はこなしてきていたが、もちろん、彼らが何を考えているかなど――弥彦だけではない、ルカの仲間たちも、〈E.A.S.T.s〉の仮のリーダーであるクニミも、知らなかったに違いない。
 気づいたのは、その時、弥彦の傍らでぐるりと部隊を眺めていたルカだけだった。
 弥彦が顔を上げた時、ルカは自分の胸元を、力一杯、掌で叩く寸前だった。
 ルカの能力者としての能力によって、当の本人であるルカの体が、指定された座標まで瞬間移動する。
 それは、アキオを抱える〈西方協会〉の大男と――その目前まで音もなく、そして気負いもなく、ゆっくりと歩いてきた〈E.A.S.T.s〉所属の若い男の、その両者の間だった。
 そして、恐ろしいほど正確なタイミングで、〈E.A.S.T.s〉の男は自己の能力を解き放った。
 ルカは、この男が無力になったアキオを狙っていると直感したのだろう。行動を止めようとするなり、説得するなりの対処を考えて、その地点に出現したに違いない。
 しかし、対話しようにも、姿を現したと同時の攻撃は、ルカの想定にも無かったのだ。おそらく。予測していたのなら、彼の能力で攻撃の一つや二つは、別の場所へ転送し、致命傷だけでも避けられたに違いないのだから。
 ちょうど缶コーヒーほどの穴が、散弾を放った時のように、ルカの全身にうがたれる。
 今までの戦闘中、何度も目にした〈E.A.S.T.s〉の若者の能力。広範囲の〈フリーク〉の足を止め、削り、とどめを刺してきたその能力が、一人の人間の体だけを狙って、大きな風穴をあける。
 ルカが――左目付近を弾けとばされた身で傾いでいきながら、ちぎれそうな右手に握っていた拳銃の銃口を、自分の無事な左の掌に押し当てた。押し当てると言うより、左手ですくい上げた。
 弥彦は見た。
 とても引き金を引けるような状況ではないルカが――手の腱がつながっていたのかも不明なルカが――銃声を轟かせた瞬間を。
 その弾丸が、意識など無くなっていてもおかしくない身のルカの〈人格波動〉の能力で、〈E.A.S.T.s〉の若者の脳内へ直に転送された瞬間を。
 その弾丸が、発砲の衝撃ごと若者の脳を破壊しながら、後頭部を吹き飛ばしていった瞬間を。
 前面から見れば何の傷もない若者の顔から、一瞬にして生気が失われた瞬間を。
 ルカがグシャリと地面に倒れ、〈E.A.S.T.s〉の男がゴトリと転がり。
 当事者はおろか、目撃していたその場の全員が、声を上げる間もなく、全てが終わっていた。
 沈黙。何秒ともわからない、誰がどこから切り出せばよいのかもわからない沈黙。
 その沈黙を理解した上なのか、相変わらずの無頓着さからなのか。
「ウソだろ? なんの芝居だ、こりゃ?」
 アーガイルが呟く。もっとも、その呟きは、皆の沈黙の中、必要以上に響きわたった。
 弥彦は、この時ほど、この軽薄な〈特務〉の男の存在に感謝したことはない。
 彼の一言で、ようやく、目の前の死体が、つい先まで集団の進退について語り合っていたルカのものだという実感が抱けたのだから。
 そしてその実感は、真新しい血の匂いとなって弥彦を襲う。今の今まで、周囲に充満し続けていたが故に慣れてしまい、全く気にならなかった錆の匂いを、急に不快に感じ始める。
 弥彦は、〈フィストドライブ〉の拳を地面に落としたまま、息を詰めた。恐怖からではない。何か、重苦しいものが胸元に押しつけられたような気分で、息が詰まるのだ。
 弥彦は、あえぎながら動けない自分を自覚した。
 先の瞬間まで、武技教官の「笑え」という言葉に勇気づけられていた弥彦だったが、その、笑いを浮かべることすらできない。
 ルカが死んだのだ。
 つい十数分、数十分前に知り合ったばかりの人物だったが、死線をくぐった仲間が。
 死体という意味では、自分たちの破壊した者達とほとんど変わらない。なのに、ルカの死は大きな意味を持つ。
 弥彦は改めて、自分たちのしている作業に気づいた。
 今の自分の感じている、絶望とはいえないが大きな空白を抱えた心を、数え切れないほどいた〈フリーク〉達の親族知人も抱えることになるのだ。
 その空白を作り出すのは、自分たちなのだ。
 〈フリーク〉達への罪悪感はない。ただ、ルカの死に対する空白だけがある。そのルカの死が、〈フリーク〉達の死への空白でもあるのだ。
 言葉がでない。でないだけに、他人の沈黙も、耳につく。普段は聞こえない〈フィストドライブ〉の稼動を示す震えすら鼓膜を打つ。風の音やサイレンの音、遠くの戦闘と思われる破壊音すら、その耳に届く。
 そして、ルカの捨て身の護衛で命を拾った〈西方協会〉の男の、大きな絶望のため息も。
「……くそったれが」
 朦朧としたその声、その言葉が、誰にむけてのものなのか。
 この時のアキオに言葉をたずねる勇気は――さすがのアーガイルにも、なかったのだ。






←PREV | INDEX=R-T-X | Home | NEXT→
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6-1 | 6-2 | 7-1 | 7-2 | 8-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-3
10-1 | 10-2 | 10-3 | 11-1 | 11-2 | 12-1 | 12-2 | 13-1 | 13-2

copyrights (c) 2001-2017 suzu3ne@CloudCollector'sVector(2CV) All rights reserved.